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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第六章:未知なる大陸と、目覚めし神話の巨獣たち
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第六章5『音無き谷と、忍び寄る星の病巣』

星降る夜空は、かつて彼らにとって自由と解放の象徴であった。

神のシステムという分厚い天蓋を打ち砕き、ようやく見上げた真実の宇宙。しかし、古代の魔導方舟で自らの前世から託されたメッセージは、その美しき星海の奥底に、底知れぬ「悪意」が潜んでいることを告げていた。

外宇宙からの汚染――真なる災厄。

数千年前の大魔導士たちが、自らの魂を犠牲にしてまでこの星をシステムという名の「檻」に引きこもり、隠蔽しなければならなかったほどの絶対的な恐怖。それが今、封印を解かれた星の匂いを嗅ぎつけ、再び深淵から忍び寄ろうとしている。

だが、暁の星徒たちの歩みは決して止まらない。

知らぬまま檻の中で停滞を享受するよりも、傷だらけになっても自らの足で未来を勝ち取る道を選んだのは、他でもない彼ら自身なのだ。

灼熱の赤砂を踏み越え、大陸の最南端へ。すべての音が死に絶えるという【静寂の谷】を目指す泥だらけの異邦人たちの瞳には、未知への恐怖を焼き尽くすほどの、強烈な使命の炎が宿っていた。

「……なんだか、気味が悪いほど静かになってきたわね」


紅の大陸アウストラを南下し始めて数日。

シオンは、新調した漆黒と青緑色のマントの襟を引き寄せながら、周囲の景色を警戒するように見回した。

かつて彼らを焼き焦がそうとしていた灼熱の太陽は、いつの間にか厚い灰色の雲に遮られ、荒野を吹き抜けていた熱風も、肌にまとわりつくようなネットリとした冷気へと変質している。


それ以上に異様なのは、大地の「色」と「音」だった。

見渡す限り続いていた赤茶けた砂は、南へ進むにつれて生気を失ったような『灰白色かいはくしょく』へと変色し、踏みしめるたびに雪のようにボソボソと崩れる。

そして、ベヒモスやジズといった神話の巨獣たちが支配していた荒々しいマナの波動が、ここでは完全に途絶え、虫の羽音一つ、風のせせらぎ一つ聞こえないのだ。


「グルルゥ……、クゥン……」

龍崎を乗せたアルファ個体の幻狼が、極度に警戒した様子で鼻先を地面に擦りつけ、不安げに喉の奥を鳴らした。


「……おいおい、うちの猛犬どもが怯えてやがるぜ。ただ静かってだけじゃねぇ。空気が重すぎて、息をするのも窮屈だ」

龍崎が、幻狼の銀色の首筋を力強く撫でて落ち着かせながら、魔鋼の大剣を油断なく構え直す。


「龍崎殿の仰る通りです。……大湧泉オイズムや紅の大陸の北部には、暴力的であれ『生命の脈動』がありました。ですが、ここは……」

ゼッカが義眼の出力を最大に引き上げながら、周囲の灰白色の大地を睨み据える。

「まるで、星の生命力そのものが『漂白』されているかのような……絶対的な虚無です」


『……環境マナの波長、異常低下。これより先、大地の魔力密度が極端に希薄な領域へと突入します』

カイルの背中で、アノンが緑色の瞳を暗く明滅させながら警告を発した。


「ここが、前世の私たちが言っていた【静寂の谷】の入り口……。外宇宙の汚染とやらが、この大地をこんな風に変えちゃったのかな……」

リオナが、純白のドレスの裾を握りしめ、カイルの背中に少しだけ身を寄せる。


「案ずることはありません、リオナ様。相手が星の病であれ災厄であれ、僕の聖気で必ず浄化してみせます」

カイルが、リオナを庇うように一歩前へ出た。


シオンは、無言のまま魔剣『雷月』の柄に手を当てていた。

古代の魔導方舟で見た、前世の自分自身の顔。システムという檻を創り、人類を停滞させた「元凶」は自分たちだったのだという事実。その重圧が、見えない鎖のように彼女の思考に微かな影を落としている。


(……私たちが、この星を歪めた。そのツケを払うための場所が、ここ……)


