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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第六章:未知なる大陸と、目覚めし神話の巨獣たち
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第六章9『極東の深海と、海を割る神話獣』

黄金の砂塵が舞う死地を越え、一行の前に現れたのは、世界の終わりを予感させるほどに広大な、漆黒の水平線であった。

紅の大陸アウストラの最東端。そこは、これまでの過酷な大地すらも生ぬるく感じさせるほど、暴力的なマナが荒れ狂う「絶望の深淵」——【極東の海】である。

空を覆い尽くす分厚い黒雲からは絶え間なく雷鳴が轟き、山脈のようにうねる高波が、切り立った断崖絶壁を容赦なく削り取っている。

シオンたちが手にした【創世の鍵】は、陸のベヒモス、空のジズ、火のサラマンダー、砂のアバドンという四つの神話の鼓動を宿し、今やその放つ黄金の光は、暗黒の海を切り裂く灯台のように激しく明滅していた。

次なる標的は、この荒れ狂う暴風雨のさらに下、光すら届かぬ一万メートルの海溝に眠る、星の涙の守護者。

泥だらけの異邦人たちは、もはや逃げ場のない陸地を離れ、星の存亡を懸けた最後の大航海へとその身を投じる。

海を割る最大の覇獣との決戦。それは、人類が一度も足を踏み入れたことのない、暗黒の深淵へと続く反逆の序曲であった。

「……冗談じゃないわね。これ、海っていうより、ただの『水の監獄』じゃない」


シオンは、強烈な潮風に黒髪を乱されながら、断崖の先を見下ろして低く唸った。

視界のすべてを支配するのは、重く沈んだ漆黒の海水と、天を突くような水柱を噴き上げる巨大な竜巻の群れ。潮の香りはもはや塩辛いというレベルを超え、肺の奥を焼くような鉄の臭いを帯びている。

背中の『ジズのマント』が、荒れ狂う風の魔力に共鳴してバサバサと激しく羽ばたき、シオンの身体を海へと引きずり込もうとする突風からかろうじて繋ぎ止めていた。


「ガハハハッ! 砂遊びの次は、海水浴ってか!? だがよぉ、この波に飛び込んだら、幻狼どころか俺の魔鋼鎧だって一瞬でスクラップだぜ!!」

龍崎が、アバドンの砂嵐で表面をボロボロに削られた『覇獣の魔鋼鎧』を叩き、豪快に笑う。だが、その瞳にはこれまでにない警戒の光が宿っていた。

極道の直感が告げている。この海の底には、これまでの神話獣たちとは比較にならない「圧倒的な質量」が潜んでいると。


「……マナの反応が、もはや個体のそれではありません。この海域全体が、一つの魔法陣として機能しています」

カイルが、白銀の聖剣を強く握りしめ、荒れ狂う海面に視線を固定する。

「リオナ、下がっていて。……この海、吸い込まれたら最後、魂ごと浄化されずに『消滅』させられるわ」

「うん……。でも、カイル。あの波の底から、誰かが悲鳴を上げているような……そんな音が聞こえるの」

リオナが震える手で胸元を押さえる。彼女の持つ聖女の知覚は、深海に沈む地脈のノードが、虚神の汚染によって発している「星の絶叫」を感じ取っていた。


「アノン。……ここを潜る手段はあるの?」

シオンが懐の【創世の鍵】に手を当てる。鍵は、深海を指し示すように、冷たく、しかし鋭い拍動を繰り返していた。


『……現在の装備および生体構造では、水深五百メートルで水圧により圧壊します』

アノンの声が、落雷の音に混じって響く。

『……ですが、シオン。貴女の手元にはすでに、三つの神話の素材と、星の設計図が揃っています。……ベヒモスの「骨格」、ジズの「推進力」、アバドンの「重力制御」。これらを組み合わせて、深海の闇を切り裂く【棺】を創りなさい』


「……棺、ね。死ににいくみたいで縁起でもないけど、上等よ!!」


シオンの号令の下、大湧泉から追従してきたドブネズミの技師たちと極道たちが、断崖の上で突貫作業を開始した。

ベヒモスの巨骨を外殻とし、アバドンの感応結晶を重力バラスト(重り)として組み込む。さらには、ジズの魔力羽を最後尾に接続し、シオンの雷属性を噴射剤とする超高圧のスクリューを形成する。

それは、船ではない。深海一万メートルへと一直線に突き刺さるための、黄金の特攻潜水艇であった。


「野郎ども、準備はいいわね!! 泥水すすって生きてきた私たちの、最後の大博打よ!!」


シオンが完成した無骨な潜水艇のハッチを蹴り開け、真っ先に乗り込む。

「おうよォォッ!! 海神様を釣り上げて、大湧泉の宴会の肴にしてやるぜ!!」

龍崎たちが続き、ハクが影の幕を張って艇内の気密を強化する。カイルとリオナが、結界の光で内部を照らした。


艇が大湧泉の技術と神話の力を結集して閉鎖された、その瞬間。

断崖から、黄金の弾丸が漆黒の荒波へと射出された。


ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!


