勝利と別れ
龍の皮膚の上から涙の雫を打ち込んでも効果は薄い。それは、石灰の鱗となった現在でもそうだ。
………必殺の一撃は、必殺のタイミングで。今残されている私の最強の一撃は、その時に打つと決めていた。
龍の肉体の内側からであれば、涙の雫は必殺になりうる。特に急所であり、何度もブレスによって酷使した喉の中で爆ぜたのなら?
こいつは最後まで勝ちを諦めない。だから、最期の最期に一撃を備えていると信じていた。私と同じように、だ。
爆裂した涙の雫は龍の喉の内側から龍の首をずたずたにし、首の皮一枚程度で頭蓋を胴体と繋いでいる。驚きに目を開いた龍はしかし―――その隻眼を、満足そうに弛ませたのだった。
「私の………勝ち。文句なし、でしょ?」
荒い息を吐く。肩で息をしながらも龍に近づき、私はその瞳の近くへと座り込んだ。
頷くように僅かに身体を揺らす龍。そして、その舌がゆっくりと牙の内側より這い出て、その真紅と橙が入り混じった魔核を、私の前に差し出した。
何だお前、これを………食べろってことか。
龍と私の戦いを、騎士たちは見ていた。今もまだ、視線は向けられている。でもまあ、いいか。
私は私、他人の目なんて知ったことじゃない。それよりもこいつの意志を無視することの方が遥かに失礼だろう。
意外と小さな魔核に顔を近づけて牙を突き立てる。ぐちゃ、と小さく肉が裂ける音がして、その魔核が龍の舌から取り出された。
軽く歯で挟み、龍の隻眼の前でそれを飲み干す。それを見つめていた龍はゆっくりと瞳を閉じて―――それ以降、動くことは無かった。
「おやすみ。お前を喰って、私はもっと強くなる」
魔核を喰らって僅かに補給された魔力で、左手に黒雫の義肢を生み出す。
瞳の上を撫でると立ち上がり、その左腕で握りこぶしを作って上に掲げた。
「終わったよ」
………盾を投げ捨てた騎士たちが、歓喜の声を上げる。
谷底から吹き上がるその声に、抱えられたままのエリオットが鬱陶しそうに呻いていた。
先にクリスを助けるか。ヒールで岩を切り裂き、足の上にある重りを排除してやれば腕の力を使ってゆっくりとクリスが這い出てきた。
「魔力切れ?」
「うむ。ラリナ、見事だった」
「一人で勝ったわけじゃないけど。一対一なら普通に負けてた」
「………だとしても、敗北を受け入れない相手ではあるまい」
「そうだね」
龍は、好敵手と戦うことを楽しんでいた。負けぬためにある意味姑息ともいえる手をすら蓄えていた。でもそれは手札を増やすという意味で、なんでもありの勝負の世界に於いてそう言った準備が出来ない奴から死んでいくのだ。
戦いというものをよく理解していた龍はだからこそ、ありとあらゆる手段を講じ、それを恥ずべきことだとは考えていなかった。私も龍の行動は、はっきり言えば好いていた。
勝ちに貪欲になる事は良いことだ。なによりそういう相手と戦っていたほうが―――楽しいよね。
復讐とか黒い感情だとか………そういうのを全て忘れてただ力比べをしたいという気持ちで戦えた。そんなことは初めてで、私の中にはそういう感情もあるんだって言うことが分かった。うん………これもまた悪くない。
屍となった好敵手を振り返る。満足気に息絶えた彼を見る。
―――復讐は遂げる。どのような手段を取り、どのような結末を迎えるとしても、必ず。でも、出来る事なら。
「死ぬときは、お前みたいに死ねれば………それがいいな」
龍との戦い、その終わり方。
それは私の中に強く焼きつき、一つの芯となる。じゃあね、私の好敵手。あの世があるのか知らないけど、在ったらそこで強くなっていて。
私はおまえの分まで、こっちで強くなる。もう一度出合ったらその時はまた、全身全霊で戦おう。
「帰ろうか。騎士の人たちはまだ落ち着かないみたいだけど」
「龍退治は間違いなく人類の偉業だ。それを目の当たりにし、その一助となったとなれば只人は歓喜するのは当たり前だろうな」
「そういうものなんだ。………それより、師匠は?眷属相手に苦戦するとは思えないけど」
「………」
師匠の事だから、終わった頃にいつの間にか現れていて、私の頭を勝手に撫でまわしているだろうに。
何かイレギュラーなことが起こったのか。でも師匠が多少のイレギュラーでやられるようなイメージが沸かない。エンバス渓谷でクリスが襲ってきた時も理不尽な強さで返り討ちにしていたわけだし。
「ジーヴァは去った」
少しの沈黙の後、クリスが呟く。
「………どこに?」
「さて。そこまで聞いていないが―――お前はもう大丈夫だと判断したのだろう」
「なにそれ」
なにが大丈夫なんだ。なんで、私を置いていくんだ。
………あの時の、師匠の不思議な感覚は、別れの気配だったのか?
ぐるぐると目が回る、そんな錯覚があった。おかしい、何がおかしい?
―――待って。私は、師匠にこんなに依存してたの?
