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Chapter1-2『バァイオ〜クラァイシス〜2ゥ〜』

俺だけバイオ ~剣と魔法の異世界で、俺だけサバイバルホラー~

作者:阿波根サキ

 錆びた短剣を振り上げたゴブリンが、落ち葉を蹴散らしながら迫ってくる。


 黒瀬玲央はハンドガンを構えたまま、その姿を照準の向こうに捉えていた。


 緑色の肌。大きく裂けた口。そこから覗く黄ばんだ歯。腐った肉のような臭い息が、ここまで漂ってきそうだった。


 あれはゲームの敵じゃない。

 生きている。

 呼吸している。

 そして、本気で自分を殺そうとしている。


 玲央の人差し指が引き金に触れる。


 ゲームなら、何万回とやってきた。

 狙う。

 撃つ。

 倒す。

 たったそれだけのことだ。


 だが、今は違う。

 恐怖で心臓が激しく脈打つ中、玲央の脳裏に、これまでの記憶が一気に蘇った。


 なぜ、自分はこんな場所で銃を構えていられるのか。

 なぜ、恐怖を感じながらも逃げずにいられるのか。


 始まりは――たった一本のゲームだった。


◇ ◇ ◇


 昔の黒瀬玲央は、今とはまるで違っていた。


 細い腕に、薄い胸板。運動らしい運動もしない。

 学校が終われば真っ直ぐ家へ帰り、制服から部屋着に着替えて机に向かう。休日も変わらない。


 朝食を食べれば勉強。

 昼食を食べれば勉強。

 夕食まで勉強。


 友人から遊びに誘われることもあった。


「ごめん。今日、やるところ決めてるから」


 いつもそれで断った。


 玲央には、すでに自分なりの人生設計があった。


 勉強する。

 いい高校へ進学する。

 東京大学に合格する。

一流企業へ就職する。


 それが一番確実で、一番正しい人生だと思っていた。

 別に勉強そのものが好きだったわけではない。


 必要だからやる。

 ただ、それだけだった。


 当然、ゲームにも興味がなかった。

 ゲームを一時間やれば、一時間を失う。

 その時間で英単語の一つでも覚えたほうが、将来の役に立つ。


 玲央は本気でそう考えていた。


 そんな弟を、少々心配している人間がいた。

 歳の離れた兄だった。


「お前さ、勉強以外に何かないの?」

「ないけど」

「即答すんなよ……」


 兄が玲央の部屋を見回す。

 参考書。

 問題集。

 単語帳。

 ノート。

 以上。


「ゲームは?」

「やらない」

「漫画は?」

「読まない」

「部活」

「入ってない」

「友達と遊んだりは?」

「時間がもったいない」

「…………」


 兄は深々とため息をついた。

「お前さ、本当に中学生か?」


「どういう意味?」

「いや……学生ならさ、友達と遊んだり、女の子に恋したり。そういう青春時代を過ごすもんだろ」


 玲央は少し考えた。

「それが就職の何の役に立つの?」


「…………」

 兄は何も言えなくなった。


 数日後。


 兄が小さな紙袋を持って、玲央の部屋へやって来た。


「ほら」

「なに?」

「プレゼント」


 玲央は紙袋を受け取り、中身を取り出した。


 ゲームソフトだった。


 パッケージには拳銃を構える男女と、その背後から迫る異形の怪物。


 そして大きくタイトルが記されている。


『BIO CRISIS RE2』


「ゲーム?」

「そう。名作」

「いらないんだけど」

「お前なあ……」


 兄が呆れたように眉を下げる。


「ずっと勉強してたら、そのうち頭おかしくなるぞ。息抜きくらいしろって」

「別に疲れてないけど」

「そういう奴が一番危ないんだよ」


 玲央はパッケージを裏返した。


 銃。

 化け物。

 暗い建物。

 血。


 まったく興味をそそられない。


「これ、面白いの?」

「めちゃくちゃ面白い。RE2は傑作だぞ」

「他にもあるの?」

「シリーズだからな。気に入ったら他もやればいい」

「ふーん」


 玲央はゲームを机の端へ置いた。


「とにかく、一回やってみろ。合わなかったら、それでいいから」

「時間があったら」

「絶対やらない奴の返事じゃん」


 兄の予想は正しかった。


『BIO CRISIS RE2』は、そのまま机の横で埃をかぶることになった。


◇ ◇ ◇


 それからしばらく経った休日。

 玲央にとって珍しいことが起きた。


「……終わった」


 時計を見る。

 予定より二時間近く早い。

 その日にやると決めていた勉強が、すべて終わってしまった。


 なら、明日の分をやればいい。

