B・L・K BOY and the LOVELY KITTENS 後編
4
スタッフに促されてステージに入った俺たちは、入念に準備をはじめた。
曲目を書いた紙を足元に貼り付け、エフェクタの最終調整をし、照明係の人に合図の確認をし、この日のために準備した全ての装置の電源を入れる。
『あ、あ、あ、あ。テステス。聞こえますか、どうぞ?』
連絡用インカムに向かって声を出すヒナ。
『カナエ。聞こえてる』、『キジエだ。大丈夫だ』、『こちらミズホ、ちゃんと聞こえてます』、「アキラだ。聞こえてるよ」
俺たちの返事に、ヒナの元気のいい『オッケー』の声。
場内はざっと見て1000人くらいの人間がいそうだった。一回戦で当たったベイルビールのメンバーもいる。小谷沢は最前列でやっぱりカナエのほうばかり見ていたが、俺と目が合うと、居心地が悪そうに目をそらした。何だあいつ、もうバレてるっての。おかしくなって思わず笑ってしまう。
俺は深呼吸をして、メンバー全員を見回す。これだけの人間に囲まれてさすがに緊張しているのか、みんな表情が若干硬い。
視線を対面側に移すと、烏天狗のような羽根まみれのナスカワ。相変わらず膝下プリーツに無表情のタタラ、俺のほうを見て微笑む氷室さんがいた。
ステージ脇にはキジエさんと遅れて入ってきたミサゴさんがいた。俺の視線に気づいたミサゴさんは軽く頷いて、拳を握り締めてガッツポーズを取る。
予選時とはレイアウトを変更され、南端と北端にステージを設置された広い館内の真ん中には、白いナイロンテープが引かれ、その上には垂れ幕のように分厚いナイロンの遮音シートが何重にも吊り下げられている。そして、その中央に、今日の審査委員長である楽器店の店長がマイク片手に合図を待っていた。
やがて、入り口側のスタッフが手を上げ、委員長はマイクの電源を入れた。
「え~……それでは、ただいまから本日の決勝戦を開始したいと思います。最初にも説明いたしましたが、もう一度ルールのおさらいをします。30分間、両バンドにはライブ形式で演奏をしていただくわけですが、ご覧のように遮音シートなどを使用して可聴領域はこの白線ギリギリに調整しています。つまり、どちらかの白線内に入らなければ、演奏はよく聞こえません。お客様方は、聞きたいと思うバンドのほうへ移動していただき、30分後、白線内に残っているお客様の数で雌雄を決することになります――」
ルールは十分にわかっている。途中から委員長の言葉を俺は聞いていなかった。目を瞑り、精神統一をする。両手の指先まで気持ちを張り巡らせる。30分間、持つかどうかはわからないが、とりあえず全力でやりぬくのみ。
「それでは、決勝戦スタートです!」
委員長は右手を上げて、ステージ脇まで後ずさる。途端に場内の電灯が消され、ステージの方へと全照明が向いた。
ワッと沸く歓声。
R.E.D.は色とりどりの照明の中、お得意のスモークと照明による演出をはじめた。
出足が若干遅れたが、まだ勝負は始まったばかりだ。俺はカナエの3カウントを待つ。だが、3カウントが始まらない。いくらなんでも遅すぎる!
それだけじゃなかった。R.E.D.ステージを煌々と照らす照明は俺たちのほうを向いていない。いや、照明はこっちを向いているが、ついていないのだ。
動揺する観客。ミズホも何が起こったのかわからず、焦りの表情で周囲を見回している。俺たちの陣地に妙な緊張感が漂った。
連絡用のインカム越しにキジエさんのあせる声が聞こえた。
『マズい。照明がつかねぇ!こっち側の配電盤が壊されてる』
な……。
『恐らく、あの腐れミズアカシュウどもの仕業だ。あいつら、しばらくおとなしくしてたと思ったら、こういう手できやがったか!あのくせぇ匂いがまったくしなかったから気づかなかったぜ。ファブか何かでにおい殺してきやがったな……今日は狗若衆モードってことかよ、クソッタレ!』
「俺たちはどうすれば!?」
『アンプ側は生きてるみてぇだから、とにかく演奏を始めろ!』
「でも、このままじゃ……何とかならないんですか?」
『1分間もたせろ。考えがある』
「1分間で配電盤の修理なんて出来るの?」
ヒナの焦る声。
『だから、考えがあるって言っただろう。任せとけ!』
暗い視界の中、ヒナの深呼吸する姿が見えた。
と同時に、暗いステージの一箇所で閃光が走った。
ざわめく観客の誰かが、おお!と嬌声をあげた。
派手なスラップの音とともに、照明の当たらない薄暗いステージの中、バチバチと火花を上げるヒナのベース。
「いいぞ!」「カッコいい!」
途端に観客の喧噪が声援に変わっていく。
『ヒナ、これは……』
俺の問いに、インカム越しにヒナが短く笑った。
『もうひとつ秘密があるって言ったでしょ。指板にマグネシウムシートを貼ってあるの。スラップのときだけ、摩擦で火花が散るようにお姉ちゃんがマグネシウムの量を調整してくれたの。まさか、初っ端から使うとは思ってなかったけど』
暗い視界の中でこっちを向くヒナの笑顔が見えた。でも、注意書きに発火物は厳禁って書いてなかったか?スタッフが止めに入らないって事は、大丈夫なのか?非常事態だしな。
『1曲目と4曲目を入れ替えるよ。カナエ、カウント!』
ヒナの指示に従い、ベースの独奏から始まる4曲目の出だしにあわせて、カウントを刻むカナエ。
慌ててそれに追従する俺とミズホ。
途端に、場内が沸いた。
その直後、一気に俺たち側の照明がつく。さらに沸く場内。
キジエさんの言ったとおり、1分も経たずに直った照明に驚いて、俺はステージ脇を見る。
そこには、想像を絶した光景があった。
ギャッギャッギャッギャッギャッギャッギャッ!
