第105話「迎えに来たよ」
その夜、ログインの前に、柚希から電話がかかってきた。
「いよいよ、今夜だね」柚希の声は静かで、けれど、まっすぐだった。「あの子に、ちゃんと言ってあげよう。もう、ひとりじゃないよって」
「ああ」陸は、窓の外の夜空を、じっと見上げた。「迎えに、行こう」
その夜の拠点には、みなが集まっていた。宗介たちも、ガロードも、シィラも。そして今夜は、七柱の神々まで、そろって世界樹のもとに立っていた。旅の、いちばん最後の一歩を、見届けるために。
世界樹の根の道を、一行は下りていく。脈打つ光の空洞は、今夜も、あたたかく迎えてくれた。無数の光の粒が、いっせいに、陸のまわりへ集まってくる。
空洞のいちばん奥で、大きな光は、目を覚ましかけたまま震えていた。目覚めることを、こわがるように。また、ひとりに戻るのを、恐れるように。
陸は、その前に立った。
「迎えに来たよ」陸は、やさしく語りかけた。「ずっと、待たせて、ごめんな。……でも、お前は、忘れられてなんかいなかった。ほら、見てくれ」
陸が、そっと、脈打つ光の根に手を触れた。
その瞬間だった。
世界樹の根を通して、はるか地上から、あたたかいものがいっせいに流れこんできた。緑を取りもどした涸れた土地。ふたたび水を湧かせた泉の主。空を舞う風の主。灯りを取りもどした国。忘れられていたエルフの里。豊穣の精霊。おおやま。陸が旅のなかで手を差しのべてきた、すべてのいのちの、想いだった。
どれもみな、はるかな昔に、この母が生みだした、いのちのかけらだった。長い旅のなかで、陸が一つずつ、その孤独に寄りそってきた者たちだ。彼らの取りもどした温もりが、いま世界樹を伝って、生みの親のもとへと還っていく。
光の粒たちが、大きな光へ、頬をすり寄せる。小夜が、フェニクスが、リヴァイアが頭を垂れる。七柱の神々さえ、静かに、こうべを下げた。この世界の生きとし生けるものすべてが、たったいま、母のもとへ帰ってきたのだ。
柚希が、そっと膝を折った。
「ずっとひとりで、待っててくれて、ありがとう」やさしい声だった。「おかえり。……あなたの子どもたちは、みんな、あなたのことが大好きだよ」
大きな光が、ぶわりと、ふくれあがった。
大きな光が、はげしく明滅した。うれしい。けれど、こわい。目を覚まして、また裏切られたら。何万年ものためらいが、その光を、まだ縛っている。
『……ああ』古い声が、震えた。よろこびとも、なげきともつかない、大きな声で。『わたしは……ずっと、みんなのそばに……いても、よかったのか』
「あたりまえだろ」陸は、涙をこらえて笑った。「お前がいなけりゃ、俺たちは、誰ひとり、生まれてこられなかった。……おかえり。俺たちの、はじまりのいのち」
その瞬間、大きな光が、まばゆくあふれだした。
何万年ものあいだ、たったひとりでこらえつづけてきた想いが、堰を切ったように、世界じゅうへあふれていく。地の底から、あたたかな光の奔流が、天へ天へと駆けのぼった。
「……来るぞ!」ガロードが、剣の柄を握りしめた。ずっと恐れてきた予感が、その胸を締めつける。神々が面白がって見つめた、その先。育ちきった大樹が呼ぶ、この世の終わり――。
だが。
あふれ出したのは、破壊ではなかった。いのちだった。
光の奔流にのって、世界樹が、ぐんぐんと伸びていく。地上を突き抜け、雲を貫き、はるか天のうえまで。ついに、それは、天を衝く伝説の大樹となった。長い長い旅の、果てに。そして、その枝の一枚一枚から、あたたかな光が世界じゅうへと降りそそぐ。涸れた土地に花が咲き、枯れ枝に若葉が萌える。すべての土地が、いのちに満ちていく。
空を覆っていた雲が晴れ、地の底からの光が、世界のすみずみを照らしだす。獣たちが顔を上げ、花がいっせいにほころぶ。遠い街の人々も、空を見あげて息をのんだ。
世界が、生まれかわっていく。壊れるのではなく、よみがえっていく。陸が旅の途中で救ってきた、あの土地も、この土地も。すべてが、母のいのちを浴びて、いきいきと輝きだした。