「寂しいか、ラリナ」
「………別に」
「いいや、その感情は寂しさだ。目を背ける必要はない。それもまたお前の中にあるものだ」
「違う。ただの依存だし、依存心なんて捨て去った方が良い。これで良かった―――」
「会ってこい。まだ、間に合う。そしてしっかりと自分の気持ちを吐き出すべきだ。感情を抱え込むと碌なことにならない………同じ間違いをした、姉からの忠告だ」
「………」
少しだけ苦笑を交えた笑みでクリスが微笑んだ。
「ジーヴァはもう会うつもりはないようだが、私は最後に一度だけ会話をする機会があった方が良いと考える。場所は、視えている。ルートは昇ってきた時と同じ。今は山道を下りたところだ、急げ」
「………うん」
「騎士団には私の方から言っておく。しっかりと、話して来るがいい」
クリスの言葉に頷く。左の義肢で胸を押さえながら、私は走り出す。
崖を上ってしまえばあとは翼で滑空すれば麓まで降りれる筈だ。龍の魔核を喰らったが故に魔力が回復したから、多少は動ける。
走り出せばもう止まらない。私は気が付いたら全力で、師匠の元へと向かっていた。
「こんな時も泣けないのだな、ラリナ」
自身の寂しさに気が付けない歪な少女。
それも少しだけ龍との戦いで改善されただろうか。心のままに戦うことで、大人に近づけただろうか。
きっとそうだとクリスは思う。さて、と気持ちを切り替え、多少回復した魔力を使って両足を治す。
「騎士たちは色々と見過ぎている。………が、問題はないか」
御伽噺は現実には当てはめられない。それを彼らはよく理解しただろう。
………見上げた空から灰色の雲は去り、青空が覗き始めていた。
***
「師匠!!」
目の前で黒い麗人が振り返る。肩で息をしながらも、その人に近付いた。
「クリスだな?あいつも大概お節介焼きだ」
「師匠もでしょ」
「儂か?そうでもないぞ、儂は自分の感情のままに動いている。縛られるのは嫌いだからなぁ」
「でも私を助けてくれた」
「気まぐれだ」
手を伸ばせば届く距離に立つ。それだけの距離を開ける。
「それでどうした、チビ。何のために追いかけてきた」
「………なんでだろう。ここに来るまで、考えてた」
「ほう。答えは決まったか?」
「うん―――師匠、ありがとう」
師匠が私たちと別れてどこに行こうとしているのかは分からない。知る必要も恐らくないだろう。
私は師匠と別の道を進むから。
「おかげで強くなれた。強くなるための歩き方が分かった。だから、ありがとう」
静かに笑みを深める師匠に向けて、左の義肢を向けた。
「そしてもっと強くなるよ。次に師匠に出会った時に余裕で勝てるくらいに」
「言うようになったじゃないか―――期待しているぞ、ラリナ」
師匠の手が私の手に合わさり、すぐに頭を撫でる動作へと変わる。ぐりぐりと頭を動かされるが、為すがままに。
最後くらい、受け入れるよ。親愛の行為だって、分かっているから。
手が離れる。師匠が振り向き、歩いていく。私はそれを見送った。
黒天のジーヴァ、私の師匠。貴方に出会えてよかったと、心から思う。
「さようなら、師匠」
振り返る。師匠に背を向けて。
道の別たれた二人はしかし―――どちらも、確かに微笑んでいた。
***
瓦礫に押しつぶされた遍歴商人の荷車から、なんとか無事だった気付け薬を搔き集め、口に含まされたエリオット。
赤い瞳を開き、金髪を無事な方の手で押さえると数度呻いてから吐き捨てた。
「ああ………クソ。頭が痛いな」
クリスはふ、と笑う。
「無理な壊天の反動だな」
「分かってる………それより一番の功労者はどうした?」
「師に、別れを言いに」
遠くを見たクリスの視線にそうか、と返したエリオットは億劫そうに立ち上がる。
「我々も帰還するとしよう。貴様ら、龍の亡骸で持ち帰れそうなところはあるか!!」
「頭蓋と逆鱗は持ち帰れそうです」
「他の鱗はもうダメですね、石灰にみたいにバラバラになっちまう。骨もそうだ………心臓はもしかしたら持ち帰れるかもしれませんが、この龍の体内に入るのは解体中の建物の中に潜り込むようなものでしょ」
盾を持ち一応警戒する騎士と、龍の亡骸を確かめる騎士たち。
龍の亡骸は素材として一級品であり、そしてトロフィーとしても格段に優れたものである。故に龍殺しを為したのであれば龍の亡骸の出来ればすべてを、出来なければ稀少な部位を持ち帰るのが常だった。
遍歴商人の荷車もそのために利用することも出来る筈だったのだが………残念ながら瓦礫に押しつぶされて荷車は完全に破壊されている。
「………死者が居ないのが奇跡だな」
とはいえエリオットも分かっていた。クリスが居なければとっくに騎士は全滅していただろうし、ラリナが居なければ龍を斃しきることはできなかった。
最後の龍との一騎打ちは残念ながら意識の無かったエリオットだが、作業中の騎士たちが語る高揚に満ちた言によって大体の想像は出来ていた。
………我が領の騎士団は信頼出来る。この二人の少女の特異性について言いふらすことは絶対にないだろう。
エリオットはそう判断したが、その上で二人は領主、つまり父の元へと案内する必要があるだろうとも考えていた。
「ふ。まあ、なんにせよ―――凱旋だ」
私にはまだ判断できない難しいことは父が何とかするだろう。
その程度には、エリオットは自身の父を、アンジェリコ伯爵を信頼している。
龍殺しの証を運び、騎士と冒険者たちは山を去る。龍が潜み、一人の少女が戦士になった、その場所を。