ミサゴさんが、崑崙輪業のものらしき派手なマウンテンバイクを凄まじい勢いで漕いでいた。床にごっついボルトで――あ~あ、あの床の穴……どうすんだよ――固定された車体の後輪にはタイヤがついておらず、むき出しのホイールに、モーターの化け物のような巨大な装置がベルトで連結されている。
これって、一体……
呆然として一瞬演奏を忘れそうになる俺のインカム越しからキジエさんの声。
『チャリにオルタネーターを取り付けた発電機だ。昔、あたしたちがゲリラライブで電源引っ張れないときによくやってた手だ。一応持ってきておいて正解だったぜ!』
思わずステージ脇を見ると、キジエさんが親指を立てていた。
『大変なのは俺だけだけどな』愚痴るミサゴさんの声が聞こえた。
『風車用のオルタネーターを足こぎで回せる怪獣なんておまえしかいねぇんだから仕方ねぇだろう。可愛い後輩どものために、口よりも足動かせ!』
『人遣いの荒い妹だな……』
『文句言うんじゃねぇよ!ほら、こいつでも食って元気出せ!』
うわぁ~……また昆虫か?横目でチラ見したミサゴさんの口の端に白くてウネウネしたものが見えた。あれって……
『東部神社の境内に住んでた白蛇だ!おまえ、白蛇好きだろ』
し……白蛇?!
『うむ!これはキクな!』続いて耳越しに入ってくる不気味な租借音。ガリッ……ブチッ……ブチョッ!
うげぇ……。
あまりのおぞましい光景に思わずステージのほうへと目をそらす。ミズホもヒナもカナエも何も言わなかったが、全員が青い顔をしていた。というか、白蛇なんか食って祟られないのか、あの人……。
『あたしはこれから配電盤の修理をやる。それが終わったら、あのクソ野郎共をとっ捕まえて、もう二度とオイタができねぇようにしてやる!』
キジエさんはそう言い捨てて、ステージ脇から姿を消した。
初っ端からMCも挟まず、ひたすら演奏に集中していたが、ふと壁の時計を見ると、既に15分以上が経過していた。客の反応はほぼ互角。ここから見ていると、ほとんど差はないように見える。ただ、心持ちR.E.D.のほうが優勢か……。
チラ見した向こう側のステージではちょうど氷室さんのベースソロがはじまっていた。ここからじゃ音はほとんど聞こえないが、観客が沸く歓声はここまで届いている。前のライブのときに見たあのヴァイオリンの独奏のようなスーパープレイが展開されているんだろう。
そのとき、ミズホの声がインカム越しに聞こえた。
『今やってるBメロが終わったらベースソロに切り替えて。ヒナちゃん、もう一度いいところ見せてよ』
積極的なミズホの指示に一瞬、唖然としたヒナだったが、すぐに笑顔に戻り、
『わかってる!任せて!どっちがいい妹か優劣はっきりつけるんだから!』
『頑張って、ヒナ!』カナエが後押しする。
「ヒナ、お前ならできる!お前のほうが妹としては上だ」俺もインカム越しに発破をかける。氷室さんの素の部分に少しだけ触れた俺としては胸中複雑だったが、全力で当たると彼女には宣言したから、こっちも遠慮はしない。
俺たちの励ましに呼応するように、ヒナが力強く微笑んだ。
俺は指示通り、Bメロが終わった直後ギターの演奏を止める。ヒナは軽く右手首を振ると、彼女の真骨頂であるスラップ演奏を再び開始した。
指板からバチバチ火花を散らせ、飛び跳ねながらベースを叩く猫耳メイドの姿に、再び場内が沸く。スカートからチラチラ覗く絶対領域と、ヒナが言うところの《見えてもいい》というアンダースコートの効果も当然あるだろう、やたら野郎どもの声援が目立つ。クソッ!何となく気分悪いな。あんまり見るんじゃねぇよ、俺の妹だぞ……。
『これで終わりじゃないよ。みんな、お願い!』
その声を合図に、ステージ脇からステージ下へと降りてきたのは、両手にチアガールのポンポンを持った5人のメイドさんだった。
『お、おまえ、いつの間に……』驚く俺に、
『近所付き合いがあるって言ったでしょ。お願いしたら応援に駆けつけてくれたんだよ』
俺はチアガールよろしくポンポンを振って応援してくれるメイドさんたちを思わず見つめる……が、嬌声をあげて喜ぶ野郎どもに彼女らがチラシのようなものを手渡していた……何だ、あれ?
