振り絞れ
龍の谷底を震わせるような絶叫。背に落ちた黒い月はその重量から生み出される速度を以て、確実に龍の心臓を貫いた。
月の雫。ラリナの生み出したその技は単純に膨大な質量と重量で空から敵を貫くという単純明快に強力な技だが、故にデメリットもまた明確だった。
「………」
沈黙しつつラリナが膝をつく。その背の毛細血管が弾け、多量の出血が発生していた。
鎧が血を吸収し、肉体の損傷も再生能力によって徐々に治っていくが、問題の本質はそこには無い。
「魔力の消費量が多い、な………」
黒雫。ラリナの固有魔術であるそれは魔力を変換して生み出すことが出来、そして魔力を使うことで液体や固体へと姿を変える。
生み出してから数か月、徐々に馴染んできたその魔術はいよいよ気体の制御にまで到達したが―――膨大な量の黒雫を操作すればするほどに、消費する魔力と体内に蓄積する余剰魔力は飛躍的に上昇する。
ましてや踵に鎖を巻き付けた強力な一撃ですら打ち破れなかった龍の背甲。それを貫くためにラリナが直感で算出した黒雫の必要量は、ただ一撃を与えるだけで膨大といえるラリナの魔力量の七割を持っていき、反動となる魔力蓄積は身体を突き破るまでに至った。
………二度目は撃てない。
口元を拭ったラリナが立ち上がる。倒れ伏す龍に慎重に近づいていく。
心臓を貫かれ、口から血を流し、荒い息を吐く龍。その紅い隻眼がラリナを捉えた。
ラリナが走りだす。これもまた直感だった。龍はまだ死んでいない。肉体は死にかけていても、意思は今も尚健在だと、その瞳から読み取ったのだ。
魔力の減少による疲労と反動によるダメージ、身体に潜む熱。それをすべて無視してラリナは駆ける。踵が地面を叩く音が小刻みに響いて、狙うのは龍の魔核。
「ガアアアアアアア!!!!!」
致命的な傷を晒しながらも龍が吠えた。
直後として谷底に暴風が吹き荒れる。瓦礫を砂へと変え、砂塵を撒き散らす黒い風。
文字通り死力をふり絞って翼が揺れ動く。砕けかけた手足を支えとして崖をよじ登るように、ある意味無様とすら言える姿で龍が向かうのは―――夜の晴れた鈍色の空である。
曇天の空を背にしたのは二度目。しかし先程とは違い、今度はどちらも余裕がない。
ラリナは考えた。龍のその行動を。なぜ、傷を治さずに空へと舞ったのか。逃げる?まさか!
有り得ない、絶対にこの龍はそんなことはしない。ラリナは即座にそう断じて、思考を巡らせる。
―――挑むのだ。挑んだ先に食らうてこそ、力になるのだ。
龍の残存魔力であれば、心臓を治すことは出来ただろう。しかしそれを選ばず、龍はラリナを仕留め、その魔核を喰らうことで生き延び、そしてより強くなろうとしている。
生きるために、死力を賭す………ああ。良いな。お前、本当に良い奴だ。
ラリナが笑う。龍の喉元に集まる魔力の気配を感じて、両手を前に出した。
「お前を斃す」
残り少ない命を削って、龍の咢より、黒い吐息が零れ落ちる―――。
灼熱がラリナの身体を襲った。
いや。暑さだけじゃない。細かい砂塵は鑢のようにラリナの肌を削り、瞳を裂く。それでも致命傷には至らない。何故か、それはラリナが纏う鎧による防御だった。
ラリナの魔力を通し、造形を変化させ、強度を増す”無銘の鎧”。ラリナの弱点である魔核を護り、心臓を保護する。
樹木が即座に燃え散るほどの吐息の温度は、ラリナが展開した水の魔術によって冷やされ、気道から侵入してくる内臓を焼き尽くす熱波を防いでいた。
我慢比べだな。お前が先にくたばるか、私の魔力が切れるか。
ラリナは心の中でそのように呟く。逃げるなんて選択肢はない。逃げ場もそもそもないのだ。
飛び上がり、谷底へと吹き出されたブレスはラリナだけを狙ったもの。逃走など許さないとばかりに。立ち向かう以外に、心情としても肉体としても有り得ない。
「………っ」
左腕が力なく垂れる。前に突き出したままの右腕が、先端から炭化していく。
魔力が不足し始めているのだ。纏っている篭手は融解して蒸発し、消えしまった。魔力が切れてしまえば、鎧もまた著しく防御性能が低下する。目を細めるラリナ。噛み締めた唇からは血が滲み、即座に気体となって宙に熔ける。
まずいな。このままだと、死ぬ。そう分析した直後、ブレスに混じる分厚い岩石がラリナの右目を潰した。
身体が揺れる。違う、揺れたのは視界だ。もっと言えば脳みそか。
足元から骸骨が這い出る。くすんだ骨が足をひく。そんな錯覚………意識の混濁?
