龍と少女
随分と、みすぼらしい姿になったものだ。
笑う。けれど嘲笑には非ず。その姿こそが、本気で生きているという証なのだから、私は決してそれを馬鹿にはしない。そもそも私だって似たようなものだ。
右腕は肘から先が炭化しており、右目も潰れて見えていない。魔力も空に等しく、魔術の行使は不可能だろう。鎧も見た目以上の防御力は発揮できない。
既に構築してある踵や左腕の篭手は使えるが、それだけだ。
「ガアアアアアアア!!!!!」
龍が血反吐を零しながら吠えた。
冷えた黒い溶岩の身体は色彩が抜け落ち、崩れ逝く石灰の色となって、事実身体を動かすたびにその鱗が、頑丈だった装甲が罅割れ、削られて細かな粉を撒き散らす。
そんな中でも滴る血液と、その隻眼の赤い瞳だけは爛々と輝き、私と通じ合う―――。
「はああああああああ!!!!!!」
声を上げろ。気合で負ければ膝をつくのは私の方だ。
龍が振り上げた左の前足が叩きつけられる。私は………逃げない。
衝撃が身体を襲う。肉体が叩き潰されそうになる。地面が深く陥没し、骨の髄にまで深く痛みが染みこんでいく。
「………ッ!!!」
「―――ァハハハア!!!!」
声なく笑う。龍もまた、笑った。
そうだ。私はお前に勝つ。そして勝つとは逃げた先に命が尽きるのを待つことではなく、自身の力でお前の命を摘み取るということだ。
だから逃げない。速度で攪乱すれば私はお前に勝てるだろう。恐らくは拍子抜けするほど簡単に。でも、楽に勝てればそれでいいのか?
………相手にもよるだろう。どうでもいい相手はどうでも良く殺す。でもお前はそうじゃない。お前には完全完璧に勝ちたい。
だから、殴り合おう?
「壊、天ッ」
左腕から剛力が発せられる。
無駄な魔力を極限まで減らせ。もうこの身体に残った魔力は搾りかすも同然だ。
体内に弦のように魔力を張り巡らせ恒常的に身体強化する伏魔と、その弦を開放することによって瞬間的に強化段階を引き上げる壊天。二つの技術は魔術ほどではないが魔力を使う。
今の状態、今の練度では通用しない。ならばどうする?
戦えるように、引き上げるんだ、今この状況で。師匠ならば驚くほど魔力の消費が少ない壊天を扱える。いま必要なのは、その高み。届け、届くよう、足掻け。
龍の左の上が跳ね上がる。叩き込んだ拳の分、鱗が砕け、灰が散っていた。
視界の端で鋭く何かが撥ねる。恐らくは尻尾ッ!!
左の踵を地面に突き刺し、右足でその尾を迎撃する。金属が擦れ、軋む音が谷底に響き渡り、龍の尾が削り取られた。
肉体を削られたのだ、痛むだろうに龍は最早吼える事すらしない。
その咢を笑みの形に歪ませ、酷く楽しそうにその爪を、尾を、牙を振るう。ああ、分かるよ。
きっと私も同じ顔をしている―――。
「ガアアアアアアア!!!!!!!!!!」
「ッ!!!」
抜き手のように振るわれた龍の腕。それに対して大きく振り上げた私の踵が振り下ろされ、鈴の音が響くような清涼な音が落ちる。
振り抜いた踵には血が混ざり、黒いヒールの先端は地面に戻る―――そして一拍遅れ、龍の左腕が縦に大きく切り裂かれた。
「行くぞ」
まだ、斃れないよね?
