B・L・K BOY and the LOVELY KITTENS 前編
1.
着替えてくると言い残して女子更衣室へ向かった女子3人を見送った後、俺はギターのセットアップを開始した。
今回のために施した改造箇所のチェックをしていると、ステージのほうから大歓声が聞こえてくる。
いよいよ、始まったらしい。
予選の一戦目はR.E.D.が出場するので観にいきたかったが、俺も、そして多分、ミズホたちも彼らの勝利を確信していたので、あえて観にいきはしなかった。
理由は他にもある。俺たち全員、こういうコンテストに出場するのは初めてだから、臆病になっていたのもある。試合内容でメンタルを左右されたくなかったのだ。俺の場合は、ボクシングじゃないけど、体力温存という理由もあった。
特に後者は、俺にとっては深刻な問題だ。予選が20分、決勝戦30分で計50分。その間、俺の集中力が持つかどうかわからない。だるさは全身を鉛のように包み、控え室もステージも人や機材の熱気でうだるように暑くなっているのに、代謝機能の止まりかけている俺だけは汗ひとつかかなかった。
入念に準備しながら、大きく呼吸をする。少しでも多くの酸素を血液に送り込まないと、マジで動きたくなくなる。俺の身体の機能停止は確実に迫っていた。でも、今は恐怖より使命感が俺の心を支配していた。氷室さん、ヒナやカナエとの会話、そして、ミズホのあの抱擁がかなり効いていた。
ギターのセットアップ後、鏡の前でワックス片手に髪の毛をセットしていたら、控え室のドアがギッと開いて、
「お待たせ」
そういって顔を覗かせたのはヒナ。あれ……その格好?
「えへへ。この間の衣装気に入っちゃったから、また借りてきちゃった」
そういってスカートの裾をつまんで一回転するサイドポニーのゴスロリメイド。猫耳カチューシャも装備した完全武装のヒナの姿だった。
「相変わらず似合うな。滅茶苦茶可愛いよ」
俺が思わず手を叩くと、ヒナはえへへと頭をかいて、
「さっきからカナエが目をあわせてくれないんだけどね。一体何なんだろ」
その当の本人は、ドアの端から顔の半分を出してチラチラこっちを覗いている。
「カナエー!入っておいでよ」
ヒナが言うのに、顔を赤らめながら姿を見せたのは、ダークグレーのタイトなスーツを着込んだカナエ。長身でスレンダーな彼女にその服は恐ろしいほど似合っているのだが、それよりも特筆すべきは、その髪がきっちりとポニーテールに結わえられていたことだった。おお……エロ本に載ってた仕事の出来る淫乱OLっぽいぞ。本人の狙いは1960年代のUKロックスタイルなんだろうけど。あいつの大好きなニルヴァーナもPVであんな格好してたしな……。
「ヒナ、ごめん……その姿、直視するにはちょっと刺激が強すぎる」
そう言いながら、頬を赤らめ、横目でヒナを見るカナエ。いや、カナエのポニーテールも滅茶苦茶眩しいぜ。と言おうかと思ったが、やめた。その役は、小谷沢に譲ってやろう。あいつにそのチャンスが巡ってくるかまでは知らないけれど。
「で、あれ?ミズホは?」
俺は周囲を見渡す。ミズホらしき姿が見当たらない。
「アキラ君、ここだよ、ここ」
その声が聞こえてきたほうに目をやる。思わず、あ……。と間抜けな声が漏れていた。
そこにいたのは、ちょっと色っぽいお姫様だった。
上品な加賀友禅の振袖を、動きやすさ重視だろうか、かなり大胆に着崩したミズホの姿がそこにあった。はだけた衿、大胆に捲り上げた裾から見える白い足。リーチかかった心臓が急に激しく動き出す。
