黒いワイバーン
それにしても遠い場所を飛んでやがる。
心の中でそうぼやき、正確な距離を測る………のは無理なのでクリスに任せる。
「どれくらい離れてるの」
「五百メートル程度だろう」
「………流石に遠いな」
先程までのワイバーンが飛んでいたのは精々五十メートル程度だ。これは奴らが飛ぶのが下手であるため………ではなく、攻撃を当てるためには高度を下げる必要があったためである。
仮にも龍の随伴者なのだ、ワイバーンと言えど飛ぶだけであれば高空の飛翔が可能である。
見上げた空の彼方から赤い煌きが見えた。それと同時、鼻先には濃い火性の魔力の匂い。私とクリスはその場から勢いよく飛び退き、その瞬間爆撃のような火の岩石が叩きつけられた。
ブレス、だがやはり威力が高い。それに実体の岩石は魔術で作られたものか?ブレスと魔力を併用しているわけで、その時点で先程までのワイバーンよりも知能が高いことと、そして攻撃の精度も優れていることが見て取れる。
「攻撃手段」
「あるにはある。確実性が薄いが」
「やらないよりはマシ」
「は、違いない」
笑ったクリスが両手を握り、空へと向ける。一瞬クリスの白い髪が逆立ち、浮き上がるのは体内で練られた魔力によるものだ。
魔術師であるクリスの脳内で細やかに術式が描かれ、そこに奔った魔力がすぐさま現象を引き起こす。
黄金の瞳が魔術の完成と共に色鮮やかに輝き、力ある言葉と共に魔術が放たれる。
「波颪」
波颪―――魔術の位階としては上級魔術に分類される。
必要となるのは高度な風と水の魔力属性、そして荒れ狂う波間を支配するかのような魔力操作精度。それは至近距離であれば触れたモノを風と波で削り落としてしまうほどの威力を持つ。
空気に悲鳴を上げさせながら、膨大な魔力が込められた魔術が空へと昇るが………流石に距離が遠いか。
軽く旋回され、魔術が外れる。そしてその後には黒いワイバーンの反撃だ。
「ッチ」
「ふん」
岩石入りの火球ブレスが三発、地面に大穴を開けつつ着弾。
舌打ちをしながら再び飛び退き空を見上げる。太陽を背にしたまま高空を旋回する黒い影は距離を詰めることはなく、遠目でも分かる赤い目が私たちを見降ろしていた。
なるほどね、意地でも攻撃される可能性がある距離まで降りてこないってことか。実に賢く、そしてむかつく。
悠々と空を飛んでいるのが余裕そうで尚更に。
「な、なんなんだよ!?何が起こってんだ!」
「うるさい黙ってろ出てくんな」
さて、まず必要なのはなんだ?いや、なんだじゃない、距離を詰めること、それだけだ。
クリスの魔術でもあの距離を正確に撃ち落とせる魔術は少ない。ないわけではないけど波颪以上の位階の魔術になるだろう。こんなところで使えば、そこで状況判断も出来ずに喚いている馬鹿が吹っ飛ぶ。
そもそもだがあの黒いワイバーン、とりわけ自身に攻撃を当てる可能性があるクリスを警戒しているようで、魔物特有の魔力への感知能力の高さもあって、クリスが身動きをしたり補助魔術を使用したりするたびに更に距離を取るような動きをしている。大魔術を扱おうとすれば完全に逃げの態勢に入るかもしれないな。
「ラリナよ、どうする?」
「別に簡単な事だよ」
「ふむ?」
「まっすぐいって」
篭手に覆われた右手の拳を突き上げる。
「ぶっ飛ばす。耳貸して」
聞こえているとは思わないし、言語を理解するとも思えないが一応クリスの耳元に顔を寄せて作戦を語る。
「………正気か?」
「一番手っ取り速い」
「分かった」
―――クリスの魔術師としての腕は信用している。
こいつとの旅が始まってから魔術の実践も知識面も色々と教えられた。私に教えられるくらいに、クリスは膨大ともいえる魔術の知識を持ち、経験を蓄えている。
天賦の才がありながらも教えるのが上手いのは、果たして誰のせいなのか。まあそれはどうでもいい。
「やるぞ」
「ああ―――」
口元を抑えたクリスが大きく息を吐く。
吐息として吐き出されたのは黒い靄だ。それは聳える樹々の下に広がり、黒いワイバーンから私たちの姿を隠す。
