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「アウレリウス殿下……!」
父のユリウスが、すがるような声で彼の名を呼んだ。
「殿下、どうか、どうかお聞きください! 我が一族は断じて……」
「黙れ、ウァレリウス公爵」
アウレリウスの声は、絶対零度の冷気を孕んでいた。
大広間の空気が一瞬にして凍りつき、父は言葉を失う。
「証拠はすべて挙がっている。お前の書斎から発見された、隣国への内通を示す書簡、そして陛下が倒れられた日に使用された毒薬の小瓶。もはや言い逃れはできん」
アウレリウスは冷酷な眼差しで父を見下ろした。
しかし、私は知っている。彼のアメジストの瞳の奥に、ほんのわずかに揺れる『苦悩』の色を。
彼はすでに、この陰謀の真犯人が別にいることに薄々気づいている。だが、政治的な思惑と、皇帝の絶対的な命令により、愛する私の家族を自らの手で捕らえなければならないという、引き裂かれるような葛藤を抱えているのだ。
(くぅ〜っ! この冷たい態度の裏で『すまない、ルキア……必ず私が真実を暴くから、それまで耐えてくれ……!』って血を吐くような思いでいるんだよね! 知ってる! 私、ファンブックの作者インタビューで読んだもん!)
私は、彼の隠された苦悩を察して、ニヤけそうになる口元を必死に引き結んだ。
ここで私が笑顔を見せたら、あまりにもサイコパスすぎる。私は悲劇のヒロイン。今はただ、愛する人に裏切られた悲しみに打ちひしがれる可憐な少女でなければならない。
私はアウレリウスの目を真っ直ぐに見つめ、小説の一節を完璧になぞった。
「……殿下。あなたは、本当に私たちが陛下を害したと、そうお思いですか?」
私の震える声が静かな広間に響く。
アウレリウスの肩が、ほんのわずかにビクッと動いたのを私は見逃さなかった。彼の美しい顔が一瞬だけ歪み、すぐにまた氷の仮面を被る。
「……法と証拠がすべてだ。私の個人的な感情が入り込む余地はない。連行しろ」
アウレリウスが冷たく言い放つと、待機していた騎士たちが一斉に動き出した。
ガチャガチャと金属音を鳴らしながら、無骨な手で私の両手が後ろに回される。
ガチャン、と重々しい音を立てて、私の手首に鉄の手錠がかけられた。
「ルキア!」
「お嬢様ぁっ!!」
カッシウスお兄様とメイドたちの悲鳴が交差する。
騎士に押さえつけられながら、カッシウスは狂乱したように叫んだ。
「放せ! ルキアに触るな! 彼女は何も知らないんだ! アウレリウス、貴様それでも……ッ!」
私は胸が締め付けられるような感動を覚えていた。
お兄様、お父様、そして私を心配して泣いてくれる使用人たち。彼らは本気で私を心配し、本気でこの世界に絶望している。
彼らの感情は本物で、偽りはない。だからこそ、このドラマチックな展開は圧倒的なリアリティを持って私の五感を刺激するのだ。
(ああ、手錠の金属の冷たさ……これこそが悲劇の醍醐味ね。でも、全然痛くないわ)
騎士の手つきは乱暴に見えて、実は私の手首の骨や皮膚を傷つけないように絶妙に力加減がされている。手錠自体も、重厚な見た目に反して内側に柔らかな当て革がされており、擦れて血が出るようなことは絶対にない仕様になっているようだ。
さすがは残酷描写ゼロの世界。コンプライアンスが徹底されている。私は心の中でこの世界の作者に深く感謝した。
「さあ、歩け」
騎士に背中を小突かれ、私は歩き出した。
破られた大扉を抜け、雨の降りしきる屋外へと出る。
バチバチと音を立てて降り注ぐ冷たい雨が、私のシルクのドレスを瞬く間に濡らし、美しく結い上げられた銀色の髪を顔に張り付かせた。
普段なら「お気に入りのドレスが台無しじゃない!」と怒るところだが、今は違う。
ヒロインが雨に濡れ、泥にまみれ、すべてを奪われて歩むこのシーンは、後に彼女が栄光を掴み取るための重要な『溜め』なのだ。
それに、この泥に汚れたドレスは、第三話で地下牢にこっそり面会にやってくるアウレリウスが、真新しい純白のドレスと着替えを持ってきてくれるフラグでもある。
門の前に停められた、罪人を護送するための鉄格子のついた馬車。
私は促されるままにその冷たい荷台へと乗り込んだ。
馬車が動き出す直前、私は振り返り、雨の中に立つアウレリウスを見た。
彼は傘もささず、ただじっと、まるで罪人のような暗い瞳で私を見送っていた。
(あの瞳……! 最高。今日の殿下、過去最高のビジュアルだわ。目に焼き付けておかなきゃ)
ガタゴトと車輪が音を立て、馬車が屋敷を離れていく。
窓の鉄格子から見える見慣れた公爵家の屋敷が、次第に雨の向こうへと霞んで消えていった。
「……っ、ふくっ……うぅ……」
私は両手で顔を覆い、肩を震わせた。
護送用の馬車の外で手綱を握る騎士には、私が恐怖と絶望で泣き咽んでいるように見えるだろう。
だが、私の口から漏れそうになっているのは、悲鳴ではなく笑い声だった。
面白すぎる。
こんなにワクワクする体験が他にあるだろうか。
これから私を待っているのは、帝都の地下深くに存在する『嘆きの水牢』だ。
名前こそ恐ろしいが、実際には湿気も少なく、虫一匹おらず、なぜかふかふかの清潔な藁が敷き詰められたプライベート空間である。食事だって、看守のツンデレな老兵士(後の重要キャラクター)が、こっそりと温かいスープと焼きたてのパンを差し入れてくれるのだ。
痛い思いは一切しない。
命の危険もない。
結末は、国中から祝福される圧倒的な大団円。
すべてを知り尽くした、私だけの極上の特等席。
馬車の揺れに身を任せながら、私は鉄格子の向こうの暗い夜空を見上げた。
(さて、次は地下牢での『絶望の独白』シーンね。あそこのモノローグ、感情を込めて長台詞を言わなきゃいけないから、今から喉の調子を整えておかないと)
本気で絶望に沈む世界の中で、私だけが来るべき明日への期待に胸を膨らませていた。
約束された最高の悲劇の幕が、今、華々しく上がったのだ。




