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第三部第三話 涙の聖杯



「もういやよっ。こんなの読めるわけはないわっ」

 フェリアナは本をどさっと卓上においた。年代ものへの扱いはひどかろうと思うが、フェリアナのいらいらからすると破って捨ててしまいたいほどだ。

「もう少しでも我が伝統を大事にしてもらいたいものだね」

 のびやかな声でカイルが言う。こうしてみているとあのまがまがしい闇の気配が嘘のようだ。

「一度休憩を取りたまえ。苦手なことを延々する必要はない」

 カイルはそういうとまた別の本を取り出した。

 フェリアナはしばらく考え込んでいたがその手から本を強引に奪った。

「フェリ・・・」

 カイルの呼びかけにフェリアナは制する。

「少なくとも四つの聖具を解放する場所があるんでしょ? それは私にもあなたにも当てはまる事実。目的は違えど、ね。一種の仲間みたなものよ」

「な・・・か・・・ま・・・?」

 そう、と力強くフェリアナはうなずく。

「今から私とあなたは休戦するの。お互いのためになることをしましょ」

 そう言ってフェリアナはまた本のページをめくり始めた。

 女というものはどこでも強い。かつての心の恋人アイリーンといい、目覚めたアイリーン、そしてこのフェリアナ。心の傷をばねして立ち上がっていく強さは目を見張る。はれたほれたと女々しく言っているのは男のほうだ。カイルの顔に苦笑いが浮かぶ。

「どうしたの?」

 いや、と短くカイルは答える。そしてまた一冊の本を取り出した。


「どこにいるんだ? クーグル。お前の兄なんだから居場所ぐらいはわかるだろーがっ」

 身分などこのさいどうでもいい、まずはフェリアナを取り戻さないと。シャインは焦って大声を上げた。

「残念ながら兄の結界を破ることは出来ない。触れれば最後落雷のように黒こげだ。そんな危険を私が許すはずないだろう? フェリアナが悲しむことを私がすすめるとでも?」

「ぐだぐだいってんじゃねーっ」

 シャインは宿屋の壁をだん、と打ち付けた。酒場のほうにいる連中が何事かと伺っているがシャインには目に入っていなかった。

「よほどフェリアナさんがすきなのですね」

 寂しそうにアンメリーの緑の瞳がシャインをとらえる。

「当たり前だ。でなきゃ、こんなに腹が立つわけがないっ。ってアンには関係ないか」

「あります!」

 へ?

 我を失いがちだったシャインがきょとんとした。

「だって私のせいでむりやり連れ去られたのですもの」

「気にするなよ」

 先ほどの荒々しさはどこに行ったのかシャインは人懐っこい笑顔をアンメリーに向けた。アンメリーは切ない心を抱える。最後にあったのはいつだろうか初恋の男の子、両親に姉妹たち。

「でも・・・」

 遠慮がちにアンメリーが言うとバースが近寄ってきた。

「若者はいいねー。オジさんも混ぜてくれよ」

 そしてバースはシャインの足を思いっきり踏んづけた。

「うわっ」

「どうしたんですか?」

 声を上げたシャインの口をクーグルが押さえる。

「気にしないで。お嬢さん」

 クーグルがアンメリーをひきつけている間にバースが耳打ちする。

「乙女心に気づいてやれよ」

 はぁ?

 シャインは素っ頓狂な顔をする。

「どんかんな人間もいるもんだねぇ」

 困ったお子様だとクーグルもうなずく。

「恋は盲目って奴だな。フェリアナしか頭にないらしい」

 お手上げだといわんばかりにバースは両手をあげる。

 あ、とシャインは口に手を当てた。

「ごめん。・・・俺・・・」

 なんと言えばいいのかわからなかった。何を言っても彼女を傷つけてしまう。恋はこれほどまでに残酷なのか。恋を作り出した神をうらめしくシャインは思った。

「いいんです。私もあの人と同じ。面影を追いかけているんです。ただそれだけのこと・・・」

「好きな人、いたんだね」

 静かにシャインが言う。大人二人はもうそこを離れていた。このような場の大人達の介入は不適切だろう。

「俺と似ていた?」

「はい。でももう私の知っている人はこの世界にはいない。夢を見るようなものだといい聞かされて眠らされて起きたら誰もいなかった」

 つぶらなエメラルドグリーンの瞳から涙がこぼれた。

 ひとつ、ふたつと流れ始める。

 その瞬間アンメリーの組んだ手の中からまばゆい光があふれた。次にアンメリーが手にしていたのは聖杯だった。

「第三の聖具はこれか・・・」

 バースは驚きを隠せなといったように聖杯を見つめる。クーグルさえいきなりの展開に驚いている。アンメリーの涙はそれに引き寄せられるように落ちていく。そして聖杯はゆらゆらと光を放つ。

