Chapter1-4 俺はレオだ
俺だけバイオ ~剣と魔法の異世界で、俺だけサバイバルホラー~
作者:阿波根サキ
ある日。
『BIO CRISIS RE4』をプレイしていた玲央は、レオが障害物を軽々と飛び越える姿を見ていた。
「これも必要だな」
玲央はコントローラーを置き、パルクールを始めた。
走る。
跳ぶ。
登る。
越える。
最初は、障害物に足を引っかけて盛大に転んだ。
「……痛ぇ」
ゲームならボタン一つで済む。
現実では、失敗すると普通に痛い。
玲央は安全な着地、受け身、跳び越え方、登り方を基礎から学んだ。
動きは撮影して見直す。
失敗すれば修正する。
やがて街中の段差や壁を見るたび、どう越えるかを考えるようになった。
その成果が、学校で問題になった。
「黒瀬。最近、二階の窓から下校しているそうだな」
「はい」
「はい、じゃない。ちゃんと階段を使いなさい」
「でも、下に芝生がありますし。着地もできます」
「そういう問題じゃない」
「下に人がいないか、安全確認もしています」
「そういう問題でもない」
「…………」
担任は深々とため息をついた。
「学校は普通に帰るところだ」
「……分かりました」
翌日から、玲央は階段を使うようになった。
少なくとも、先生が見ているところでは。
◇ ◇ ◇
レオ・クロフォードは英語を話す。
もちろん、日本語吹き替えのレオも好きだった。
声も台詞回しも格好いい。
だが、英語で話すレオには、日本語版とはまた違った格好よさがあった。
玲央は英会話を習い始めた。
学校の英語は得意だった。
だが、テストで点を取ることと、実際に話すことは別問題だ。
「玲央。今日は自由に話してみようか」
講師の質問に、玲央は流暢な英語で答えた。
『建物に閉じ込められたら、まず脱出経路を確認します。弾薬が少ない場合は無駄撃ちを避け、仲間が噛まれたら感染の可能性を――』
「ちょっと待って」
講師が日本語に戻った。
「なんで君の英会話、そんなに物騒なの?」
「実用的だと思いますけど」
「いや、どこで使うの?」
「…………」
玲央が覚えていたのは、レオが危機的状況で使う英語ばかりだった。
英語は話せる。
ただし、日常会話には向いていない。
玲央は勉強方法を改めた。
日常会話を中心に聞いて、話す。
間違えれば直し、また話す。
その積み重ねで、数か月後には初対面の相手とも自然に会話できるようになった。
◇ ◇ ◇
そして、銃。
レオ・クロフォードになるなら、本物を知らなければならない。
玲央は家庭教師のアルバイトで金を貯め、長期休暇のたびに海外へ渡って射撃訓練を受けた。
最初に選んだのは、H&K USP。
『BIO CRISIS RE4』でレオが使うハンドガンのモデルになった銃の一つだ。
初めて本物を手にした瞬間、玲央はその重さに驚いた。
「……重い」
ゲームでは何万回と撃ってきた。
映画やドラマでも、銃撃戦なら何度も見てきた。
だから、どこかで分かった気になっていたのかもしれない。
トレーナーの指示に従い、銃口を的へ向ける。
息を整える。
照準を合わせる。
トリガーに指をかけた。
ゆっくりと引く。
次の瞬間――。
――バンッ!
「っ!?」
身体が跳ねた。
激しい音が、空気ごと身体を叩いた。
玲央は一瞬、何が起きたのか分からなかった。
――違う。
ドラマで聞いていた銃声とは、まるで違う。
スピーカー越しに聞いていた音は、所詮は再現されたものだったのだと否応なく分かった。
本物の銃声は、ただ耳で聞く音ではない。
空気を震わせ、身体にぶつかってくる。
イヤーマフ越しでも、その音の圧ははっきりと感じられた。
同時に、手の中で銃が激しく跳ね上がる。
「うおっ……!」
落としそうになった。
慌てて握り直す。
何が起きた?
本気でそう思った。
目の前の的を見る。
「…………」
どこだ?