「今日のミズホすごいでしょ?これだけ着崩してても似合っちゃうのがミズホだよね。でも、着物なんて日本舞踊してるときしか着ないって言ってたのに、今日はどうしたの?」
ヒナが目を丸くしながら、嬉しそうにはしゃいだ。確かに似合う。似合うどころじゃない。十二単着た本物のお姫さまの横に並んだって、今日のミズホは負けていない。着慣れているからこそ狙って出来るんだろうけど、色っぽくもかわいく着崩された着物の破壊力は凄まじい。日本女性が最も似合う服は着物って言うけど、目の前のミズホはその最高の例だ。短いスカートなんかより、こっちの方がよっぽど扇情的に見える。これを見れば、どんな屈強な武者でも職場放棄して、ミズホの守護に当たるだろう。まぁ、モデルのよさってのも大きいけどな。
「えっと……今日は勝負がかかってるから、思い切ってみたの」
そう言うも、ミズホの顔は真っ赤だ。無理もないだろう。この格好、時代劇に出てくる女郎屋のお姉さんより、ずっと大胆だ。彼女自身、ここまで大胆な格好をするのなんて初めてだろうからな。でも、この着崩し方……。
――女の服ってのは戦闘服なのよ。自分の魅力を余すところなく見せ付けるためのね――
そうか、レグバだ。でも、あのミズホがいくら勝負のためとはいえ、レグバの意思に合わせるなんて、何の心境の変化なんだろう……。
思わず考え込む俺に、少し冷ややかな視線が注がれていることに気づく。
「で、アキラ……」呆れたような口調のカナエ。
「どうして、アンタだけ制服姿なのよ?」腰に手を当てたレグバ≠ミズホがため息をついた。ヒナも苦笑いを浮かべている。
「ああ、これか?だって、俺にとっては、この服がこのバンドの制服みたいなもんなんだよ。軽音部に入らなきゃ、みんなとは出会えてなかったし、バンドをやることもなかった。俺にとっちゃ制服は特別なんだ」
……そして、喪服にもなるしな。
俺の顔を見たミズホが少し悲しそうな顔をした。まさか、心中を読まれたなんてことはないだろう。
ヒナは俺の顔を見ながら、納得したように微笑み、
「それって、あたし喜ぶところなのかな……。うん、でも、おにいちゃん、やっぱうちの制服よく似合ってるよ。一番、かっこよく見えるもん」
「あんたの私服イケてないし、まぁ、一番マシっちゃマシかもね」
何気なくひどいことをいうヒナとカナエ。レグバにも言われたけど、俺の私服、そんなにイケてないか……。
でも、悪戯っぽく笑うカナエを見てるとそんな気持ちも霧散する。知り合ってすぐの頃は、俺に笑いかけてくれる日が来るなんて思ってもみなかった。
「でも、みんな、ものの見事にコンセプトがバラバラだね」
ミズホが呆れるように苦笑する。ホントだ……と呟いて、ヒナが笑った。つられてカナエも笑い出す。やっぱ、みんなの笑顔を見てると、すごく落ち着く。そして、心の底から、嬉しい。
「あの、B・L・Kの人たちですね。そろそろ準備してもらえますか?」
背後からかかったスタッフのお兄さんの言葉に思わず雑談をやめて、周囲に耳を澄ます。どうやらステージのほうは一回戦が終わったみたいで、歓声と大きな拍手が聞こえてきた。喧騒の中、ナスカワと氷室さんを呼ぶ声も混じっている。R.E.D.が勝ったらしい。敵ながらさすが。予想してた通りだ。
「じゃ、ステージ裏で待ってますんで。次に出場される方たちの演奏が終わったら、バンド名を読み上げますから、その声とともにスタッフの案内するほうからステージに入ってください」
スタッフはそう言うと、再び扉の向こうへ消えていった。
「じゃ、そろそろ行こうか」
