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「ええ、リウィア様たちに良くしていただいております。ただ……お父様とお兄様のことが心配で、夜になると少し、胸が苦しくて……」
私は胸元を強く握りしめ、儚げに目を伏せた。
殿下は痛ましそうに顔を歪めると、立ち上がり、私のベッドの傍らまで歩み寄ってきた。そして、私の震える手をそっと両手で包み込んだ。
「すまない。お前にばかり、辛い思いをさせているな」
殿下の手は、剣ダコがありながらも温かかった。
(ひゃあああっ! 殿下とのスキンシップ! 手、大きい! 温かい! 顔がいい!)
私は頬が朱に染まるのを感じた。これは演技ではなく、純粋な乙女の反応である。しかし、このシチュエーションでは「不安と緊張による紅潮」として完璧に機能する。
「今日は、お前に伝えなければならないことがあって来た」
殿下は真剣な眼差しで私を見つめた。
「ウァレリウス公爵と嫡男ルキウスの処刑日が、十日後に迫っている」
「……!」
私は息を呑んだ。処刑日。それはゲーム内でも最大のタイムリミットであり、この日までに無実を証明できなければ、私はバッドエンド直行となる。
「ティベリウス兄上は、皇帝陛下の体調悪化を盾に、強引に処刑の裁可を取り付けようとしている。私の方でも、兄上が捏造した証拠の裏付けを洗っているのだが……奴らも巧妙だ。台帳の改ざんを行ったと思われる文官たちは、ことごとく口封じのために姿を消している」
殿下は悔しげに唇を噛んだ。
「このままでは、十日後、お前の父と兄は断頭台に送られることになる」
(なるほど、第一皇子派も必死ね。でも、詰めが甘いわ。だって私、原作知識で『決定的な証拠が隠されている場所』を知ってるんだもの!)
私は震える手をゆっくりと引き抜き、決意に満ちた瞳で殿下を見上げた。
「殿下。お父様たちは、皇帝陛下暗殺のための毒薬を、隣国から密輸したと疑われているのですよね?」
「ああ。その密輸ルートの記録として、公爵家の隠し金庫から偽造された台帳が発見された」
「……その台帳に記されていた取引相手の商会の名前は、『黒山羊商会』ではありませんでしたか?」
殿下の目が驚愕に見開かれた。
「なぜ、お前がその名を知っている!? あの台帳の詳細は、最高機密のはずだ……!」
「私を誰だとお思いですか、殿下。私はウァレリウス公爵家の娘です。家の金庫の裏の裏まで、存じ上げておりますわ」
私はふふっ、と静かに微笑んだ。もちろん嘘である。ゲームの攻略Wikiにデカデカと書いてあっただけだ。
「殿下。『黒山羊商会』は、ダミーです。実態は存在しません」
私は声を潜め、殿下の耳元へと顔を近づけた。
(きゃーっ! 殿下の顔が近い! シトラスの香りがたまらん!)
内心で大興奮しながらも、私はあくまで冷静で知的な令嬢のトーンを保つ。
「彼らが本当に利用した密輸ルートは、海路ではありません。陸路です。……帝都の北、旧市街にある『廃教会』の地下。そこに、第一皇子殿下の息がかかった本物の密輸業者たちが、毒薬の原料となる草を隠し持っているはずです」
「旧市街の廃教会……!」
殿下はハッとして私の顔を見た。
「あそこは、かつてティベリウス兄上が貧民救済の慈善事業を行っていた場所だ。今は使われていないはずだが……まさか、そこを隠れ蓑にしていたというのか?」
「はい。そして、そこには必ず、第一皇子殿下と彼らが直接やり取りをした『本物の書簡』が残されているはずです。彼らは用心深いですから、もしもの時の保険として、皇子を脅す材料を捨てずに取っておくはずですわ」
原作ゲームにおける、第一皇子派閥を崩壊させるための最重要アイテム、『黒幕の書簡』。
これを手に入れれば、父と兄の無実が証明されるだけでなく、ティベリウスを失脚させ、アウレリウス殿下を次期皇帝の座へと一気に押し上げることができる。
「ルキア……お前という女は……」
殿下は、信じられないものを見るような目で私を見つめた。
そして、ふっと柔らかく、しかしどこか凄みを帯びた微笑を浮かべた。
「お前を味方につけて本当に良かった。もしお前が敵に回っていたらと思うと……背筋が凍る思いだ」
「私は、私を信じてくださる方のためにしか、知恵を絞りませんわ」
私は完璧なカーテシーをして見せた。(パジャマ姿だが)。
「すぐにオクタウィアと精鋭を連れて、廃教会へ向かう。……恩に着るぞ、ルキア」
殿下は私の手を取り、その甲に、羽のように軽い口づけを落とした。
「ひっ……!?」
私は小さく悲鳴を上げ、顔を真っ赤にして固まった。
今度は演技ではない。完全に不意打ちのキス(手甲だけど)に、私のキャパシティは完全にオーバーしてしまったのだ。
「必ず、お前の家族を助け出す。だから……もう少しだけ、ここで待っていてくれ」
アウレリウス殿下はそう言い残すと、来た時と同じように音もなくバルコニーから夜の闇へと消えていった。
一人残された私は、キスされた右手を抱きしめながら、ベッドの上に崩れ落ちた。
「あわわわわ……殿下、かっこよすぎ……無理……尊い……っ!」
声にならない叫びを上げながら、私は枕に顔を埋めて足をジタバタとさせた。
よし。これで必要なフラグはすべて立てた。
あとは、有能なアウレリウス殿下と氷の騎士オクタウィア様が、廃教会で証拠を蹴り出してくれるのを待つだけだ。
私は興奮冷めやらぬまま、ベッドから起き上がった。
「なんだか、お腹空いちゃったな……」
大仕事を終えた(証拠の場所を教えただけだが)私の胃袋は、正直だった。
私は部屋の隅にある小さなサイドテーブルへと向かった。そこには、メイド長のリウィアが「夜にお腹が空いた時のために」と、こっそり置いていってくれたバスケットがあるのだ。
中には、冷めても美味しい特製のローストビーフのサンドイッチと、ドライフルーツのパウンドケーキが入っている。
「ふふっ、リウィア様、本当にツンデレで最高。いただきまーす」
私は月明かりの下、絶品の深夜の夜食を頬張りながら、第一皇子派閥が崩壊するその日を、心待ちにするのだった。