弾痕が見つからない。
狙った場所どころか、自分が撃った弾がどこへ飛んだのかさえ分からなかった。
そして、遅れて鼻をつく独特の臭いに気づく。
音。
反動。
火薬の臭い。
そのすべてが、ゲームにもドラマにもなかったものだった。
玲央は手の中のH&K USPを見つめる。
これが――銃。
これが、人を傷つけ、命を奪うことのできる武器。
「…………」
たった一発。
たった一発撃っただけなのに、心臓が激しく脈打っている。
手も震えていた。
レオは――。
こんなものを軽々と扱っているのか。
走りながら撃つ。
化け物に追われながら狙いを定める。
弾を当て、次の敵へ銃口を向ける。
何体もの化け物を相手にして、それでも生き残る。
「……マジかよ」
玲央は呟いた。
遠い。
あまりにも遠い。
筋肉をつけた。
格闘技を習った。
パルクールも、英語も身につけた。
少しずつ近づいているつもりだった。
だが、本物の銃をたった一発撃っただけで、その思いは吹き飛んだ。
レオ・クロフォードとの間にある壁の高さを、玲央は初めて思い知らされた。
「…………」
それでも、銃を置かなかった。
玲央は震える手で握り直し、もう一度、的を見た。
「もう一発、お願いします」
できないなら、できるようになるまでやる。
それだけだった。
その後も、玲央はトレーナーの指導を受け続けた。
構え、握り、照準、呼吸。
そして、撃つことだけではない。
弾倉交換。
作動不良が起きた際の対処。
射撃前後の点検。
清掃。
保守。
実銃は、ボタン一つで扱えるゲームの武器とは違う。
異常が起きれば原因を判断し、安全を確保する。
撃ったあとには状態を確認し、必要な手入れをする。
銃は、撃って終わりではない。
◇ ◇ ◇
次の長期休暇にも、玲央は海外へ渡った。
今度はRemington 870。
さらに渡航を重ね、Springfield M1903系のボルトアクションライフル、H&K SL8系のセミオートライフルも経験した。
銃が変われば、重さも反動も感覚も変わる。
最初から上手くいくものなどなかった。
それでも玲央は、失敗し、原因を探り、修正し、また撃った。
ナイフを使った近接戦闘も学んだ。
銃が使えない距離での間合い。
相手の動き。
身体の運び方。
総合格闘技で身につけた経験と結びつけながら、少しずつ技術を増やしていった。
何度目かの渡航を終える頃には、トレーナーともすっかり顔なじみになっていた。
「Hey, Leo.」
(ヘイ、レオ)
「ん?」
「You planning to fight a war all by yourself?」
(お前、一人で戦争でもする気か?)
玲央は肩をすくめた。
「No. I’m just preparing.」
(いや。ただ、準備してるだけだ)
「Preparing for what?」
(何の準備だ?)
玲央は真顔で答えた。
「Pandemic.」
(パンデミック)
トレーナーは数秒、玲央の顔を見つめた。
「You’re crazy, Leo.」
(お前、イカれてるよ。レオ)
「Thanks.」
(どうも)
「Dude, that wasn’t a compliment.」
(いや、そこ褒めてねーから)
玲央は笑った。
いつの間にか、ここでは本名ではなくレオと呼ばれていた。
その呼び名が、玲央は少し嬉しかった。
◇ ◇ ◇
戦えるだけでは足りない。
レオなら、どんな場所でも生き残る。
そう考えた玲央は、アウトドアやサバイバルにも手を出した。
最初は、焚き火ひとつ満足に起こせなかった。
ようやくついたと思って安心した直後、あっさり消えた。
「……マジか」
もう一度やる。
また消える。
夜になれば、昼間とはまるで世界が変わった。
寒い。
暗い。
虫は多い。
寝床は硬い。
風が木々を揺らすたびに、何かが近づいてきたように聞こえる。
遠くで動物の鳴き声がすれば、嫌でも耳がそちらへ向いた。
初めて一人で山に泊まった夜には、ほとんど眠れなかった。
何度時計を確認したか分からない。
「……帰りてぇ」
本気でそう思った。
ゲームなら、安全な場所まで戻ればいい。
電源を切れば、それで終わる。
だが、山の夜にそんなものはない。
それでも玲央は、また山へ入った。
一度目に困ったことを調べ、二度目に試す。
二度目で新しい失敗をすれば、三度目に直す。
そうして何度も経験を重ねるうちに、暗闇にも、寒さにも、森の音にも少しずつ慣れていった。
気づけば、野外で一晩を過ごすことも、玲央にとって特別なことではなくなっていた。
◇ ◇ ◇
時間が流れた。
高校三年生。
身長、一八〇センチ。
体重、七五キロ。
鏡の中に、もうあの頃のひょろりとした少年はいなかった。
厚くなった胸板。
鍛えられた腕。
伸びた背筋。
総合格闘技。
パルクール。
英語。
射撃。
ナイフ。
サバイバル。
すべて、レオになるために始めたことだった。
玲央は鏡の中の自分を見る。
「……まだだな」
変わった。
それでも、レオ・クロフォードはまだ遠い。
◇ ◇ ◇
四メートル。
ゴブリンが迫っている。
錆びた短剣が振り上げられた。
時間にすれば一瞬だった。
だが玲央の中では、何年もの訓練が駆け抜けていた。
ハンドガンを構える。
姿勢。
呼吸。
照準。
身体が覚えている。
三メートル。
照準がゴブリンの頭部を捉えた。
引き金に指をかける。
だが、止まった。
「…………」
的ではない。
人間ではない。
ゲームの敵でもない。
撃てば血が出る。
当たりどころによっては死ぬ。
二メートル。
「ギャアアッ!」
ゴブリンが短剣を振り上げる。
怖い。
当然だった。
玲央の脳裏に、レオ・クロフォードが浮かぶ。
何度も見て、何度も操作し、追いかけ続けた男。
あいつなら、こんなところで迷わない。
――なら、なればいい。
どんな化け物を前にしても怯まず、銃を構え、生き残る男に。
玲央は震える指に力を込めた。
――俺は、レオだ。
引き金を引いた。
――バンッ!
