第七章9『非情なる切り捨てと、堕ちる天空』
魂すらもデータとして管理し、痛みを伴わない「人工の輪廻」によって永遠を生きようとした狂気の将官、ジョン・スミス。
完璧な論理の結晶である彼を打ち破ったのは、決して洗練された数式などではなく、限りある命を燃やして生きる泥だらけの反逆者たちの「非論理的な熱量」であった。
だが、一つの端末を排除したところで、この鋼鉄の階層都市を支配する狂ったシステムが止まるわけではない。皇帝の座す第一セクターまで、残り二十四層。
規格外の魔力と力学で天井をぶち抜き続ける極彩色の飛空艦に対し、帝国のマザーコンピュータはいよいよ「迎撃」という生易しい手段を放棄する。
完璧な箱庭を守るためならば、自らの手足すらも切り落とす冷徹なる演算。
相反する二つの理の激突は、ついに上層階の「空そのもの」を巻き込んだ、絶望的な質量兵器との正面衝突へと突入していく。
ズガァァァァァァァァンッ!!
第二十層の天井――大理石のように磨き上げられた純白の装甲板が、泥舟の極彩色の主砲によって粉々に吹き飛ばされる。
『反逆の泥舟』は、ジョン・スミスとの激戦によるダメージを気合いと魔力で強引に押さえ込みながら、機関の咆哮と共に第十九層の空間へと躍り出た。
「ガハハハッ!! 随分と静かになったじゃねぇか! あの不死身の野郎をぶっ飛ばされて、ブリキ共もいよいよ弾切れか!?」
龍崎が甲板から身を乗り出し、眼下に遠ざかる白銀の都市を見下ろして笑う。
確かに、ジョン・スミスを突破して以降、帝国軍からの直接的な迎撃はパタリと止んでいた。レーザー網も、機巧兵の群れも姿を見せない。
だが、その「不自然な静寂」こそが、百戦錬磨の反逆者たちの肌をヒリつかせていた。
「……警戒を怠るな、筋肉ダルマ。皇帝の玉座まであと少しってところで、大人しく道を開けるような素直なシステムじゃねぇだろ」
ハクが周囲の空間に影を張り巡らせながら、油断なく短剣を弄ぶ。
『……ハクの言う通りです。シオン、上空のエネルギーベクトルに致命的な異常を検知しました』
操舵輪の横で、アノンのホログラムがこれまでにないほどの激しい赤色に明滅した。その音声には、無機質なAIであっても隠しきれない「戦慄」が混じっていた。
『マザーコンピュータ――【皇帝】は、我々を「いかなる迎撃も突破する未知のウイルス」と認定しました。……これより、第十八層から第十四層までの、計五層分の階層ブロックの【物理的パージ(切り離し)】が実行されます』
「……物理的、パージ……?」
カイルが呆然と聞き返す。
「まさか……! 船を上から押し潰すために、上の階層そのものを落としてくる気か!?」
ゼッカが義眼のレンズを上空に向けた直後、頭上の空間から、世界そのものが軋むような、絶望的な重低音が響き渡った。
メキィィィィィィ……ズドドドドドォォォォォォォンッ!!!!!