肘ほどまで炭になり欠損した腕が震える。ラリナの鎧の黒い羽が溶けていく。残った左目が閉じられそうになる瞬間―――その背を、抱える者が居た。
「脱出に手間取った。よく一人で耐えた」
硬質な鎧。左手には魔術印を輝かせる盾が握られていた。
龍のブレスにより明滅し、今にも消えそうなそれ。しかしその背後から更に騎士たちが現れ、ラリナを守っていく。
「正念場だ!!我々は冒険者二人が居なければ死んでいたぞ!!故に二人を守り、そして勝つ!!いいな!!!!」
エリオットが叫び、騎士たちが応えた。
龍のブレスが止まる。だが終わりではないとその当の龍の瞳が叫ぶ。
死力を賭けているのだ。この程度の半端な結果で終わるものか。言葉もなく、龍と人が敵として通じ合う。
龍の纏う装甲が、鱗が罅割れる。身体を循環する魔力をすらブレスへと変換するその行為は自殺であり、必然となる死の訪れを加速させるにも等しい。だが、勝つために龍はそれを選んだ。
―――放たれるは最期の一息。
だが。それは地に向けてではなく、空へと。理由は騎士たちの最後尾、盾を構える彼らに守られる黄金の瞳を持つ少女に在った。
「戯術―――”雷霆”」
両足を瓦礫に潰されたまま、それでも這い出たクリスの指先が空をなぞる。
龍がブレスによって撒き散らした無数の岩と礫。それが空間を捻じ曲げるほどの風により浮き上がり、紫電を纏う。
ラリナは徐々にはっきりとしてくる視界の中でその正体にあたりをつけた。
………黄金の記憶の中で見た、死の嵐。雷嵐の鷹、その神にも等しい御業だ。
「次いで………編纂っ。………撃たせる、ものか」
龍を、ラリナたちを取り囲む死の嵐。黒く淀んだそれが、一瞬、黄金へと変わる。
陽光を思わせるその色彩の中で、クリスがその魔術の名を叫んだ。
「地に墜つは雷霆の御子!!」
渦巻く黄金の嵐の中心から、万雷を束ねた斧が落ちる。龍の一息はその雷へと衝突し、双方共に弾け飛んだ。
「………ぐっ」
衝撃が大気を震わせ、騎士たちですら膝をつきそうになる。
………荒い息を吐く瀕死の龍は今も空を舞っていた。堕ちて、いない。
「そろそろ、貴様も地を這うべきだろう」
ラリナの背を叩いたエリオットが前に立つ。役に立たなくなった盾を投げ捨て、右手にずっと持っていた剣を強く握る。
装備していた兜は瓦礫の山やブレスの衝撃によって破損してしまっており、編み込まれた金髪が覗いていた。
剣の柄を持ち、やり投げのように右手を大きく引く。血を流す彼女………エリオットのその金色の髪から覗く瞳は、赤い色彩をしていた。
瞬間的にエリオットの肉体に張り詰められる魔力。ラリナやジーヴァがやっているような常に体内に魔力を張り詰めるものではなく、無酸素運動のように息を止めるかの如く、一瞬だけ張り詰める伏魔。
その弦の張力が最大に達した瞬間に、壊天―――剣が、投擲される。
魔力を纏い射出されたその剣は崖の上を舞う龍の翼を貫き、そしてエリオットの右腕を粉砕した。
隻眼を見開く龍が、重力の鎖に縛り付けられ、落ちていく。
「無理を、するね………エリオット」
「はは!これも、作戦だっ!!堕ちたぞ、遂に墜ちた、龍が!!」
伏魔を常に張り詰めておくのではなく、瞬間的に行い張力を増すようなそのやり方は、確かに一撃一瞬ならば高い威力を持つが、必ず肉体を自壊させる。
剣を投げ切ったエリオットの右腕は血管が弾け、骨が覗いていた。ただ、剣を投げただけでその有り様だ。
ラリナはそんな彼女の右腕を握り、滴る血を一滴、舐めとる。
赤い瞳がにっこりと微笑んだ。
「ラリナ、忌み目のラリナよ。最後に、もう一回………任せた、ぞ………」
倒れるエリオットを抱きかかえ、騎士たちに預ける。彼らはエリオットとクリスを守るためにここからは動かない、動けない。
崖の底へと完全に落下した龍。それを仕留める重責と栄誉は、ラリナの手に委ねられたのだ。
お互い全てを使い切った。魔力もない、仲間ももう動けない。再生するような余力?あるものか。
走る。ラリナが龍の元へと向かう速度が増していく。
楽しい。死力を使い切った更にその果て、根比べをすら終わらせた後の、その足掻き!
お互い裸になって殴り合うような、一種の快楽。
ラリナは今までの人生の中で一番の楽しさを感じていた。そしてそれは恐らく龍も同じだろう。戦うことは、楽しい。気持ちがいい。
戦いを楽しめというジーヴァの言葉を最も痛感した瞬間。
文字通り、龍との最後の死闘が始まった。




