進め!!
邪龍の巣。
かつて火口だったという洞窟に繋がるという台地に踵を突き刺せば、鼻の奥までを酷く貫く匂いがあった。
腐乱臭、より正確に言うなれば―――これは硫黄の匂い、か。
それと同時に濃い魔力の気配も認識できる。まあこれは私とクリスだけだろう。
「ここに至るまでに無数の冒険者たちの死体があった。道中油断して命を奪われたものもいただろうが、外傷を見るに空からの魔物にやられたものが多い」
騎士団長、エリオットが全体に対してそのように警告を出す。
「ワイバーンですかね」
「………業腹だが分からん。ワイバーンにしては少々、強すぎる」
兜の上から口元を抑えてエリオットはそう呟いた。
実際道中で倒れていた冒険者たちの胸元には、青の識別証が残っていたりもした。一応の実力者である青色階級が両の手では全く足りないほどに敗北し、朽ち果てているのは異常と言っていいだろう。
とはいっても大体正体には察しがつくけど。
そう。察しはつく、だけど………だからこそというべきか。龍の意図が分からない。そもそもの話だが、龍という生命は基本的に群れない。
高度な知性、非常に長い寿命に強靭な肉体、膨大な魔力。存在そのものが凄まじく強大であるという他ない彼ら龍は、一応人類に魔物と分類されてはいるものの、その実態は魔物とは違うものである。
龍は繁殖する。だが、力の上限とでもいうべきものはなく、鍛えずともその力を都市の嵩ねと共に増し、鍛えれば更に力を膨らませる。厳密に言えば、龍たちの祖である”原始龍”は寿命がなく、そこから分化した”番の八龍”もまた命の刻限を持たないそうだが―――それら番の八龍より生まれ、大地に広がっていた現在の龍たちは、人間の観測では収まりきらぬほどではあるものの、確かに寿命を持ち、やがては死する。
悪龍を退治した話はこのアルボルム帝国にすら英雄の所業として伝わり、聖女を守る聖騎士がかつて実際に果たした、四方の封王の討滅に並ぶ偉業である。
龍たちの祖、原始龍と番の八龍は未だこの世界のどこか、人の辿り着けない領域に居て、世界を見守っているだとかなんとか言われてるけどそこはどうでもいい。寿命を持たずふざけた力を持つ、神みたいな存在の血を引くものこそが、この世界に時々現れる龍ということが重要なのだ。
そう。発生からして魔物とは違う。魔物は魔力によって生命が変質したものだ。しかし龍は確かに血脈によって繋がれたもの………しかして、恐らくは帝国や帝国が信奉する女神よりも古い時代から存在したもの。
師匠が振るう謎の力に似ているかもしれない。でも同一じゃない。
そんな龍は孤高の怪物で、群れず、媚びず、従わない。そんな龍があの変異体のワイバーンを配下にしていること自体が異質であった。
「………」
騎士団の行進に合わせて進みつつ頭の片隅でそんなことを考える。ふと顔を上げて師匠の方を見る。
黒い瞳を細め、何かを見つめていた。
「止まれ」
その声は、迫力があった。騎士団長としてこの場に立つエリオットよりも更に強い、歴戦にして猛者と呼ばれる戦士としての声音。
乱れず綺麗な軍靴の音を響かせながら行進する騎士たちの歩調が、一瞬にして止まった。
「ジーヴァ殿?」
「感じないか?チビ、クリス!どうだ!!」
「いるな」
「………うん。それも、たくさんだ」
魔力により感知が出来る筈の私たちよりも数瞬速い気配の探知。私と、師匠の差………壁ともいえる。
どうすれば、追いつけるんだろうか、この人に。頭を振る。意識をより高度な戦闘状態に切り替える。
より踵の先が鋭利になり、両手に硬質なガントレットが現れる。以前のものよりも細身となり、しかし重さは増している。左手の方にはクロスボウも構築され、カチリと涙の雫が嵌め込まれる。
「おい………これは、なんだ」
私たちは気配で分かってる。師匠はこの程度では揺るがない。でも、騎士団は別だ。
紅い瞳で見上げた空。曇天の空を塞ぐ肋骨のような岩の尖塔たち、そこから―――”影”が這い出してきた。