『そのかわり、店の宣伝もするっていう交換条件を出されちゃったけど』
そう言って、舌を出すヒナ。利害関係が一致したってことか。俺は思わず笑っていた。
やがて、R.E.D.の方にいた客が何人か、興味をそそられてこっちのステージの方に集まってくる。いいぞ!こっちのペースになってきた。やってることはメチャクチャだけど、勝負である以上、手持ちのカードを出し惜しみしたりはしない。
やがてこっちの様子に気づいたか、ナスカワがステージ中央に仁王立ちになり、中二病全開の決めポーズをとる。途端、プリズムのように7色に輝く照明の光と、スモークをたっぷり使ったお得意の演出。立て続けに始まるギターソロ。くそ!こっちも負けてられるか!
『おにいちゃん、次!』ヒナの声に、「まかせろ!」と応え、俺はステージ中央に移動する。と、足がもつれた。冷や汗が全身を包む。興奮のあまり一瞬忘れていたが、俺の身体には余力がまったく残っていない。
慌てて躓きそうになった足に渾身の力を込めて踏ん張り、大きく息を吐いて、俺はギターソロを開始した。
思いつく限り最も優雅な音の組み合わせを選び、頭の血管が切れるほどに速く、テンポダウンするところは立ちくらみを起こしそうなほどに速度を落として、俺はギターソロを展開する。スクラッチの加護を受けた俺の渾身のプレイ。俺は文字通り、左右の手に命をこめた。ピックを動かすたび、俺の魂が少しずつ消し飛んでくのが自分でもわかる。気を抜くと、指がつりそうになる。だが、同時に感じるギターとの一体感。俺自身がギターと同化したような妙な感覚に一瞬意識が落ちそうになったが、何とかその陶酔に耐え、照明係を見上げて右手を下ろすゼスチャーをとる。スタッフは俺のサインに気づいて、ステージ中央の照明を消した。
俺は、ネック付近に後付した秘密兵器のスイッチを押す。途端に、俺のギターが眩く七色に明滅した。
これがッ!音階によって色を変えるッ!!【エクストリーム・ディスペア・プリズミック・エクスクラメーション】!!!文字に置きなおすと【ⅩxфxⅩ】!!!!因みに、фは月の騎士たちの言語では【d p】と読むッ!
毎晩必死で電飾の本とサイトを見て作り上げた俺の必殺兵器だ!LEDとHIDが織り成す光の洪水は強烈な視覚効果を生み出していた。
勝負だナスカワ!中二病ならお前なんかに負けはしないぜ!――俺は対面側のステージの中央にいるナスカワをにらみつけた。
スタッフが気を利かせて俺たちの側にあるスピーカーの一つを向こうのステージと繋いでくれた。これで文字通り、バトルの様相を呈した。早弾き、タッピング、スイッチング、フィードバック、ありとあらゆるテクニックが俺のギターから、そして、ナスカワのギターから炸裂する。
再び沸く場内。観客が俺たちのステージとR.E.D.のステージを行ったり来たりしているのがここからだとよく見える。あまりの盛況ぶりに楽しくなって、これが勝負であることを一瞬、忘れそうになる。
向こう側のステージ奥、ドラムセットが明滅した。スピーカーを破りそうな勢いで飛び出してきたのは、凄まじいガトリングビート。タタラのドラムソロがはじまった。
「よし、カナエ!行けっ!」
インカム越しに叫ぶ俺の声に呼応するかのように、突如として始まる奇妙なリズム。それは原初の音楽の様でもあり、何か巨大な生物の胎動の様にも聞こえた。
カナエが、お得意の変拍子プレイをかましていた。
拍を絶妙なタイミングでずらし、高揚感と安定感、そして所々入る不安定感を誘うようなリズムにステージ上の俺たちも奇妙な感覚に包まれる。
『あんなML好きのキモい女に負けられない!向こうがスピードなら、あたしはテクニックで勝負する!』
カナエが叫ぶ。それに呼応するかのように、R.E.D.側の速度が上がった。こっちのステージの上の空気まで揺らしそうな轟音。
『すごいすごい!向こうBPM1300超えてるよ。機械みたい!』
ヒナのどこか嬉しそうな声に触発されたのか、カナエのドラムプレイはさらに複雑怪奇に拍をずらしまくる。そのあまりの高低差にだんだんと気分まで悪くなってくる。対抗するかのように前方の轟音もさらに回転数を上げる。もう、こりゃ嫌がらせだ。迷惑行為だ。
「カナエ、ストップだ!だんだんおまえらの音で酔いそうになってきた」
思わず叫ぶ俺。対面にガトリング砲の轟音、背面で人ならざるものたちの心音のような摩訶不思議な変拍子に挟まれて俺は嘔吐寸前だった。オーディエンスも困惑しているのが良くわかる。
『よぉし!じゃ、曲に戻るよ!』インカムからヒナの声。それと同時に再び曲を再開しようとする俺たち――と、照明はドラムセットを照らしたまま元に戻らない。今度は何だってんだ?