ヒナとカナエは立ち上がり、機材の乗った台車を押していく。プリアンプとかスネアドラムとか大きいのはキジエさんの車に乗ったままだから、台車の上は主にベースとエフェクターしか乗っていないんだが、あれ……なんか数が多いな。
俺の視線に気づいたか、ヒナは軽くウィンクして、台車を押して扉の向こうへ消えていく。何かありそうだと思ったが、あえて伏せているのを問いただすのも無粋かと思ってここは黙っておくことにした。
ヒナとカナエが扉の向こうへ消えたのを確認したかのように、
「この衣装、どうかな?似合ってる?」
ミズホが頬を赤らめたまま、小さな声で言った。
「ああ。ものすごく。いつものミズホらしさとそうじゃない部分が混ざり合ってて、なんていうか、すごく、きれいだ」
潤んだ瞳で見つめられ、俺は思わず思ったことを素直に口にしていた。嘘なんて、つきようがない……。
ミズホは真っ赤な顔で、ありがとうと言った後、
「アキラ君も、やっぱり制服似合っててすごくカッコいいよ!」
うつむきながらも、はっきりとした声。その声に自分でも顔が熱くなっているのがわかる。褒められるのはやっぱり苦手だ。制服が似合うってのが褒め言葉なのかどうかは微妙なところだが。
俺はごまかすように、ありがとうと言って荷物の載った台車を押す。後のミズホがどんな顔をしていたのかはわからない。正直なところ、恥ずかしすぎて、彼女の顔を見る余裕なんてなかった。
2
舞台裏では、既にキジエさんが車からアンプ類を運び込んでいた。俺たちの顔を見るなり、
「なんだおまえらその服?バラバラじゃねぇか」
そういって、大笑いした。
「演奏とセットの打ち合わせばっかで服装なんて何にも考えてなかったからね」
ヒナが後頭部をかくのに、
「いいんじゃねぇか。それはそれで、おまえららしくて」
キジエさんが若干呆れたように微笑んだ。
俺はまだ見ていなかった対戦表を見る。俺たちの対戦相手の欄に《ベイルビール》と小さく書き込まれている。
「ベイルビール……何語なんだろ?」俺が呟くのに、
「なんかね、メンバー全員、美容師の息子らしいよ」台車から荷物を降ろしながらヒナが言った。
「このバンド名と美容師とどう関係があるんだ?」
「英語でBARBERっていうじゃん。あの読み方をカッコよく言ったつもりなんじゃないかな」
そういってヒナが笑うのに、思わず、「だっさ……」と漏らしてしまった。少なくとも、言語センスは俺のほうが上だ。ナイト・オブ・ホワイトナイトのほうが絶対にカッコいい。
その時、ふとヒナが抱えているベースのハードケースが目に入った。見慣れないケースだ。さっきの違和感の正体はこれかと、それに注視していると、ヒナはそのケースをおもむろに開け、見慣れないベースを取り出した。
「あれ?ヒナ……そのベース」
俺の言葉にヒナは嬉しそうに笑顔を浮かべ、
「このあいだ言ってたでしょ。あたしの秘密兵器」
そう言って俺に見せ付けるように突き出して来たのは真っ黒のフレットレスベース。もしかして、氷室さんに対抗するために準備したのだろうか?それにしても、このネックって……。
まじまじと眺める俺に、ヒナは「あ、気づいた?」と悪戯っぽく微笑む。
「指板を丸ごとアルミブロックで作ったあたしだけの特注品。あたし、スラップ多用するし、氷室さんみたいに繊細なフィンガリング出来ないから、苦肉の策でこうなったの」
ベースをバシバシブッ叩くスラッピングのパートを得意とするヒナの激しいプレイを思い出して、俺は苦笑する。普通のフレットレスじゃ、あのプレイには耐えられないもんな。
「でも、それだけじゃないんだよ」
