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ドルーススの顎での合図で、兵士たちが乱暴に鉄格子を開けた。
私の両手は再び、あのごつい手錠(※裏地はふかふか)で拘束された。
兵士に背中を押されながら、私はドルーススの後について地下の迷宮を歩き出した。向かう先は、この水牢のさらに奥深くにある『特別尋問室』だ。
暗く冷たい回廊を抜けると、分厚い鋼鉄の扉が現れた。
ギギギ、と重い音を立てて扉が開かれると、そこは窓一つない石造りの密室だった。
部屋の中央には、黒ずんだ大きな木製のデスクと、向かい合う二脚の椅子。壁際には何やら物騒な鉄製の道具(拷問器具を思わせる何か)が立てかけられているが、私はそれが「ただの脅し用のインテリア」であり、実際に使用されることは絶対にないという設定を知っている。なぜならここは残酷描写ゼロの世界だからだ。
「さあ、座りなさい。お嬢様」
ドルーススが薄笑いを浮かべながら、私を椅子に乱暴に座らせた。
彼自身はデスクの反対側にどっかりと腰を下ろし、両手を組んで私をねめつけた。
「さて、ルキア嬢。あなたの父親、ユリウス・ウァレリウス公爵は、頑として自らの罪を認めようとしていません。まったく、往生際が悪いにも程がある」
ドルーススはそう言うと、懐から折り畳まれた羊皮紙の束を取り出し、デスクの上に叩きつけた。
「これを見なさい。ユリウス公爵の書斎の隠し金庫から発見された、決定的な証拠です。隣国ガリアの国王宛てに書かれた密書……。そこには明確に、『帝国の玉座を空ける準備が整った。挙兵の支援を要請する』と書かれているのです」
ドルーススは鼻眼鏡を指で押し上げ、私を絶望の淵に追い詰めるような、残酷な笑みを浮かべた。
「さらに、この密書に押されている封蝋の紋章……これは紛れもなく、ウァレリウス公爵家の家紋! そしてサインもユリウス公爵の筆跡と完全に一致している! どう言い逃れしようと、この動かぬ証拠がある限り、あなたの一族の首が胴体と繋がっているのも明日までですなァ!」
(ああ〜! この長台詞、息継ぎのタイミングまで完璧! そして遂に出た、読者の間で『偽造雑すぎワロタ』と語り草になっているあの密書!)
私は、絶望に顔を蒼白にする演技をしながら、デスクの上の羊皮紙を穴のあくほど見つめた。
実際、私はこの『密書』を生で見るのをとても楽しみにしていたのだ。
私は震える声で、ドルーススに問いかけた。
「……ドルースス様。その手紙の筆跡が、お父様のものだというのですか?」
「いかにも。帝国の筆跡鑑定士のお墨付きです」
「……ならば、その封蝋は? ウァレリウスの紋章が刻まれているのですよね?」
「ええ、その通り。立派な双頭の鷲の紋章が、このように青い蝋でしっかりと封印されておりますとも!」
ドルーススが勝ち誇ったように密書を私の目の前に突きつけた。
そこには確かに、ウァレリウス家の家紋である双頭の鷲が押された、青い封蝋がこびりついていた。
私は心の中で、「よっしゃアアアア!!」と拳を天に突き上げた。
この瞬間を待っていた。
私は深く息を吸い込み、悲劇のヒロインの仮面を被ったまま、冷たく、そして凛とした声で反撃を開始した。第一巻、第四章のハイライト、『ルキアの逆転尋問』シーンの開幕である。
「……愚かな。あまりにも浅はかですわ、ドルースス様」
「な、何だと……?」
私の態度が、怯えた令嬢から一転して、氷のように冷たく威厳に満ちたものに変わったことに、ドルーススは一瞬たじろいだ。
「その密書が偽造であることは、ウァレリウス家の人間であれば一目でわかります。まず第一に、我がウァレリウス家が他国との公式な書簡を交わす際、使用を許されている封蝋の色は『真紅』のみです」
「なっ……」
「初代皇帝陛下より賜りし、建国の血を象徴する真紅の蝋。青い蝋など、一族の人間はただの一度も使ったことはありません。それを知らない者が、形だけ紋章を真似て偽造したのでしょう」
私の言葉に、ドルーススの顔から薄ら笑いが消えた。彼の細い目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「第二に、書式です。その手紙には、『玉座を空ける準備が整った』と書かれていると仰いましたね。ですが、お父様は南部国境の出身。南部の貴族は、重大な決意を文章に記す際、伝統的に『剣を抜く』という比喩を用います。『玉座を空ける』などという東部特有の言い回しを、誇り高き南部出身のお父様が使うはずがありませんわ」
「ば、馬鹿な……! 筆跡鑑定士は間違いなくユリウス本人のものだと……!」
ドルーススが慌てて密書を引っ込めようとしたが、私の言葉の追撃は止まらない。
脳内に完璧にインプットされた小説のテキストが、スラスラと私の口から紡ぎ出されていく。
「第三に、日付です。その密書の日付は、聖暦三一二年の四の月、十五日となっていますね? ……その日、お父様はどこにいらっしゃったか、異端審問官であるあなたならご存知のはず。お父様は、陛下のご命令で、北方国境への長期視察に出向いており、帝都には不在でした。帝都の書斎の金庫に、その日付で手紙を隠すことなど物理的に不可能ですわ」
私は両手の手錠をカチャリと鳴らしながら、ドルーススを真っ直ぐに見据えた。
その視線には、一切の恐怖はない。ただ、圧倒的な真実と、一族の誇りだけを纏った堂々たる令嬢の姿がそこにあった。
「これほど粗末な偽造書類で、我が一族を陥れようとするとは……。あなた方の黒幕は、ずいぶんと帝国法を甘く見ているようですわね。この事実を法廷で証言すれば、偽造の罪で首が飛ぶのは、あなたの方ではありませんこと?」
静寂が尋問室を支配した。
ドルーススの顔は、先程までの余裕を完全に失い、土気色から赤紫へと目まぐるしく変色していた。
額からは脂汗が吹き出し、鼻眼鏡がズレ落ちそうになっている。
(うわあ……すごい! これぞ『ぐぬぬ』の表情! 私の論破があまりにも完璧すぎて、言い返す言葉が見つからないんだわ! ああ、気持ちいい! これだからヒロインはやめられない!)