『みんなストップ!照明が……あ、あれ?』
なんだ?思わず中二階の照明のほうを見上げる俺。思わず「アッ!」と声が漏れた。
今まさに、照明係に襲い掛からんとするアニメシャツのデブオタが3人。慌てて逃げだす照明係。思わず舌打ちする俺の視界に続けて入ってきたのは、反対側の照明用の細い通路を全速力で走ってきた一台のマウンテンバイク。
キジエさんだ。
『見つけたぞ、このデブオタどもが!てめぇら一匹残らずモズのハヤニエにしてやる!』
インカム越しに轟くキジエさんの怒声。直後、
『この野郎!死ね!』
通路にいた狗若衆は高速で突っ込んできたマウンテンバイクに跳ね飛ばされていた。衝撃で2人が中二階の通路から会場へと落ちていく。
キジエさんは残った一人――あれは、多分半蔵か?――の首根っこを掴み、
『てめぇはここから落ちやがれ!』中二階の窓から放り投げた。
さすがの狗若衆といえども、体育館の中二階はここから2階建ての家の屋根くらいの高さがある。無事じゃ済んでないだろう。
『これで終わりだと思うなよ、てめぇら!マジで全員ぶっ殺してやる!』
キジエさんは狭い通路でマウンテンバイクをフローティングターンで反転させ、落ちた狗若衆を追って階段を降りていく。あ~ぁ、やり過ぎなきゃいいけどな、あの人……。
照明係が慌てて戻ってきて、再び俺たちのほうを照らす。同じく一部始終を聞いていたヒナとミズホが俺のほうを見て笑った。
よし、演奏再開だ!慌てて、ギターを構えなおし、ピックを弦に当て、左手をネックに添える――
――が、ガクッときた。急激に意識が遠のいていく。まさか……こんなところで……。
必死で意識を呼び起こし、気力を振り絞って、朦朧とする視界の中、半分あてずっぽうでギターを弾く。ピックが6弦をかすった。が、俺の左手は、ネックに届いていない。左手を動かす力は、もう身体のどこにも残っていなかった。
畜生!ここまでなのかよ?悔しくて叫びそうになる――と、崩れる俺の身体を支える暖かい感触。そして、どこからともなく伸びてきた左手がネックをホールドしていた。
場内が一気に歓声で沸いた。
ミズホが、右腕で俺の身体を支え、その左手は指板にのびていた。
「ミズホ……」
「Aメロの二小節からだよ、アキラ君」
優しく微笑んでいた。
5
「すげえええええ!何だあれ?」
「B・L・Kがとんでもないことやってるぞ!」
「ミズホー!カッコいいー!!キャァァアア!」
一気に湧くすごい歓声。
ミズホは、俺の身体を支えながら、フレットを押さえていく。俺は、彼女の鼓動に重ね合わせるように、必死で弦を弾く。
運指をミズホが、ピッキングを俺が。俺たちは、今、二人で一本のギターをプレイしていた。
『キャッホウ!やるゥ』インカム越しに聞こえるカナエの声。というか、キャッホウって……カナエのキャラが完全に変わっていた。
『ヤバイヤバイヤバイ!おにいちゃんもミズホも超カッコいい!』
喜びのあまり、インカムじゃなくてマイクに入るヒナの声。その声に場内が笑いに包まれた。
『あ、ごめん』ヒナはかわいらしく舌をペロリと出す。だから、マイクに入ってるって……。
俺たちの競演に応援団も力を増す。メイドさんたちも興奮して、ポンポンを振り乱して、熱い応援を展開してくれていた。
しかし……こんなこと練習なんてしたことないのに。一番驚いているのは俺のほうだ。それくらい、俺とミズホの息はぴったり合っている。確かにミズホも少しはギターを弾けたけど、こんな芸当……。
「ミズホじゃないわよ、あたしよ」
ボソリと聞こえた声に横を向く。レグバがそこにいた。
「レグバ……」安堵と嬉しさで泣きそうになる。
「あたしを誰だと思ってんの?あたしは万能なの!アンタに合わせてギター操るくらい、余裕よ」
つっけんどんな言い方とは裏腹に、俺と頬を合わせんくらいに接近したその顔は赤い。
追従するかのように響くミズホのボーカル。その声は、大げさでもなんでもなく、空気を震わせた。あまりのうまさに弦を弾くのを忘れそうになる。確かにミズホの声だが……いつものどこか伺うような歌い方じゃない。堂々としていて、自信に満ち溢れていた。彼女の、全力だった。
俺は残る力の全てを右手に込める。体のどこにも力は残っていないはずのに、不思議とピックを摘む右手は軽かった。
ソロパートに入っても、ミズホの左手は俺の右手に追従してくる。ポツリと、
「今日は、あたしとミズホの息がぴったり合ってるわ、ミズホもなんか知らないけれど、いつもみたいにオドオド歌わないし」
不思議そうなレグバの声に、
「おまえら二人、ハーモニーしたんだよ、ようやくな」
俺がそういうと、ミズホかレグバか、もしくは二人が、ニコリと微笑んだ。
場内は異常なくらい盛り上がっている。最初、拮抗してたオーディエンスの数はここから見ていても明らかに俺たちの側のほうが多い。このまま押し切れば……勝てる。
が、
?!