ヒナは、ささやかな――ごめん――胸をぐっと突き出して
「実はこのベースにはもうひとつ秘密があるんだ。お姉ちゃんの案だけどね」
そう言って背後のキジエさんを振り向く。キジエさんは腕を組んだまま含むように「そいつは後のお楽しみさ」ニヤリと口の端をゆがめて、俺を見た。
「いずれにしろ、そのベースって決勝戦用なんだろ?」キジエさんが聞くのに、
「そうだよ。これは、対氷室さん用の必殺兵器だから」
「じゃ、今出す必要ないんじゃないのか?」俺が首を傾げると、ヒナは「ううん」と首を振り、
「絶対に使うって確信しているからこそ今出したんだよ。あたし、決勝戦しか見てないもん。一回戦で負けるようなら、あたしのベース人生はそこまでだから」
柔らかく、しかし、決死の覚悟に満ちたヒナの言葉。こんなあどけない顔でこのセリフを吐くのに、一体、彼女はどんな腹のくくり方をしてきたんだろう。
「ヒナがうちの部長でよかったよ。その調子なら、俺の力なんて要らないな」
思わず俺が漏らすのに、
「ううん。おにいちゃんたちがいるからこそ、あたしは頑張れるんだよ」
強い光を宿した目で俺を見つめ、微笑んだ。胸と胃がまた痛んだ。
そして、全ての準備が終わった頃、
「えっと、B・L・Kさん、そろそろ出番ですんで、ステージのほうに移動してください」
背後からかかる声に振り向く。既に前の2バンドの対戦は終わり、勝利バンドを称える歓声がステージのほうから聞こえていた。
俺たちは照明が消えたステージに入る。場内は前バンドの残した熱気みたいなのがまだ残っていて、思わず気が引き締まった。
それにしても……オーディエンス、メチャクチャいるなぁ。とたんにビビリが入りそうになる俺の視界に入ったのは、見慣れた顔。小谷沢が手を振っていた。
嬉しくなって思わず手を振り返すが、小谷沢が熱っぽい視線を浴びせているのは、俺の背後、カナエだ。
「なんだ、あの野郎」
思わず毒づいた直後に笑いがこみ上げてきた。命を懸ける場所が、いつもと変わらないことが何だか妙に嬉しかった。
「どうしたの、おにいちゃん?」ヒナが首を傾げるのに、「なんでもない」と返し、俺は準備の続きに取り掛かった。
「それでは、次の出場バンドです。バンド名はB・L・K。東部沿岸高校軽音楽部の……」
司会の長い口上を半分無視し、俺は体中から必死にエネルギーをかき集める。
「では、どうぞ!」
その言葉を合図に刻まれるカナエの3カウント。続いて、カナエとヒナが生み出す激しくて重い鼓動。リズムの塊の上に、俺はギターを重ねていく。自分で言うのもなんだが、完璧なタイミングだ。途端に、「おぉ!」と場内が沸いた。俺はヒナとの猛練習を思い出して、心中で思わずほくそ笑んだ。
ミズホは目を瞑り、俺の作るメロディとハーモニーしていく。頭の中の何処かでカチリと歯車が噛み合う音がした。、波が発生していた。
俺は、場内の反応も、審査員の顔も見ていなかった。いや、見えなかった。ステージに立って、ギターを弾いて確信した。
俺の身体にはもう、他のことをする余力なんて残されていない。
だが、その追い詰められた状態だからこそ、音楽だけに集中できる。
気づけば、計6曲、締めて20分の演奏時間は全て終了していた。頭の中が真っ白だった。
ネックから左手を離すと、俺の中でプツンと音がして集中力が切れる。と、同時に、体中にのしかかるものすごい疲労。
審査員に頭を下げ、ステージ脇に戻ろうと一歩を踏み出したその瞬間、目の前が真っ暗になった。
あ、ダメだ……。膝から全身の力が抜けていく。俺はそのまま崩れ――
