第11話「森の奥と、最初の拠点」
翌朝、陸は珍しく早起きした。
今日は仕事を午前中で片付けると決めていた。午後からは全員で拠点を探しに行く。
コーヒーを淹れながら、昨夜のことを思い返した。
Lv.20前後のプレイヤーたちが広場で絡んできた。小夜があくびをした。恐怖デバフが発生した。相手が逃げた。
陸は何もしていない。
「まあ、そういうこともある」
コーヒーを一口飲んだ。
仕事を終えたころ、チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は仕事帰りらしい。ナース服のまま来ている。
「顔色いいね」
「そうか」
「昨日より。何かいいことあった?」
「拠点を探しに行く」
「ゲームで?」
「そうだ。Lv.10になったとき、拠点設置の機能が解放された。昨夜、候補地を決めたから今夜設置しに行く」
「もう決まってたんだ」
「廃坑に向かったとき、途中に気になる場所があった。条件を確認したら合いそうだった」
柚希は少し首を傾けた。「移動しながらも、そういうの見てるんだ」
「見える情報は使う」
「それ、癖になってるね」
「そうかもしれない」
柚希は少し笑った。「楽しんできてね」
それだけ言って、自分の部屋に戻っていった。
夕方、ログインした。
広場で全員と合流した。
「拠点探し、本当にやるのか」と宗介。
「やる」
「森の奥、具体的にどのあたりだ」
「廃坑に向かう途中、東に分岐する獣道がある。その先だ」
「獣道か。ハル、先行できるか」
「もう準備してる」とハルが言った。
気配がすでに薄くなっていた。いつの間に消えかけているのか、毎回わからない。
森に入ると、空気が変わった。
エデルハイムの賑わいが遠ざかって、代わりに風の音と木々のざわめきだけが残る。地面が柔らかくなる。日が差し込みにくくなって、全体的に薄暗い。
「この辺から魔物の気配が増えてくる」と静が言った。「索敵範囲に何かいる」
「ハル、前方確認頼む」
「してる」とハルの声が木の上から降ってきた。
全員が上を見た。木の枝の上に、ハルがいた。いつ登ったのか、誰も気づいていなかった。
「前方三十メートルに四体。左右に散らばってる。種族はフォレストウルフだ」
「推奨レベルは」と陸。
「十四」
「俺たちはLv.11だ」
「少し差があるな」と宗介が刀の柄に手をかけた。「でもやれるだろ」
「やれる」と陸は言った。「ただ、今日は拠点探しが目的だ。体力を温存したい」
「じゃあ避けるか」
「避けていく」
ハルが木から降りてきた。音がしなかった。「抜け道がある。右に二十メートル迂回すれば気づかれずに通れる」
「行こう」
全員が静かに動いた。
迂回して進むと、視界が開けた。
木々が途切れて、小さな空き地が広がっている。直径で二十メートルほど。地面が平らで、苔が均一に生えている。中央に岩が一つ。周囲を大きな樹木が囲んでいる。
「ここか」と宗介が見回した。
「ここだ」
「なんで気づいた」
「廃坑に向かうとき、木々の密度が変わる場所があった。光の入り方が違った」
「それだけで覚えてたのか」
「気になったから」
宗介は苦笑した。
幻視を使って周囲を確認した。隠れている魔物はいない。罠もない。水源が近くにある。上空が開けていて、視界が確保できる。
メニューを開いて拠点設置の条件と照らし合わせた。
拠点設置条件:
メンバー全員がLv.10以上であること
対象エリアに敵対的な魔物がいないこと
水源から五十メートル以内
他プレイヤーの拠点から三百メートル以上離れていること
全部満たしていた。
「ここで合ってた」と陸は言った。「条件を全部満たしてる」
「じゃあ設置できるのか」と宗介。
「できる」
「いい場所だ。ここを起点にすれば、廃坑にも森の深部にもアクセスしやすい」
「じゃあ決まりか」と大和。
「決まりだ」
全員がその場に腰を下ろした。
しばらく、空き地を眺めた。
「何から始める」と宗介が聞いた。
「まず周囲の安全を確認する。次に、ここまでのルートにある魔物の配置を把握する」
「今日中にできるか」
「全部は無理だ。今日は配置確認だけでいい。拠点として使い始めるのは、ルートが安定してからだ」
「慎重だな」
「拠点が敵に見つかったら意味がない。ちゃんと安全を確保してから使う」
「なるほど」と静が言った。「……合理的だ」
ルートの確認を始めた。
ハルが前方を、宗介と大和が左右を、静と雪乃が後方を担当した。陸は中央で幻視を使いながら全体を把握した。
