第20話「名前を、聞いた」
翌朝、陸は仕事をしながら昨夜のことを考えていた。
廃坑の老人。ガロードが昔一度会ったことがある。誰も信じない目をしていた。でも「好きにしろ」と言った。
追い払う言葉ではなかった。
次に行くとき、もう少し話せるかもしれない。
どのくらいのペースで通えばいいか、まだわからない。急ぎすぎると逆効果だ。でも間を空けすぎると、また遠くなる。
ガロードのときと同じだ。来るたびに、少しずつ変わった。
午後、仕事を終えた。
ログインする前に、拠点のメニューを確認した。
作業台の素材が揃っていた。水晶片を一つ、前回の山岳エリアで手に入れていた。
今夜は作業台を設置できる。
チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は休みらしい。
「作ってきた。シチューだ」
「ありがとう」
二人でテーブルに座った。シチューは温かくて、クリームが濃い。
「昨日、廃坑に行ったんでしょ」と柚希が言った。
「そうだ」
「どうだった」
「前より奥まで行けた。奥にいる人と話した」
「名前は聞いた?」
「聞いていない。まだそういう関係じゃない」
柚希は少し考えてから言った。「じゃあ次は聞けるといいね」
「どうしてそう思う」
「話せるようになったなら、次は名前を聞くのが自然な流れだから」
陸はシチューを一口食べた。
「そうかもしれない」
「急がなくていいけど、聞かないままだと相手も寂しいかもしれない」
柚希はそれだけ言って、食べ終えた鍋を片付けた。
「気をつけてね」
「ゲームだ」
「知ってる」
扉が閉まった。
名前を聞かないままだと、相手も寂しいかもしれない。
陸はその言葉を少し頭に置いた。
夕方、ログインした。
広場に全員が集まっていた。ガロードもいた。
「今夜は何をする」と宗介が聞いた。
「まず拠点に作業台を設置する。それからクエストだ」
「作業台か。ようやくか」
「素材が揃った」
全員で拠点に向かった。
空き地に着いて、陸はメニューを開いて作業台を設置した。
簡易作業台 設置完了
拠点レベル:1 設備数:2
新機能:素材の加工が可能になりました
ドロップ素材を上位素材に変換できます
「これで素材の加工ができる」と陸は言った。
「どんな加工ができる?」と大和が興味深そうに覗き込んだ。
「下位素材を組み合わせて上位素材にできる。武器や防具の強化素材も作れるようになる」
「今まで捨てていた素材が使えるのか」と宗介。
「そうだ。次のクエストからドロップした素材を全部持ち帰る」
「了解。じゃあ今夜のクエストに行くか」
「行こう。今夜は廃坑の周辺エリアを攻略する。推奨Lv.18〜20のクエストをいくつかこなしてレベルを上げたい」
廃坑の周辺エリアは岩場と森が混在した地形だった。
視界が悪い。足元が複雑だ。魔物が岩の陰に潜んでいることが多い。
「ハル、前方を頼む」
「もう動いてる」
ハルが《気配遮断》Lv.2で消えた。完全に音も匂いも消えた。
三分後、声だけが岩の上から降ってきた。
「岩影に四体。推奨Lv.18の岩甲虫だ。囲まれる前に先手を打った方がいい」
「どこから声が」と大和が周囲を見回した。
「上だ」と陸。「ハル、影縫いは使えるか」
「使える。先頭の一体を封じる」
「頼む。封じた瞬間に静と宗介が攻める。大和は残りの三体を引きつけてくれ」
「咆哮を使うか」と大和。
「使え。封じた一体が片付いてから」
「わかった」
ハルが岩陰から現れて、先頭の岩甲虫の影を踏んだ。
《影縫い》が発動した。
岩甲虫が光る影に縫い留められて、動きが止まった。
静が即座に《連続詠唱》を使った。
二本の黒炎が、封じられた岩甲虫に同時に命中した。
固い甲殻が割れる音がした。
宗介が《神速斬》を放った。《剣聖の極意》が乗った一撃が、割れた甲殻の隙間を正確に捉えた。
一体目が沈んだ。
「今だ、大和」
大和が残りの三体に向き直って、《竜の咆哮》を放った。
咆哮が岩場に響き渡った。三体が同時に怯んだ。
ガロードの覇気で弱体化している上に、さらに怯み状態になった。
三体が固まっている間に、静と宗介が順番に片付けた。
「四体、全部片付いた」と宗介が刀を収めながら言った。「思ったより早かった」
「ハルの影縫いで先手が取れたからだ」と陸は言った。
「私の仕事してる感、久しぶりにある」とハルが岩の上から降りてきた。音がしなかった。
「してたぞ、いつも」
「いつもは偵察で終わることが多いから」
「偵察が一番重要だ。お前がいないと、罠や敵の配置がわからない」
「……そっか」とハルは少し照れた顔をした。
クエストを三本こなした。