――なかった。
俺の両脇に腕が差し込まれていた。思わず見渡すと心配そうな顔のミズホとヒナ。その暖かくて力強い感触に、張り詰めていた俺の神経がほぐれ、同時に周囲の音が耳に入ってくる。
俺たちを大歓声が包み込んでいた。視界の端には、小谷沢たちが大きく手を叩いて何かを叫んでいる。よく見ると、他にもうちの学校で見かけた顔がたくさんいることに今になって気づく。
「だ、大丈夫?」両脇を支えるヒナとミズホと、背中を押してくれるカナエの顔に、
「大丈夫だ!」出来るだけ力を振り絞った声で応えた。そして、この歓声が今にも消えそうな俺の命に、力を吹き込んでくれていた。
俺は楽屋裏から少し離れた場所で椅子に腰掛けていた。
ベイルビールの演奏が壁を伝って響いてくる。彼らの演奏が終わるまでが俺たちの一回戦なので、本来ならステージ裏で俺も待ってなくちゃいけないのだが、俺の体調を危惧したヒナがスタッフに頼み込んで椅子を用意してくれたのだ。
俺は、家から持ってきた滋養強壮剤を立て続けに3本飲み干した。流石に腹がタップンタップンする。
椅子に腰掛け、うなだれる俺の視界の端に小さな影が入り込む。思わず見上げると、氷室さんが立っていた。俺は軽く頭を下げる。彼女は、俺の足元に転がる3本のビンを眺めながら、
「大丈夫……じゃないわね。その様子だと」
「あと1ステージだ。何とかなるよ」重い腕を持ち上げ、ガッツポーズをした。
「あの……」少しうつむいた氷室さんに、「なに?」と聞き返す。彼女は若干思いつめたように、
「本当に後悔はないの?」
あまりに唐突でストレートな物言いに思わず苦笑し、
「……いきなりきつい質問だな。そりゃ、あるに決まってるよ」
「それだけ?」
「どういう意味?」
彼女が何を言ってるのかわからない。
「その後に続く言葉はないの?最後の愚痴くらい、私でよかったら聞くわよ。これでも、神官の端くれよ、私」
「ないさ。後悔は確かにある。でも、それだけだ」
氷室さんは急に黙って、再び目を伏せる。長い睫毛に思わず見とれていると、
「私、どこから間違ってたのかしら……」ひとりごちるようにそう言った。
「何が?」思わず聞き返す俺に、
「なんでもないわ」
どこか寂しそうに微笑んだ。
「じゃ、また後で」そう言って、再び楽屋のほうに踵を返すと、そこで足を止め、
「さっきのプレイ、すごくカッコよかったわよ」
「音楽の精霊が憑いてるからな。クロスロード伝説の力さ」自嘲気味に笑う俺に、
「いいえ。すでにレグバの力じゃないわ。あなたの実力よ」
そう言い残し、楽屋のほうへと消えた。
3
控え室で、俺たちは紙コップに入ったジュースを飲みながら、一息ついていた。
ベイルビールとの対戦は、審査員全員の一致で俺たちの勝利だった。勝敗の発表のあと、控え室に戻る俺たちに後からベイルビールの面々が話しかけてきた。狙いはミズホだとすぐわかった。なれなれしく話しかけてくるのに、「うるさいわよ!」ときつい怒声を浴びせ、たじろぐ相手を睨みつけて再び俺の脇を抱えて歩くミズホというか、レグバ。
俺のことを心配してくれているなんて思うのは、良いように解釈しすぎかな。
控え室に入った途端、全員が俺の身体を心配してくる。事情を知っているミズホはともかく、事情を知らないヒナとカナエには睡眠不足がたたっていると嘘をついた。それで二人が信じたとは思えないが、とりあえず、落ち着いてくれたようだった。
俺は3人を見渡す。一回戦を勝ち抜き、全員の表情には多少の安堵が浮かんでいた。
