Chapter1-3 トレーニング開始
俺だけバイオ ~剣と魔法の異世界で、俺だけサバイバルホラー~
作者:阿波根サキ
翌朝。
「……十、いち……っ!」
腕が震える。
「十二……!」
身体を持ち上げようとしたが、上がらない。
「……っ!」
黒瀬玲央は、そのまま床に潰れた。
「……キツ」
たった十二回。
昨日まで画面の中で見ていたレオ・クロフォードなら、こんなところで潰れたりはしない。
床に頬をつけたまま、玲央は自分の細い腕を見た。
「先、長ぇな……」
翌日。
「痛っ……!」
腕が上がらない。
胸も痛い。
たった十二回の腕立て伏せで、身体中が抗議していた。
そこで玲央は、あることに気づいた。
――そもそも、体を鍛えるってどうやるんだ?
今まで本気で運動をしたことなどない。
筋トレと聞いて思いつくのは、腕立て伏せくらいだった。
トレーニングの種類。
筋肉が成長する仕組み。
正しいフォーム。
睡眠と栄養。
知らないことだらけだった。
玲央はすぐに調べ、ノートを一冊用意した。
トレーニング内容、回数、体重、食事、睡眠時間、その日の体調。思いつく限りを記録する。
十二回だった腕立て伏せは、五十回になった。
種目も増やした。
食事も睡眠も見直した。
失敗すれば原因を探し、修正する。
そして、また試す。
その繰り返しを、玲央は何か月も続けた。
風呂上がり、鏡に映った自分を見る。
薄かった胸板には、以前より厚みがある。
腕にも、はっきりと筋肉がついていた。
玲央は腕を曲げてみる。
「……まだ細いな」
変化はあった。
だが、レオ・クロフォードには程遠い。
◇ ◇ ◇
レオは銃だけでなく、接近戦にも強い。
そう考えた玲央は、総合格闘技を習い始めた。
初めてのスパーリング。
「無理すんなよ。危ないと思ったら止めるからな」
コーチに言われ、玲央は相手と向かい合った。
何が来る?
相手の動きを必死に追う。
次の瞬間、相手が一瞬だけ姿勢を低くした。
「うわっ!」
何をされたのか理解するより先に、身体が宙に浮いた。
視界が回転し――。
ドンッ!
背中からマットへ叩きつけられた。
「――っ!」
肺の空気が一気に押し出された。
息ができない。
声も出ない。
「大丈夫か?」
「…………っ」
返事をしようとしても、喉からは掠れた音しか出なかった。
「無理して喋るな。まず息しろ」
横からコーチの声が飛んでくる。
「……っ、は……」
何度か口を開き、ようやく空気が肺に戻ってきた。
「……はい」
背中がジンジンと痛む。
それ以上に――。
何をされたのか、さっぱり分からなかった。
玲央は荒い呼吸を整え、ようやく身体を起こした。
「……もう一回お願いします」
「え?」
「何をされたのか、分からなかったんで」
相手が目を丸くする。
コーチも玲央を見た。
そして、ニヤッと笑う。
「根性あるな、お前」
そこから、玲央は何度も叩きのめされた。
投げられた。
殴られた。
蹴られた。
ボディに拳をもらった瞬間、腹の奥を直接抉られたような衝撃が走った。
「ぐっ……!」
身体が勝手に折れ曲がる。
息ができない。
「うっ……げほっ……!」
マットに膝をついた。
込み上げた胃液を吐き、涙と唾液が勝手に流れる。
「……こんな……効くのかよ……」
「ボディはな、他の場所と同じように考えるな」
コーチがしゃがみ込んだ。
「まともに入れば内臓まで響く。根性だけでは耐えれないぞ」
「……じゃあ、どうするんですか?」
「まともにもらわないことだ。全部避けられなくてもいい。芯を外せ」
「……芯を外す」
「ああ。ボディは我慢比べじゃない」
玲央は腹を押さえながら頷いた。
◇ ◇ ◇
別の日。
今度はローキックを食らった。
バシッ!
「いっ……!」
一発目。
痛い。
だが、まだ動ける。
二発目。
バシッ!
「っ……!」
同じ腿に衝撃が重なる。
三発目。
バシッ!
「ぐっ……!」
踏み込もうとした玲央の脚から、力が抜けた。
「……あれ?」
足が上がらない。
さっきまでのスピードも出ない。
動こうとしているのに、身体がついてこない。
「ストップ」
コーチがスパーリングを止めた。
「どうだ?」
「……脚が、動かないです」
「だろ?」
コーチが玲央の腿を指した。
「ローキックは最初の一発なら耐えられるかもしれん。だが、二発、三発と食らえば、だんだん足が上がらなくなる。スピードも落ちる」
玲央は重くなった脚を持ち上げようとする。
上がらない。
「踏み込みも遅くなる。逃げるのも遅くなる。そうなったら、ほら」
コーチが玲央の肩を軽く叩く。
「もう、ただのサンドバッグだ」
「…………」
「ダメージを蓄積させるな。一発一発を軽く考えるなよ」
「はい」
その日の帰りには、まともに歩けなかった。
翌日の学校では、階段を一段下りるたびに顔が歪む。
「……マジで昨日より痛ぇ」
◇ ◇ ◇
そして、ある日のスパーリング。
相手が踏み込んできた。
シュッ、シュッ!
