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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第七章:鋼鉄の帝国と、海を渡る反逆者たち

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第七章14『青空の産声と、泥だらけの休息』

偽りの神が支配していた百二十層に及ぶ箱庭は、その心臓を失い、轟音と共に崩壊していった。

すべてを出し尽くし、魔力も機関も完全に沈黙した『反逆の泥舟』が辿り着いたのは、冷たい対魔鋼の床ではなく、どこまでも広く、青く、そして温かい本物の海であった。

長きにわたる息の詰まるような死闘は、ついに終わりを告げた。

差し込む太陽の光と潮風の中で、規格外の極道たちと、初めて世界を知った市民たちが迎える「泥だらけの休息」が、静かに幕を開ける。

ザップゥゥゥゥンッ……!

ゆらり、ゆらり。


凄まじい着水の衝撃から数分後。

『反逆の泥舟』は、穏やかな波に揺られながら、果てしなく広がる青い海原の上を静かに漂っていた。

魔力駆動のエンジンは完全に沈黙し、極彩色のバリアも消え失せているが、木材と魔鋼を継ぎ接ぎして造られたその無骨な船体は、奇跡的に致命的な浸水を免れ、確かな浮力を保っていた。


「……ぷはァッ!! ガハハハッ、しょっぺぇ! なんだこの水、やけにしょっぱいぞ!」

甲板で大の字に倒れていた龍崎が、顔にかかった波飛沫を舐めて豪快に笑い声を上げた。限界を超えた筋肉はボロボロで、自慢の大剣も失ってしまったが、その顔はこれ以上ないほど晴れやかだった。


「……海なんだから、塩水に決まってるだろ、筋肉ダルマ。痛ッ……くそ、潮風が傷口に染みやがる……」

ハクがずぶ濡れになったコートを絞りながら、忌々しそうに、だがどこか嬉しそうに口の端を吊り上げる。


「みんな、無事!? カイル、早く怪我の治療を……って、もう魔力がすっからかんだよぉ……」

リオナがへたり込みながらカイルの背中を叩くが、カイルもまた力尽きたように苦笑いを浮かべていた。

「ごめん、リオナ。今は指先一つ動かす気力もないや……。でも、生きてる。僕たち、本当にあの空を抜けたんだね」


甲板の中央、黒焦げになった舵輪の下で、シオンは静かに目を閉じて波の揺れを感じていた。

右腕は極限の魔法を酷使した代償で焼け焦げ、全身の骨が軋んでいる。それでも、頬を撫でる潮風の匂いと、まぶたの裏にまで届く太陽の光の暖かさが、彼女に「完全な勝利」を実感させていた。


『……システム、再起動。自己診断セルフチェックを実行します』

ホログラムの出力を極限まで落とし、淡い光の球体となったアノンが、シオンの傍らに浮かび上がった。

神話核コアの魔力残量、ゼロ。反重力機関、大破。装甲の7割を喪失。……ですが、船体の浮力は維持されています。シオン、我々は生き残りました』


「ええ、知ってるわ。……よく持ち堪えてくれたわね、アノン。あんたも、この船も」

シオンは痛む体をゆっくりと起こし、右腕を庇いながら立ち上がった。


見渡す限りの水平線。頭上には、雲一つない本物の青空が広がっている。

振り返れば、遥か後方の海上に、崩壊した【階層都市マキナ・テオ】の巨大な残骸が、黒煙を上げながらゆっくりと海へと沈んでいくのが見えた。

システムに管理され、感情を奪われていた、冷たくも美しい鋼鉄の箱庭。その終焉の光景だった。


「……あ……」


甲板の端で、船のへりにしがみつくようにして外を見つめていたセブンが、小さな声を漏らした。

彼女の隣には、共に救出された数十人のサイボーグ市民たちが並び、同じように海を見下ろしている。

セブンは恐る恐る生身の手を伸ばし、船体に打ち寄せる海水をすくい上げると、それをそっと口に含んだ。


「……しょっぱい……。それに、冷たい……」

セブンの瞳から、再び大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

「これが、海……。これが、風……。ワタシたち、本当に……外に、出たんだ……」


感情をノイズとして処理され、「痛み」も「喜び」も、そして「空の青さ」すら知らずに生きてきた彼ら。システムから切り離され、初めて感じる世界のすべてが、彼らの心を激しく揺さぶっていた。