 そう考えて手をつけた。

 それも終わった。


「…………」


 やることがない。

 玲央にとって、暇という状態そのものが珍しかった。

 机の前で数分考える。

 何気なく視線を動かしたとき、机の横に置かれたケースが目に入った。


『BIO CRISIS RE2』


 兄の言葉を思い出す。

『息抜きくらいしろって』


 玲央はケースを手に取った。

「……一時間だけやるか」


 このときの玲央は知らなかった。

 その一時間が、自分の人生を根こそぎ変えることになるなんて。


◇ ◇ ◇


「待て待て待て!」


 ゲームを始めて間もなく、玲央はコントローラーを握ったまま焦っていた。

 画面の中では、人だったものが不気味な声を上げながら近づいてくる。


 ゲームのキャラが銃を構えた。


 撃つ。

 外す。

 もう一発。

 今度は当たった。

 だが、止まらない。


「なんで倒れないんだよ!」


 さらに撃つ。

 もう一発。

 ようやく感染者が床へ倒れた。


「……硬すぎだろ」


 恐る恐る近づく。

 その瞬間。

 倒れていた感染者が、突然起き上がった。


「うわっ!」


 反射的に撃つ。

 また撃つ。

 ようやく動かなくなった。


「…………」

 玲央は画面に表示された残弾数を見た。


 思った以上に減っている。

 その後も同じだった。

 敵がいたら撃つ。

 怖いから撃つ。

 倒れるまで撃つ。


 そして、しばらくして。


「……弾がない」


 回復アイテムも、ほとんど残っていない。

 なのに先へ進めば、また敵がいる。


「足りないだろ、これ……」


 玲央は少し腹が立った。

 敵を倒すゲームなのに、敵を倒すための弾が足りない。


 何だ、このゲーム。

 理不尽じゃないか。

 そして――ゲームオーバー。


「…………」

 玲央は画面を睨んだ。


 もう一度始める。

 今度は少し慎重に進んだ。

 だが、やはり途中で弾が足りなくなった。

 また死ぬ。


「…………」

 三回目。


 同じ場所。

 同じ敵。


 そこで、玲央の指が止まった。

 今までなら撃っていた。

 だが、ふと思う。


「……こいつ、倒す必要あるか?」


 この場所を通るのは一度だけ。

 横を抜けられるなら、弾を使う必要はない。

 玲央は試してみる。


「うおっ……!」


 ギリギリで感染者の横を抜けた。

 追いかけてくる。

 だが、振り切れた。


「…………」


 残弾数を見る。

 一発も減っていない。

 玲央の目つきが変わった。


 次の敵。


 狭い通路にいる。

 ここは何度も通りそうだ。


「こいつは邪魔だな」


 撃つ。

 倒す。


 次。

 広い場所。


 横を抜けられる。

 撃たない。


 回復アイテムを見つける。

 体力は減っている。

 だが、まだ使わない。


「まだいける」

 取っておく。


 少しずつ、ゲームの見え方が変わっていった。

 敵を全部倒す必要はない。

 どの敵を倒すか。

 どの敵を避けるか。

 どの道を通るか。

 どこで弾を使うか。

 いつ回復するか。

 限られた持ち物の中に、何を入れるか。


 失敗したら原因を考える。

 そして、次は同じ失敗をしない。


 それは玲央がずっとやってきたことと、よく似ていた。


 問題を解く。

 間違える。

 原因を調べる。

 覚える。


 もう一度解く。


「……そういうゲームか」

 玲央の口元が、わずかに緩んだ。


 さらに進む。

 また死ぬ。


 今度は腹が立つより、悔しかった。

 すぐにやり直す。


 さっき失敗した場所を突破する。

「よし」


 次の場所で、また死ぬ。

「なるほど」


 もう一度。

 また失敗。

 もう一度。

 気づけば、時計を見ることすら忘れていた。


 ふと顔を上げる。

 窓の外が暗い。


「……え?」

 時計を見る。


「嘘だろ」


 一時間だけのつもりだった。

 何時間も経っている。

 それでも玲央は、コントローラーを置かなかった。


◇ ◇ ◇


 怖い。

 角を曲がった先に何がいるか分からない。


 弾薬はいつも心許ない。

 回復アイテムも貴重だ。

 主人公だって無敵ではない。

 油断すれば簡単に傷つく。


 追い詰められる。

 ときには、逃げるしかない。


 それでも知恵を使い、限られた道具を使って生き残る。

 そして、極限状態だからこそ浮かび上がる人間同士のドラマ。


 玲央は完全に夢中になっていた。