突然感じた妙な違和感に冷たいものが背筋を走る。これは、俺の死とは関係ない、なんかまた違う……。
「アキラ、あれ!」
レグバがアゴで促した先に、一人の少女が立っていた。腰まで届く長い髪を揺らし、ストールに落ち着いた色のシルクのワンピースといったどことなく年配女性のような服を着た少女。
ナスカワと氷室さんの母親、氷室深鈴さんの姿だった。
ここからじゃ顔がよく見えないが、周囲にまとう空気は、俺にすら見えるように渦を巻いている。白いもやのようなものまでかかっているように見えた。だが、誰もそれに気づいているようには見えない。
レグバはインカムを切り、俺の耳元でささやいた。
「あの女……どうやら奥の手を出してきたみたいよ」
「え?」
「ほら、よく見てみなさいよ。半分死んでる今のアンタなら見えるでしょ」
促されるまま俺は氷室深鈴さんを注視する。彼女の身体を取り巻くように発生していた白いもやは、場内全体を渦巻くように広がっていた。
そして、白いもやから何か黒いものがちらほらと見え隠れする。
「あれは……」
「式神よ。あの女、この会場にいる人間をナスカワステージのほうに呼び寄せてるんだわ」
レグバが言ったことを裏付けるように、俺たちのステージ前に陣取っていた観客は取り憑かれた様に一人、また一人とナスカワステージのほうに移動する。ほとんどゾンビだ。
あわてて俺は周囲を見渡す。俺たちの前方に陣取っていたはずの小谷沢すらも何かに取り憑かれた様な表情でR.E.D.ステージのほうへと向かっている。俺は、背後から流れていたはずの音がいつの間にか消えていることに気づいて、振り返った。
視界に入ったのは、他の客たちと同じく、正気を失った表情の二人。
「ヒナ!カナエ!」呼びかけるも、二人は無言。どうして俺たちは大丈夫なんだ?俺は、隣のレグバに説明を求めようとその顔を見る。彼女は、俺が口を開く前に、
「アンタの魂は契約の下に護られてるから他の干渉を受けないのよ。あたしはあの女の力と相性も悪いけど、ゆえに、あいつの力はあたしに通用しないから……ミズホはあいつの支配下に置かれたから、無理やり眠らせたけど」
レグバはそう言った後、額に浮いた玉汗を拭って、それにしても……と続けた。
「親の愛情ってやつかしらね。やっぱり、実の息子と娘を勝たせたいのよ。その想いが、無意識にこの場に式神を召還させた。それにしても、すごい力ね……本当に人間なのかしら?あいつの魔力のお陰で、この体育館全体が、ひとつの巨大な《門》になってるわ。そこら中の空間が歪んでる。とんでもないわね。冷や汗出てきたわ……」
感心する言葉と裏腹に、額に玉汗を浮かべるレグバ。
「おまえ、大丈夫なのか?」
「今のアンタよりもあたしのほうが元気よ。そんなことより……今のあたしじゃあの力に対抗出来ない」
悔しそうに唇を噛むレグバ。その間もオーディエンスの群れはR.E.D.ステージの方へと移動を続けている。
「負けだわ……勝負に負けて、アンタまで死なせるなんて、あたし……」
思いつめたように、レグバが口を開いた。
「アキラ、契約は解消よ。あたしはアンタを勝たせるって言ったのよ。それができない以上、アンタの魂だけ持っていくわけには行かないわ」
「解消って……おまえ」
「言ったわよね、あたしにはプライドがあるのよ。アンタを勝たせなければ、この契約に意味なんてないの。それが出来ないんなら、あたしのレグバとしての全ては終わりよ。だから、アンタと結んだ契約はここで終了よ!」
「……契約は終了って、そんなこと簡単に出来るのかよ?」
「簡単よ。あたしがミズホの身体から出て行けばいいのよ。それで全ての契約は無効。その拘束力はなくなるわ」
「おまえ……そんなことしたら!」
「大丈夫よ。今ミズホの身体から抜け出ても、魂の連結はアンタが解いてるからミズホの身体には影響ない」
「バッカ……そうじゃねぇよ。そんなことしたら……」
俺は、氷室さんの言ったことを思い出す。ミズホの身体はレグバの魂の依代。つまり、レグバが出て行くということは……
「……そんなことしたらおまえが死ぬじゃないか!絶対にそれはダメだ!」
「いいのよ。勝たせられない以上、あたしが生きている意味はないわ。それがあたしのプライドなのよ!」
「あのな、レグバ……」俺の口元には自然に笑みが浮かんでいた。
「俺な、今日、いや、今日だけじゃない。おまえと契約してから今日まで、滅茶苦茶楽しかったんだよ。確かに勝負には勝ちたいさ。だけど、仮に今日負けたって、ヒナも、カナエも、そしてミズホも後悔なんてしない。俺たちは全力を出し切ったし、それは自信にもなった。明日へとつなげられる力になった。それに、今の氷室さんだったら、ヒナたちを悪いようにはしないさ。ナスカワも彼女にはやたら従順だしな」