ガロードが、握りしめていた剣の柄から、そっと手を離した。その目に、涙が、にじんでいた。
「……儂の、負けだ」老騎士は、天を仰いだ。「力で目覚めさせておれば、世界は壊れていたやもしれん。だが主は……愛で、あれを起こした。だから、こんなにあたたかいものに、なったのだ。神々が面白がった、その果てが……よもや、これほど美しいとはな」
七柱の神々が、まぶしそうに、その光を見あげていた。ノクスが、そっと、微笑む。
「だから、私は、この者を選んだのだよ」
母の光は、もう、暗い底でうずくまってはいなかった。天を衝く大樹の根を通して、その光は、世界のすみずみへとめぐりはじめていた。すべての子どもたちの、そばへ。
『ありがとう』あたたかな声が、みんなの胸にそっと届いた。『やっと、目が覚めた。……もう、さびしくない。これからは、ずっと、みんなといっしょだ』
陸は、天を衝く大樹を静かに見あげた。ずっと、育てつづけてきた、一本の樹。それは今、この世界のすべてのいのちと、つながっていた。
「……できたな」陸が、ぽつりと言った。
やがて、めいめいが光の粒になって、溶けていく。陸も、静かに目を閉じた。その輪郭が、世界にあふれる あたたかな光のなかへ、ほどけていった。
開発室では、誰もが、言葉を失っていた。
「三浦さん……世界が」こはるの声が、かすれる。「世界ぜんぶが、生きかえって……こんなの、わたしたちの設計には、ありません」
三浦は、モニターにあふれる光を、ただ見つめていた。四つだった色は、いつのまにか、五つになっている。大地、水、風、光。そして、いのち。
「……ああ」三浦は、目もとをぬぐった。「俺たちは、ただの、うつわを作っただけだ。ここに、ほんとうのいのちを吹きこんだのは……あの子だよ」
その夜、観測者アルテのログに、最後の一文が刻まれた。
『いちばん古いいのちが、目を覚ました。もう、だれも、ひとりではない』
ヘッドセットを外すと、陸の胸には、あのあたたかな声が、まだ残っていた。もう、さびしくない、と。
ほどなくして、スマホが震えた。柚希からだ。
『あの子、笑ってたね』少し間があって、もう一通。『世界ぜんぶが、あの子の、家族なんだね』
『ああ』陸は、静かに返した。『長い、旅だったな』
窓を開けると、夜風がやわらかく吹きこんできた。ずっと育ててきた樹が、ついに、天まで届いた。世界のいちばん深いところで、ひとりぼっちだった、いのちの母。その長い孤独は、ようやく、終わったのだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
長い長い旅が、ついに、その頂に辿りつきました。
「だれも、迎えに来なかった」――前回のタイトルへの、これが答えです。何万年ものあいだ、世界の底でひとり眠りつづけた、いのちの母。その孤独に、陸は、はっきりと告げます。「迎えに来たよ」。
そして、目覚めの証となったのは、陸がこれまでの旅で救ってきた者たち――涸れた泉の主、地の底の守り人、翼をたたんだ風の主、燃え尽きた灯り、豊穣の精霊――みんな、母が生んだ、いのちのかけらでした。彼らの取りもどした温もりが、世界樹を伝って、生みの親のもとへと還っていく。長い旅の一歩一歩が、ぜんぶ、この瞬間につながっていたのですね。
ガロードが、ずっと恐れてきた予感。「神にとっての面白いは、人間にろくでもない」。育ちきった大樹の先に待っていたのは――破壊ではなく、いのちでした。力ではなく、愛で目覚めさせたから。だから、こんなにも、あたたかいものになった。老騎士の「儂の負けだ」に、この物語のすべてが、詰まっている気がします。
天を衝く伝説の大樹が、ついに立ちました。世界のいちばん古いいのちは、もう、ひとりではありません。……戦闘力ゼロだと笑われたテイマーの旅は、世界を、まるごと生まれかわらせたのです。
ここまで見守ってくださって、本当にありがとうございました。星マークとブックマークで応援していただけると、とても励みになります。この物語の、その後の日々も、また綴っていけたらと思います。




