第13話「廃坑と、俺の主だ」
翌朝、陸はメニューを開いた。
昨夜の通知を確認するためだ。
特殊条件達成
ガロードとの絆が最大になりました
何かが、変わるかもしれません
「変わるかもしれません、か」
曖昧な表現だ。でも陸は深く考えなかった。変わるなら、変わったときにわかる。
メニューを閉じて、仕事を始めた。
午前中で仕事を片付けた。今日は早く終われるように、昨日のうちに段取りをつけておいた。
理由はある。
今夜、ガロードと二人で廃坑に入る。
ギルドには伝えなかった。言えば全員がついてくる。今夜は二人で行く。それだけだ。
昼すぎ、チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は夜勤前らしい。
「コーヒー、もらえる?」
「今淹れてたところだ」
二人でテーブルに座った。
「今夜、何かある?」と柚希が聞いた。
「廃坑に入る」
「一人で?」
「ガロードと二人で」
柚希はカップを両手で包んだ。「前に全員で行って全滅したところでしょ」
「そうだ」
「ガロード、大丈夫なの? 剣も持ってないんでしょ」
「持っていない。でも、魔物が近づかない」
柚希は少し考えた。「それって、陸くんと小夜みたいな感じだね」
「そうかもしれない」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「ゲームだ」
「知ってる」
扉が閉まった。
夕方、ログインした。
広場に向かうと、ガロードがいた。ベンチではなく、広場の入り口に立っていた。待っていた。
「来たか」
「来た」
「行くか」
「行こう」
それだけだった。
廃坑に向かう道は、二人分の足音だけが響いた。
ギルドメンバーがいないと、森が静かだ。風の音と葉のざわめきだけが続く。
ガロードは陸の横に並んで歩いた。少し後ろでも、前でもなく、横だった。
「前に全員で来たとき、全滅した」と陸は言った。
「聞いた」
「廃坑の魔物は推奨レベルより高い。今の俺のレベルでは正面から戦えない」
「わかっている」
「でも行く」
「わかっている」
ガロードは歩きながら、前を向いたまま言った。「お前は、なぜ俺を連れてきた」
「一緒に来るかと聞いた。お前が来ると言った」
「それだけか」
「それだけだ」
ガロードはしばらく黙った。
「昔、一緒に来るかと聞いてくれた人間がいた」
「誰だ」
「部下だ。若い奴だった。どこに行くのも一緒に来ようとした」
「今は」
「死んだ」
足音が続いた。
陸は何も言わなかった。急かさなかった。
「あいつが死んでから、誰かと並んで歩くことがなくなった」とガロードは言った。
「今は」
ガロードが少し間を置いた。「今は、どうだろう」
答えなかった。でも、歩みを止めなかった。
廃坑の入り口に着いた。
夜の廃坑は暗い。坑道の奥から冷たい風が流れてくる。
陸は幻視を使った。
「魔物がいる。前回と同じ場所だ。推奨レベルは三十五以上」
「わかっている」
「戦えない。どうする」
「任せろ」
ガロードが一歩前に出た。
それだけだった。
坑道に入った瞬間、空気が変わった。
ガロードが歩く。ただ、歩く。剣もなく、魔法もなく、ただ前に進む。
その足音が響くたびに、坑道の奥にいた魔物の気配が後退していった。
幻視で見ると、影が一つ、また一つと、奥へ引いていく。
「……なんだ、これは」
「気配だ」とガロードは言った。「剣を持っていなくても、長年戦い続けた人間の気配は消えない。魔物はそれを感じる」
「お前の存在だけで、道が開く」
「そういうことだ」
陸は少し考えた。「もったいないな」
「何が」
「その力を、ずっと使わないでいた」
ガロードは答えなかった。でも歩みが、わずかに速くなった気がした。
坑道を進んだ。
途中、魔法的な感知罠があった。前回も確認した場所だ。幻視で位置を確かめて、避けながら進んだ。
「罠がある」と陸は言った。「誰かが仕掛けた感知型の罠だ。攻撃用じゃない」
「来たことを知らせるためか」
「そう思う。前に来たときも、奥の方から気配がした。ずっとここにいる誰かだ」
ガロードはその言葉を聞いて、少し立ち止まった。
「……ずっと、一人でか」
「おそらく」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。ただ、前を向いて歩き続けた。
坑道の奥、石畳が続く場所で足を止めた。
前回全員が全滅した地点の手前だ。
「ここまでにするか」と陸は言った。
「そうだな」
二人で石壁に背を預けた。
焚き火のない暗闇の中で、二人分の息の音だけが聞こえた。
