第9話 嫌われても、あなたたちを救いたい
学園の保健室で目を覚ましてから、私は何度も同じことを考えていた。フレイア、エルサ、レイ。この3人とは、これ以上関わってはいけない。
99回の人生で、私は彼女たちと出会い、親しくなり、最後には命を落とした。そして、私を失った彼女たちは絶望し、世界を滅ぼしてしまった。今度こそ、同じ結末を迎えるわけにはいかない。彼女たちを救うためには、嫌われてもいい。むしろ、嫌われなければならないのだ。
「用務員さん、体の調子はどうですか?」
ベッドのそばに座っていたフレイアが、私の顔を覗き込んだ。エルサは腕を組んで壁際に立ち、レイはいつもの笑顔を浮かべながら、持ってきた飲み物を机に置いている。3人とも、私が目を覚ますのをずっと待っていたらしい。
ありがたいことだと思う。こんな私を心配してくれる人がいる。それだけで、胸が温かくなる。
けれど、私はその気持ちを振り払った。ここで優しく接すれば、また同じことになる。私が彼女たちを大切に思えば思うほど、彼女たちは私を失ったときに深く傷つくのだから。
「もう大丈夫です。ですから、皆さんは自分のことに集中してください」
「でも、まだ傷が……」
「私のことは放っておいてください」
フレイアの言葉を遮った。自分でも驚くほど冷たい声だった。彼女の表情が固まる。エルサが眉をひそめ、レイの笑顔もわずかに揺れた。それでも、私は続けた。
「皆さんがここにいる必要はありません。私はただの用務員です。教え子でもなければ、家族でもありません。皆さんが私を心配する理由なんて、どこにもないでしょう?」
「……そんな言い方、しなくてもいいじゃないですか」
フレイアが唇を噛んだ。怒ってくれればいい。腹を立てて、私なんかに関わる価値はないと判断してくれればいい。そう願っているのに、彼女の目には怒りよりも悲しみが浮かんでいた。
「私たちが力不足なのは認めます。申し訳ないと思ってます。でも、あなたに何かしましたか?」
エルサの声は静かだった。けれど、その指先は強く握り締められていた。
「何もしていませんよ。ただ、皆さんと一緒にいる理由がないだけです」
「……理由?」
レイが小さく繰り返した。いつもの冗談も、からかうような口調もない。ただ、私の顔をじっと見つめている。
「用務員さん。私たちがそばにいるの、迷惑だった?」
「ええ。正直に言えば、そうです」
嘘だ。本当は、3人がそばにいてくれることが嬉しかった。目を覚ましたとき、彼女たちの顔を見て安心した。そんな自分が嫌になる。私は彼女たちを救うために生きているはずなのに、いつの間にか自分のほうが彼女たちに救われたいと思ってしまっていた。
だから、ここで終わらせなければならない。
「もう帰ってください。これ以上、私に構わないでください」
フレイアは何か言おうとして、結局、口を閉じた。エルサは私を睨んでいたが、その目には困惑が混じっていた。レイは笑顔を作ろうとして、失敗した。3人が傷ついていることくらい、私にも分かった。それでも私は、彼女たちから目を逸らさなかった。
やがて、フレイアが立ち上がった。
「……分かりました。今日は帰ります」
3人は部屋を出ていった。扉が閉まる音を聞いた瞬間、私は深く息を吐いた。胸の奥が痛かった。彼女たちを傷つけたくない。嫌われたくない。本当は、これからも一緒にいたい。そんな気持ちが、今にも口からこぼれそうだった。
「すみません……」
誰もいない部屋で、私は小さく謝った。
けれど、これでいい。彼女たちが私を嫌いになってくれれば、もう私を失って苦しみ、絶望することもない。
私は自分にそう言い聞かせ、ベッドから足を下ろした。傷はまだ痛む。少し動くだけでも脇腹に鈍い痛みが走り、左腕には悪魔の核を埋め込んだときの嫌な感覚が残っていた。それでも、ここにいるわけにはいかなかった。
