1-19 相川静流Ⅲ
月曜日の放課後、西日が教室を朱色に染めていた。
夕方の日差しが教室の奥まで届いている。
雨上がりだった金曜日とは違い、空はどこまでも澄み渡っている。
相川静流は、ぼんやりと窓の外へ視線を向けていた。
クラスメートは皆、部活へ行くか下校するかして、静流だけが教室に残っていた。
今日の出来事が頭から離れない。
*
一時間目終わりの休み時間、少年は教室を出ていき、その日は昼休みまで姿を見せなかった。
静流は前から二つ目の空席へ目を向ける。
近くの女子生徒へ声を掛けた。
「ねえ、私の列の前から二つ目の席の子って知ってる?」
「誰のこと?」
静流は目を瞬かせた。
「えっと……さっき、休み時間に教室を出ていった子」
「ごめん、本当に分からない」
静流は周囲を見回した。
今のやり取りを聞いていたクラスメートたちも、静流の質問の意図が分からず首をかしげている。
だが、それだけだった。
すぐに皆はそれぞれの会話へ戻っていく。
静流だけが、その場に取り残された。
(おかしいのは、もしかして私?)
*
「何を考えてるの?」
静流は、はっとして顔を上げた。
教室の入口には、一人の少年が立っていた。
「四条……、四条空翔だよね」
「うん」
静流は、クラス名簿から探し当てた名前を口にする。
少年は素直に肯定した。
「それ以上、近づかないで欲しい…… 今は、これが精一杯だから」
静流が立ち上がろうとするのを空翔は制止する。
「どうして?」
静流には、空翔の言葉が拒絶の言葉に聞こえた。
静流は空翔に真意を尋ねた。
「まずはこの距離で話そう。近づかれると感情が伝わりすぎて、話ができなくなる」
静流には、その言葉の意味をすべて理解できたわけではなかった。
それでも、今まで空翔が人との距離を置き続けてきた理由だけは伝わってきた。
そして、その空翔が今、静流と向き合おうとしていることも。
「静流」
「……え?」
突然、自分の名前を呼ばれ、静流は目を瞬かせた。
同時に心がはねる。
「いきなり名前で呼ぶんだ」
「僕にとって名前は、その人自身だからね」
「普通は名字で呼ぶと思うけど」
「普通は名字で呼ぶんだろうね……」
少し沈黙が流れる。
「だけど、僕は普通じゃないから」
「……」
静流は返す言葉が見つからず、沈黙で応えた。
短くも長い沈黙が続いた。
その後、沈黙を破ったのは静流だった。
「何故、私だけ……何故、皆にはあなたが視えてないの?」
「僕には、人の認識に僕を残さない力がある」
「じゃあ、どうして私だけ」
「静流は、金曜日の夕方、あの場所にいたんだよね?」
「……うん」
「強烈な記憶の前では、僕の力も効かなくなるんだ」
「あなたが子猫を救って、ほんとビックリしちゃって。それで……」
「そうなんだ。じゃあ、この力も見たんだね」
空翔は片腕を水平に上げる。
教卓の上に置かれていた黒板消しが宙へ浮き、スーッと空翔の手の中へ収まった。
(えっ……。何それ、あの時は目を閉じてて見てないよ!)
その瞬間、空翔はこめかみを押さえ、小さく目を閉じた。
空翔は小声でつぶやく。
「……静流の感情が跳ねた」
「大丈夫?」
静流の気遣う声がした。
「ごめん、大丈夫だよ。驚かせるつもりはなかったんだけど…… これが皆と一緒にいられない理由さ」
静流は、その言葉でなんとなく理解した。
空翔にとって人との接触は、凶器を突きつけられるのと変わらないのだと。
再びの沈黙、今度も静流から話しを始める。
「私ね、最初は気になっただけだったの」
静流は俯き、ぽつりぽつりと語り始める。
「でも、誰に聞いてもあなたのこと知らないって言われて……」
ゆっくりと顔を上げる。
「私だけがおかしいのかと思った」
空翔をまっすぐ見つめる。
「だから、何度もあなたを追いかけた。ただ、本当のことが知りたかったから」
第1章完