「この聖杯は癒しの神のもの。父母に疎まれた悲しき神が想いを託したのがこの聖杯なのです」

「おかしいよ」

 シャインが反論する。

「人を助けるためにあるんじゃないのか? しくしく泣く奴のためにあるなんておかしい!」

 では、とアンメリーは毅然と顔を上げた。今までに見た中で一番真摯な表情だった。

「人は泣いてはいけないのですか? いいえ、ちがう。悲しむことが出来るから次に笑えるのです。哀しさを知っている神が私たちのために思ってくれた聖杯なのです」

 大人っぽく話すアンメリーにシャインは叫ぶ。

「やっぱ。お前らおかしい!」

 そういうとシャインは宿屋を飛び出て行った。バースがアンメリーの肩に手を置く。

「あいつはまだ青春真っ盛りの奴なんだ。許してやってくれ」

 アンメリーはその言葉へまさに慈愛とも言える微笑を浮かべた。

「シャインの気持ちは分かっています。私の中のもう一人も嫌がっています」

「もう一人?」

 クーグルが反応する。

「私には二人の私がいます。今の私は昼の顔。夜の顔はクーグルさんは知っているのではないですか?」

 あ、ああ・・・とクーグルは思い当たるふしがあるようにあごに手をやった。

 なんだそれ?、とバースが言う。

「どこまでとろいのよっ。おっさん。あたしのことだよ。あたしの。こんな女々しい女の変わりにわざわざ動き回ってやったのにそのお礼もないしー」

 アンメリーから飛び出た違う性格の言葉にバースはあっけに取られる。

「と、夜の私ならこういうと思います。私二重人格ですから。で、先ほどの話に戻りますが。私こう見えても立ち直り早いんです。だから選ばれたのかもしれません。この聖杯を持つことはつねに哀しみを背負っていかないといけませんから・・・」

 そういってアンメリーは輝かんばかりの笑顔を向けた。

 参ったな、とバースは心中で思ってしまった。どうやら俺もやきがまわってしまったらしい。こんな小娘に参ってしまうとは。気づいてしまった気持ちにバースは動揺する。一目ぼれ、というところかもしれない。あの微笑に参ってしまった。バースが考えている間にアンメリーは手を組んで聖杯をしまう。安らぎの宝玉といい、この聖杯といい、とことん人々の心を弄ぶのが好きなようだ。

 バースは妙に怒りを感じていた。神がそこにいれば一発殴っているところだ。こんな運命を託した少年少女の心を手玉にとっていることが腹立たしかった。それに関して自分が出来ることが何もないことに落ち込んだ。クーグルは気を利かせたのかシャインを追うといってその場を離れた。

 バースはそっとアンメリーを抱き寄せていた。

「聖杯の中でなくて普通に泣けばいい。涙はそのためにあるんだ」

 その言葉にアンメリーの口から泣き声が出てきた。

「もっと泣け。ここにはお前と俺しかいない。思いっきり泣け。いなくなってしまったやつらの分も」

 その言葉を聞いて堰が切れたようにアンメリーはずるずると力を失ってひざまついた。両手で顔を覆う。嗚咽がこぼれた。バースはそんなアンメリーのそばにひたすらいた。


「待て」

 ずんずん街の外に出ようとしているシャインをクーグルが呼び止めた。それを黙って無視したシャインを強引に振り向かせるとクーグルは一発殴った。その勢いでシャインは地に体をぶつけた。

「何すんだよー」

「目覚ましの一発だ。フェリアナのことをアンメリーに押し付けるな」

 その言葉にシャインはせせら笑う。

「そりゃ、クーグル様には大切だよなー。なんせ婚約者と瓜二つなんだからさー」

 やる気のない声でシャインは言った。そして次に怒りをぶつけた。

「俺の気持ちなんてわからないだろうーがっ!」

「わからないね」

 あっさりとクーグルはその事実を認める。

「余裕だね。しょせん俺はおぼっちゃんか・・・」

 自虐的な表情がシャインの顔に浮かぶ。

「いいかげんだだをこねるのをやめるんだな。あれは兄のしたこと。それを許してしまったのは私の咎だ。責めるなら私を責めればいい。すくなくとも男三人の連帯責任だろう。アンメリーは兄と一緒に行こうとしたのだからな・・・。彼女は一種の被害者だ。彼女に当たるのはやめることだ」

 いつもの物憂げな声に精彩がもどっている。アンメリーもいいことをしてくれるものだ。「悪い・・・。俺、何も考えてなかった。少し頭冷やしてくる」

 なぐられた頬をさすりながらシャインは立ち上がった。それをクーグルが手を差し伸べて助ける。クーグルに助けてもらうとは・・・。シャインはなんだか不思議に思っていた。これもアンメリーの存在のせいだろうか。いや、もう彼は立ち直っている。生きる力が戻ってきているのだ。

「では私のなじみの酒場に行こう。うまい酒がある」

 クーグルはそれだけいうとくるりときびすを返した。

「待てよー」

 シャインはクーグルの後を追って言った。


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