上層階を支えていた超巨大な支柱と重力制御システムが、帝国中枢からの命令によって一斉に自壊する。
視界を覆うほどの巨大な「空」そのものが、数千万トンという想像を絶する質量の塊となって、上昇を続ける泥舟目掛けて落下を始めたのだ。
「ウソでしょ……!? いくらなんでも無茶苦茶だよ! あの落ちてくる階層には、帝国の市民がいっぱい住んでるはずじゃない!!」
リオナが、落下してくる巨大な階層都市の裏側を見上げながら悲痛な叫びを上げる。
「……計算、合ってる……」
足元で、セブンが生身の左目から涙をこぼしながら震えていた。
「システムにとって、下層のワーカーも、上層の市民も、ただの数字……。全体の99パーセントを守るためなら、バグと一緒に1パーセントの部品を切り捨てるのは……絶対に正しい、最適解……ッ」
「……どこまでも腐りきってるわね、この国のシステムは」
シオンは、頭上から迫り来る絶望的な質量を前にして、紫の瞳に底冷えするような怒りの炎を灯した。
ただ自らの秩序を守るためだけに、そこに住む者たちの命すらも無感情に切り捨てる。それこそが、ジョン・スミスが誇っていた「完璧な論理」の正体だ。
「カイル、リオナ! 全力で防壁を上に向けなさい! ハク、ゼッカ、龍崎! 落ちてくるデカい瓦礫は全部空中で粉砕して、少しでも衝撃を減らすのよ!」
シオンは舵輪を限界まで引き上げ、反重力機関をさらにオーバードライブさせた。
「避けないんですか、シオン様!?」
「こんなデカい鉄板、避ける隙間なんてないわ! それに……」
シオンは、落下してくる階層の隙間から、崩壊する街ごと落ちてくる上層の市民たちの姿を鋭く睨み据えた。
「ここで私たちが逃げたら、あいつら全員、一番下のゴミ溜めまで一直線に落ちてペチャンコよ! 腐ったシステム(神様)の言いなりになって死ぬなんて、極道の仁義に反するわ!!」
「ハッ、違いない! 落ちてくる空を支えるなんて、最高に馬鹿げた大喧嘩だぜ!!」
龍崎が大剣を両手で構え、全身の筋肉を爆発的に膨張させる。
逃げ場はない。
圧倒的な質量となって押し潰しに来る「空」に対し、反逆の泥舟は減速するどころか、極彩色の魔力パルスを全開にして、その落ちてくる世界を真っ向から受け止めるべく、さらなる加速で突っ込んでいった。
ゴォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!
落下してくる五階層分の「空」が、大気を圧縮しながら反逆の泥舟へと迫る。
視界のすべてを黒く塗りつぶすほどの絶望的な質量の壁。その先端部が、泥舟の極彩色のバリアと衝突した瞬間、世界から音が消え去ったかのような錯覚に陥った。
直後、鼓膜を粉砕するような轟音と、猛烈な衝撃波が甲板を吹き荒れた。
「『聖光・絶対防壁』!! 最大出力ッ!!」
「カイル、耐えて! 私の魔力、全部あげるから!!」
カイルが展開した巨大な光の盾が、落下してくる階層の裏側に激突する。リオナが自身の魔力回路が焼け焦げるのも厭わず、莫大な光のエネルギーを注ぎ込み続けた。
バキバキバキッ!
超圧縮された対魔鋼の天井と、光の防壁が激しく削り合い、火花とプラズマの嵐が泥舟の周囲に荒れ狂う。
『……警告! 質量差が絶望的です! 神話核の出力120パーセント、船体の装甲に致命的な亀裂が多数発生……このままでは、3秒後に防壁ごと押し潰されます!』
アノンの悲鳴のような警告が響く。
「押し潰されてたまるかァァッ!! 落ちてくるなら、全部ブツ切りにしてやる!!」
光の盾の隙間から零れ落ちてくる数千トンクラスの瓦礫の雨へ向けて、龍崎が甲板を蹴り上がった。
「オラァァァッ!! 『魔鋼・大車輪・豪雷破』!!」
筋肉の限界を超えたフルスイングから放たれた斬撃の嵐が、巨大な鉄骨やビルの残骸を空中で粉々にすり潰す。
「龍崎、大味すぎる! 落下軌道を計算しろ! 船に当たる破片だけを確実に処理するんだ!」