規格外の水柱を上げ、特攻潜水艇は荒れ狂う海面を突き破り、光の一切届かない死の深淵へと一直線に沈降を開始した。

視界が暗転し、ベヒモスの骨が軋む不気味な音が響く。

第四の神話、深海の覇王リヴァイアサンとの死闘。それは、息をすることすら許されない絶望の底で、今まさに幕を開けた。


ギギギギギギィィィィィィッ!!


特攻潜水艇の骨格を成すベヒモスの巨骨が、深度三千メートルを超えたあたりから、これまでに聞いたこともないような不気味な悲鳴を上げ始めた。

窓の外は、すでに光の一片すら届かない完全なる暗黒。艇内を照らしているのは、カイルとリオナが放つ微かな聖気の光と、最後尾でスクリューを回し続けるシオンの紫電だけである。


「……ッ、この水圧……! 上から大陸を丸ごと押し付けられてるみたいだわ!」

シオンは最後尾の魔力供給席で、雷月の柄を握り締めながら歯を食いしばった。彼女が放つ雷属性のエネルギーは、ジズの魔力羽を通じて後方へと噴射され、艇を強引に深淵へと押し進めているが、押し寄せる海水の質量はその推進力すらも押し潰そうと牙を剥いている。


「ハク!! 影の気密膜が薄くなってるわよ! 補強しなさい!!」

「無茶を言うな……ッ! 影が水圧で液状化しちまってんだよ!! 龍崎、そっちのバラストはどうなってやがる!!」

ハクが顔面を蒼白にしながら、影の触手で艇内の接合部を必死に繋ぎ止める。


「ガハハハッ! アバドンの結晶が熱を持ってやがるぜ!! 泥だらけの根性見せろ、この砂利共!!」

龍崎が中央の制御レバーを力任せに引き込み、アバドンの感応結晶による「重力制御」を最大まで引き上げる。アバドンの特性により、艇の周囲にのみ逆転した重力場を形成し、海水の圧力を強引に逃がすが、それでも外部からの衝撃は凄まじい。


『……深度七千を突破。これより、リヴァイアサンの直接支配域、通称【静寂の牢獄】に突入します』

アノンの警告と同時に、艇を襲っていた激しい振動が、嘘のようにピタリと止んだ。

だが、それは平穏の訪れではない。

窓の外の暗黒が、粘り気を持った「意志ある水」へと変質したのだ。


ドォォォォォォォォォォォォォンッ!!


突如、艇の側面を巨大な「何か」が掠めた。ベヒモスの骨格が大きく歪み、龍崎の身体が激しく壁に叩きつけられる。


「なんだ、今のは!? 岩か!?」

「いいえ、生き物です! ……それも、とてつもなく巨大な!!」

カイルが聖剣を抜き放ち、その輝きで窓の外を一瞬だけ照らし出した。


そこに映ったのは、数千メートルに及ぶ長大な『鱗の壁』であった。

海を割る神話獣リヴァイアサン。その巨体は、一万メートルの海溝そのものを寝床とするほどに巨大であり、シオンたちの乗る潜水艇など、その身体を這う寄生虫ほどの大きさでしかない。


「ギィォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」


潜水艇の壁越しに、全細胞を震わせるような超低周波の咆哮が響き渡った。

リヴァイアサンの双眸が、暗黒の底で青白く発光する。それはサーチライトのように深海を焼き、特異点たちの存在を明確に捉えた。

神話の覇者は、侵入者を排除すべく、その巨大な尾鰭を一振りした。それだけで一万メートルの海底には巨大な「水圧の刃」が発生し、シオンたちの潜水艇を木っ端微塵に粉砕せんと迫り来る。