「でも、少なくともあたしと一緒にいるミズホはアンタに死んで欲しくないって思ってるわ」
「違うんだよ、そんなことじゃないんだ。俺は、お前に死んで欲しくないんだよ。感謝してるんだよ、マジで」
だから……そんなことはやめてくれ。俺は満足してる。本当だ。
直後、俺の耳をつんざく悲痛な声。
「あたしだってアキラに死んで欲しくないの!」
レグバ……。
「嫌なのよ!最初は、アンタなんてただの人間。契約済ませて魂もらってさっさとここから撤退しようと思ってた。でも、でも……」
レグバの目から大粒の涙がこぼれた。
「アキラが死ぬのは嫌なの。見たくないの。アンタの魂なんて、持ち帰りたくないの……」
……………………。
「あたし、アンタに会えて嬉しかったのよ。向こうにもたくさん男はいたけど、みんな、力を持っているが故に、いけ好かない奴ばかりだった。自信過剰なただのナルシスト。従者も女も、周囲にいる奴は全部自分のコマだと思ってるクズばっかり。アンタには何の力もないし、おまけにバカで幼稚だし、服のセンスも悪いけど……」
レグバは微笑んで、
「ひたむきだった。死ぬの怖いくせに必死でかっこつけてバカみたいだけど、必死でみんなを守ろうとした。あたしを守ってくれた。アンタみたいなのは、死んじゃダメなのよ」
「だったら、わかるだろ。おまえも死なせない」
「いいのよ、アキラ。さようなら……」
ダメだ、レグバ!
俺はレグバの身体を力いっぱい抱きしめる。ここからは出さない!
その時、全ての動きが止まっていた。移動するオーディエンスも、背後のヒナとカナエも、壁にかけられた時計の針すら止まっていた。
一体、これは……。
『二人とも、お待ちなさい』
突然インカム越しに聞いたこともない声が入る。聞いたことはないが、聖母の声ってこんなだろうといわんばかりの神々しさがある。
「……アンタは!」
俺よりも早くレグバが反応した。が、この好戦的な声……。
『お久しぶりね、レグバ。私のこと覚えていてくれたのですね』
「アンタなんか忘れたわよ、このクソババァ!一体何の用よ!」
いきなり敵意丸出しで悪態をつくレグバ。なんだろうこの虚無感……あと少しでおいしい焼き芋が焼ける焚き火に芋ごと消化液をぶっ掛けられたようなこの気持ち。
「……あなたは?」気が抜けて思わず聞いてしまう俺に、
『私はサラスバティです。あなた方の言うところの、弁財天です。どうやら間に合ったようでよかった』
弁財天……。すげぇ、とうとう神様まで出てきたぞ。俺は、自分の死すら忘れて呆然とした。
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「弁財天?あなたが?」
あまりに突然のことに、俺は、正直、理解が追いついていなかった。
『ええ。今、深鈴がいたるところに空けている径の一本を介して、この電波に割り込んだのです』
「しかし、突然そんなこと言われても……どうして、この空間は止まってるんです?というか、それ以前に何をしにここへ?」
気を取り直して何とか疑問を口にする俺に、
「アキラ、なに敬語なんて使ってんのよ!あたしにはまったく使わないくせに!そんな女、オイコラワレで返事してやればいいのよ!」
無茶言いやがるな……一応、お前より神格が上なんだろ。いくら異常事態になれたって言っても、さすがに、あの弁天様にそんなこと言えるほど俺は度胸すわってないぜ……。
ついさっきまで盛り上がったムードは完全にぶち壊し。でも、俺とレグバの関係はこれが一番妥当なのかもしれないな。何だか、残念と言うか、安心と言うか……複雑な気分だ。
『今のこの状況なら最善の方法が取れると思いまして、この空間だけ一時的に時間の流れを止めました。今この空間は現世と霊界の狭間と化しています。私は逸深に働きかけて、何とかこちら側に顕現するつもりです。あなた方を死なせず、契約を解除する方法、今なら取れます』
「氷室さんは無事なんですか?」
俺は慌てて前方を見る。動きの止まったR.E.D.のメンバーの中、ただ一人、彼女だけが目を瞑って、何か呪文のようなものを呟いていた。
「アンタの助けなんて要らないって言ってるでしょ!虫唾が走るわ!」
『すでに一度、助けてますよ。一度も二度も同じでしょう。もう少し、私の気まぐれに付き合ってください』
穏やかな声に、「クッ……」と唇を噛むレグバ。それにしても……
「どうして、俺たちを助けようとしてくれるんです?あなたたちは現世に姿を現すことなんてめったにしないと氷室さんが言ってました……」
俺の問いに、クスリと優しげな笑い声。
『どうしてでしょうね?なんだかそんな気分になっただけなのです。悪魔を助けるために命を投げ得る少年や、ただの人間を助けるために命を差し出そうとする悪魔がいるなら、悪魔と少年を助けるために動く者がもう一人いたっていいと思いませんか?』