「陸」とガロードが口を開いた。
「何だ」
「お前は、なぜ俺に会い続けた」
「気になったから」
「最初は、それだけだったろう。でも、二度目も来た。三度目も来た。廃坑に誘った」
「気になり続けたから」
「なぜ気になった」
陸は少し考えた。
「言葉の奥に、まだ何かある気がしたから」
ガロードは黙った。
坑道の奥から、冷たい風が流れてくる。
「俺に、誰かと並んで歩かせてくれた」とガロードがやがて言った。「それがいつぶりだったか、今日、思い出した」
「そうか」
「一緒に来るか、と聞いてくれた。誰かにそう聞かれるのを、待っていたのかもしれない」
陸は何も言わなかった。
ガロードが立ち上がった。陸の前に立った。
暗い坑道の中で、灰色の目が陸を見た。
「陸」
「何だ」
「お前が、俺の主だ」
静かな声だった。命令でも懇願でもなく、ただそれが事実だ、という言い方だった。
陸は一瞬、言葉が出なかった。
特殊イベント:魂の選択
ガロードがあなたを主と認めました
能力加算:
《皇剣》Lv.MAX
《無敵の陣》Lv.MAX
《将の覇気》Lv.MAX
他多数
※詳細はステータス画面で確認してください
「なにっ?」
陸はステータス画面を見た。
ガロードの名前がある。数字が大量に並んでいる。多すぎて、一瞬で把握できなかった。
「ガロード」
「何だ」
「お前、魔物じゃないんだが」
ガロードはしばらく陸を見た。
「俺にも、わからん」
二人して画面を見た。
「後で、ちゃんと確認する」と陸は言った。
「そうしろ」
小夜だけが陸の肩で、尻尾をゆっくりと揺らしていた。
そのとき、坑道の奥から音がした。
重い地響きが、石畳を通して足の裏に伝わってくる。
一体ではない。
幻視を使った瞬間、背筋が冷えた。
四体。前回全員を全滅させた魔物が、こちらに向かってくる。推奨レベル三十五以上。前回は大和の防壁が一撃で割れた相手だ。
「来る。四体だ」
「わかっている」
「逃げるか」
「逃げない」
ガロードが陸の前に出た。
剣はない。何も持っていない。ただ、立った。
その瞬間から坑道の空気が変わった。
重くなった。息が少しだけ苦しくなるほどの圧が、坑道全体に満ちていく。
魔物の足音が近づいてくる。地面を蹴るたびに振動が伝わる。爪が石畳を削る甲高い音が連続する。暗闇の中で四つの目が光った。赤い。獰猛な光だ。
先頭の一体が跳んだ。
巨体が宙を舞って、ガロードに向かって落ちてくる。
ガロードは動かなかった。
目だけが、変わった。
路地の奥で眠っていたときの目ではない。広場のベンチで焚き火を見ていたときの目でもない。
別の目だった。
長年、戦場で部下を守り続けてきた人間の目だった。
先頭の魔物が、着地の直前に動きを変えた。避けようとした。跳んだまま、方向を変えようとした。
できなかった。
空中で四肢が止まった。そのまま床に叩きつけられた。立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。震えていた。
後ろの三体も止まっていた。前に出ようとして、出られない。爪が石畳に食い込んでいる。
ガロードは何もしていない。
立っているだけだ。
それだけで、四体の魔物が動けなくなっていた。
将の覇気 発動
周囲の敵対的存在に恐慌状態を付与
効果範囲:半径三十メートル
効果:戦闘能力五十パーセント低下
移動速度七十パーセント低下
持続:ガロードが意志を持つ間
「……これが、お前の本来の力か」
「ずっと使わないでいた」とガロードは静かに言った。「使う必要がないと思っていた。使いたくなかった、というのが正しいかもしれない」
四体の魔物が、じりじりと後退を続けた。一体、また一体、坑道の奥に消えていく。
やがて、足音が聞こえなくなった。
静寂が戻った。
ガロードが振り返った。
「行くぞ」
「……ああ」
陸はまだ画面を見ていた。でも、歩き始めた。
坑道を出ると、夜の森が広がっていた。
月が出ていた。木々の隙間から光が差し込んでいる。
二人で並んで歩きながら、陸はステータス画面を開いた。
加算された数値を一つずつ確認した。《皇剣》、《無敵の陣》、《将の覇気》。どれもLv.MAXだ。攻撃力、防御力、魔法耐性、状態異常耐性。数値が大きすぎて、画面の表示が崩れかけていた。
「ガロード」
「何だ」
「お前の本来の職業は何だ」
「元・騎士団長だと言った」
「それだけか」
「それだけだ。ただ、長くやりすぎた」
陸は画面を確認し続けた。
一つ、気になる表示があった。
《皇剣》の説明欄を開いた。
