第39話 車中の密談
駅に到着し、軍人手帳を自動改札にかざしてケーブルカーのプラットフォームに向かうと、そこには暖房をつけたケーブルカーがその扉から暖かい空気を吐き出しながら停まっていた。
「まもなく天蓋都市直通列車が出発します。乗車の方はお急ぎください」
アナウンスに促され、ハル艦長は既に十数人の兵員や軍属がひしめき、少しの熱気を帯びて混み合ったケーブルカーの車内に入り、右隣に士官が座っている車内の隅のシートに腰かけた。扉が閉まると車体下部のアームが軽やかな駆動音とともにブレーキを引き上げ、車体が前進を始める。暗いトンネルのような車両通路を前照灯が照らし、車掌は前方を注意深く見ている。艦長の右隣に座っていた士官は、よく見るとヴァーマナのエリオン艦長だった。艦橋にいるときはいつもつけているトレードマークの望遠モノクルがないと、彼だとはわかりにくかった。
「アヴァターラのハル艦長だね?」
突然、エリオン艦長がハル艦長に話しかけた。
「ああ、そうだ」
ハル艦長が答えると、エリオン艦長はいきなり小声で、彼女にだけ聞こえるように言った。
「首都の駐留部隊で数か月前から問題になっていたネズミの件だがね」
ハル艦長は眉をひそめた。ネズミという言葉が諜報員を指すことは容易に理解できたが、この場でそんな発言があるとは思いもしなかったからだ。
「それがどうしたんだ?」
ハル艦長の質問に、エリオン艦長はさらに声を落として語る。
「首都にあった小さな地域政党の事務所に警察が踏み込んで、アジトが一つ摘発された。前々から資金の流れが不透明で、金融調査部に目を付けられていたらしいが……なんにせよ想定外は想定外だ。新聞街の近くだったらしい。アヴァターラには従軍記者がいるだろう、彼ももしかしたら参考人として取り調べを受けるかもしれない。それだけ伝えておきたいと思った。もちろんこのことは他言無用だ。私もこれ以上のことは何も言わないし言えない。覚えておいてくれ」
「そういえばエリオン艦長は若手時代に情報部にいたことがあるそうですね。……その情報、どこで聞いたんです?」
「確かな筋とだけ言っておく」
「それなら間違いはなさそうですね」
エリオン艦長はそう言ったきり黙り込んでしまった。ハル艦長は少し嫌な想像をしてしまった自分を罵りながら、ケーブルカーの前照灯が照らす鉄路を視界に入れて車両の前のほうをじっと見る。ほかの乗客たちは全員シャクラに乗っている特設航空機隊のパイロットらしく、車内には航空機について談義する快活な声が飛び交っていたが、彼らは途中の駅で降りていった。車内にベルが響き、終点到着二分前を示すアナウンスが放送される。艦長はハンカチを取り出すと額に浮かぶ汗をぬぐって、コートを着たままだったことを思い出した。列車の前方に光が見え、それから窓の外がまぶしいくらいに明るくなる。天蓋都市に出たのだ。重いブレーキの音とともに列車が止まり、ドアが開いて冷たい空気が車内を洗った。
「終点、天穹一七八二市街入口です。皆様お降りください」
アナウンスに追われるようにプラットフォームに出ると、空全体が鉛色の雲海で埋まっていた。振り返ってケーブルカーの駅のほうを見ると、空中に整然と並ぶような、細い接地部を持つ施設の群れが天球の明かりを反射してきらめいている。その施設の大半は燕雲が建造された当初からあるとされる、遺跡のような代物だという。長大すぎる歴史の遺産の足元に目を凝らすと、一つだけ足元が広く接地している建物の基礎構造物が見えた。基地司令部の保有する、連絡機発着施設である。
「あそこまでは司令部が運航している乗り合いのバスに乗り換えて行けばいいんだな?」
いつの間にかハル艦長の後ろにいたエリオン艦長が尋ねる。ハル艦長はうなずいて自動改札のほうに歩き始めた。




