第3話 天国暮らしに忍び寄る胃痛
天国での生活は、クリスタルが想像していた以上に快適だった。
大きな屋敷には広々とした寝室や浴室があり、食事もお菓子も好きなだけ楽しめる。行きたい場所があれば自由に出かけられるし、天使たちに頼めば大抵のことは手伝ってもらえる。
地上で冒険者をしていた頃とは比べものにならないほど、穏やかな毎日だった。
「シエル! 今日はどこに行くの?」
「今日は天上街をご案内しようと思っています。天使たちが暮らす場所で、食べ物や衣服、工芸品など、いろいろなお店が並んでいるんですよ」
「お店がいっぱいあるの!? 行ってみたい!」
「きっと気に入っていただけると思います」
シエルに案内されて訪れた天上街は、多くの天使で賑わっていた。白い石で造られた建物が並び、通りには小さな露店や立派な店舗が軒を連ねている。焼き菓子の甘い匂いが漂い、色鮮やかな布や装飾品が店先に飾られていた。地上の街と似た活気がありながら、空には翼を広げて飛び交う天使たちの姿も見える。
「うわあ! すっごい! お店がたくさんあるね!」
「気になるお店があれば立ち寄ってみましょう」
「全部見たい!」
クリスタルは目についた店に片っ端から立ち寄った。焼きたての菓子を売る店では店主に作り方を尋ね、装飾品を並べた店では珍しい細工に興味を示した。小さな楽器を演奏している天使を見つければ、演奏に合わせて手拍子を送り、通りで大道芸を披露していた天使には大きな拍手を送った。
誰に対しても遠慮なく話しかけるため、最初は驚いていた天使たちも、すぐにクリスタルの明るさに引き込まれていった。
「あなたがクリスタル様ですか?」
菓子店の前で声をかけてきたのは、白い翼を持つ若い天使だった。
「そうだけど?」
「地上で多くの人々を救った英雄だと聞いています。一度お会いしてみたいと思っていました」
「ええっ!? 私のことを知ってるの!?」
「もちろんです。天国でも、あなたの活躍は知られていますよ」
「そっかあ! なんだか照れちゃうね!」
クリスタルは頭をかきながら笑った。天使は少し緊張していたようだが、彼女が気さくに話しかけると、すぐに表情が和らいだ。
「よかったら、こちらのお菓子をどうぞ。私が焼いたものなんです」
「えっ、いいの!? ありがとう!」
「お口に合うと嬉しいです」
クリスタルは受け取った菓子を一口食べた。外側はさくさくしていて、中には甘いクリームが詰まっている。
「おいしい! これ、すっごくおいしいよ!」
「本当ですか?」
「うん! 私、これ好き!」
天使は嬉しそうに笑った。近くにいた別の天使も会話に加わり、気がつけば数人がクリスタルを囲んでいた。
「クリスタル様、地上ではどんな冒険をされていたのですか?」
「どんな魔物と戦ったんですか?」
「仲間の方々とは、どんな関係だったのでしょう?」
「わあ、質問がいっぱい! 順番に答えるから待ってね!」
天使たちは、クリスタルが地上で成し遂げたことに興味を持っていた。彼女が仲間たちを救い、多くの人々の命を守ったことは、すでに天国でも広く知られているらしい。
ただ、本人は英雄として扱われることに慣れていなかった。
「私1人の力じゃないよ。みんながいたから頑張れただけ!」
「それでも、あなたが仲間を守ったことに変わりはありません」
クリスタルは照れくさそうに笑った。
その後も、彼女の周囲には次々と天使が集まってきた。お菓子作りが得意な天使からは、今度一緒に菓子を焼こうと誘われた。音楽が好きな天使からは演奏会への招待を受け、運動好きの天使からは天上競技場で一緒に遊ぼうと声をかけられた。
「もちろん行くよ! 私、こういうの大好き!」
「本当ですか? それなら、開催日が決まったらお知らせしますね」
「楽しみにしてる!」
クリスタルは出会った天使たちの名前を覚え、別れ際には笑顔で手を振った。シエルも、彼女が新しい友人を作っていく様子を嬉しそうに見守っていた。
「クリスタルは、誰とでもすぐに仲良くなれるのですね」
「だって、せっかく天国に来たんだもん! いろんな人と仲良くなりたいじゃん!」
「素敵なことだと思います」
天国での暮らしは順調だった。クリスタルには新しい友達が増え、これから先も楽しみな予定がたくさんできた。地上での苦労を思い出すことも少なくなり、彼女は新しい生活を満喫していた。
そんなある日、クリスタルはシエルに尋ねた。
「ねえ、シエル。地上のみんなって、今どうしてるのかな?」
「地上の皆様ですか?」
「うん。エリシアもミレーヌもリリアもセレスティアも、元気にしてるかなって。笑って暮らしてるといいんだけど」
クリスタルは自分が死んだ後の4人を心配していた。葬儀で大勢の人々が悲しんでくれたことは知らないが、仲間たちが自分の死を悲しんでいることは想像できる。だからこそ、いつまでも悲しんでほしくなかった。
4人には、それぞれの人生がある。エリシアは騎士として、ミレーヌは魔法使いとして、リリアは聖女として、セレスティアは王女として、これからも生きていく。自分がいなくなったからといって、あまりとらわれすぎないでほしかった。
「皆様の様子をご覧になりたいのですね」
「うん! みんなが元気にしてるか確認したい!」
「分かりました。少しお待ちくださいね」
シエルが手をかざすと、2人の前に淡い光が集まった。光は少しずつ広がり、やがて地上の光景を映し出す。
「わあ! すごい! こんなこともできるんだ!」
「地上の様子を映し出しています。ご覧になりたい方を思い浮かべてください」
「じゃあ、まずはエリシア!」
映像が切り替わり、王都にある騎士団の施設が映し出された。
エリシアは机に向かい、何冊もの資料を広げていた。周囲には騎士団の関係者が集まっており、彼女の指示を待っている。
「こちらは騎士団の資料室のようですね。なにかを調べているようです」
「へえ! エリシア、頑張ってるね!」
クリスタルは感心したように頷いた。
映像の中では、エリシアが騎士団の記録を確認しながら、部下たちに指示を出していた。王国各地の支部にも連絡を取り、古い神殿や魔物の討伐で訪れた土地に残る伝承について調査を依頼しているらしかった。
「各地の騎士団にも協力を求めているのですね。かなり広い範囲で調べているようです」
「すごいなあ。でも、何を調べてるんだろ」
エリシアの机には資料が山積みになっている。傍らには冷めた食事が置かれていたが、手をつけた様子はない。騎士団の仕事を終えた後も調査を続けているのか、部下たちが帰った後も彼女は資料を読み続けていた。
やがてエリシアは机の横に置かれた剣を手に取った。それはクリスタルが使っていた短剣だった。彼女は刃に傷がないか確認し、布で丁寧に磨いている。
「クリスタル……。ちゃんと手入れしておくから。いつでも戻ってきて」
エリシアは誰に聞かせるでもなく呟いた。
「…………」
クリスタルの笑顔が少しだけ引きつった。
「私が戻ってきたとき? どういう意味だろ……」
「資料を少し見てみましたが、過去の戦争で命を落とした兵士が蘇った記録や、失われた秘宝に関する報告も集めているようです」
「え?」