メフィスト・ワルツは、まだ私の体の中にいる。いつまた意識を奪われ、彼女たちを傷つけるか分からない。学園に残っていれば、3人はまた私のそばに来るだろう。私がどれだけ拒絶しても、きっと心配してくれる。だからこそ、私は彼女たちの前から消えなければならない。
私は病衣を脱ぎ、置かれていた服に着替えた。
傷口が引きつり、額に汗が浮かぶ。それでも手を止めなかった。学園の外へ出る。誰にも告げず、誰にも見送られず、ひとりでメフィストを倒す方法を探す。私にできることは、それしかない。
部屋を出ると、廊下の向こうから声が聞こえた。先ほどの3人が、まだ近くにいるらしい。私は足を止め、壁の陰から様子を窺った。
「……ねえ。私、何か間違えたのかな」
フレイアの声だった。
「助けたかっただけなのに。あの人が苦しんでいるなら、私にできることをしたかっただけなのに……」
彼女は拳を握り締めていた。自分の力が足りなかったことを、何度も悔やんできたのだろう。そんな彼女に、私はまた余計な傷を負わせてしまった。
「もっと強くなるしかない」
エルサはそう言ったものの、いつものような歯切れはなかった。
「でも、用務員が私たちを遠ざけようとしているのには、何か理由がある気がする。ひとりで何かを抱え込んでいるんじゃないかな?」
「エルサも、そう思うんだ」
レイが笑った。けれど、その笑顔はすぐに消えた。
「私、用務員さんが無理してるんじゃないかって思う。私たちのために、何かを背負ってる感じって言うか。うまく言えないけど」
フレイアが言葉を詰まらせる。
「それでも、私は納得できない」
彼女は顔を上げた。
「私たちを迷惑だと思っているなら、それでもいい。でも、ひとりで何をするつもりなの? また誰かを守ろうとして、自分だけ傷つくつもりなら……。私は、絶対に許さない」
その言葉を聞いて、私は思わず目を伏せた。フレイアは怒っていた。私に対してというより、何もできない自分自身に腹を立てているようだった。
「私も、確かめたい」
エルサが言った。
「嫌われたからといって、すぐに諦めるつもりはない」
「うん。私も」
レイは今度こそ笑顔を浮かべた。
「だって、あんな別れ方は嫌だもの。私たちには、まだできることがあるはずだから」
私はその場から動けなかった。
どうしてだ。どうして、私が拒絶すればするほど、彼女たちは私から離れなくなるのだろう。嫌われれば、それで終わるはずだった。私がいなくなっても、彼女たちは悲しまなくて済むはずだった。それなのに、3人はまだ私を助けようとしている。
私は音を立てないように、その場を離れた。
彼女たちが追いかけてくる前に、学園を出なければならない。私がいなくなれば、彼女たちも私を追いかける理由を失うだろう。私が嫌われることさえできれば、いつかは諦めてくれるはずだ。
『ククク……。本当にそう思っているのかい?』
頭の中で、聞き覚えのある声が響いた。
メフィスト・ワルツ。
私の体を奪い、彼女たちに私を殺したと思い込ませた悪魔。今もなお、私の中に潜んでいる存在だ。
『君は実に面白いね。大切な相手を守るために、わざわざ嫌われようとしている。しかも、本人たちは君に嫌われた理由すら分からない。これでは、ますます君のことが気になるだろうね』
「黙ってください」
『おやおや、怒ったのかい? でも、君にも分かっているはずだよ。君がどれだけ冷たい言葉を並べても、彼女たちは君を見捨てない。むしろ、君がひとりでいなくなろうとするほど、君を追いかけたくなるんじゃないかな』
私は返事をしなかった。そんなはずはない。彼女たちだって、いつかは私を諦める。そうでなければ困るのだ。
『せいぜい頑張るといい。君が彼女たちを遠ざけようとするたび、彼女たちがどんな顔をするのか。私はそれを見るのが楽しみで仕方ないよ』
悪魔の笑い声が頭の中に響く。私は奥歯を噛み締め、再び歩き出した。
フレイア。エルサ。レイ。
どうか、私のことは忘れてください。あなたたちが笑って生きていけるなら、私はどれだけ嫌われても構いません。
私は振り返らず、学園から遠ざかっていった。