ハクが船中に漆黒の影の網を張り巡らせ、龍崎が撃ち漏らした細かな瓦礫を弾き飛ばし、受け流す。
「……上層の市民たちが、瓦礫と共に落下してきます。彼らの救出ベクトルを確保します」
ゼッカは冷徹な義眼の計算で、崩落する階層から投げ出されたサイボーグ市民たちの落下座標を瞬時に割り出し、ハクの影の網へと誘導して「柔らかく」受け止めていく。
感情を奪われ、事態を理解できずに虚ろな目をしている市民たち。彼らをシステムは「エラー」として見捨てたが、泥だらけの反逆者たちは命を張って救い上げていた。
「……どうして……。ワタシたち、敵なのに……」
甲板の隅で震えるセブンが、理解不能な光景に言葉を失う。
「敵でも味方でも関係ないわよ! 命をゴミみたいに捨てるシステムがムカつくから、全部ひっくり返す! それが極道の筋ってやつよ!!」
シオンは舵輪を片手で握り潰さんばかりに固定し、空いた右手を頭上の「堕ちてくる空」へと突き出した。
彼女の瞳が、かつてないほど強烈な紫電に染まる。
「アノン! 神話の核の魔力を、全部私の右腕に回しなさい!!」
『……そんなことをすれば、あなたの右腕が消し飛びます!』
「いいからやれ!! 落ちてくる空に、上も下もないってことを教えてやるわ!!」
シオンの右腕に、反逆の泥舟の全エネルギーと、アバドンの【超重力】が極限まで収束していく。
彼女が狙うのは、瓦礫の粉砕ではない。落下してくる五階層分の「質量そのもの」への、物理法則の強制書き換えだ。
「重力反転――『極・天地創造』!!」
シオンの右腕から放たれた極黒の重力波が、防壁を越えて落下してくる階層の中央へと撃ち込まれた。
その瞬間、五階層分の超質量を押し下げていた「下向きの重力」が、局地的に「上向き」へと強引に反転させられた。
ギギギギギギギギギギギギッ!!!!!
凄まじい金属の悲鳴が上がり、数千万トンの落下速度が、空中で文字通り「停止」した。
「今よ! カイル、防壁を剣に変えなさい! 龍崎、ハク、ゼッカ! 一番硬いところをブチ破るわよ!!」
シオンの絶叫に、仲間たちが限界を超えた力で応える。
停止した階層の中央、シオンの重力がこじ開けた「歪み」へ向けて、反逆者たちの全火力が一点に集中した。
「おおおおおおおおおおっ!! 我らが聖光よ、すべての理不尽を切り裂く刃となれ!!」
カイルの絶叫と共に、それまで泥舟の上空を覆っていた純白の絶対防壁が急速に収束し、天を衝くほどに巨大な『光の聖剣』へとその姿を変えた。リオナの全魔力を上乗せされたその輝きは、太陽を遮る漆黒の階層ブロックの底を白銀に染め上げる。
「ガハハハッ!! 最高の舞台じゃねぇか! 落ちてくる空を、真っ二つに叩き割るッ!!」
龍崎が魔鋼の大剣を頭上高くに構え、全身の血管が破裂せんばかりに膨張する。彼の周囲に、限界を超えた身体能力が引き起こす暴風が巻き起こった。
「ハク! ゼッカ!! 合わせなさい!!」
シオンの右腕から放たれた重力反転の波動が、落下する階層の中央をミシミシと歪め、ゼッカの義眼が捉えた「構造的共振点」へとハクの全影が楔となって突き刺さる。
「「――いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」」
カイルの巨大な光の聖剣と、龍崎の全力を込めた一撃が、シオンの重力によって生じた空間の「歪み」へと同時に叩き込まれた。
ズバァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
閃光が世界を真っ白に染め上げ、直後、あらゆる音を置き去りにした超大爆発が巻き起こった。
数千万トンに及ぶ対魔鋼の超質量ブロック。帝国の技術が誇る難攻不落の「空」が、シオンたちの理不尽なまでの暴力の前に耐えきれず、中央に走った一本の亀裂から、文字通り『真っ二つ』に両断されたのだ。