甲高い音を立てながら灰色の空を埋め尽くす黒色。たちまち周囲は硫黄の匂いに包まれる。
「変異体のワイバーン。それも、全てか。成程な、絡繰りが分かってきたぞ」
「なに。あいつらに仕掛けがあるの?」
「あるぞ、ラリナ。あれはただの飛竜に非ず」
クリスが両手を組み、魔術の準備を行う。体内に魔力が渦巻き、いつでも術式をは爆発させられる態勢に入った。
「眷属だ」
「………なにそれ」
「堕ちた神と呼ばれる悪魔や魔神というものどもが作ることの多い僕だな。だが―――龍も作れないわけではない。眷属としたものは力の一端を授かり、主に侍る。そして主はその眷属の視界を借りることができ、時としてその身体を操る事も出来る」
「ってことはあの時戦ったワイバーンって」
「操作していたのは龍ということだろう。事実、背後にいたであろう龍の気配が、今頭上を飛び交っている奴らには感じられない」
そこまでは私の感知能力じゃ分からないけど、まあクリスがそう言うならそうなんだろう。
「盾構え!!!」
「「「応ッ!!!」」」
動揺しつつも即座に対応するあたり、腕の確かな騎士団だということか。
エリオットはここまで連れてきた商人たちを自身の近衛兵で守りながら、空を覆う影を見上げている。
彼らが持つ空への攻撃手段は槍の如き大きさの矢である。魔術防護を施した盾を構え、攻撃を防ぎ、その間隙に矢を放つ。だが、明らかに今現在持ってきている矢の数では空を覆うほどの変異体ワイバーン―――否。眷属の飛竜を斃しきることはできないだろう。
そしてここで矢を失えば、その背後にいる龍に対する攻撃手段が半分ほどなくなる。
ここで私たちが残るべきか。そう判断しかけた私の頭を、大きな手が包んだ。
「ラリナ。どうしたい?」
「………師匠?」
「龍を殺すか、ここであの羽虫どもを足止めするか。お前はどうしたい」
振り返る。師匠の言葉を反芻する。
一秒にも満たない時間。だけど、私を見つめる師匠の黒い瞳は、私の何かを………いや。魂を見極めるかのように、強く、鋭く、そして透き通っていた。
答えは驚くほど素早く喉の奥から吐き出される。
「龍と戦いたい―――強くなりたい」
何者にも奪われぬように。焼きついた復讐を果たせるように。
………あなたの背に、追いつけるように。
「良いだろう。儂が残る。儂一人だけでいい」
軽く指先が私の額を押した。
カツン、と地面から音が鳴る。己の踵が数歩後退した音だ。いや、龍の巣の方に向かっている訳だから、前進なのか?
「師匠?」
「戦ってこい。クリスと、騎士団を連れて、全身全霊をぶつけてこい。安心しろ、失敗しても儂が尻を拭いてやる」
「ちょっと。そんなことにはならないし、しない」
「そうだな。そうだとも、チビ。お前は、ちゃんと強くなっている」
親が子に対して浮かべるような、力の抜けた、しかし愛情のこもった笑みを零す師匠。
いつもの獰猛な笑みではなくて。どこか綺麗な笑みだと思った。
「―――師匠。死ぬ気?」
「儂が?ははぁ………あの程度の連中を相手に?」
「だよね。なら………なんだろ」
言葉に出来ない。うまく感じたこの直感を表せない。眷属の飛竜が何体居たって師匠を斃すことは不可能だ。
それ以外の脅威だって見当たらない。なのになんでだろう。師匠が、居なくなる。そんな気がするんだ。
「あのなぁチビ。儂の事なんて考えるな。龍を殺す事だけ考えろ。でなければ負けるぞ?」
「………ん。んぅ………分かった」
小骨が刺さったような感覚があるけど―――師匠が言うことも正しいのだ。
「行ってくるよ、師匠」
「ああ」
振り返る。邪龍の巣へと視線を合わせ、加速した。
「儂が殿を務める!!!お前たちは進め!!龍を殺せ!!!!」
背後で師匠が張り上げた声が騎士団を動かし、再び軍靴の音が………先程よりも数段速いリズムで………響く。
「良いのか、ジーヴァ」
「いい。お前がいるからな、クリス」
「そうか」
「任せたぞ」
そんな背後のやり取りを、感じ取ることはできなかった。




