3-03 末流
遡ること二十年、『 思念体外力場の捕捉と発生のメカニズム』と題する論文が発表された。
この論文は、一度は臨床医に身を置き、その後研究者へと転身し、当時は慶東大の教授となっていた真壁誠一によって作成された。
論文が世に出た時、荒唐無稽で論ずるに値しないと判断されて誰も関心を示さなかった。
世界はいざ知らず、日本国内でも論文の存在を知る者はごく少数であった。
論文発表から数年後、中国はそんな論文に着目し真壁教授を招へいした。
真壁は中国で異能力研究を続けた。
中国国民の四分の一に検査が行われた。
十数億の人口の四分の一、三億を超える人から集められたデータは真壁にとって宝の山であった。
その中から異能力者の可能性があると思われる百人ほどが被験者として集められた。
被験者の中には、数キロの金属球を宙に浮かせることができる者も現れた。
中国での研究が五年を過ぎた頃、真壁は中国を出ることとなる。
成果を着々とあげる中、思い通りの研究をさせてもらえなくなり中国側との関係が悪くなっていった。
真壁は逃げ出すように中国からロシアに渡りアメリカへと舞台を移す。
ロシアで一年、その後はアメリカへ渡り、七十歳を越えた現在も現役で研究を続けている。
日本人によって発表された論文が世界で評価されていく。
思念体外力場研究の『始まりの論文』と呼ばれることとなる。
『始まりの論文』の評価を見誤った日本は、異能力研究において大きく出遅れてしまった。
*
真壁が中国に渡ったことで、慶東大の真壁教室は霧散した。
思念体外力場研究の継承も行われぬままに。
しかし、海外で真壁の名声が高まるにつれて、名聞名利に魅せられたかつての教え子たちが集う。
それが後に、『慶東大学医学部附属病院異能力研究室』となった。
美晴は研究室の門をたたいた。
真壁教授の『始まりの論文』に魅せられた彼女は真摯に研究を進める。
真壁は脳の支えとなる物質、支え(Support)因子──『S因子』を発見した。
美晴は思念体外力場発生時に脳に高い負荷が起こることに着目した。
研究の結果、『支え因子』とは別の因子を発見し論文にまとめ上げた。
論文は高い関心を集めて、仙堂美晴の名は世界に知れ渡ることとなる。
各国の研究機関が実験を試みる。
一研究機関で再現されたとの報告があがったが、後に誤報であることが確認された。
結局、どの研究機関も立証することはできなかった。
論文は世界から否を突き付けられた。
それでも、美晴は自らが積み上げたエビデンスに自信を持っていた。
さらに、真壁の人生と自らの人生を重ね合わせる。
(私は真壁教授の系譜なのよ)
古参幹部と美晴で口論となった。
「再現できないものを成果とは呼べない」
「再現できなければできるまで研究を続ければいい」
「そんな予算はうちにはない」
「あと、もう少しなんですよ」
「若い、お前の言うことなど信用できるか」
最後に古参幹部の本音が漏れる。
その後、美晴にまわされる予算が削られていった。
美晴は研究を進めることができなくなり研究室を去った。