「ギャアアアアアッ!」
銃声が森を叩き、鳥の群れが一斉に木々から飛び立った。
弾丸はわずかに逸れ、ゴブリンの片目を抉った。
緑色の血が飛び散る。
その色と臭いが、遅れて玲央の感覚に届いた。
「……っ」
胃の奥が跳ねた。
手の中でハンドガンが震えている。
外した。
頭を狙ったはずなのに、片目に当たった。
射撃場とは違う。
的は紙ではない。
撃たれた相手は、痛みに叫び、血を流し、それでも動いている。
ゴブリンが片目を押さえ、身体をよろめかせた。
それでも、短剣を握った手は下がらない。
殺しきれていない。
もう一度撃てばいい。
そうすれば終わる。
分かっている。
だが、指が動かなかった。
目の前にいるのは、画面の中の敵ではない。
自分の弾丸で傷つき、苦しみ、こちらを睨んでいる生き物だ。
ゴブリンの残った片目と視線が合った。
そこには、こちらを殺そうとする明確な意思があった。
「……来るな」
声が掠れた。
ゴブリンが一歩踏み出す。
距離は一メートルもない。
玲央の膝が震えた。
背中に冷たい汗が流れる。
心臓が胸郭を内側から叩き、呼吸が浅くなる。
逃げろ。
頭の中で声が叫ぶ。
だが、身体が動かない。
ゴブリンが短剣を振り上げた。
「ギャアアアアッ!」
その瞬間――。
玲央の身体が動いた。
考えたわけではない。
ただ、身体が勝手に反応した。
これまで何千、何万と繰り返してきた動き。
地道な反復の中で身体に染みついた、玲央の得意技の一つ。
――ハイキック。
左足が地面を踏みしめる。
腰が回る。
右脚が鋭く跳ね上がった。
右脚が、死神の鎌のような軌道を描き、ゴブリンの首を刈りとる。
ゴキッ!
首の骨が折れる、生々しい音が響いた。
「…………え?」
ゴブリンの頭が、不自然な方向へ傾いた。
無意識に放ったハイキックだった。
だからこそ、手加減などできるはずもない。
何年もかけて磨き上げた一撃は、無慈悲なまでの威力でゴブリンの首をへし折っていた。
短剣が手から落ちる。
ゴブリンの身体がぐらりと揺れ――。
ドサッ。
地面に崩れ落ちた。
「…………」
玲央は蹴り抜いた姿勢のまま、固まっていた。
自分が何をしたのか、頭が追いついていない。
ゆっくりと右足を下ろす。
足に残った感触だけが、やけに鮮明だった。
硬いものを蹴った感触。
そして。
――ゴキッ。
あの音が耳から離れない。
「……俺が……やったのか?」
ハンドガンを握る手が震え始めた。
ゴブリンは動かない。
首は、あり得ない角度に曲がっている。
死んでいる。
分かっているのに、玲央はしばらくその場から動けなかった。
自分が殺した。
初めて。
ゲームではない。
現実で。
そして、一つの命が目の前で消えた。
「……っ、う……」
胃が大きく痙攣した。
口元を押さえる。
酸っぱいものが喉まで込み上げてきたが、何とか飲み込んだ。
玲央は自分の右足を見る。
まだ震えている。
足の甲には、ゴブリンの血が付着していた。
「…………」
目を逸らした。
それでも、感触までは消えてくれない。
首を捉えた瞬間。
骨の折れる音。
崩れ落ちた身体。
何度、目を閉じても蘇ってくる。
怖かった。
吐きそうだった。
自分がやったことを、まだ頭が受け入れられていない。
それでも――。
生きている。
玲央は自分の胸に手を当てた。
心臓が激しく動いている。
もし、身体が動かなかったら。
もし、あのハイキックが出なかったら。
地面に転がっていたのは、自分だったかもしれない。
「…………」
玲央は倒れたゴブリンを見る。
口から覗く、黄ばんだ歯。
少しの間、それを見つめる。
そして震える唇を、無理やり歪めた。
「おっと、失礼。口が臭かったもんでね」
声は掠れていた。
格好よく決めたつもりなのに、最後は少し震えた。
「…………」
レオなら、もっと格好よく言えただろう。
もっと迷わずに撃てただろう。
もっと冷静に戦えただろう。
玲央はハンドガンを握り直す。
手の震えは、まだ止まっていない。
それでも。
ほんの少しだけ。
画面の向こうにいた、あの男へ近づけた気がした。
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




