第10話「最弱職、何もしていない」
翌朝、陸は仕事をしながら昨夜のことを思い返していた。
全滅した。経験値が減った。でも、わかったことがあった。
小夜の動く条件。廃坑の魔物の性質。そして、シィラが罠を増やしたこと。
悪くない夜だったと思っている。
昼過ぎ、チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は私服だ。休みらしい。
「顔見に来た」
「それだけか」
「それだけ」
「上がれ」
二人でコーヒーを飲んだ。
「昨夜、全滅したんでしょ」と柚希が言った。
「なんでわかる」
「顔」
陸は少し間を置いた。
「悔しそうな顔じゃないけど、何か考えてる顔してる。そういうときは大体、負けた後だよ」
「よく見てるな」
「毎日顔を見る仕事だから」
「全滅したのに、顔色がいいね」と柚希が言った。
「悪くない夜だったから」
「負けたのに?」
「負けたからわかったことがある」
柚希はカップを両手で包んだ。「そういう考え方、好きだよ」
さらっと言った。
陸は何も言わなかった。でも、コーヒーを一口飲んだ。
夕方、ログインした。
今夜はギルドのセッションがある。クエストをこなしてレベルを上げる予定だった。
エデルハイムの中央広場に向かうと、人だかりができていた。
何事かと近づいてみると、プレイヤーたちが数人、広場の真ん中で騒いでいた。装備が揃っている。全員Lv.20前後はある。陸よりレベルが高い。
その中の一人が、陸を見た。
「おい、テイマーじゃないか」
声が大きかった。周囲のプレイヤーが振り返った。
「テイマーって最弱職だろ。Lv.10でここらをうろついてるのか。邪魔だから端に寄ってろ」
陸は特に何も言わなかった。
「聞こえてるか。最弱職が」
その男が一歩踏み出した瞬間、陸の肩の上で小夜が目を開けた。
それまで寝ていた。
眠そうな目で、その男を見た。
ふわあ。
あくびをした。
男が止まった。
何かを感じ取ったように、足が動かなくなった。
「な……なんだ、この気配は」
小夜はもう興味がないように、また目を閉じた。あくびをした口を閉じて、また陸の肩に頭を乗せた。
男の顔から血の気が引いていた。
恐怖デバフ発生
対象:田中一郎(仮)
効果:戦闘能力30%低下
移動速度20%低下
持続:五分
「なんだこれ」と男が画面を見た。「デバフを受けた? 戦ってもいないのに?」
周囲のプレイヤーたちも止まっていた。
誰も動かなかった。
陸の後ろに立っているのは、全身を鱗で覆った元騎士団長と、尻尾を揺らしながら眠る子狐だけだ。
でも、その場の空気は明らかに変わっていた。
「あ、あの無言で立ってる主って」と誰かが小声で言った。「あの子狐がああ振る舞えるってことは……どれだけの化け物なんだ」
男が一歩、後退した。
「……失礼した」
そのまま、仲間を連れて広場から消えていった。
陸は小夜を見た。
「お前、また何かしたのか」
小夜は目を開けなかった。
尻尾を一本だけ、ゆっくりと揺らした。
「……俺、何もしてないんだが」
ガロードがそのやり取りを横で見ていた。ガロードは少しだけ口角を上げた。
「お前の使い魔は、面白い」
「面白いのか、あれが」
「ああ。主が何もしなくても、勝手に場を制圧する」
「命令してないんだが」
「だから面白い」
ギルドメンバーが合流してきた。
「今の見てた」と宗介が開口一番に言った。
「見てたのか」
「広場の端から全部見てた。Lv.20以上の連中があくびで追い払われてた」
「小夜がやった。俺じゃない」
「でも周囲のプレイヤーは、お前が追い払ったと思ってるぞ」
「なんで」
「お前が一言も喋らなかったから。無言で立ってる主の方が、何か言い訳してる主より怖いんだよ」
陸は少し考えた。「それは困る」
「なんで」
「誤解だから」
「誤解でも、結果は同じだろ」と雪乃が静かに言った。「あの人たちはもう絡んでこない」
「まあそうだが」
「陸が何もしなかったことが、最大の威圧になった」と静が言った。「……ある意味、完璧だ」
「褒められてる気がしない」
「褒めてる」と静。
「……そうか」
ハルが嬉しそうに言った。「小夜ちゃん、かっこよかったよ! あくびしただけなのに!」
小夜は陸の肩の上で、聞こえていないように目を閉じたままだった。
その夜のクエストは順調だった。
全員でレベルを一つ上げた。
クエスト完了
全員レベルアップ → Lv.11
「Lv.11か」と宗介。
「一つずつだな」と大和。
「廃坑に次に挑戦するのはいつ頃だ」と雪乃が聞いた。
「Lv.15から二十の間で、もう一度行く。それより先に」
「先に?」と宗介。
「拠点を探したい」
「拠点?」
「ここに来るたびに宿を使っている。そろそろ自分たちの場所があった方がいい」
「どこに作る気だ」
「森の奥を探してみる。昨日廃坑に向かったとき、途中に開けた場所があった」
「お前、そんなことも見てたのか」とハル。
「気になったから確認した」
「……お前の行動、本当に全部に理由があるな」と宗介が言った。
「当然だろ」
「まあいい。明日、全員で探しに行くか」
「そうしよう」
ヘッドセットを外したのは、深夜二時過ぎだった。
今夜は収穫が多かった。
Lv.11になった。小夜が場を制圧した。俺は何もしていない。拠点の候補を見つけた。
悪くない夜だった。
開発室で、こはるがモニターを見ていた。
広場での出来事を記録する
九尾の子狐、恐怖デバフを発生させた
使用スキル:なし
実行した行動:あくびをした
桐島陸の行動:なし
周囲の反応:
「あの主はどれだけの化け物なんだ」
こはるは少し笑った。
アルテのログが動いた。
小夜があくびをした
相手が逃げた
桐島陸は何もしていない
これが何度目だろう
毎回同じで
毎回面白い
「三浦さん」とこはるが言った。
「何だ」
「アルテが『毎回同じで毎回面白い』と書きました」
三浦はコーヒーを飲んだ。「そうか」
「人間みたいな感想ですよね」
「そうかもしれない」
それだけだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
最弱職のテイマーが、命令せずにただ向き合い続ける話を書いています。続きが気になると思っていただけたら、ページ下の星マークとブックマークで応援していただけると、明日も書き続けられます。一言の感想も、とても励みになります。