その直後、レグバが顔を赤くしてそっぽを向いた。
弁財天は『それに……』と、少しからかうように対面の氷室さんを一瞥し、
『……逸深もあなたたちを助けたいと思ってるみたいです。無償で【神の加護】を受けている自分自身の境遇に負い目と疑問を感じているようですよ』
氷室さんが、そんなことを……。
『さ、そんなことよりも……』
俺の目の前に、ぼんやりと人型のシルエットが現れた。それはやがて、輝く女性の姿になり……
「準備完了です。そろそろ取り掛かりましょう。時間はありません」
金色に輝く唇が、そう言った。
「それで、どうするんですか?」
弁財天の力が利いているのか、狭間と化している今の空間が俺にとっては居心地がいいのかはわからないが、さっきまで文字通り死にそうなほど辛かったのが、嘘みたいに楽になっていた。
「私は元々河の神。流れる力を支配しています。先ほども言いましたが、この空間の時間の流れを止めていられるのも、その力があるからです。そして、今、この空間には非常に多様なベクトルの力が充満しています。価値観の対立、共鳴、暴力、感動、音の渦、そして、深鈴が放つ膨大な魔力……」
妹対決、腐女子対決、中二病対決、エクストリーム暴力お姉さんとロリコンキモオタ忍者の対決、音楽の対決……後一つを除いてろくでもないなぁ。
「そして、様々な力が充満して、凝縮し、一種の飽和状態になっている。この空間が狭間と化しているのはそのためです。キャパシティを大幅に超える力が充満しているため、不安定になっているのです。でも、そのエネルギーの流れを制御して一つにまとめれば、それは、とてつもないエネルギーの奔流となります』
「その力を利用して、契約の連結を断ち切る。そういうこと?」
「ただ連結を断ち切るなら、それこそ、あなたかその少年が死ぬだけです。違います。レグバ、あなたならわかると思いますが、この空間に出現している《門》から、あなたの世界も見えるでしょう?」
「まぁ、一応見えるわね」レグバは恐らく東のほうに顔を向けながら、目を細める。
「あなたの身体は確認できて?」
「一応……あ、よかった。あたしの身体無事だわ」
「そもそも、何故、あなたの身体と魂は分離したんですか?」
「それは、呼び出しが途中で……って、まさか……いや。そうか、そういうことだったのね」
目の前の白く光る女性が、微笑んだ。
「そういうことです。呼び出しの儀式が完遂できなかったということは、言い換えれば、あなたがこちら側に来て行なった契約は、全て完全なものではないということ。つまり、あなたと少年の契約は、全てにおいて不完全なのです。完全な契約は決定事項となりますから、私の力でもそれを反故にすることは出来ませんが、不完全な契約なら、全てを白紙にすることは可能なはず。そのためには、中途半端につながっているあなたの魂と肉体の連結を元に戻せばいいのです」
「そういうことね。色々疑問が解けたわ」
「そういうことって、どういうことなんだ?」俺が聞くのに、
「単純に言えば、アンタのギター。スクラッチを身に宿している割には大したことないのよ。アンタの好きなロバート・ジョンソンと自分自身を比較してみなさいよ」
「へ?俺のギターって……駄目、か?」
「じゃ、はっきり聞くけど、伝説残せる?今のアンタのギター」
……そういうことか。俺のギターは確かにすごくなったけど、ロバート・ジョンソンに及んでいるとは言いがたい。あれほどの影響力を俺は持っていない。折れた左手が治ったことに驚いて、疑問を挟む余地もなかったが、冷静に考えればそうだ。
「あたしもおかしいとは思ってたんだけど、左手が折れてるのもあったし、その程度なのかってどこかで納得してたのよ。でも、よく考えたらおかしな話だわ。こんな程度のコンテスト、スクラッチの力があれば出るまでもないもの。多分、今のアンタの演奏力って、底上げされてるだけで、おそらくスクラッチの力なんて、ほとんど働いていないのかもしれないわ。本来なら、契約書を持ったレコード会社の役員が押しかけていても不思議じゃないのよ。いくらこの女が相手でもね」
前方の輝く女性に不敵な笑顔を向けるレグバ。
「そうですね。あまりにも手ごたえがないと思っていました」
「そうね。契約が正式なら、アンタの加護なんて屁みたいなモンだもん」
レグバが挑発的に言う。弁才天はやや見下ろすようにレグバを一瞥し、
「まぁ、私は契約すらしていませんから。契約すれば、あなたの力ではどうにもなりませんけれど」
「言ったわね、この若作りのビッチババァ!アンタなんかに負けてたまるかっつーの!」
「音楽は私の専門分野です。その分野において、あなたごときの力が私に及ぶことはないのですよ」
