第58話 日常という名の非日常
野菜コーナーを過ぎた二人を、軽快な音楽とともにホビー用品店の群れが迎える。巨大なぬいぐるみとかぎ針のモニュメントが我が物顔で屹立する売り場の前には、ガッツポーズをしながら毛糸をまとめ買いした老婆と孫であろう子供の笑顔。その横にあるショーケースのひときわ目立つ位置に置かれている、新発売のゲーム機の広告が流れる店頭スクリーン。
「やったー!」
「今度のテストも頑張るんだぞ」
おもちゃ野の前で、ご褒美の新しいおもちゃを手に入れ、嬉しそうにはしゃぐ子供を見つめながら、誇らしげに薄くなった財布を鞄にしまう幸せそうな父母。ハル艦長はいつもより優しそうな表情で、そんな名も知らぬ誰かの日常を、誰かが過ごしたかったはずの日々を眺めていた。
子供が片手で弾いているであろう試奏用の鍵盤楽器のかわいらしい音をBGMにして、誇らしげに金色の輝きを放ちながら、いつか出会うであろう奏者を待ちわびる楽器の群れを整然と並べたショーケースの前を通り過ぎようとしたとき、ふと思い出したようにハル艦長が口を開いた。
「ヴォロスくん、そういえば君はどの楽器ができるんだっけ」
「金管楽器は一通りできますよ」
その言葉に少し驚いた様子で、ハル艦長はヴォロス副長に尋ねた。
「前はトランペットだけだと言っていたけれど……どこで習ったんだい?」
「軍楽隊に所属していた方と仲良くさせていただいたことがありましてね」
「私が哨戒艇に乗っていて、君が首都にいた頃の話かな?」
「その通りです。今は司令部付の第一音楽団にいると思いますので、機会があれば紹介しますね」
「ありがとう。そういえば、私はどの楽器ができそうだと思う?」
ヴォロス副長は楽器店のショーケースに少し目をやった。そこに並ぶ楽器たちの頭上、一段高いところに置かれたトロンボーンに目が止まる。
「……艦長はたぶんトロンボーンとかじゃないですかね」
「どうして?」
勢いが強いハル艦長には、きっとお似合いですし上達も速いでしょう。そんな言葉を飲み込んで、ヴォロス副長は言葉を濁す。
「いえ、なんとなく」
エレベーターホールにたどり着くと、エレベーターはちょうど降りてきたところだった。エレベーターに乗り込んだ二人は、エレベーターに設けられた窓から見えるタワーモールの中庭を見下ろす。中庭に積もった雪が、暖かみのある光を柔らかく反射していた。その光に囲まれた中庭を歩く人々は、円形の中庭の中央を指すように群青の影を雪上に落としていた。その幻想的な風景は、エレベーターが上昇するにつれてゆっくりと遠ざかっていく。
「階段で上がればよかったかな」
「冗談きついですよ。どれだけ運動するつもりなんですか……」
「いやいや、そういうわけじゃないんだ」
「まあどう見ても間に合わない点に目をつぶれば、いい心がけなんじゃないですかね。まさかとは思いますが、昨日あたりに直近の健康診断の結果を確認されたんですか? ラタン軍医長があきれてましたよ」
「楽しい食事の前にそんなことを言わないでくれるかな」
「すみません。そうですね、今日くらいは楽しみましょうか」
ゆっくりと上がっていったエレベーターは、やがて二人を最上階へと送り届けた。ヴォロス副長がボタンを操作して扉を開け、ハル艦長が先に降りたのを確認してからエレベーターを降りる。
「ここはEブロックだから……隣のブロックに行けばいいんだな」
ハル艦長はフロアマップを確認するが早いか、ヴォロス副長の前を歩き始めた。ヴォロス副長はハル艦長を追いかけ、首を横に振る。
「そちらは逆方向ですよ」
「あれ、そうだったか」
緊張した面持ちで、ハル艦長は回れ右をしてヴォロス副長のあとに続いた。