さらにクリスは走り、地面に手を触れた。クリスを起点として魔力が地面に浸透していく。それは魔力が見えるものであれば、金糸のようなものが地面に縫い付けらえれている様にも見えるだろう。
………上空のワイバーンからはこの様子は捕えられないはずだ。黒い靄がそれを防いでいるためである。補助魔術、”黒靄”、風の中級魔術であるそれは、ごく短い範囲の中を靄で満たし、物理的な視認性と魔術的な感知能力を攪乱する。本来ならば闇の中で気配を消すために使用する魔術である。
その魔術をベールとし、クリスによってその中で幾つもの魔術が編み上げられる。
「………”堅積岩釼”」
金糸の縫いこまれた地面が隆起する。とはいっても、私にはその金糸は直接見えてはいない。クリスには、そう感じられるらしい、というだけのこと。
放たれたそれは純粋土属性の上級魔術、堅積岩釼。隆起した地面が幾つもの層の剣となって対象を襲う広範囲高射程高威力の魔術だ。それが、計六つ―――同時に発動される。
クリスの背中から余剰の魔力が放出され、髪が翅のように舞った。
魔術の使用を繰り返せば当然魔力が減っていくのだが、それと同時に、魔術の使用後には魔術を編み込むための術式の構築と励起によって生み出された、余剰魔力が放出されるのだ。術式に魔力を走らせることによって魔術が発動する訳だが、その際に生まれる摩擦のようなもの、らしい。
これは術式の不明瞭な固有魔術では殆ど生まれず、逆に体系化された学問としての魔術では発生しやすい。こうして生み出された魔力は空属性の魔力………より正確に言えば人間が扱うことのできない大気の魔力であり、熱量も内包しているため、魔術の使用を高頻度で繰り返すと体内に熱が溜まり、疲労や発汗、脳機能の低下を招く。無論、度が過ぎればその熱は傷となって身体を犯すだろう。
魔術師としての練度が低ければ低いほどにその熱を持つ余剰魔力は増えていく。クリスが今回生み出した余剰魔力は速やかに背中より放出され、またその量も髪が揺れる程度の僅かなものだが、並みの魔術師が同じことをすればとっくに動けなくなっていた筈だ。
とかく、雑多な音を立てながら、靄を突き破って空を目指すその岩石の大剣たち。一斉に自身を目指すその魔術の数々に黒いワイバーンは即座に反応した。
「シャアアアアア!!!!!!!」
咆哮を上げながらの岩石ブレス。
堅積岩釼の一つをブレスで迎撃すると、高度を上げ………即座に急降下。
更に翼を大きく羽ばたかせるとUの字を描いて空へと舞い戻る。徹底的に上を取り続けるその行動には間違いなく知性が宿っていたが―――。
「やっと、顔が見える位置に来れたな」
風を切る音を聞き流しながら、私はそう笑った。
右手の篭手に巻かれていた黒雫の鎖を溶かし、左手の篭手に構築されているクロスボウを構える。この距離なら、外すわけもない。射出されたそれはワイバーンの胴体、腹側に突き刺さり、体内で棘のように再構築され、楔となる。そして矢の下には鎖が繋がれていた。
ワイバーンの動きの分かりにくい顔が私を見て歪む。その赤い瞳は私の背後にあるクリスの魔術を見ていた。
「そうだ。これに乗ってきた」
殴れないなら、殴れる距離まで移動すればいい、そうだろう?
それにしても随分とでかいな。先程斃したワイバーンの図体が両方の羽を広げて五メートル程度だったというのに、こいつはその倍はあるだろうか。
頭から尻尾までにかけては三倍はありそうだ。
ぐるん、と黒いワイバーンの尾が撥ねる。鎖が括り付けられた左腕は可動域が少ないので、両足で迎撃を行った。ギリ、と金属が擦れる音がして、互いに体勢を崩す。
硬いな。体勢を崩したまま切り落とせる強度ではなさそうだ。
ワイバーンが咆哮を上げ、口の中にブレスが溜められる。それと同時に、やはり魔術の気配もあった。ブレスと魔術を併用していることに間違いはなさそうだ。
左手を引く。私の怪力によってワイバーンがバランスを崩す。しかし照準はブレない。だが問題はない、私は右手を握ると、ブレスが放たれた瞬間に右腕を喉元へと付き込んだ。




