第七章3『論理崩壊の防衛線と、空飛ぶバグ』
海を鏡のような平面へと変質させ、大陸そのものを鋼鉄の要塞へと作り変えた【神聖機巧帝国】。
生命の揺らぎすら徹底的に排除され、完璧な計算と冷徹な秩序のみが支配するその領域は、いかなる外敵の侵入も許さない「絶対防衛の箱庭」であった。
だが、そこに一切の空気を読まず、極彩色の魔力と泥臭い野生を撒き散らしながら突撃を噛ます異形の飛空艦が一つ。
神話の核と機械の残骸を無理やり縫い合わせた『反逆の泥舟』は、帝国の常識を真っ向から粉砕すべく、空を埋め尽くす無数の防衛艦隊へと笑いながら突っ込んでいく。
論理と非論理。完璧なる鋼鉄と、限界を知らない泥だらけの反逆。
決して交わることのない二つの理が、圧倒的な熱量となって激突する。
『……警告、警告。前方より高出力のエネルギー収束を多数検知。敵防衛艦隊、一斉射撃態勢に入ります。……その数、五百隻』
アノンの無機質な警告音が、機関の轟音に掻き消されんばかりに操舵輪の横で響き渡った。
鋼鉄の大陸の沿岸部に展開した五百の艦隊。それは、それぞれが独立して動いているのではなく、背後にそびえ立つ超巨大な指令塔とリンクし、一つの完璧な『演算兵器』として稼働していた。
「五百隻の同時砲撃……! シオン様、このまま突っ込めば、いくらこの船でも蜂の巣にされます!」
甲板で防御障壁を展開しようとしていたカイルが、あまりの絶望的な数に声を張り上げる。
だが、シオンは魔鋼の舵輪から手を離すどころか、さらに深く握り込み、狂気すら孕んだ獰猛な笑みを浮かべた。
「蜂の巣? 冗談じゃないわ。ブリキのオモチャの弾幕なんて、この船の『バグ』で全部狂わせてやる!! ハク、ゼッカ!! 奴らの目玉を潰しなさい!!」
「ハッ、人使いの荒い女王様だぜ! ……だが、俺の影(泥)は、綺麗な機械ほどよく汚すぞ!」
メインマストの頂上に張り付いたハクが、自身の全魔力を解放した。
彼の足元から迸った漆黒の影は、物理的な攻撃としてではなく、超広範囲の「魔力ジャミング」として空間に散布される。影の粒子が空間の光の屈折率をデタラメに書き換え、帝国の艦隊が依存している光学センサーとレーダー網に致命的なノイズを走らせた。
「……光学迷彩と空間座標の改ざん、完了。敵のロックオンシステム、現在大混乱中です」
音もなく船首の先端に立ったゼッカが、義眼を極限まで明滅させながら敵のネットワークの綻びを視認する。
「シオン女王陛下。奴らの陣形は完璧ですが、完璧に連動しすぎている。……一部のセンサーが狂えば、全体が『論理的矛盾』を起こしてフリーズします」
『――対象の空間座標が消失。物理法則に反する重力異常を検知。予測射撃プログラム、エラー。エラー』
ゼッカの分析通り、空を覆っていた帝国艦隊の砲門が、一瞬だけピタリと停止した。ハクの影と、機関部から漏れ出す神話の魔力が、彼らの計算機に「存在し得ない物理現象」を叩き込み、AIを一時的なクラッシュへと追い込んだのだ。
「そのコンマ一秒があれば、極道には十分すぎるんだよォォッ!!」
停滞した敵陣のド真ん中へ。
『反逆の泥舟』は一切の減速なしに突っ込み、同時に、船首で待ち構えていた龍崎が、筋肉を爆発させて魔鋼の大剣を横薙ぎに一閃した。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
砲撃ではなく、飛空艦ごと突っ込んでの「大剣による直接斬撃」。
常軌を逸したその物理攻撃は、論理的なエネルギーシールドを力ずくで引き裂き、最前列に陣取っていた帝国の巡洋艦三隻をまとめて両断した。
爆発の炎と鋼鉄の破片が吹き荒れる中、泥舟は無惨に割れた敵艦の残骸を強引に跳ね除け、防衛線の内側へとその巨体をねじ込んでいく。
「さあ、計算機がパンクするまで暴れ回るわよ!! 私たちの最高に理不尽なカチ込み、とくと味わいなさい!!」
シオンの咆哮と共に、機関部に封じられた三つの神話核がけたたましく脈動する。
完璧な計算を嘲笑うかのように、空飛ぶバグと化した泥舟は、鋼鉄の大陸の空を蹂躙し始めた。
「右舷から敵機接近! 数、およそ五十! 統率された陣形で突っ込んできます!」
カイルの切羽詰まった声が飛ぶ。
シオンが横目で確認すると、先ほどの混乱からいち早く立ち直った無人飛空艇の群れが、一糸乱れぬ動きで『反逆の泥舟』の側面へと肉薄してきていた。彼らは単なる砲撃ではなく、機体そのものを回転させながら、高周波ブレードを展開して船体に物理的な切断を試みようとしている。