「き、貴様ァ……っ! 小娘の分際で、この私に説教を垂れる気か!!」
ドルーススはついに激昂し、バンッ! とデスクを両手で強く叩いた。
立ち上がり、血走った目で私を睨みつける。その手は腰に提げた鞭に伸びかけていた。
普通の令嬢なら、ここで悲鳴を上げて縮み上がる場面だろう。護衛の兵士たちも息を呑み、暴力の気配に室内の空気が一気に張り詰めた。
しかし、私は涼しい顔で彼を見つめ返していた。
叩けるものなら叩いてみればいい。
この世界には「残酷描写ゼロ」という絶対的な神のルールが存在する。彼が鞭を振り上げたところで、誰かが止めに入るか、奇跡的なアクシデントが起きて、私に物理的なダメージが入ることは絶対にないのだ。完全無敵のスター状態である。
「……ふんっ。口の減らない女だ。だがな、お前のその威勢がいつまで続くかな?」
ドルーススは鞭から手を離し、下劣な笑みを再び顔に貼り付けた。彼なりに、別の方向からの精神的圧迫に切り替えたらしい。
「お前がいくら理屈を並べようと、皇帝暗殺の実行犯という嫌疑は晴れん。もしお前がこの自白書にサインをしないというのなら……お前の兄、カッシウスの身がどうなるか、保証はできんぞ?」
家族を人質に取るという、三流悪役のテンプレのような脅し文句。
私は内心で(カッシウスお兄様は第二巻の主役級だから絶対に死なないけどね〜!)と鼻歌を歌いながらも、見事なタイミングで大粒の涙をポロリとこぼした。
「お、お兄様を……傷つける気ですか……?」
「ふはは! さあな! 暗い地下牢で、不慮の事故が起きないとも限らんからなァ!」
ドルーススは下品な笑い声を上げながら、私に自白書を突きつけた。
「さあ、おとなしくここにサインをするんだ! そうすれば、兄の命だけは助かるよう、上に口利きをしてやってもいいぞ!」
私はブルブルと震える手で自白書を見つめ、そして、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた頬のまま、しかしその瞳の奥には決して折れない強靭な意思を宿して。
「……お断りします」
「なにっ!?」
「お兄様は、このような脅しに屈して偽りの罪を認める妹など、決して望みません。私たちはウァレリウスの誇りを胸に、最後まで真実のために戦います」
凛と言い放った私の言葉に、ドルーススは言葉を失い、ただ口をパクパクと開閉させることしかできなかった。
これ以上脅しても無駄だと悟ったのか、彼は忌々しげに舌打ちをした。
「……チィッ! 可愛げのない小娘め。まあいい、すぐに泣いて命乞いをする日が来るさ。おい、こいつを牢に戻せ!」
ドルーススの怒鳴り声と共に、兵士たちが私を椅子から引き剥がし、再び手錠の鎖を引いた。
尋問室を後にする際、私は振り返らずにドルーススの悔しがる気配を背中で味わっていた。
(大・勝・利!! ああ、今日の演技も完璧だったわ。特に涙をこぼすタイミング、我ながらアカデミー賞モノね。ドルーススの反応も良くて、最高のセッションだった!)
兵士に連行されながら、私は内心でガッツポーズを連打していた。
しかし、私は気づいていなかった。
尋問室の重い扉の影、わずかな隙間から、この一部始終をじっと見つめていた人物がいたことに。
その人物は、偽造書類の矛盾を瞬時に突き、家族を人質に取られても気高く誇りを失わなかった私の姿を、深い感銘と共に目に焼き付けていた。
そして、その報告がすぐさま、私の愛するアウレリウス殿下のもとへ届けられることになろうとは、まだこの時の私は知る由もなかったのである。
「さて、お昼ご飯は何かしら。ティトゥスさんがまたこっそり美味しいものを差し入れてくれるといいな」
冷たい地下牢に戻る私の心は、本気の絶望で満たされたこの世界において、ただ一人、ピクニック帰りのような清々しさに満ち溢れていた。
予定通り、シナリオは完璧に進行している。
私の輝かしいハッピーエンドへの道程は、今日も順調に舗装されているのだった。




