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『薔薇の離宮』での軟禁生活が始まってから、早くも一週間が経過した。
私の生活は、控えめに言って「最高」の一言に尽きた。
朝は小鳥のさえずりと共に目覚め、宮廷料理長アピキウスの腕によりをかけた絶品朝食をいただく。昼は氷の女騎士オクタウィア様の護衛(という名のイケメン鑑賞)付きで美しい庭園を散策し、午後は香り高い紅茶とスイーツでアフタヌーンティー。夜は薔薇の浮かぶ風呂に浸かり、ふかふかのベッドで眠りにつく。
前世の社畜時代では考えられない、まさに貴族の、貴族による、貴族のためのパーフェクト・ライフである。
しかし、私はこの恵まれた環境に胡座をかくような愚か者ではない。
この世界は、いつ理不尽な死や陰謀が襲いかかってくるかわからない乙女ゲームのハードモード世界。いざという時に自分の身を守るための「基礎体力」は絶対に不可欠だ。
だから私は、毎晩深夜、メイドたちが寝静まったのを見計らって、部屋でこっそりと「ある日課」をこなしていた。
——それは、筋トレである。
「……ふぅ……っ、はぁ……っ」
月明かりだけが差し込む暗い部屋の中、私は厚手のペルシャ絨毯の上に四つん這いになり、両肘とつま先だけで全身を支える姿勢——いわゆる『プランク』を行っていた。
前世からの日課とはいえ、令嬢のひ弱な体にはかなりキツい。全身の筋肉が小刻みに震え、額からは大粒の汗が滴り落ちる。
(き、キツい……! でも、ここで腹筋を鍛えておけば、いざ暗殺者に腹パンされても一撃は耐えられるはず……! あと三十秒……!)
私は苦痛に顔を歪めながら、必死に耐え抜いていた。
その時だった。
ガチャリ、と微かに扉の開く音がした。
(やばっ! 見回りのメイド!?)
私は咄嗟にプランクの姿勢を崩し、床に両膝をついて、両手を胸の前で組んだ。そして、目を固く閉じ、ひたすらに耐え忍ぶような表情を作った。
隙間からそっと覗くと、扉の隙間からこちらを見つめていたのは、厳格なメイド長・リウィアだった。
リウィアは、私の姿を見た瞬間、ハッと息を呑んだ。
彼女の目に映った私の姿は、こうだ。
深夜、月明かりに照らされた冷たい床にひざまずき、苦痛に顔を歪め、汗を流しながら、天に向かって必死に祈りを捧げている薄幸の令嬢。
「ルキア様……」
リウィアの口から、微かな呟きが漏れた。
違う。祈っているのではない。体幹をいじめ抜いた後の乳酸の蓄積に苦しんでいるだけだ。
しかし、リウィアの目にはすでに大粒の涙が浮かんでいた。
「……お許しください、ルキア様。私は、あなた様を罪人と決めつけ、冷たい態度をとってしまいました。しかし、毎夜このように床に伏して、ご家族の無事を神に祈り続けるお姿……。これほどまでに清らかな心を持つ方が、大逆罪など犯すはずがありません」
リウィアは音を立てずに扉を閉めると、その場に崩れ落ちるようにしてひざまずき、深く頭を下げた。
「このリウィア、あなた様が無事にご家族の元へ帰られるその日まで、誠心誠意、お仕えさせていただきます……!」
(よ、よしっ! メイド長リウィアの陥落イベント、無事にクリア! ていうか、プランクしてただけなんだけど、結果オーライ!)
私は内心でガッツポーズを決めながら、あくまで「祈りに夢中で誰かが来たことに気づかなかった」という体で、静かにベッドへと戻った。
翌朝から、リウィアの私に対する態度は劇的に軟化した。相変わらず表情は厳しいものの、用意されるお茶の温度は完璧になり、私が少し咳き込んだだけで最高級の蜂蜜湯が運ばれてくるようになった。ツンデレおばあちゃん、チョロ可愛い。
そんな平穏(?)な軟禁生活が続いていたある夜のこと。
時刻は深夜零時を回っていた。私はすでに就寝の準備を終え、ベッドで微睡んでいた。
ふと、窓の外から微かな物音が聞こえた。
バルコニーのガラス扉が、音もなく開かれる。
私は心臓を跳ねさせながら、枕元の護身用ペーパーナイフに手を伸ばした。まさか、また暗殺者?
「……私だ。驚かせてすまない」
月光を背に受けてバルコニーから入ってきたのは、漆黒の外套を羽織ったアウレリウス殿下だった。
美しい銀髪が夜風に揺れ、アメジストの瞳が闇の中で妖しく光っている。
(で、殿下!? 深夜のバルコニーからお忍び訪問とか、ロマンチックの致死量超えてるんですけど!? イケメンの夜這いイベントキタァァァ!)
内心のテンションはMAXまで振り切れたが、私は慌ててベッドから起き上がり、怯えたような、しかし安堵したような見事な表情を作って見せた。
「殿下……!? なぜ、このような時間に……」
「正面から堂々と訪れるわけにはいかなくてな。ティベリウス兄上の監視の目が、帝都中に光っている。オクタウィアに手引きさせた」
殿下は外套を脱ぎ、部屋のソファに深く腰を下ろした。その顔には、隠しきれない疲労の色が濃くにじんでいる。
「ルキア、顔色が悪いな。ちゃんと食事は摂っているか? 眠れているか?」
殿下が気遣わしげに尋ねてくる。
いや、毎日アピキウスの絶品料理をたらふく食べて、プランクで汗を流して爆睡しているので、肌ツヤはかつてないほど絶好調である。顔色が悪いのは、就寝前に入念に施した「薄幸メイク(※白いパウダーを多めにはたいただけ)」のおかげだ。




