第5話 また3人を曇らせた
99回の人生で、私は何度も彼女たちを守ろうとした。だが、結局は自分が死に、彼女たちを絶望させてきた。今度こそ、彼女たちを幸せにしてみせる。そのために必要なら、危険を冒すこともためらわない。
私は人目のない場所へ下級悪魔ごと移動し、悪魔の核を握りしめた。
手のひらに収まるほどの大きさだったが、表面には黒い光が揺らめいている。近づけるだけで、肌の奥がざわつくような感覚があった。
これを、自分の身体に埋め込む。
考えるだけで吐き気がした。
だが、ここまで来て引き返すつもりはなかった。
私は刃物を手に取り、核を埋め込む場所である左腕に当てた。深呼吸をし、歯を食いしばる。
刃先が皮膚を破った瞬間、鋭い痛みが走った。
「っ……!」
声が漏れそうになるのを、私は必死にこらえた。刃を動かすたびに皮膚が裂け、血が流れていく。痛みで手が震えた。少しでも力を抜けば、そのまま刃物を取り落としてしまいそうだった。
傷口を広げ、核を押し込む。
硬い異物が肉に触れた瞬間、身体が跳ねた。
「ぐ、ああっ……!」
焼けた鉄を押し当てられたような痛みが、傷口から全身へ広がった。核を押し込もうとするたびに肉が押し広げられ、身体の内側を無理やりこじ開けられているような感覚が襲ってくる。
痛い。とにかく痛い。
歯を食いしばっても、うめき声が漏れた。額から汗が流れ、視界が揺れる。核が身体の中へ入っていくにつれて、今度は骨の奥を針でかき回されるような痛みが広がった。
心臓が乱暴に脈打つ。息を吸っても空気が足りない。身体は熱いのに、指先は冷たかった。
やめろと、身体のすべてが叫んでいた。
これ以上続ければ、本当に死ぬかもしれない。
そう思った瞬間、私の脳裏に3人の少女の姿が浮かんだ。
冷たくなっていくフレイア。
助けようと必死に手を伸ばすエルサ。
笑顔を失い、私の名前を呼び続けるレイ。
私が死んだ後、彼女たちは絶望した。もう、あんな光景は見たくない。
私は震える手に力を込め、核を押し込んだ。
瞬間、全身を貫くような衝撃が走った。
「がっ……ああああっ!」
喉から悲鳴が飛び出し、身体が床へ崩れ落ちる。核が身体の奥で暴れ回り、血管の中を焼けた針が走っているようだった。胸が締めつけられ、呼吸ができない。指先で床を引っかいても、痛みは少しも引かなかった。
意識が遠のいていく。
駄目だ。ここで死んだら、何の意味もない。
私は床をつかみ、必死に呼吸を繰り返した。身体の内側から引き裂かれるような痛みに耐えながら、ただ生きることだけを考えた。
死ぬわけにはいかない。
今度こそ、彼女たちを救う……。
どれほど時間が経ったのか分からない。やがて、身体の中で暴れ回っていた力が少しずつ落ち着き、全身を襲っていた激痛も弱まっていった。
私は床に倒れたまま、浅い呼吸を繰り返した。全身が汗で濡れ、傷口からはまだ血が流れている。身体を起こそうとしても、すぐには力が入らなかった。
それでも、私は生きていた。
身体の奥に、これまで感じたことのない力が残っている。
試しに意識を集中させると、指先に小さな魔力が灯った。
成功したのだ。
私は悪魔の核を自分の身体に埋め込み、魔法を使うための力を手に入れた。
もちろん、傷は痛むし、身体もまともに動かない。悪魔の核が今後どんな影響を及ぼすのかも分からない。それでも、何も持たなかった頃とは違う。
私はようやく、自分の力で運命に抗うための手段を手に入れたのだ。
そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。
コツ、コツ、と複数の足音がこちらへ近づいてくる。
まずい。誰かが来る。
私は慌てて周囲を見回した。床には魔核を取り込んだときに飛び散った血が残っている。さらには、討伐した下級悪魔の死骸が転がっていた。この状況を見られれば、説明に困るどころではない。
「ガラガラ――」
次の瞬間、扉が開く。
「誰かいるの……っ!?」
顔を出したフレイアの声が途切れた。
床に広がる血。壁に飛び散った赤い染み。そして、部屋の隅に横たわる異形の死骸。人間の姿からかけ離れたその姿を目にした途端、フレイアの顔から血の気が引いた。
「なっ……! おじさん、これ……!」
エルサとレイも室内を見渡し、息をのんだ。3人の視線が血の跡をたどり、最後に私へと向けられる。
「おじさん! 怪我は!? どこをやられたの!?」
フレイアが駆け寄り、私の体を確かめる。肩に触れ、腕をつかみ、顔をのぞき込む。
「落ち着いてください。私は大丈夫」
「こんな血が飛び散ってるのに!? 大丈夫なわけないでしょ!」
どう説明したものかと考えていると、エルサが悪魔の死骸のそばに膝をついた。警戒しながら様子を確かめ、すでに息絶えていることを確認すると、険しい顔で私を振り返る。
「……悪魔に襲われたのね?」
「いや、そういうわけでは――」
「この死骸と血の量を見ればわかるわ。あなた、私たちが来るまで、ずっとひとりで戦っていたの?」
エルサの声がかすかに震えた。
レイも私のそばへ駆け寄り、青ざめた顔で周囲を見渡した。いつもの笑顔は、もうどこにもない。
「ねえ、おじさん。どうして呼んでくれなかったの? 私たち、すぐ近くにいたかもしれないのに……」
「いや、呼ぶほどのことじゃなかったですから」
「呼ぶほどのことじゃないって……!」
フレイアが私の服をぎゅっとつかんだ。怒っているようにも、泣きそうにも見える顔だった。
「私たちが来るまで、ずっとひとりで戦ってたんでしょ……!」
「いえ、悪魔が勝手に自滅したんです」
彼女はうつむき、震える声で続けた。
「私たちが、もっと早く気づいていれば……。おじさんがこんな目に遭う前に、助けに来られたかもしれないのに……!」
「フレイアさん……」
「私、強くなりたいって思ってたのに。誰かを守れるようになりたいって思ってたのに……。目の前にいる人すら守れないなんて、何のために力を磨いてきたのよ……!」
彼女は唇をかみしめた。悪魔の死骸を見つめる目には、恐怖よりも悔しさがにじんでいた。
エルサも立ち上がり、私を見つめた。
「……そうね、気づけなかった私たちのミス。人間に成りすましているなんて」
「君たちが謝ることじゃありません」
「私たちを頼ってくれなかったことが悲しいんじゃない。あなたが傷ついていることさえ知らずに、何も知らないまま過ごしていた自分が許せないのよ」
エルサは冷静に話そうとしていた。けれど、握りしめた手は白くなるほど力が入っている。
レイは私の袖をつかみ、無理に笑おうとした。
「……私も、ごめんね。用務員さんが困ってることに、全然気づけなかった」
「いいんです。私はただの用務員ですから。お気になさらず」
彼女の指が、私の袖を強く握った。
「私たちは、誰かが傷つかないように訓練してるの。今度からはちゃんと頼ってね」
3人は、私が悪魔に襲われたのだと思い込んでいた。だからこそ、間に合わなかった自分たちを責めている。私が自分の意志で悪魔を倒し、魔核を取り込んだことなど、想像もしていない。
しかし、事情を説明するわけにはいかなかった。
「……本当に大丈夫です。駆けつけてくれてありがとうございました」
私はできるだけ穏やかに笑った。
3人の顔がまた曇った。