次はいよいよ決勝戦だ。俺は会場のほうへ耳を澄ます。今まさに、R.E.Dが決勝戦進出の戦いを行なっている最中だろう。当然、勝ち抜いてくるのはわかっている。
様々なことが頭の中を駆け巡っていたが、今の俺にはそれを整理する力は残されていない。思考すれば、全てそれがまもなく訪れる自分自身の死に繋がってしまう。どうやってもポジティブシンキングにはならない。故に、俺は思考をやめていた。
やがて、場内から歓声が聞こえてくる。どうやら、決勝進出のバンドが決まったらしい。
向こうからの報告を待たずして、突然、控え室のドアが開き、キジエさんが顔を覗かせた。
「決勝戦の対戦相手が決まったぜ。予想通り、R.E.D.だ」
「やっぱり、来たね」ほくそ笑むヒナ。
「絶対に、勝つ」意気込むカナエ。
ミズホはうつむいたまま無言だった。
「お姉ちゃん、機材のほうの準備はどうなってるの?」
「大丈夫だ。全部出来てる。スタッフにも今日のSEとライティングの手配書は渡してある」
「あたしのベースのほうも?」ヒナの問いに、
「まかせろ。完璧だ」ウィンクで返すキジエさん。
ヒナは俺たち全員を見渡すと、深呼吸をひとつついて、
「みんな、いいかな?」と切り出した。
「えっと……、いよいよ決勝戦です。泣いても笑ってもこれであたしたちの運命は決まります。みんなの努力の真価がこれから試されます。相手はナスカワ君たちのR.E.D.。あたしが言うまでもないけれど、強敵です。でも、変な話だけど、あたしたちが今日まで必死に努力することが出来たのは、ある意味、R.E.D.のお陰でもあります。彼らに勝ちたいから、あたしは必死になれたと思うし、みんなもそうだと思います。だから、決勝戦は、相手に勝つという目的もあるけど、あたしたちを引っ張ってくれたR.E.D.に対する感謝の気持ちをぶつけるつもりです」
ここまで言ってヒナは俺たちを見回す。カナエが何か言いたげに唇を尖らせていたが、ヒナはそれを気にせず、
「ちょっと堅い話になっちゃったけど、いつもの部活の要領で、全力で楽しんでいきましょう。今回の勝負は盛り上げたほうの勝ち。演奏者が楽しまなければ、聴いてくれる人だって楽しくないだろうしね」
そう言って笑顔を浮かべるヒナ。
その笑顔につられるように、ミズホが右手を差し出す。
誰ともなく、ミズホの右手に自分の手を重ねていく。最後に俺の手が重なった瞬間、ミズホは笑顔でヒナを見た。
気づいたヒナが、「それじゃ、みんな行くよ。準備はオッケー?」
「もちろん!」
「当然!」
「うん!」
息は全員そろっていた。直後、ヒナが笑い出す。
「やっぱりみんなバラバラだね。でも、息はピッタリだった」
「俺たちは、これでいいんだよ。バラバラの想いが重なって同じ方向に向かうからこそ、いい演奏が出来るってもんだ」
思わず発した俺の言葉に、「お、アキラ、カッコいいこと言うじゃねぇか」感心したように腕を組むキジエさん。
そりゃ、これで最後ですからね。カッコつけさせてもらいますよ。
「おにいちゃん、体調のほうはどうなの?いけるの?」心配そうに俺の顔を覗き込むヒナに、「ああ」とこたえる。正直、もう限界だが。
全員が俺の顔を覗き込み、暗い表情を浮かべた。
「何みんな暗い顔してるんだよ。大丈夫だ。ちょっと調子が悪いだけだ。演奏に支障はないさ」
精一杯強がって、俺は膝に力をこめて立ち上がる。身体は重かった。
「よし!じゃ、行こうぜ」
俺は親指を立てた。
ヒナもカナエもキジエさんも力強く頷く中。ミズホだけが、その顔に暗いものを浮かべていた。
興奮する心のどこかで悲しい風が吹いていた。