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案内されたのは、離宮の二階、最も奥にある角部屋だった。
重厚なマホガニーの扉が開かれた瞬間、私は息を呑む演技をしながら、内心で「ひゃっほう!」と歓声を上げていた。
広い。とにかく広い。前世の私のワンルームマンションが十個は入りそうな広大なスペースに、天蓋付きのキングサイズベッド、美しい刺繍が施されたペルシャ絨毯、大理石の暖炉、そして窓辺には優雅なティーテーブルが設えられている。
さらに、隣接するバスルームからは、ふわりと薔薇の香りのする湯気が漂ってきていた。
「ここは……」
「殿下からのご指示で、あなたが快適に『軟禁』されるための部屋でございます」
リウィアが冷たく言い放つ。
「お食事は三食、こちらのお部屋へお持ちします。お一人での外出は固く禁じられており、庭園の散歩の際も必ず護衛が同行します。窓の外には近衛騎士が常時見張っておりますので、逃亡を図るような愚かな真似はおやめください」
(逃亡? 誰がこんな最高級リゾートホテルから逃げるもんですか! 三食ルームサービス付きで、護衛という名のイケメン騎士鑑賞までできるなんて、死ぬまで軟禁してほしいくらいよ!)
私は心の中で全力のツッコミを入れながら、「……はい。ご迷惑はおかけしません」と悲痛な声で答えた。
「では、私はこれで。お着替えと入浴の準備は整っておりますので、ご自由に」
リウィアは一礼し、部屋を出ていった。
ガチャリ、と外から鍵がかけられる音が響く。
完全に一人になったことを確認した瞬間、私は悲劇のヒロインの仮面をかなぐり捨て、天蓋付きのベッドにダイブした。
「ふわああぁぁぁぁっ! やわらかーーーいっ!!」
最高級の羽毛布団が、私の体をふんわりと包み込む。地下牢の藁ベッドも味があって良かったが、やはり文明の利器、最高級の寝具の暴力には敵わない。
一通りベッドでゴロゴロと転げ回った後、私はバスルームへと向かった。
そこには、大理石でできた巨大な猫足のバスタブがあり、たっぷりの温かいお湯に、真っ赤な薔薇の花びらが惜しげもなく浮かべられていた。
私は純白のドレスを脱ぎ捨て、ゆっくりとお湯に身を沈める。
「はあぁ……極楽……。地下牢での二日間の汚れが落ちていくわ……」
薔薇の精油の香りが、尋問や暗殺者騒動で高ぶっていた神経を優しく解きほぐしていく。
ヒロインが絶望の中で孤独に涙を流す(とされる)入浴シーン。しかし現実の私は、お湯の中でぷかぷかと花びらを浮き沈みさせながら、明日の朝食のメニューに思いを馳せていた。
翌朝。
鳥のさえずりと共に目覚めた私は、メイドが運んできた朝食のワゴンを見て、危うく歓声を上げそうになるのを必死に堪えた。
銀色のドーム型の蓋が開けられると、そこには宝石のような料理が並んでいた。
黄金色に輝くコンソメスープ、ふっくらと焼き上げられたクロワッサン、半熟のオムレツにトリュフのソースがかけられたもの、そして新鮮なフルーツの盛り合わせ。
(キタキタキタァ! 宮廷料理長アピキウスの朝食! 彼、第一皇子派閥の嫌がらせで離宮に左遷されてる設定なんだけど、腕は帝国一なのよね! こんなの毎朝食べられるなんて、転生バンザイ!!)
私は、部屋の隅で無表情に見張っている二人のメイドの目を気にしながら、あくまで「喉を通らないけれど、生きるために無理やり詰め込んでいる」という悲壮感を漂わせて、クロワッサンを一口かじった。
(んんんんんっっま!! 何これ、外はサクサクなのに中はバターの香りがジュワッて! オムレツもふわっふわ! トリュフの香りってこんなに芳醇だったの!?)