跳躍………加速。左腕で龍の顔を殴り飛ばす。罅割れた鱗が幾つも弾け、空を舞う。
楽しいな。戦うのって。
落ちていく私の身体を狙う気配。不思議と、何が来るのかが分かった。私の数多を狙って龍の咢が、それを躱すことを想定して長い尾が。
拳を握る。左腕が龍の顔を再び殴り飛ばして、踵が尾を弾く。
それぞれの攻撃の衝撃を利用して落下姿勢を整える。地面、陥没する。上から陰―――いや、まだだ。
二泊遅れて、龍の影が頭上から迫る。振るわれるのは先程裂かれた左の腕。血飛沫の雨を大地に注がせながら………その血の雨を踊るように避けていく。
瞳の中に血が入るのは流石に嫌だ。私は、お前との戦いをこの目に焼き付けたい。
轟音と共に避けた腕が叩きつけられ、再び鈴の音が鳴る音が響くと同時、前肢が龍の肘あたりから両断された。
足を揺らす。重なる攻撃によって段々と足が痺れてきていた。踵の先端も、欠け始めている。見た目で見えるほどに私は優位じゃない。ここまで互いに互角と言ったところか。
熱を持つ左眼に手を当てる。篭手に僅かに垂れる金の雫を払って、龍と相対する。
***
地面に転がるのは幾つもの眷属の飛竜たち。
言葉にした通り一匹たりとも逃がしもせず、そして龍が引き起こした崩落すら拳で堰き止めて見せたその黒い肌の女が、屍の山の上で谷底の戦いを見つめていた。
その肌には一つたりとも傷はなく、塗れた血は全てが返り血。
黒天のジーヴァは、その人外じみた視力を以て、ラリナの戦いをじっと見守る。
「楽しそうだなぁ」
そういう自身も、愉快そうに笑う。
瞳は柔らかく細められ、小さな少女が花開く様を歓迎していた。
世間を知らない幼子。その癖、無駄に高い魔力と貪欲な力への渇望を持つ、ラリナという少女。
「復讐か。それも良いだろう。強くなるのに理由は要らない」
だが、暗い気持ちだけではやがて立ち止まることになるだろう。壁にぶつかり、挫折した時に、どうしようもならなくなるほどに。
だからだ、ラリナ。戦いを楽しめ。そして楽しく復讐しろ。気楽にとは言わない。ただ復讐のために強くなることと、戦いそのものを楽しみ強くなることは共存できる。
お前は、その資格がある―――。
「ラリナよ。戦士になったな」
ジーヴァのただ一人の弟子。忌み目の少女、ラリナ。彼女の運命は螺子繰曲がり、迷宮の如く難解だが、大丈夫だ。
あいつは自分で立つことが出来る。そう、ジーヴァは笑った。
後の心配事、人の世の事はクリスが教えるだろう。己の役目は終わった。暗く復讐のために力を求めるだけの醜い獣から、強く美しい戦士に至る幼獣へと少女は変貌した。
少女の成長は楽しみではあるが………。
「あまり関わりすぎるのも、儂らしくもないだろうな」
黒い瞳の向かう先で、少女と龍の戦いは終わりを迎えようとしていた。
少女の師は立ち上がり、静かに去る―――戦いの結末は知っていると言わんばかりに。
***
戦いを見守る騎士たち。
意識を失った団長であるエリオットと、荒い息を吐きながらも勝負を見守るクリスを護るために盾を構え続ける彼らの視界に映る少女と龍の戦いは、もはや理解の及ばないものだった。
………如何に冒険者といえど、そして龍が瀕死と言えど、どうして龍の巨体を正面から受け止め、超えることが出来ようか。
それは最早、おとぎ話に語られる英雄の所業。だが、目の前の少女と龍はその物語を再演するかのように、お互いが替えの効かぬ好敵手であるかのように戦っていた。
振るわれる尾。その軌道を分かっているかのように最小の動きと力で弾き、叩き伏せる少女。
長い髪が揺れ、白い髪の隙間から紅と金に明滅する隻眼が覗く。口元は、確かに微笑んでいた。そんな少女に絶えず攻撃を続ける龍は全身から血を流し、牙の隙間からは白い煙を吐き出す程に重症だが、それでも少女と同じく笑う。
少女の力が増す。それに引き摺られるように龍も動きがだんだんと素早くなっていく。
一人と一匹は同じ踊りを舞う様に、谷底で舞踏を演じる。
重なる爪や尾と、少女の踵、そして拳。攻撃の度に響く鈴の音は鋭さを増す。やがて当たり前のように龍の攻撃をラリナの攻撃が押し返すようになって、そしてその時は訪れた。
「はああああああああ!!!!!!」
黒く弧を描くラリナの踵。欠けが目立つそのヒールは、しかしまだ折れてはいない。
鈴の音と共に振り切られた黒い踵は、龍の尾を切り飛ばし、更に尚も振るわれる龍の足の全てを裂く。石灰色の装甲と鱗に血が滲み、致命的な量の鮮血が溢れだす。
―――さしもの龍も悲鳴を上げ、地に倒れた。
巨体が倒れ伏すその音。巨岩が罅割れたような音は、龍の体躯そのものが砕けそうになっているが故だろうか。折れかけの踵を尚も酷使し、ラリナは走る。
トドメの一撃。失血死なんて幕引きは、私たちにはありえない。確実に、完璧に、勝つ。
お前も、そう考えているんだろう?………ラリナが笑う。
握った左の拳。それを叩きつけんと舌の魔核に照準を定めた直後、龍の口から吐き出された灰の霧。
ブレスではない。威力なんてない。ただ、血反吐と同じように体内の罅割れた老廃物を吐き出したに過ぎない行為。しかし、それはラリナの視界を塞ぎ、一瞬だけその動きを遅らせる。
ガツン、とラリナの身体に衝撃が走り、身体が倒れそうになる―――だが、踏みとどまった。
「だよな。お前は、そういうやつだ。最期の最期まで、絶対に勝ちを諦めない。私は、それを信じた」
その足掻きを、私は信じた。その執着を、私は愛した。
喰いちぎられた左腕を欠けた右腕で抑えるラリナは、血を、汗を流しながらも、恐ろしいほど美しく、微笑んでいた。
両腕もなく、踵を振るう力ももう無い。それでも、勝利を確信したラリナは、左眼を細めて呟いた。
「ばんっ」
龍が呑み込んだラリナの左腕。
正確にはその左腕に仕込まれたままだった涙の雫が―――爆ぜた。