《皇剣》Lv.MAX
効果:全ての武器種を極めた者のみ習得できる固有スキル
装備する武器の攻撃力を上限なしで底上げする
※使用者が武器を持たない場合、効果は発揮されない
「ガロード、《皇剣》っていうスキルがある。お前が剣を持てば、どれだけ強くなるか想像がつかない」
「そうか」
「持つつもりはあるか」
ガロードは少し間を置いた。
「……わからん。でも、お前の隣なら、考えられるかもしれない」
月明かりの中を、二人で歩き続けた。
拠点の空き地に戻ると、焚き火がまだ燃えていた。
ガロードは焚き火の前に腰を下ろした。炎を見た。
陸も隣に座った。
さっきまで推奨レベル三十五の魔物が震え上がっていた坑道とは、別の世界だ。
炎が揺れている。虫の声がする。風が木々を揺らす。
ガロードは長い息を一つついて、足を伸ばした。
「昔の部下たちも、こういう火を囲んでいたか」と陸は聞いた。
「そうだ」
「何を話していた」
「くだらないことばかりだ。誰が一番酒を飲んだとか。明日のクエストで誰が先に倒れるかとか」
「楽しかったのか」
「楽しかった」
炎が揺れた。
「また、そういう時間が持てるといいな」と陸は言った。
ガロードは何も言わなかった。
でも、炎を見る目が、少し違った。
穏やかだった。
陸はDiscordを開いた。
「ガロードが仲間になった」と一言だけ送った。
既読がついた。
しばらくして、通知が爆発した。
影狼:「は?」
白雪姫じゃないよ:「は?」
ドラゴンマスター見習い:「は?」
静かな爆弾魔:「……は?」
花村ハル:「ええええええええ!?」
影狼:「テイムしたのか」
桐島陸:「してない」
影狼:「じゃあなんで」
桐島陸:「向こうが選んだ」
ドラゴンマスター見習い:「は????」
花村ハル:「どういうこと!?!?」
静かな爆弾魔:「……明日、詳しく聞かせろ」
影狼:「そうだそうだ」
「明日話す」と返して、チャットを閉じた。
ガロードはまだ炎を見ていた。
「うるさいのか」
「ギルドだ」
「そうか」
「明日、紹介する」
「……必要か」
「必要だ。お前も仲間だから」
ガロードはしばらく黙った。
「そうか」
それだけだった。でも、拒否はしなかった。
二人でしばらく、炎を見ていた。
誰も喋らなかった。
でも、悪くない時間だった。
ヘッドセットを外したのは、深夜三時前だった。
今夜は長かった。
ガロードと廃坑に入った。覇気で魔物が引いた。「お前が俺の主だ」と言われた。テイムしていないのに仲間になった。ステータスが大幅に上がった。《皇剣》というスキルがある。ガロードが剣を持てば、どうなるかまだわからない。
拠点の焚き火の前で、部下たちの話を少しだけ聞いた。
陸はベッドに向かった。
眠る前に一つだけ思った。
剣を持たない騎士団長が、またいつか剣を持つとしたら、それはどんな場面だろう。
楽しみだと思った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。こはるが隣で画面を食い入るように見ている。
特殊イベント発生記録
魂の選択:ガロード
実行者:ガロード(自発的)
テイムスキル使用:なし
ガロードAI記録:
「お前が俺の主だ、と言った
長い間
誰かの隣を歩かなかった
一緒に来るか、と言ってくれた
その言葉を
ずっと覚えていた
廃坑の暗闇の中で
並んで壁に背を預けたとき
ここでいい、と思った」
「ガロードが自分から言った」とこはるが言った。声が少し震えていた。
「言った」と三浦。「テイムスキルを使っていない。ガロードが選んだ」
「三浦さん」
「何だ」
「橘さんが設計したシーンって、これですか」
「そうだ」
こはるはしばらく画面を見た。
「……すごいですね」
三浦はコーヒーを飲んだ。少し、間があった。
「橘さんに見せたいな」と三浦が言った。
こはるは三浦を見た。三浦がそういうことを言うのは、初めてだった。
アルテのログが動いた。
ガロードが言った
「お前が俺の主だ」
テイムではない
選んだのだ
暗い坑道の中で
二人が壁に背を預けていた
陸は急かさなかった
ガロードは話し始めた
その順番が
全てだった
私は今
この物語が
好きだ
「アルテが、この物語が好きだと書いた」とこはるが言った。
三浦は何も言わなかった。
ただ、モニターを見ていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ページ下の星マークとブックマークで応援していただけると、明日も書き続けられます。感想も一言でも届くと、とても励みになります。