『……敵AI、こちらのジャミング波長を学習し、光学センサーから物理的接触による破壊行動へシフトしました。到達まで、残り五秒』
「学習速度だけは一人前ね! だけど、近接戦で私たちに勝てると思ってるなら、大間違いよ!」
シオンが舵輪を思い切り右へ切ると、船体は反重力機関の悲鳴と共に、空中で物理法則を無視した「横滑り(ドリフト)」を見せた。
その凄まじい遠心力を利用し、甲板に立っていたカイルとリオナが同時に前に出る。
「泥だらけの乱戦なら、大湧泉で嫌というほど経験済みです! ――リオナ!」
「うんっ! カイル、合わせるよ!」
昼国の聖騎士であるカイルの剣に、リオナの莫大な魔力が注ぎ込まれる。彼らが放つのは、神話の時代から続く純粋な『光』の魔力。だが、それはただの神聖魔法ではなかった。
「『聖光・双連星の白刃』!!」
放たれた巨大な光の刃は、空中で複雑に軌道を変えながら飛空艇の群れへと殺到した。
『……未確認エネルギーの接近を検知。エネルギー吸収シールド、展開』
帝国の飛空艇は即座に対抗策を講じるが、光の刃がシールドに接触した瞬間、彼らの演算処理は再び致命的なエラーを引き起こした。
『ガガッ……エラー。対象エネルギーに【治癒】と【破壊】の矛盾する属性が混在。吸収不能……論理崩壊……』
カイルの「破壊の聖気」と、リオナの「極限の治癒魔力」。本来なら相容れない二つの魔力が混ざり合った一撃は、機械の論理的な防御システムを内側から完全に狂わせたのだ。シールドを透過した光の刃が、飛空艇の装甲を次々と焼き切り、空中に連鎖的な爆発の花を咲かせる。
「ガハハハッ! 面白ぇ! ブリキ共の脳みそが完全にショートしてやがるぜ!!」
爆炎を抜け、甲板にまで強引に乗り込んできた数体の機巧兵を、龍崎が大剣の腹で野球のボールのように打ち返す。
一切の感情を持たず、ただ最適解のみを弾き出すはずの機械の軍勢が、シオンたちの「泥臭い非論理」の前に、まるで手足をもがれた虫のように無様な動きを晒していた。完璧なシステムであればあるほど、一度計算外の「バグ」が入り込むと修正がきかない。それが神聖機巧帝国の最大の弱点であった。
「……良い傾向です。ですが、シオン女王陛下。敵の本陣は、この程度の小手調べで沈黙するほど甘くはないようです」
次々と敵機をスクラップに変えていく中、船首に立つゼッカが義眼を細め、前方に広がる分厚い雲の先を指差した。
無数の残骸が降り注ぐ中、帝国の防衛線のさらに奥深く。
そこには、先ほどの五百隻の防衛艦隊すらも「ただの前座」に過ぎなかったと思わせるほどの、絶望的な質量が姿を現そうとしていた。
鋼鉄の大陸の空を覆い隠すほどの巨大な影。それは、海を渡って大湧泉を襲撃しようとしていた『巨大浮遊都市』の、数倍の規模を誇る超大型の戦略防衛要塞であった。
分厚い雲海を完全に吹き飛ばし、その全貌を現した『それ』は、もはや兵器という概念を超越していた。
大湧泉を襲おうとした巨大浮遊都市が赤子に見えるほどの、圧倒的な質量。数千の歯車と幾何学的な装甲板で構成されたその超大型戦略防衛要塞は、空に浮かぶ巨大な「鋼鉄の壁」となって、泥舟の行く手を完全に塞いでいた。
『……対象の特異性を、帝国本星のメインコンピュータへ送信完了。これより、要塞主砲群による【空間事象ごとの消去】を実行する』
要塞の中心部に、太陽すらも青白く変色させるほどの極大のエネルギーが収束し始める。
それは艦隊が放っていたプラズマとは次元が違う。空間の因果律そのものを演算によって書き換え、標的を「最初から存在しなかったこと」にするための、絶対的な秩序の光。
「おいおい……! さすがにアレをまともに食らったら、泥舟ごと宇宙の塵になっちまうぞ!!」
ハクが、かつてない焦燥を顔に浮かべて叫ぶ。
だが、シオンは狂気的な笑みを絶やさない。彼女は舵輪を固定すると、機関部のパネルを素手で殴り壊し、安全装置の魔力回路を物理的にへし折った。
「アノン! 神話の核、全部限界突破させなさい! エンジンが焼け焦げようが関係ない、このまま要塞のド真ん中に風穴を開けるわよ!!」
『……警告。全機関のリミッターを解除した場合、船体の崩壊確率は99.9パーセントに到達します。――ですが、シオン。あなたの生存本能が『突破できる』と告げるなら、私はそれに従います』
アノンの音声が、かつての無機質なシステムのものから、シオンに付き従う「共犯者」のそれへと変わる。
ズガガガガガァァァァァンッ!!