「……シオン女王陛下」

義眼が完全に焼け焦げ、片目を布で覆ったゼッカが、足を引きずりながらシオンの隣へと歩み寄る。

「彼らの脳波パターンから、かつての『統制プロトコル』の痕跡は完全に消滅しました。……彼らは今、誰の部品でもない、一個の生命としてこの世界を認識しています」


ゼッカの冷徹だった声にも、今は確かな温もりが宿っていた。


「そう。なら、ここから先は『自分たちの意志』で生きるしかないわね」


シオンは市民たちの方へゆっくりと歩み寄ると、波の音に負けないよう、よく通る声で呼びかけた。


「よく聞きなさい、あんたたち! 偽物の神様は死んだわ! あんたたちを縛るルールも、身の安全を保証してくれる鉄の天井も、もうどこにもない!」

シオンの言葉に、市民たちがビクッと肩を揺らし、彼女を見上げる。


「これからは、怪我をすれば痛いし、腹も減る。風邪も引くし、理不尽な理由で命を落とすことだってあるわ。……それが『生きる』ってことよ。システムに守られた安全な鳥籠より、ずっと泥臭くて、ずっと面倒くさい世界へようこそ」


シオンは最高に悪戯っぽく、そして最高に優しい笑みを浮かべた。


「でもね、自分で選んで、自分で泣いて笑って食べる飯は、ブリキの箱庭で流し込まれてた栄養剤より、何百倍も美味いわよ。……あんたたちが自分の命を張って掴み取った『自由』だ。せいぜい、精一杯味わい尽くしなさい!」


その言葉に、セブンをはじめとする市民たちの顔に、戸惑いと、それ以上の「希望」が入り混じった、人間らしい、くしゃくしゃの笑顔が広がった。


「……うんッ!」


セブンは生身の手で乱暴に涙を拭い、真っ直ぐにシオンを見上げて力強く頷いた。

「ワタシたち、もう部品じゃない。……これからは、名前も自分で決める。痛いことも、美味しいご飯も、全部自分で探す!」


「それがいいわ。まずは、その無機質な番号セブンから、もっと可愛い名前に変えることね」

シオンが優しく微笑むと、他の市民たちも互いに顔を見合わせ、自分たちの未来について話し始めた。まだぎこちないが、彼らの間に交わされる言葉には、確かな「体温」が宿っていた。


「……ハッ、綺麗なこと言ってるが、現実は甘くねぇぞ姉御」

甲板に寝転がったままのハクが、腹の虫を盛大に鳴らしながら口を挟む。

「エンジンが死んでるってことは、俺たち完全に『漂流』してるわけだ。魔法もすっからかんで、おまけにこの人数。……メシはどうすんだ?」


「そうねぇ……」シオンが顎に手を当てて考える素振りを見せる前に、龍崎がガバッと身を起こした。


「ガハハハッ! そんなもん、海なんだから魚でも釣ればいいだろ! 剣は折れちまったが、この素手があればクジラだって捕まえてやるぜ!」

「アホ筋肉、海舐めんな。泳いで捕まえられるわけねぇだろ」

「カイル、釣り竿ってどうやって作るの? 糸の代わりになるもの、あるかな……」

「えっと、リオナのリボンとか、ハクのコートの切れ端を繋げば……」

「おいこら勇者、俺のコートを勝手に釣り糸にすんじゃねぇ」


ボロボロの体で他愛のない口喧嘩を始める仲間たち。その様子を見て、ゼッカが一つため息をつき、焼け焦げた義眼の代わりに残った生身の目で海図のデータメモリを頭脳から引き出す。


「……現在位置、不明。マザーコンピュータの消滅により、星の衛星データとのリンクも切断されています。さらに、先ほどの戦闘と着水の衝撃で、船倉の備蓄食料の八割が塩水に浸かりました。……極めて深刻なサバイバル状況です」

ゼッカの冷徹な事実確認に、一瞬だけ甲板に静寂が落ちる。


だが、次の瞬間。

「「「アハハハハハハッ!!」」」

シオンをはじめ、泥だらけの反逆者たちは全員で腹を抱えて大爆笑した。


「最高じゃない! 何もかもすっからかんで、手探りで生き延びるしかないなんてさ!」

シオンは笑い涙を拭いながら、甲板の縁に座り込んだ。

「計算通りの安全な明日なんて、つまらないだけよ。メシがなけりゃ釣りをする。船が壊れたら直す。……極道の喧嘩の後は、いつだってこういう泥臭い後始末が待ってるもんよ」