左右に分かれ、爆発の炎を上げながら、下層のゴミ溜めへと崩れ落ちていく巨大な階層の残骸。
その引き裂かれた世界の「ド真ん中の割れ目」を、極彩色の魔力パルスを全開にした『反逆の泥舟』が、猛烈な速度で垂直にすり抜けていく。
ごうごうと吹き荒れる爆風と黒煙を突き抜け、泥舟はついに、第十三層の空間へと躍り出た。
「……ハァ、ハァ……ッ、抜けた……! 抜けたわよ!!」
シオンが黒焦げの舵輪に身体を預け、荒い息を吐きながら、血の混じった唾を吐き捨てて笑った。限界突破した右腕の皮膚からは血が滲んでいたが、その瞳に宿る紫電は一層激しく輝いている。
仲間たちも全員が満身創痍で甲板に倒れ込んでいたが、その顔には、落ちてくる空を力ずくで叩き割ったという狂気的な達成感の笑みが浮かんでいた。
「……信じられない……。システムの、最適解が……完全に、否定された……」
甲板の隅で、セブンが呆然と両手を見つめていた。彼の周囲には、先ほどの崩落の最中にゼッカとハクによって救い上げられた、数十人の上層市民たちが座り込んでいる。
彼らは感情を管理されたサイボーグ市民だった。本来なら、システムに切り捨てられた時点で自己の消滅をただ受け入れるだけの存在。だが今、泥だらけの異邦人たちによって命を救われた彼らの「虚ろだった目」に、明らかなノイズが走っていた。
恐怖、混乱、そして、生まれて初めて抱く「生きている」という安堵。
「……どうして、ワタシたちを、助けた……?」
一人の市民が、震える声でカイルを見上げる。
「どうして、なんて理由はありません」
カイルは息を切らしながらも、剣を鞘に収め、彼らに向けて優しく微笑んだ。
「僕たちの女王陛下が、命を道具みたいに扱う奴らが大嫌いな、最高に理不尽で優しい極道だからです」
シオンは市民たちを一瞥することもなく、再び舵輪を力強く握り締め、頭上を見据えた。
落下する階層をブチ抜いたことで、視界を遮るものはもう何もない。
遥か頭上、残り十数層の先には、これまで分厚い天井の向こうに隠されていた、帝国の心臓部――すべてのシステムを統括するマザーコンピュータが鎮座する最上層【第一セクター】の、禍々しくも巨大な機巧神殿の姿がはっきりと視界に捉えられていた。
「さあ、ブリキの親玉が見えてきたわよ」
シオンは口の端を凶悪に吊り上げ、機関を荒々しく唸らせた。
「自慢のハサミ(パージ)で私たちの髪の毛一本すら切り落とせなかったんだから、次はこちらの番よ! 歯を食いしばって待ってなさい、皇帝!!」
極彩色の光を撒き散らしながら、反逆の泥舟は一切の躊躇なく、帝国の喉元へと向かって最後の垂直突撃を開始した。
迫り来る五階層分の超質量という、これまでにない絶望的な物理攻撃に対し、シオンたちは「重力反転」と「全員の全火力の集中」という規格外の力技で、空そのものを真っ二つに両断して突破しました。
全体の利益のために一部を無感情に切り捨てる。それこそが、感情をノイズとして排除した帝国の出す「完璧な最適解」でした。しかし、シオンたちはその冷徹な論理を真っ向から粉砕しただけでなく、切り捨てられたはずの市民たちの命すらも救い上げて見せました。
命をゴミのように扱うシステムへの怒り、そして極道としての筋。それらが、完璧な計算機の予測を完全に上回ったのです。
泥舟に救われたサイボーグ市民たちの中に芽生え始めた「感情のノイズ」。それは、この鋼鉄の帝国がかつてない規模の『致命的なシステムエラー(バグ)』に侵食され始めている証拠でもあります。
全十四部構成で描かれる第七章。
物語はいよいよ後半戦の山場、第十部へと突入します。
残る階層はあと僅か。皇帝の座す第一セクターが完全に視界に入った今、帝国のメインシステムはこのウイルス(シオンたち)を完全に消去すべく、いかなる最終防衛プロトコルを起動させるのか。
限界を超えてなお加速する泥だらけの反逆者たちの垂直突破劇に、どうぞ引き続きお付き合いください。




