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『嘆きの水牢』という、帝国中を震え上がらせる恐ろしい地下迷宮から私を連れ出したアウレリウス殿下は、迷うことなくご自身の馬車へと私をエスコートした。
深夜の帝都は静まり返っており、冷たい夜気が私の頬を撫でる。しかし、私の心は先ほどの暗殺者襲撃イベントと、殿下の「私の獲物に触れるな」という極上の決め台詞の余韻で、ホカホカに温まっていた。
「……寒くはないか?」
向かいの席に座るアウレリウス殿下が、気遣わしげな低い声で問いかけてきた。
皇族専用の馬車の内部は、驚くほど広々としており、座席には最高級の真紅のベルベットが張られている。車輪には最新の魔石式サスペンションが組み込まれており、石畳の揺れをほとんど感じさせない。まさに走るスイートルームだ。
「ええ、大丈夫ですわ。殿下からお借りしたこの外套が、とても温かいので」
私は、肩に掛けられた殿下の漆黒の外套をきゅっと握りしめ、儚げに微笑んだ。外套からは、アウレリウス殿下の香水――爽やかなシトラスと、微かな白檀が混ざり合った、大人の男の香りが漂ってくる。
(やばい、殿下の匂いに包まれてるとか前世の私が知ったら発狂して死ぬレベル。というかこれ、ファンブックの設定資料集に書いてあった『特注の香水』の香りそのままだ! 文章の描写が嗅覚で完全再現されてる!)
私は内心で悶絶しながらも、決して表情を崩さなかった。
アウレリウス殿下は、私のその痛々しい(ように見える)作り笑いを見て、苦しげにアメジストの瞳を伏せた。
「……すまない。私があの場に駆けつけるのが、あと数秒遅ければ、お前は……」
「殿下、謝らないでください。あなたが来てくださった。その事実だけで、私は救われました」
私は首を横に振り、窓の外へと視線を移した。
実際には、殿下が遅れたとしても、あの暗殺者たちは絶対に私に傷一つ負わせることはできなかったはずだ。この世界の「残酷描写ゼロ」という鉄の掟が、見えないバリアとなって私を守ってくれるからである。ナイフが滑って暗殺者同士で刺し違えるか、突然天井が崩れて彼らだけが下敷きになるか、とにかく私は無傷で済む運命にある。
だが、そんなメタ的な真実を殿下が知る由もない。
「……第一皇子であるティベリウス兄上の派閥は、私が予想していた以上に焦っているようだ」
アウレリウス殿下が、重々しい口調で語り始めた。
「お前を捕らえ、ウァレリウス家を断絶に追い込むことで、皇位継承権の争いから私を孤立させる計画だったのだろう。だが、お前があのドルースス相手に一歩も引かず、尋問で証拠の偽造を見破った。ティベリウス兄上は、お前を生かしておけば、やがて偽装の綻びが公になると焦り、暗殺者を差し向けたのだ」
「……」
「お前のその聡明さが、皮肉にもお前自身を危険に晒してしまった。本当に……不甲斐ない話だ」
殿下は、自身の無力さを呪うように強く拳を握りしめた。
(うおおお……殿下の自責の念、痛いほど伝わってくる! でも大丈夫ですよ殿下! 私、全部知っててわざとドルーススを煽ったんですから! 暗殺者イベントを早く発生させて、あのカビ臭い地下牢から脱出したかっただけなんです!)
とは言えないので、私はただ悲しげに目を伏せ、沈黙を守った。
馬車は帝都の城門を抜け、郊外の森へと続く滑らかな街道へと入っていく。
向かっているのは、帝都から馬車で一時間ほどの距離にある『薔薇の離宮』。本来は皇族が避暑や静養のために使用する美しい別荘だが、今は「重要参考人の軟禁施設」という名目で私が滞在することになる。
「これから向かう離宮は、私の直轄地だ。ティベリウス兄上の息がかかった者は一人もいない。オクタウィアに周囲を固めさせてある。もう、あのような暗殺者がお前に近づくことは絶対にない」
アウレリウス殿下は、私の目を真っ直ぐに見つめて断言した。
「だから、どうか安心して休んでくれ。お前の父上と兄上の無実は、私が必ず証明してみせる」
(殿下……っ! かっこよすぎる! この『俺が守る』宣言、スチル付きで脳内保存完了しました!)
私は感動で震える声を絞り出し、「はい……信じております、殿下」と頷いた。
やがて、馬車の速度が落ち、窓の外に巨大な鉄扉と、その奥に広がる壮麗な建物が見えてきた。
月明かりに照らし出された『薔薇の離宮』は、その名の通り、建物全体が美しい薔薇の庭園に囲まれていた。白亜の外壁は滑らかな大理石で造られており、随所に優美な彫刻が施されている。
馬車が車寄せに停まると、オクタウィア副団長が素早く扉を開け、私に手を差し伸べてくれた。
「到着いたしました、ルキア様。足元にお気をつけください」
「ありがとうございます、オクタウィア様」
馬車を降りると、離宮の玄関にはすでに一列に並んだ使用人たちが待機していた。
その先頭に立っていたのは、白髪をきっちりと纏め上げ、黒の厳格なドレスに身を包んだ初老の女性だった。離宮のメイド長、リウィアである。
彼女は鋭い鷹のような目で私を値踏みするように見つめると、深く、一切の隙もない完璧なカーテシー(お辞儀)をして見せた。
「お待ちしておりました、アウレリウス殿下。そして……ルキア・ウァレリウス嬢」
リウィアの声は、氷のように冷たく事務的だった。
「お部屋の準備は整っております。ですが、忘れないでいただきたい。ここは皇族の方々のための神聖なる離宮。あなたのような大逆罪の容疑者が足を踏み入れるなど、本来であればあり得ないこと。……殿下の温情に、くれぐれも感謝なさることです」
(出た! メイド長リウィアさんの洗礼! 彼女、最初はこうやってツンケンしてるけど、後で私が夜な夜な家族を想って祈る姿(※実はただの腹筋トレーニング)を見て、勝手に心を打たれてデレるんだよね! ツンデレおばあちゃん、大好物です!)
私は内心で小躍りしながらも、怯えたように肩をすくめ、「はい……重々承知しております。この身に余る処遇、感謝の言葉もございません」と、弱々しく頭を下げた。
私のそのしおらしい態度に、リウィアの厳しい目がほんの一瞬だけ揺れたのを、私は見逃さなかった。
(よしっ、第一印象のジャブは効いてるわ!)
「案内しろ、リウィア。彼女はひどく疲れている」
アウレリウス殿下が庇うように言うと、リウィアは「かしこまりました。こちらへ」と私を促した。