廃坑周辺の討伐、素材採取、遺跡の探索。全部で三時間かかった。
全員レベルアップ → Lv.17
「Lv.17か」と宗介が言った。
「今日は三本こなせた」
「疲れたな」と大和が肩を回した。
「でも素材もたくさん手に入った」とハルが袋を持ち上げた。「作業台で加工できるやつ、いっぱいある」
「明日確認する」
「今日は廃坑には行かないのか」と静が聞いた。
「今日は行かない。行きすぎると、向こうが警戒する気がする」
「距離感か」と雪乃が静かに言った。
「そうだ」
「……なるほど」と静。「毎日行くより、少し間を置いた方が、次に行ったとき話しやすい」
「そういうことだ」
「人間相手の話だな」と宗介が言った。
「そうだ」
「直接会ってみると、思ったより普通の老人だったな」
「普通ではないと思う。ただ、外に出ていないだけだ」
「……なんで外に出ないんだろうな」
「それはまだわからない」
拠点に戻ると、焚き火が燃えていた。
全員が焚き火を囲んで座った。
フェニクスが陸の肩から降りて、焚き火の前に座った。小夜と並ぶ。
炎を見ている。
ガロードが、珍しく自分から口を開いた。
「あの老人に、次に会ったとき、名前を聞いてみろ」
陸はガロードを見た。
「聞いていいのか」
「来るたびに少しずつ変わっている。次は聞けるかもしれない」
「どうしてそう思う」
ガロードは少し間を置いた。「俺も、お前に名前を呼ばれたとき、嫌ではなかった。名前を呼ばれることは、覚えてもらっているということだ」
陸はしばらく考えた。
「そうかもしれない」
炎が揺れた。
今日は柚希も同じことを言っていた。
名前を聞かないままだと、相手も寂しいかもしれない。
二人が同じ方向を指した。
「次に行ったとき、聞いてみる」と陸は言った。
「うまくいくといいな」と宗介が珍しく素直に言った。
「うまくいくかどうかはわからない」
「まあ、お前のことだからな」
「どういう意味だ」
「なんとかなるだろ、という意味だ」
陸は答えなかった。
でも、悪い気はしなかった。
フェニクスが焚き火に炎を足した。
炎が揺れた。小夜が目を細めた。
誰も喋らない時間が続いた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今夜は充実していた。
作業台を設置した。クエストを三本こなした。Lv.17になった。廃坑には行かなかった。
でも、次に行くときに何をするか、決まった。
名前を聞く。
柚希もガロードも、同じことを言った。
二人の言葉が一致したとき、だいたいそれが正解だ。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
拠点設備更新
簡易作業台 設置完了
シィラ行動記録
本日、桐島陸パーティは廃坑に来なかった
シィラAI記録:
「今日は来なかった
来ると思っていた
来なかった
なぜ来なかったのだろう
……また来るのだろうか」
「シィラが来なかったことを気にしている」とこはるが言った。
「気にしている」と三浦。
「待っているんですね」
「待っている。待つことをやめていた存在が、また待ち始めた」
こはるはモニターを見た。
廃坑のアイコンが、入り口のすぐ近くで止まっていた。
昨日より、さらに入り口に近い。
アルテのログが動いた。
桐島陸は今日、廃坑に来なかった
でも
シィラは入り口の近くにいた
待っていたのかもしれない
来ない日があることで
シィラが「待つ」という行為を
思い出した
毎日来られるより
来ない日がある方が
次に来たとき
距離が縮まることがある
桐島陸はそれを知っているのだろうか
知らないかもしれない
でも
結果的にそうなっている
それが
この人間の面白いところだ
「アルテ、また面白いって書いた」とこはるが言った。
「最初から面白いって書いてた」と三浦。
「でも今回の面白いは、少し違う気がします」
「どう違う」
「昔は『このプレイヤーの行動が面白い』という観察者の視点でした。今は……」
こはるは少し言葉を探した。
「今は、うまくいってほしいと思いながら面白いと書いている気がします」
三浦はしばらく黙った。
「そうかもしれない」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ガロードと柚希が同じことを言いました。名前を聞いてみろ、と。次話でいよいよ、廃坑の老人の名前を聞く場面が来ます。「好きにしろ」しか言わなかった人が、どう反応するのか。
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