「……上等じゃない。海神様がお目覚めなら、最高のご挨拶をぶちかましてあげるわ!!」

シオンは【創世の鍵】の出力を最大へと引き上げた。艇内に黄金の光が充満し、雷月の刀身が超振動を始める。

逃げ場のない深海の底。物理法則すらも水圧に跪く絶望の淵で、シオンたちは自らその巨大な「あぎと」へと突撃を開始した。


「逃げも隠れもしないわ……真っ向から、その喉元を喰い破ってあげる!」


シオンの叫びと共に、【創世の鍵】が深海の闇を塗り替えるほどの黄金の輝きを放った。潜水艇の最後尾、ジズの魔力羽が雷月の紫電と共鳴し、超高圧のキャビテーション(気泡)を発生させる。艇は水圧の刃を紙一重で回避しながら、リヴァイアサンの開かれた大顎おおあぎとへと一直線に加速した。


「野郎ども、衝撃に備えろ!! 飲み込まれるんじゃねぇ、内側からカチ込むんだよ!!」

龍崎がベヒモスの骨格にしがみつき、全闘気を込めてアバドンの結晶を爆発させた。瞬間的な重力偏向により、艇はリヴァイアサンが吐き出した超高圧の水流を「受け流し」ながら、巨大な口内へと滑り込む。


暗黒の口腔内は、それ自体が異界のようだった。

周囲の壁は生々しい肉ではなく、硬質な水の結晶で覆われ、そこから無数の『反魔力の触手』が伸びて艇を絡め取ろうとする。


「ハク!! 防御は任せたわよ!!」

「チッ、これ以上無理させんな! 影よ、この深海の檻を喰らい尽くせ!!」

ハクの全存在を懸けた影の膜が、リヴァイアサンの触手と激突し、火花のようなマナの残滓を散らす。その間に、カイルとリオナが艇の先端に立ち、浄化の光を一点に集束させた。


「見えたわ……地脈の心臓!!」

シオンの視線の先、リヴァイアサンの咽喉の奥深くで、青白く、しかし禍々しく変色した第四の【地脈のノード】が脈動していた。虚神の泥に汚染されたその輝きは、海そのものを呪い、腐敗させようとしている。


「カイル、リオナ! 道を開けなさい!!」

「「聖なる光よ、深淵を照らせ!!」」


二人の放った光の奔流が、道を塞ぐ水の結界を一時的に霧散させる。シオンは潜水艇のハッチを内側から蹴り破り、一万メートルの水圧が艇内に雪崩れ込む寸前、魔剣『雷月』を地脈の要へと投擲した。


「――星の涙を、私に預けなさい!!」


創世の鍵を介した一撃が、要の汚染を瞬時に蒸発させ、リヴァイアサンの膨大な魔力を直接『鍵』へとバイパスさせた。

「ギィィォォォォォォォォォォォッ!!!!」

海を割る神話獣が、これまでで最大の苦悶の咆哮を上げる。全身から黄金の光が溢れ出し、一万メートルの暗黒空間が太陽のように輝いた。


リヴァイアサンの巨体は、霧のように海水へと溶け込み、その代わりにシオンの手元には、海の属性を宿して冷たく澄み渡った輝きを放つ、完成間近の【創世の鍵】が戻ってきた。


潜水艇はリヴァイアサンの消滅によって発生した巨大な上昇水流に乗り、暗黒の底から光射す海面へと一気に突き上げられた。

漆黒の深淵から生還した一行を待っていたのは、荒れ狂う嵐が去り、静寂を取り戻した海面であった。

一万メートルの闇を経験した彼らにとって、水平線から差し込む微かな光は、何物にも代えがたい救いのように感じられた。


陸、空、火、砂、そして海。

紅の大陸アウストラに眠る五つの神話のうち、四つまでがシオンの手に落ちた。

【創世の鍵】は、今やそれ自体が一個の恒星のような質量と魔力を宿し、シオンの魂を激しく揺さぶっている。もはや、この鍵がなければ彼女の身体が崩壊しかねないほどの、強大すぎる力がそこに凝縮されていた。


だが、安堵の時間は一瞬で終わりを告げる。

アノンが指し示す最後の座標――それは、大陸の最北端。かつてシオンたちが目覚めた場所であり、すべての物語が始まった【新星都市・大湧泉】のさらに奥。

星の記憶の根源であり、星を喰らう虚神が最後に狙う場所。


「……最後の一戦ね」

シオンは濡れた髪をかき上げ、黄金に輝く鍵を高く掲げた。

泥だらけの異邦人たちの旅は、ついに星の命運を分かつ最終局面へと突入する。

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