「なによ!そこまでいうなら勝負してやろうじゃないの!」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ。弁財天も!今、ここでケンカしてる場合じゃないでしょう!」
俺は慌てて二人の間に入る。何とか二人をなだめ、深くため息をついた。最近、ケンカの現場に居合わせることが多いせいか、《仲裁》のスキルがすっかり身についた。それにしても神様と悪魔のケンカまで仲裁したのって、多分この世じゃ俺だけだろう……。
「まぁいいわ。勝負は延期よ。それで、具体的にどうするのよ」
その後、弁財天が話した内容はこういうことだ。
開いている《門》を利用し、弁財天がここに充満するエネルギーの流れをコントロールし、レグバの肉体と魂を繋ぐ《波》を起こす。レグバはそれに乗っかり、自分の肉体へと戻り、不完全な状態の契約を全て白紙にする。
「それにしても、うまくいくのか?」
思わず聞いてしまう俺に、
「わからないわ。でも、多分、その方法しかないわね。三途の川でよくやってたから波に乗るのは得意よ。魂波乗りするのは初めてだけど」
苦笑いするレグバ。目の前の弁財天は、宙に手をやり、何かをかき集めるようなしぐさをしている。恐らく、エネルギーの流れを操っているんだろう。俺は、となりの悪魔娘に、
「ありがとう……楽しかったよ、レグバ」
頭を下げた。レグバはしばらくうつむいていたが、
「アンタを勝たせられなかったのが正直、心残りだわ」
俺と目をあわさず呟くのに、
「さっきも言ったけど、勝負なんてもういいよ。それ以上に得るものはあった。それに、まだ終わってない。折れた左手でもコードカッティングくらいは何とかなるしな。それよりも……」
俺はレグバの瞳を見つめ、
「……寂しくなるな、せっかく仲良くなったのに。おまえとは親友になれると思ってた」
「あたしの経験論から言えば、男女間に友情なんて成立しないのよ。きっと無理だわ」
あきらめ顔で首を振るレグバに、
「そんなことないさ。男女の間にだって、きっと友情は成立する。だって、俺は今もおまえともっと仲良くなりたいと思ってるよ。おまえは違うのか?」
レグバは俺の瞳を見つめ返してきた。いつもの強気な瞳とは違う。弱気で内気で、まるで、ミズホに見られているようだった。
「あたしは……」
俺を見つめながら唇を奮わせるレグバ。その瞬間、
「お二人とも!準備が出来ましたよ。もうすぐ無理やり流れを止めているこの空間が動き出します。時間がありません、急いでください」
言いかけた言葉を飲み込むレグバ。俺は、その肩に左手をやり、
「じゃあな。もし契約の抹消がうまくいかなくて俺が死んじまったら、好待遇よろしく頼むぜ!」
励ましのつもりだったんだが、
「冗談でもそういうこと言わないで!やる以上は何がなんでも白紙に戻すわよ!」
逆に怒られた。
「それじゃ、いきます!レグバ、用意は出来てますか?」
「いつでもOKよ!さぁ、かかってくるがいいわ!」
両手を開き、目の前を見つめるレグバ。弁財天の両手の先には、渦を巻いて白く輝く大きな球体が浮かんでいた。
レグバは振り返って、俺の顔を見つめてくる。
「あたしが抜けた後、ミズホは頼んだわよ。それと……」
名残惜しそうに、そして、寂しそうな笑顔を浮かべて、
「さようなら、アキラ……」
俺は返事が出来なかった。さようならと言いたくなかった。代わりの言葉を必死で探していたら、
「行きますよ!」
弁財天がそう叫んで、直後、宙に浮かんでいた光の玉はレグバにむけて放たれ、彼女の身体を包み込んだ。そして、そのまま、体育館の窓をぶち抜き、雲を貫いて空の彼方へと飛んでいく。
直後、崩れるミズホの身体を俺は慌てて抱き止めた。手首に手をやり、その唇を耳に当てる。脈も呼吸も正常だ。よかった……。
弁財天と空を繋ぐ光の帯を見てから、弁財天のほうに視線を移す。彼女の真っ白に光り輝く身体は妙に波打ち、同時にキリと歯を食いしばる音。
「どうしました?!」思わず叫ぶ。
「……契約の消去がうまく行かないみたいです。このままだと、レグバが……」
まさか!
俺は慌てて宙に向かって叫んだ。
「レグバ、無茶はするな!俺はもう死ぬ覚悟は出来てたんだ!うまく行かないなら、俺は死んだっていいんだ」
死ぬのは怖いけど……この世に未練だって腐るほどあるけど……
「俺はおまえに死んで欲しくないんだよ!」
その言葉が届いたかどうかはわからない。やがて、光の帯は細くなり、目の前の弁財天も輝きを失っていく……。
だめだ!レグバ……。
そして、消えた。消える直前、目の前の弁財天が驚いたような表情を浮かべる。まさか……。
「レグバアアアアアアアァァァァァァァァ!」
俺は、思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。




