第107話「お祭りの、入り口で」
第百七話「お祭りの、入り口で」
朝の光が、カーテンの隙間から、細く差しこんでいた。
陸は、ゆっくりと起きあがって、伸びをした。フリーランスの朝は、のんびりしている。急ぐ仕事もない今日は、なおさらだった。
台所へ立って、湯をわかす。ゆうべの残りのごはんに、みそ汁と、焼いた鮭。ありあわせの、いつもの朝食だ。窓の外では、鳥が、のんびりと鳴いている。ずっと、大きな旅を続けてきたせいだろうか。こういう、なんでもない朝が、やけにありがたく感じられた。
みそ汁をすすっていると、スマホが ぽん、と鳴った。柚希からだった。
『おはよ。今日、いよいよ予選だね』
『ああ。柚希、今日は休みだっけ』
『うん、ばっちり。……ねえ、お昼、そっち行っていい? なんか、そわそわしちゃって、ひとりだと落ちつかなくて』
陸は、ふっと笑って「いいよ」と返した。
昼前に、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、柚希が、コンビニの袋を提げて立っていた。
「はい、これ、差し入れ。おにぎりと、から揚げ」
「わざわざ、ありがとな」
「予選前の、腹ごしらえってやつ」柚希は、へへ、と笑った。
二人で、ちゃぶ台をはさんで、おにぎりをほおばる。他愛のない話をした。ゆうべ見たテレビのこと。柚希の職場の、ちょっとした出来事。から揚げが、思ったより、にんにくが効いていたこと。
「なんかさ」から揚げをつまみながら、柚希が、ぽつりと言った。「こうして、ふつうにごはん食べて、そのあと いっしょに世界を救ったり、お祭りに出たりするの。……不思議だよね」
「たしかにな」陸も、頷いた。「でも、悪くない」
「うん。悪くない」柚希が、やわらかく笑った。
昼を食べ終えて、少し休んでから、二人はそれぞれの部屋へ戻った。夜、ゲームのなかで会う約束をして。
その夜。ヘッドセットをかぶると、陸は久しぶりに、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
ログインすると、拠点には、もうみんなが集まっていた。
「よう、来たな」宗介が、片手をあげる。「そろそろ、会場に向かうぞ」
今日から、王国対抗戦の予選がはじまる。会場は、運営が用意した、巨大な闘技場だという。世界じゅうのプレイヤーが、そこへ集うのだ。
「歩いていくのか?」陸が訊くと、大和が、にやりと笑った。
「まさか。今日は、特別な行き方があるんだと」
拠点の広場に、淡い光の環が ぽう、と浮かびあがっていた。予選の期間だけ、会場へ直接つながる、運営の“門”らしい。ふだんは使えない、お祭りのときだけの、特別な仕掛けだった。
「ほう。しゃれた趣向だな」ガロードが、めずらしそうに、その光をのぞきこむ。
神獣たちも、思い思いに集まってきた。小夜が陸の肩に乗り、フェニクスが頭上をひとまわりする。リヴァイアは、さすがに巨体すぎて、湖からうらめしそうにこちらを見ていた。
「リヴァイアは、留守番だなあ」陸が苦笑すると、海龍はぶうっと水を吹いて、すねたように潜っていった。
「じゃ、行くか」
一行が、光の環に足を踏み入れる。ふわりと体が、あたたかな光に包まれた。
次の瞬間、視界が、ぱっとひらけた。
そこに広がっていたのは、途方もなく、大きな闘技場だった。
見あげるほど高い、円形の観客席が、ぐるりと空をふちどっている。中央には、白い石畳の、広々とした試合場。そして、その周囲を、無数のプレイヤーが埋めつくしていた。
「うわ……すごい人だな」陸が、思わず、目をみはる。
あちこちで屋台のような露店が湯気を立て、実況の声が、会場じゅうに響いている。旗が振られ、歓声があがり、まるで本物のお祭りのようだった。四つの国の色――緑、青、赤、紫の旗が、それぞれの一角で誇らしげにはためいている。
「これが、世界規模のイベント、か」宗介が、ひゅう、と口笛を吹いた。「さすがに、規模がちがうな」
陸たちは、紫の旗のもとへ。東の、ノクターン連邦の陣営だった。腕に覚えのある一匹狼たちが、めいめいに、静かに闘志を燃やしている。そんな、ぴりっとした空気の一角だった。
ところが。
陸たちが、その紫の陣営に足を踏み入れたとたん、あたりの空気が すう、と変わった。
近くにいたソロプレイヤーたちが、いっせいに、こちらを振りかえる。そして、陸のうしろにずらりと従う、神獣たちと老騎士と術師の姿を見て――ごくり、と息をのんだ。
「おい……あれ」
「まさか、あの噂の……」
ざわ、ざわ、とどよめきが、静かに広がっていく。
当の陸だけが、その視線の意味が、よくわからなかった。ただ、あんまり見られるので、ちょっと照れくさそうに頭をかいた。
「なんか、じろじろ見られてるな」陸が、こそっと言う。「顔に、なんかついてるか?」
「ついてないよ」ハルが、こらえきれずに、噴きだした。「ついてるのは、その、とんでもない後ろの大所帯だよ」
会場のどこかで、実況が、次の試合の準備を告げていた。歓声が、いちだんと、大きくなる。
予選は、まだ、はじまってすらいない。それなのに、この、胸のたかまり。陸は、ひさしぶりのお祭りの空気を、胸いっぱいに吸いこんだ。
「さて」宗介が、腕をぐるりと回した。「まずは、下見といくか」
急ぐ理由なんて、どこにもなかった。試合が始まるのは、もう少し先。それまで、この大きなお祭りを、ゆっくり歩いてまわればいい。
「屋台、いっぱいあるね」雪乃が、うれしそうに、あたりを見まわす。「なんだか、いい匂い」
「腹が減っては、戦はできぬ、だな」大和が、さっそく、串焼きの露店に目をつけている。
陸も、みんなのあとについて、ゆっくりと歩きだした。歓声と、実況の声と、屋台の湯気。四つの国の旗が、頭上ではためいている。すれちがうプレイヤーたちが、あいかわらず、こちらをちらちらと振りかえっていく。それでも陸は、気にするふうもなく、ただ、ひさしぶりのお祭りの空気を、胸いっぱいに味わっていた。
難しいことは、なにもない。ただ、こうしてみんなと、お祭りを歩いているだけで、しあわせだった。
――お祭りは、まだ、はじまったばかり。
陸たちの、長い一日は、まだ、暮れそうにない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
お祭り編、ゆっくりいきます。今回は「予選の入り口」だけ。朝、起きて、ごはんを食べて、柚希とおにぎりをつまんで、それからログインして――会場へ向かうところまで。試合は、まだ一つもしません。
大きな旅を終えたあとの、なんでもない一日。こういう、のんびりした時間を、たっぷり味わっていただけたらと思います。会場の巨大な闘技場、屋台の湯気、四つの国の旗。……そして、紫の陣営に足を踏み入れたとたん、ざわつく周囲。当の陸だけが「顔になんかついてる?」ときょとん。この温度差を、これからじっくり楽しんでいきます。
急がず、ゆっくり。そしてここからしばらくは、ログアウトを挟まず、お祭りの中に“ずっといる”まま進めていきます。予選が一区切りするまで、この空気のまま、のんびり歩いていきましょう。星マークとブックマークで応援していただけると、とても励みになります。




