第9話 休息の宵
「当直職員交代時刻です。現在作業中の職員は点呼を開始してください」
当直交代を告げる自動放送の歪んだ音が、港のスピーカーから響いている。アヴァターラの艦内でも午後十時の当直交代ベルが鳴った。ハル艦長はヴォロス副長が発令所に上がってきたのを確認して、今日起きたことを引継ぎとして伝えた後に艦長室へ戻った。製造都市の中央市街に煌めく異常なほどの明かりは消えぬまま、夜はどんどんと更けてゆく。そんな夜にハル艦長はふたたび夢を見た。それは暗示的な、不思議な夢であった。
どこか暗くじめじめとした、少し肌寒い地下深くの空間の夢だった。はじめぼんやりとしていた周囲がくっきりと見えてくると、ハル艦長はそこがどこかということを、なぜか知っているような気がした。しばらくその空間を歩いてみると、眼前に作業灯に照らされた大きな物体が現れた。卵型をしたそれは、巨大な繭のような質感をもち、アヴァターラよりも五倍ほど大きく、その前に立つと、それが卵型であることさえわからないほどである。その中では輪郭を持たない、まばゆい光が二つ脈動していた。それは、仄かな温もりを放っているようだった。艦長の意識は何となく自分らしくない探求心を抑えきれず、じわじわとその不思議さに惹かれていった。だんだん近づいていくと、繭らしきものの周囲には幾人かの人影が集まり、何やら作業をしていることに気づく。その人影は、艦長にはまるで気づいていないようだった。やがて艦長は繭の至近まで近づき、その表面に吸い寄せられるように手を触れた。すると、その光の脈動は少し緩やかになった。しばらく見ているうちに、徐々にその強さを増していく二つの光が、繭の中で交互に明滅し、脈動を同期させながら融合していく。内部で光を融合させた繭の全体が発光しはじめ、やがて光の強さが目を開けていられないほどになった時、突如として胸を押されたような衝撃とともに湿った土の上へと仰向けに倒れた。その眼前には、発光する繭に手を押し付ける黒い人影が光の中で吹き飛ばされていく様子がよぎる。そして夢は突然そこで途切れた。
「わーっ……」
寝ている間に上げていた悲鳴のような声に驚いたハル艦長は、艦長室のベッドで目覚めた。体が汗だくだと気づくと、なんとなく嫌な気分がして、艦内のシャワールームに向かうべく起き上がる。時刻は夜明け前の五時であった。艦長室は空調が効いているはずなのにどこかじめじめとしている。主機の調子が悪いのかもしれないと思いながらも着替えに防暑服を持ち、平常軍服の略装を身につける。そして艦橋士官居室区画の廊下に出て、一番奥へと進む。道中、遠くで響く砲声のような音が聞こえたが、警報が鳴らないところを見ると、単なる自然現象なのだろう。この周辺に積乱雲があるのかもしれないと考えながら、ハル艦長はシャワールームの一つを開け、脱衣所で服を脱いでからその中へと入った。薄暗かった小部屋が暖色系の明かりに照らされる。冷たい水滴が天井から落ちていく音を聞きながら混合水栓を操作すると、シャワーヘッドからは適温のお湯がほとばしる。その湯で髪の毛や肌に張り付いた汗を落としながら、ハル艦長はなんとなく爽快なものを感じていた。
「生き返るなあ……」
頭の中で思っていることがまたしてもそのまま口から出てしまったのを自覚して、ハル艦長はここに来てから感じていた「なんとなく嫌なもの」を改めて強く意識した。艦橋で「なんとなく嫌なものだ」と無意識に言ってしまってからというもの、独り言は大きくなり、なんとなく自制心がなくなっているような気がしてきた。
こんな感覚はいつぶりだろうか、などと思いを巡らせながらシャワーを浴びて体を洗い終え、出航前に短く刈り上げててきた髪が首すじを撫でているのに気づいた、その次の瞬間だった。
――脱衣所に備えられた艦内放送装置の電源が一瞬入って、すぐに切れた。
数秒経たない間の出来事ではあったが、その音が不思議なほど大きく聞こえて、ハル艦長は何となく胸騒ぎを覚えて混合水栓を操作する。冷水を頭からかぶって即座にシャワーを止め、なるべく素早く脱衣所で体を拭いた。着替えの防暑服に腕を通し、ドライヤーの風を当てて髪を乾かす。なんとなく直感が自分を急かす気がして、ハル艦長は髪を乾かし終えるや否や軍帽を取りに自室へと走った。軍帽を頭に載せ、鍵のかかった保管箱から取り出した拳銃をホルスターに差し込むと、ハル艦長は艦橋へと上るエレベーターに飛び乗る。サイレンの音が遠くから聞こえ、ざわつく心を抑えながらエレベーターの階数表示をにらむ。遅々として進まない階数表示とは対照的に、艦内がにわかに慌ただしい号令とともに動き出したのを肌で感じて、彼女の心臓は早鐘を打ちはじめた。口の中に乾いた泥をなめるような感覚が広がり、手が細かく震えているのに気づくと、ハル艦長は拳を握り込んだ。何か不穏な、とてつもないものが近づいているようだった。