 そんな物語の中で、一人の男が気になった。


 レオ・クロフォード。


「レオ……」

 自分と同じ名前。


 ただ、それだけの偶然だった。

 それなのに、妙な親近感が湧いた。


 気づけば玲央は、彼の登場する場面を楽しみにするようになっていた。


◇ ◇ ◇


 そして、ついにエンディングへ辿り着いた。


「…………終わった」

 玲央はコントローラーを膝の上に置いた。


 画面にスタッフロールが流れている。


 不思議な感覚だった。

 模試でいい点を取ったときとは違う。

 問題集を一冊終わらせたときとも違う。


 もう少し、この世界にいたかった。

 終わってしまったことが、少し寂しい。


 スタッフロールが終わる。


 玲央はしばらく画面を見つめていた。

「…………」


 そして再びコントローラーを握った。

「……もう一回やるか」


 二周目。

 今度は違った。

 敵の場所を知っている。

 アイテムの場所も覚えている。

 危険な場所も分かっている。


 一周目より弾が余った。

 回復も余った。


 そして、クリアタイムも縮まった。

「……もっと縮められるな」


 三周目。

 四周目。


 難易度を上げる。

 また死ぬようになった。


 だが、もう最初とは違う。


 死ぬたびに原因を探す。

 失敗を一つずつ潰していく。


 やがて『RE2』だけでは足りなくなった。

 シリーズの別作品にも手を出した。


 旧作。

 続編。

 外伝。


 一作終われば、次。

 それが終われば、また次。


 玲央の部屋には、それまで存在しなかったゲームソフトが次々と増えていった。


◇ ◇ ◇


「おおっ!」


 久しぶりに玲央の部屋へ入った兄が、棚を見て目を輝かせた。


「やっと年相応になったじゃん!」

「これ面白いね」

「だろ!?」

「RE2、もう十四周した」

「……は?」

「最高難易度もクリアした」

「ちょっと待て」

「今はタイム縮めてる」

「お前、ハマり方が怖いんだけど」


 その日の夕方。


 兄は母親に怒られた。


「あなたが玲央にゲームなんて教えるからでしょう!」

「いや、俺は息抜きに一本渡しただけだって!」

「息抜きの量じゃないのよ!」

「俺だってこんなハマると思わねぇよ!」


 隣の部屋まで声が聞こえてきた。


「…………」


 さすがに申し訳ない。


 玲央は考えた。

 ゲームをやめるという選択肢は――ない。


 ならば。


「成績、落とさなきゃいいんだろ」


 ゲームを三時間やりたい。

 なら、今まで三時間かけていた勉強を二時間で終わらせればいい。


 玲央にとっては単純な話だった。

 勉強方法そのものを見直した。


 暗記の仕方。

 復習する間隔。

 問題集の選び方。


 一問にかける時間。

 集中できていない時間まで洗い出す。


 無駄を削った。

 効率を上げた。


 結果――ゲームをする時間は増えた。


 なのに、成績は落ちなかった。

 むしろ上がった。


「…………」

 成績表を見る母。


「…………」

 その横で、なぜか得意げな顔をしている兄。


「俺のおかげかな」

「あなたは黙ってて」

「はい」


 玲央は思わず笑った。

 以前より、家で笑うことが増えていた。


◇ ◇ ◇


 だが、玲央にとって『BIO CRISIS』は、次第にただの息抜きではなくなっていった。


 敵の配置を覚えた。

 アイテムの位置を覚えた。

 敵の行動パターンを研究した。

 最短ルートを考えた。


 高難易度。

 縛りプレイ。

 ノーダメージ。

 そして――RTA。


 初めて世界記録の動画を見たとき、玲央は呆れた。

「……どうやったらこんなタイム出るんだよ」


 自分とは何分も違う。

 動きに無駄がない。

 アイテムを取る順番。

 敵をかわす位置。

 武器を使う場所。

 すべてが計算されている。


 普通なら、そこで諦めたかもしれない。


 玲央は違った。

「…………」


 もう一度、動画を見る。

「やってみるか」


 まずは、自分なりの最速ルートで挑戦した。

 失敗した。

 やり直した。

 数秒縮んだ。

 また挑戦した。

 今度は別の場所で失敗した。


 ルートを見直した。

 一秒縮んだ。

 操作を見直した。

 コンマ数秒。


 もう一度。

 もう一度。

 もう一度。


 縮めれば縮めるほど、一秒が遠くなっていった。

 それでも、やめなかった。


 そして、ある日。

 玲央は画面に表示された数字を見たまま、動けなくなった。