その笑い声につられるように、市民たちもクスッと笑い声を漏らす。彼らにとって、飢えや遭難の危機すらも、システムに管理されていない「自由な未知」の証だった。


『……シオン。現在の海流と風向きをアナログで計算した結果、このまま漂流を続ければ、三日以内に未知の陸地、あるいは島に漂着する確率が78パーセントです』

アノンの淡い光の球体が、シオンの肩の近くで揺らぎながら報告する。


「三日か。ちょうどいいわね、少しは体を休める時間が必要だったし」

シオンは潮風を胸いっぱいに吸い込み、どこまでも続く青い水平線を見つめた。


空を塞いでいた鋼鉄の天井はない。

理不尽なルールを押し付けてくる機械の神様も、もういない。

あるのは、傷だらけの仲間たちと、ボロボロになった極彩色の泥舟、そして、彼らが力ずくでこじ開けた「まだ見ぬ未来」だけだ。


「さて、とりあえず無事な食料をかき集めて、宴会の準備といきましょうか。……帝国の葬式と、この空の産声に乾杯よ」

シオンの号令に、仲間たちと新しい共犯者たちが、元気よく、そして楽しげに応じた。


潮風が心地よく吹き抜ける中、甲板ではあり合わせの物資を使った「泥だらけの宴」が開かれていた。

海水に浸からなかった僅かな干し肉と、樽の底に残っていた少量のラム酒、そして石のように固いビスケット。帝国の上層で用意されていた無味無臭の完全栄養食に比べれば、あまりにも粗末で手間のかかるメニューだ。


だが、初めてそれを口にしたセブンたちサイボーグ市民の反応は、劇的なものだった。


「……か、硬い! 顎が疲れちゃう……でも、なんだかすごく、味がする!」

セブンがビスケットを両手で持ち、一生懸命にかじりながら目を丸くして歓声を上げる。

「ガハハハッ! そうだろ! 苦労して噛み砕いて腹に入れるから、生き物ってのは強くなるんだよ!」

龍崎が豪快に笑いながら、ラム酒の瓶をラッパ飲みする。

「ああっ、龍崎さん飲み過ぎ! 僕たちの分も残しておいてよ!」

カイルが慌てて瓶を奪い取ろうとし、リオナがその様子を見て楽しそうに笑い声を上げる。ゼッカは静かに海図の修復作業を進め、ハクはマストの上で潮風を浴びながら穏やかな顔で目を閉じていた。


シオンは少し離れた船尾に座り、その騒がしくも温かい光景を眺めていた。

やがて、空をオレンジ色に染めながら、水平線の向こうへと巨大な夕陽が沈んでいく。分厚い天井に投影されたフェイクのネオンではない、海と空が交わる場所へ沈んでいく本物の太陽の姿は、息を呑むほどに美しかった。


「……いい顔になったじゃない」

シオンは、セブンたちが心からの笑顔を浮かべているのを見て、静かに呟いた。

彼女は自身の胸の中央へと、そっと右手を当てる。

そこにあるのは、永遠にデータをコピーし続けるだけの、痛みを伴わない冷たい人工の輪廻などではない。世代を越えて熱を帯びながら転生していく、「黎の魂」の力強い鼓動だ。

アウストラ大陸の泥にまみれ、機械の帝国で空を割り、数え切れないほどの痛みと喜びを刻み込みながら、この魂は次なる時代へと確かに受け継がれていく。


「さて、次はどんな厄介事が待ってるのかしらね」

日が完全に落ち、満天の星空が広がる海の上。

すべてを出し尽くし、今はただ波に揺られるだけの『反逆の泥舟』は、確かな希望と命の熱量を乗せて、まだ見ぬ第八の舞台へと向けて静かに漂っていくのだった。

これにて、第七章「神聖機巧帝国編」は完結となります。

永遠にデータをコピーし続けるだけの「人工の輪廻」に対し、限りある命を燃やして抗うシオンたちの姿には、本作が描く重厚なバトルファンタジーとしての熱量が込められていました。

初めて本物の海と空を前にしたセブンたち。硬いビスケットをかじり、潮風に吹かれながら感じる飢えや痛みも、彼らにとってはシステムに縛られない「自由」の証です。

シオンの内に宿る「黎の魂」もまた、世代を越えた輪廻の中で、確かな熱を帯びながら力強い鼓動を響かせています。

泥だらけの反逆者たちと新たな共犯者たちを乗せ、波に揺られる『反逆の泥舟』。

鋼鉄の帝国を打ち破った彼らが次に見据えるものは何なのか。新章となる次なる航海にも、引き続きご期待ください。

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