私の舌は狂喜乱舞していたが、顔面は徹底して「味のしない砂を噛んでいるような表情」を維持した。
食事中、ふとメイドたちの方を盗み見ると、彼女たちは私を見て痛ましそうに顔を歪め、そっとハンカチで目元を拭っていた。
(あ、メイドさんたち泣いちゃった。『あんなに細い体で、家族を想って無理して食事を……お可哀想に』って思ってるわね。ごめんなさい、私、美味しすぎて感動してるだけなんです)
完食後、食後の紅茶(これも最高級の茶葉だ)を優雅に飲み干すと、リウィアが部屋に入ってきた。
「ルキア様。本日は天候もよろしいので、庭園の散策を許可いたします。ただし、護衛が同行します」
「……ありがとうございます。少し、外の空気が吸いたかったのです」
着替えを済ませ、部屋を出ると、回廊の先で待っていたのは、白銀の鎧を身に纏った女性騎士、オクタウィアだった。
彼女は氷の剣士と呼ばれるだけあって、常に無表情で他者を寄せ付けない冷たさを持っている。しかし、昨夜の暗殺者から私を守ってくれた実力は本物だ。
「ルキア様。これより一時間、庭園の散策に同行いたします」
「オクタウィア様。昨夜は、命をお救いいただき、本当にありがとうございました」
私が深く頭を下げると、オクタウィアは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「……私は殿下のご命令に従ったまでです。それに、大逆罪の容疑者であるあなたに礼を言われる筋合いはありません」
相変わらずの塩対応だが、私は知っている。彼女はすでに、私の無実を確信しているのだ。昨日のドルーススとの尋問記録を殿下と共に読み、私の理路整然とした反論に深い敬意を抱いているのである。
私たちは、色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園をゆっくりと歩いた。
見事な手入れがされた庭園は、どこを切り取っても絵画のように美しい。
しばらく無言で歩いていたが、私はふと立ち止まり、東の空を見上げた。
「……東からの風が、少し冷たくなりましたわね」
私がポツリと呟くと、背後を歩いていたオクタウィアがピクリと反応した。
「東からの風、ですか?」
「ええ。帝都の東……第一皇子ティベリウス殿下の宮がある方角ですわ。昨夜の暗殺者たちも、東の風に乗ってやってきたのでしょうね」
私は、オクタウィアを振り返らずに、ただ薔薇の花びらをそっと撫でながら言った。
「あの方々は、ずいぶんと急いでおられるようですね。偽りの証拠という砂上の楼閣が、いつ崩れ去るかと怯えながら。……オクタウィア様、殿下にお伝えください。『砂の城は、無理に壊そうとせずとも、風が吹けば自然に崩れ去るもの。どうか、ご自身の歩みだけは乱されませぬよう』と」
オクタウィアは、息を呑んで立ち尽くした。
私が、暗殺の黒幕が第一皇子であることを完全に理解しており、さらにアウレリウス殿下に対して「焦って無理な反撃に出るな」という政治的な助言まで送ったことに、底知れぬ驚きを抱いたのだ。
(くぅ〜っ! 決まった! この『意味深な比喩で政治的助言をする有能ヒロイン』のムーブ、一度やってみたかったのよね! しかも庭園の薔薇っていう最高のシチュエーション付き!)
「……ルキア様。あなたは、一体どこまで見通しておられるのですか」
オクタウィアの声には、先程までの冷徹さは消え、明確な畏敬の念が混じっていた。
「私はただの、世間知らずの公爵令嬢ですわ。ただ……愛するお父様とお兄様、そして、私を信じてくださるあの方のために、祈ることしかできませんの」
私は悲しげに微笑み、再び東の空を見つめた。
完璧だ。オクタウィアの好感度もこれで一気に跳ね上がったはずだ。彼女はこの後、アウレリウス殿下に「彼女はただ守られるだけの弱い令嬢ではありません。恐るべき慧眼の持ち主です」と報告し、私への評価をさらに押し上げてくれる手はずになっている。
周囲の者たちは、私を取り巻く陰謀の深さと、それに立ち向かう私の悲壮な決意に本気で心を痛め、涙を流している。
しかし、私の頭の中はまったく別のことで満たされていた。
(さて、見せ場も終わったし、そろそろ部屋に戻ろうかな。確か今日のアフタヌーンティーのお菓子は、アピキウス特製の『三種のベリーのマカロン』だったはず! 紅茶はアールグレイがいいな!)