「…………」


 記録を確認する。

 もう一度確認する。

 何度見ても同じだった。

 世界記録。


「……マジか」

 声が震えた。


 次の瞬間、玲央は椅子から立ち上がっていた。

「っしゃあ!」


 人生で初めてだった。


 テストで一位を取ったときも。

 模試で好成績を取ったときも。

 こんな声を出したことはなかった。


 誰かに褒められるためじゃない。

 いい学校へ行くためでもない。

 将来のためでもない。


 ただ、自分が好きだから始めた。


 好きだから考えた。

 好きだから失敗しても続けた。


 そして、その頂点まで辿り着いた。

 玲央にとって初めての経験だった。


 いつの間にか。

『BIO CRISIS』は、玲央の生き甲斐になっていた。


◇ ◇ ◇


 シリーズを遊び尽くしていく中で、玲央には特別な一本ができた。


『BIO CRISIS RE4』


 そして、その作品には――成長したレオ・クロフォードがいた。


 化け物に囲まれても、怯まない。

 銃を撃ち、ナイフを振るい、襲いかかる敵を蹴り飛ばす。

 次々と敵を倒し、ようやく静かになったところで、レオは周囲を見渡した。

 そして、うんざりしたように小さく息を吐く。


『……ついてないぜ』


「…………かっけぇ」

 思わず声が漏れた。


 鍛え上げられた身体。

 銃の扱い。

 ナイフ。

 接近戦。

 瞬時の状況判断。


 どんな怪物を前にしても足を止めない。

 絶体絶命の状況でも、軽口を忘れない。


 玲央は何度もプレイした。

 クリアしても、また最初から始めた。

 レオを操作すること自体が楽しかった。


 だが、いつしかゲームをしていないときにも、レオのことを考えるようになっていた。


 どうすれば、あんなふうに動けるんだろう。

 どうすれば、あんなふうに銃を扱えるんだろう。

 どうすれば、あんな状況でも冷静でいられるんだろう。


 ある夜。


 ゲームを終えた玲央は、電源を落とした。

 暗くなったモニターに、自分の姿が映る。


「…………」


 細い。

 肩幅もない。

 腕も細い。


 勉強とゲームばかりしていたせいか、背中も少し丸まっている。

 さっきまで画面の中にいた男とは、似ても似つかない。

 玲央はモニターに映る自分を、しばらく見つめていた。


 いつからだろう。

 ただゲームが好きなだけではなくなっていた。

 もっと上手くなりたい。

 もっと速くクリアしたい。


 それだけじゃない。


 レオを操作したいわけじゃない。

 レオのように戦ってみたい、でもない。

 胸の奥にあった感情は、もっと単純だった。


 子供じみている。

 馬鹿げている。

 そんなことは自分でも分かっている。


 それでも――本気だった。

「……レオになりたい」


 口に出した。

 途端に、妙にしっくりきた。


 東京大学へ行く。

 一流企業へ入る。


 これまで立ててきた目標には、一度も感じたことのないものが胸の奥にあった。


 やってみたい。

 いや。


 なりたい。


 玲央は椅子から立ち上がると、部屋の鏡の前へ向かった。

 改めて、自分の身体を見る。

 細い腕を曲げてみた。


「…………」

 力を込める。


「…………」

 さらに力を込める。


 申し訳程度の力こぶができた。

「……これは酷いな」


 思わず苦笑する。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 問題がある。

 なら、解けばいい。


 できないことがある。

 なら、できるようになる方法を調べればいい。

 それは玲央が昔から得意としてきたことだった。

 勉強と同じだ。


 玲央は鏡の中の自分を見つめる。

 レオ・クロフォードとは似ても似つかない、ひょろりとした少年がそこにいる。


 なら――ここから始めればいい。

「……まず、身体だな」


 翌日。


 黒瀬玲央は、生まれて初めて本気で身体を鍛え始めた。


 親に褒めてもらうためでもない。

 誰かに認めてもらうためでもない。


 自分で選んだ。

 初めて自分で見つけた、なりたいもの。


 その姿へ、一歩でも近づくために。

 ただ一つ。


 ――レオ・クロフォードになるために。

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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