ワン、ツー。
ジャブとストレートのコンビネーション。
「っ!」
玲央はガードを上げて凌ぐ。
――次はローか?
何発も食らって、その怖さは嫌というほど分かっている。
ダメージを蓄積させるな。
コーチの言葉が頭をよぎった。
玲央の意識が、相手の下半身へ向く。
ローキックが来たら、今度こそ――。
相手の脚が動いた。
来た!
玲央が反応する。
だが。
その脚は止まらない。
高く、高く跳ね上がった。
「――え?」
ローじゃない。
気づいたときには、もう遅かった。
バシッ!
ハイキックが側頭部を捉えた。
強烈な衝撃。
視界が真っ白になる。
音が消えた。
身体から力が抜け――。
そこで、玲央の意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
「……黒瀬」
声が聞こえる。
「黒瀬、分かるか?」
「…………」
ゆっくり目を開ける。
最初に見えたのは、コーチの顔だった。
「……コーチ?」
「おう。俺が分かるなら大丈夫そうだな」
「俺……どうなったんですか?」
「ハイキックもらって落ちた」
「……落ちた?」
「気絶したんだよ」
「…………」
玲央は記憶を辿る。
ワン、ツー。
ローを警戒した。
相手の脚が動いた。
そこから先がない。
「全然……見えなかった」
「そりゃそうだ。お前、自分から意識を下に持っていかれてたからな」
「…………」
「ローを警戒するのは悪くない。だが、そこだけ見てりゃ上が空く」
コーチが玲央の額を軽く指で弾いた。
「相手が狙ってるのは、お前が警戒してる場所とは限らねぇぞ」
「……なるほど」
玲央はぼんやりした頭で呟く。
「ハイ……キック……」
その言葉を口にした瞬間。
頭の中に、一つの光景が浮かんだ。
『BIO CRISIS RE4』。
敵に囲まれたレオ・クロフォード。
敵が体勢を崩した、その一瞬。
レオの脚が唸る。
鋭い蹴りが敵の頭部を捉え、周囲の敵ごとなぎ倒す。
何度も見た。
何度もコントローラーで繰り出した。
あの蹴りだ。
「……すげぇ」
「ん?」
ゲームで見るたび、格好いいとは思っていた。
だが、自分で食らって初めて分かった。
速い。
見えない。
そして――強い。
玲央はゆっくり身体を起こした。
「コーチ」
「ん?」
「俺にもハイキックを教えてください」
「お前、今それ食らって気絶したばっかだぞ?」
「だからです」
「……なんでそこまで?」
玲央は真っ直ぐコーチを見る。
「憧れてるんです」
「…………」
コーチの眉が上がった。
「……そうか」
「はい」
「そんなにか?」
「めちゃくちゃ格好いいです」
「……そうかぁ」
コーチの口元が緩む。
「何度見ても、すげぇなって思います」
「いやぁ、まあ……そう言われるとな」
照れくさそうに鼻の下をこする。
どうやら盛大に勘違いしている。
「分かった」
コーチは玲央の肩を叩いた。
「俺がみっちり教えてやる」
「本当ですか?」
「ああ。任せとけ」
「ありがとうございます!」
上機嫌なコーチ。
喜ぶ玲央。
二人の認識は完全にズレていたが、ハイキックを教えてもらえるという一点だけは一致していた。
その日から、玲央はハイキックの練習を始めた。
最初は脚が上がらない。
無理に高く蹴ろうとすれば――。
「うわっ!」
ドサッ!
尻もちをつく。
「……痛ぇ」
「ほら、立て。憧れてんだろ?」
「はい!」
「よし、もう一回!」
失敗すれば原因を探す。
動きを見直し、修正し、また蹴る。
何度も。
何度も。
何度も。
パンチも、投げも、ローキックも、ミドルキックも同じだった。
練習を撮影し、帰宅して見返す。
気づいたことを次の練習で試す。
失敗して、直す。
また試す。
その繰り返しだった。
そして月日が流れる。
バシンッ!
玲央の右脚がミットを捉えた。
「おお、いい音するようになったな」
「もう一回お願いします」
「まだやんの?」
「はい」
玲央は再び構える。
踏み込む。
腰が回る。
右脚が鋭く跳ね上がった。
バシンッ!
かつて食らうことしかできなかったハイキック。
それはいつしか、玲央が最も得意とする技の一つになっていた。
考えてから蹴るのでは遅い。
反応したときには、もう脚が出ている。
そこまで身体に染み込むまで、玲央はひたすら繰り返した。
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