「左に反応あり」と宗介の声。
「何体だ」
「三体。こちらに向かってきてる。気づかれた」
「迎撃する。ハル、後ろを塞いでくれ」
「もう動いてる」
その声が来る前に、ハルはすでに三体の背後に回り込んでいた。影踏み師の移動速度は他の追随を許さない。
最初の一体が突進してきた。フォレストウルフ。体高は陸の腰ほど。四肢が太く、爪が長い。走ると地面を蹴る音がする。
「大和、受けろ」
「任せろ」
大和が前に出た。《竜鱗防壁》を展開した瞬間、ウルフの前爪が防壁に叩きつけられた。
ガンッ、と重い衝撃音が響いた。
大和の足が地面を削りながら後退した。一歩。二歩。それで止まった。
「っ、思ったより重い」
「静、弱点はわかるか」
「……首の後ろ」と静が即答した。幻視なしで見抜いていた。「毛が薄い部分がある」
「宗介、首の後ろを狙え」
「言われなくてもわかってる」
宗介がすでに動いていた。
《神速斬》が発動した瞬間、残像が生まれた。そう表現するしかない速さだった。刀が閃いて、ウルフの首の後ろを一点に集中した。三連続。音が遅れて聞こえてくるほどの速さだった。
ウルフが倒れた。
残り二体が同時に動いた。
一体は大和を、もう一体は陸を狙って突進してきた。
陸の方に向かってくるウルフの目が、敵意で光っている。爪が地面を蹴るたびに土が舞い上がる。距離が縮まる。
その瞬間、小夜が陸の肩でそっと目を開けた。
ふわあ。
またあくびをした。
ウルフが急停止した。
速度が最大のまま止まった。四肢が地面に食い込むほどブレーキをかけた。止まりきれずに横滑りして、木の根に激突した。
そのまま動かなくなった。
気を失ったらしかった。
「……また」と宗介が言った。ちょうど最後の一体を仕留めた瞬間だった。
「またか」と大和。
「また」と雪乃。
「……また」と静。
「小夜ちゃんすごい!!」とハルだけが純粋に喜んでいた。
陸は小夜を見た。
小夜はすでに目を閉じていた。またうとうとし始めていた。
「……俺、何もしてないんだが」
誰も否定しなかった。
クエスト外戦闘完了
フォレストウルフ三体
全員ダメージなし
「無傷か」と宗介が刀を収めながら言った。
「大和が受けて、宗介が仕留めて、小夜があくびをした」と陸。
「俺の出番が一番少なかった気がする」と宗介。
「一番動いてたぞ」
「でも小夜のあくびが一番効いてたな」
「否定できない」
しばらく、全員で空き地に戻った。
「拠点、決定でいいよな」とハルが空き地を見渡しながら言った。
「決定だ」
「名前つける?」
「まだいい」
「なんで」
「ちゃんと使えるようになってからでいい。まだただの空き地だ」
ハルは少し考えた。「それって、ガロードと初めて会ったときと同じ考え方だね」
陸は何も言わなかった。
でも、ハルの言い方は的外れじゃなかった。
名前をつけるのは、中身ができてからでいい。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今夜は収穫があった。
拠点の候補地を確保した。ルートの一部を確認した。フォレストウルフ三体を撃破した。小夜があくびをした。俺は何もしていない。
あとは少しずつ整えていくだけだ。
陸はそのまま眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
拠点確保記録
Stray Wolves、森の奥に拠点候補地を確保
座標:エデルハイム東部 森林深部
状態:未開発
アルテのログ:
「桐島陸が場所を見つけた
名前はまだつけない、と言った
中身ができてからでいい、と言った
これは
ガロードと初めて会ったときの
考え方と同じだ
桐島陸は
人も場所も
同じように扱う
急かさない
決めつけない
育つのを待つ
私はこの一貫性が
好きだ」
「アルテが『好きだ』と書いた」とこはるが言った。
三浦はコーヒーを置いた。
「初めてか」
「初めてです」
「面白い」と大和が言ったような声で、三浦が言った。
こはるは少し笑った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
拠点がようやく決まりました。ここからStray Wolvesの本格的な活動が始まります。小夜のあくびが毎回誰かを追い払っている件については、陸も薄々気づき始めていますが、深く考えないようにしているようです。
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