三つの神話の核が臨界点を突破し、反逆の泥舟は極彩色の巨大な流星と化した。装甲が熱で溶け落ち、ベヒモスの骨格が悲鳴を上げるが、それらを龍崎の気合とハクの影、ゼッカの微調整、カイルとリオナの魔力が力ずくで繋ぎ止める。
「神様だってぶっ飛ばしたんだ!! ブリキの壁ごときで、俺たちの前を塞げると思うなァァァッ!!」
『――要塞主砲、発射』
帝国の要塞から放たれた消去の青白い閃光。
対するは、物理法則を完全に無視し、泥と野生の魔力を極限まで圧縮した極彩色の泥舟。
二つの相反する理が、鋼鉄の大陸の空で正面から激突した。
ギュォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!
閃光と極彩色が交差した瞬間、音が消え、空間に巨大な亀裂が走った。
帝国の『空間消去』の演算は、泥舟から放たれる矛盾に満ちた魔力と、それにしがみつく者たちの「生への執着」を計算しきれなかった。完璧な数式に、致死量のバグが叩き込まれたのだ。
「オラァァァァァァッ!! 退けェェェェェッ!!」
シオンと龍崎の絶叫が重なる。
直後、青白い閃光がガラスのように砕け散った。
極彩色の流星と化した反逆の泥舟は、帝国の誇る超大型戦略防衛要塞の中心部を、文字通り『物理的』に貫通した。
幾千もの歯車と鋼鉄の装甲板が爆散し、要塞が真っ二つに裂けて大爆発を起こす中、ボロボロになった泥舟は黒煙を上げながら、ついに防衛線の「内側」へと躍り出た。
「……ハァ、ハァ……! やった、抜けたわよ!!」
シオンが黒焦げになった舵輪にしがみつきながら、荒い息を吐いて笑う。
仲間たちも全員が満身創痍で甲板にへたり込んでいたが、その顔には最高に爽快な笑みが浮かんでいた。
振り返れば、崩壊していく防衛要塞の残骸が火の粉となって空を舞っている。
そして彼らの目の前には、帝国領の最外郭を突破したことで初めて全貌を現した、圧倒的なスケールの『機械化大陸』の本陣が広がっていた。
「……随分と手荒なノックになっちまったが、これで少しは、私たちの存在を認識してくれたかしらね」
シオンは、眼下に広がる完璧に舗装された鋼鉄の大地を見下ろし、牙を剥いた。
防衛線を力ずくで食い破った空飛ぶバグ。
神聖機巧帝国の心臓部へ向けた、反逆者たちの真のカチ込みが、ここから始まる。
空を埋め尽くす防衛艦隊、そして絶対的な力を持つ防衛要塞。
帝国が誇る完璧な論理の壁を、シオンたちは「一切の手加減なしの力技」と「計算不能のバグ」で強引に粉砕し、ついに大陸の内側へと侵入を果たしました。
いかに優れた演算システムであっても、自己の生存すら度外視した狂気的な突撃や、神話の魔力という規格外のノイズを瞬時に処理することはできませんでした。
『反逆の泥舟』は満身創痍になりながらも、その役割を十二分に果たしたと言えます。
しかし、外殻を破ったからといって安堵できるわけではありません。
これから彼らが足を踏み入れるのは、すべてが機械と計算によって統治された、完全なるアウェーの領域です。帝国のメインコンピュータは今回のイレギュラーな戦闘データをすでに学習し、次なる「対バグ用の最適解」を弾き出していることでしょう。
全十四部構成で描かれる第七章。
次なる第四部からは、いよいよ帝国領の内部へと舞台を移します。
鋼鉄の森の中で、泥だらけの反逆者たちはどのような戦いを繰り広げるのか。相反する二つの理の激突は、さらに激しさを増していきます。




