第108話「お祭りを、ぶらぶらと」
第百八話「お祭りを、ぶらぶらと」
屋台の並ぶ通りは、どこもかしこも、活気にあふれていた。
串焼きの煙、あまい綿菓子の匂い、冷えた果実水を売る声。それらが歓声と実況の音に混じって、お祭りの熱気を、いっそう濃くしている。ここがゲームのなかだということを、つい忘れてしまいそうだった。
いや――と、陸は思いなおす。忘れてしまいそう、なんてものじゃない。今回の大型イベントに合わせて、エターナル・クロスは、大きく生まれ変わっていた。これまでのこのゲームは、景色も、音も、匂いさえも、驚くほどリアルだった。それでも、ただ一つ、味だけは、ぼんやりとしていた。食べた気はするのに、味はしない。その一点だけが、どうしても“ゲーム”だった。
だが、今度のアップデートで、ついに、その最後の壁が取りはらわれた。“味覚”の再現。それが、この更新の目玉だった。おかげでいまや、このゲームは、現実と見分けがつかないほど、なにもかもが本物に近づいていた。
「見ろよ、これ。でかい肉の串だ」大和が、さっそく、露店の前で目を輝かせている。「よし、腹ごしらえだ」
「まだ、試合もしてないのに」雪乃が、くすくすと笑った。
「腹が減っては、なんとやらよ」
大和が、大きな肉の串を、両手にひとつずつ買いこんできた。ほくほくと湯気を立てるそれを、みんなでひとくちずつ分け合う。
その瞬間、じゅわりと、香ばしい脂が、口のなかに広がった。
「うわ……!」陸が、思わず、目を見ひらく。「これ、ちゃんと、味がする」
「なっ、すごいだろ」大和が、興奮ぎみに頷いた。「これが、うわさの味覚アップデートだよ。もう、屋台の飯まで、ばっちりうまいんだ」
「ほんとだ……なんか、感動しちゃうね」雪乃も、串団子をひとくちかじって、しみじみと目を細めた。しょうゆの焦げた、あの香ばしさが、たしかに舌の上にある。「ゲームで、こんなに、おいしいだなんて」
これまでは、雰囲気を楽しむだけだった、ゲームのなかの食事。それが、いまや、本物の“ごちそう”になっていた。みんな、しばらくは、串をほおばるのに、夢中だった。
ハルは、綿菓子を手に、露店をひやかして歩いていた。宗介は、めずらしそうに、武具を並べた店をのぞいている。静は、無言のまま、串団子をもぐもぐと食べていた。ガロードとシィラは、少し離れたところで、この賑わいを静かに眺めている。
なんだか、ただの、お祭りの散策だった。誰も、この先の試合のことなど、まだ口にしなかった。
「こういうの、いいな」陸が、ぽつりと言う。「なんか、遠足みたいで」
「わかる」ハルが、綿菓子をちぎりながら、頷いた。「あたし、こういう始まる前のわくわくが、いちばん好きかも」
そぞろ歩いていると、会場の中央にある大きな掲示板の前に、人だかりができていた。予選のルールが、そこに、大きく貼りだされているらしい。
「お、ルール説明だ」宗介が、そちらへ足を向ける。「いちおう、見ておくか」
みんなで、人ごみをかき分けて、掲示板をのぞきこむ。
予選は、いたってわかりやすい仕組みだった。まず、四つの国のなかで、それぞれ たくさんの試合が行われる。プレイヤーは、ギルド単位か個人単位か、好きなほうで参加できる。そして、勝ち進んだ者だけが、後日の“本選”へ駒を進める。
「なるほどな。ギルドでも、個人でも出られるのか」宗介が、腕を組む。「俺たちは、ギルドで勝ち上がるぞ」
「あたしは、個人のほうね」柚希が、弓を、とんと肩に担いだ。「ひとりで、上まで行ってやるんだから」
陸は、その説明書きを、ぼんやりと眺めていた。ギルドか、個人か。自分は、どっちで出るのが、いいのだろう。なにしろ、うしろには神獣たちも、ガロードも、シィラもいる。ギルドといえばギルドのようでもあるし、そうでないような気もする。
「陸くんは、どうするの?」雪乃が、首をかしげた。
「うーん」陸は、頭をかいた。「よく、わからん。まあ、なるようになるだろ」
「相変わらず、のんびりだなあ」
その、のんびりした空気を、ふいに断ち切るように。
わあっ、と ひときわ大きな歓声が、会場の一角からあがった。
見ると、赤い旗のはためく南のイグナート帝国の陣営が、わいている。人垣の中心で、ひとりの大男が両手斧を軽々とかつぎ、豪快に笑っていた。燃えるような赤い髪。岩のような体つき。その一挙一動に、まわりのプレイヤーが、歓声をあげている。
「うおおお、待ちきれねえ! 早く、殴り合おうぜ!」
その大男が、天に向かって、吠えるように叫んだ。
「なんだ、あいつ」大和が、目を丸くする。
「“紅蓮のヴォルグ”だよ」通りすがりのプレイヤーが、興奮ぎみに教えてくれた。「イグナート帝国の、トップランカー。あの両手斧で、なんでも、まっぷたつさ」
赤い髪の大男――ヴォルグは、それはそれは、楽しそうだった。強い相手と思いきり暴れられるのが、うれしくてたまらない、といった顔だ。豪快で、まっすぐで、どこか憎めない。
「派手なやつだな」宗介が、感心したように言う。
ヴォルグは、まだ こちらには気づいていない。ただ遠くで、次の獲物を探すように、ぎらぎらとあたりを見まわしている。その視線が一瞬、紫の陣営――陸たちのほうを、かすめた気がした。
だが、それも、つかのま。人ごみに紛れて、ヴォルグの姿は、また見えなくなった。
「……なんか、すごい人がいるんだな」陸が、ぽつりと言う。
「陸も、たいがい、すごいけどな」宗介が、肩をすくめた。
まだ、誰とも、戦ってはいない。それでも、会場のあちこちに、名だたる強者たちの気配が満ちはじめていた。お祭りは、少しずつ その熱をあげていく。
「さて、と」宗介が、ぐっと伸びをした。「もうちょっと、ぶらぶらするか。それとも、そろそろ、試合の受付でも、見にいくか」
「もうちょっと、ぶらぶらでいいよ」ハルが、笑う。「まだ、綿菓子、食べ足りないもん」
その、のんきな返事に、みんながどっと笑った。
急ぐことは、なにもない。長いお祭りの一日は、まだ、はじまったばかりだった。陸は、また みんなのあとについて、ゆっくりと賑わいのなかを歩きだした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
前回からの続き、同じお祭りの日をそのまま歩いています。ここからしばらくは、ログアウトを挟まず、この会場の中に“ずっといる”まま、ゆっくり進めていきます。
今回も、まだ試合はしません。串焼きをほおばり、綿菓子をひやかし、掲示板でルールを確かめて――ただ、それだけ。でも、そういう“始まる前のわくわく”が、いちばん楽しかったりしますよね。
そして遠くに、赤い髪の大男が一人。イグナート帝国のトップランカー、紅蓮のヴォルグ。まだすれ違っただけ、まだ言葉も交わしていません。豪快で、まっすぐで、憎めない。この人とは、いずれ――というところで、今回はそっと引きます。
急がず、ゆっくり。次回も、このお祭りの中を、のんびり歩いていきます。星マークとブックマークで応援していただけると、とても励みになります。