「……おい。柄にもなく、難しい顔してんじゃねぇぞ」


不意に、隣を歩いていたハクが、漆黒の影をヒョイと伸ばし、シオンの頬を軽く、だが容赦なく引っぱたいた。


「いっ……! ちょっとハク、何すんのよ!」

「てめぇが前世の因縁だか何だかでウジウジ悩んでるのが、見てて腹立つんだよ。……俺たちは泥水すすって、極道や暗殺者どもと一緒に神様をぶん殴って、ここまで生きてきたんだろうが」


ハクは、ダボダボのパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、呆れたようにシオンを鼻で笑った。


「前世のてめぇらがどんだけ偉い大魔導士だったか知らねぇがな、今のシオンは、俺たちに背中預けて最前線で剣を振り回してる『大湧泉の喧嘩番長』だろ。……だったら、過去の尻拭いじゃねぇ。今の俺たちの未来の邪魔になるモンを、端から全部ぶっ壊す。それだけで十分じゃねぇか」


ハクの、乱暴だが芯を食った言葉。

それに続くように、龍崎が「ガハハッ! 違いねぇ!」と笑い飛ばす。


「ハクの兄貴の言う通りだぜ、姉御! 宇宙の災厄だか何だか知らねぇが、極道のシマに土足で踏み込んでくるなら、全部俺たちのドスの錆にしてやらぁ!!」

「我々ドブネズミも、主君の往く道であれば、宇宙の果てだろうと影を落としてご覧に入れます」


仲間たちの頼もしく、そして一切の迷いがない声に、シオンの心に落ちていた微かな影が、スッと晴れ渡っていく。


「……ふふっ。そうね。あんたたちみたいな最高に柄の悪い連中を連れて、今更お上品に悩むなんて似合わなかったわ」

シオンは、痛んだ頬を撫でながら、かつてないほど不敵で獰猛な笑みを浮かべた。


「さあ、行くわよ! 星の病だろうが災厄だろうが、大湧泉の流儀で全部叩き直してやるわ!!」


一行が、灰白色の荒野をさらに南へと進むと、やがて大地の裂け目のような、底の見えない巨大な『大渓谷』が口を開けて待ち受けていた。

ここが、【静寂の谷】。

足を踏み入れた瞬間、外界の微かな風音すらも完全に遮断され、まるで分厚い水の中に潜ったかのような、強烈な無音状態サイレントが一行の鼓膜を圧迫した。


『……警告。空間内部の物理法則に変異。これより、我々の声や音は、魔力による特殊な振動テレパシーを介さなければ伝達不可能です』

アノンの無機質な声が、直接脳内に響く。


「……なるほど、音の概念そのものを奪われるから『静寂の谷』ってわけね。本当に気味が悪い場所」

シオンも、口を動かさずに思念波で仲間たちに語りかける。


谷の底へと続く、灰色の結晶でできた階段を慎重に降りていく一行。

だが、その時。


ギ……、ギギギ……ッ。


無音の世界であるはずの谷の奥底から、骨を擦り合わせるような、おぞましくも甲高い『ノイズ』が、直接彼らの脳髄を削るように響き渡った。


「……ッ!? なんだ、この波長は!! 頭が割れるように痛ぇ!!」

龍崎の舎弟たちが、思わず武器を取り落とし、頭を抱えてその場にうずくまる。ハクの幻狼たちも、苦痛に耐えかねて悲鳴を上げた。


「敵襲です! 前方より、複数の未知の魔力反応!!」


カイルが白銀の聖剣を抜いた先。

灰色の霧が立ち込める谷の底から、ゆっくりと姿を現したのは、神話の獣のような威厳ある姿ではなかった。

それは、黒い泥と砕けた幾何学模様のガラスが、無秩序に融合したような『不定形の怪物たち』だった。顔も、目も、口もなく、ただ星の生命力を喰らい、汚染するためだけに蠢く、外宇宙の病巣の欠片。


「……こいつらが、宇宙の災厄のおこぼれってわけね。見た目も波長も、これまでの魔獣とは完全に別物だわ」


シオンが魔剣『雷月』を抜き放ち、ハクが漆黒の影の爪を展開する。

音の消え果てた絶望の谷底で、星の未来を侵蝕する「真なる災厄」との、かつてない異質な死闘が、静寂のノイズと共に幕を開けようとしていた。


(野郎ども!! あの泥に絶対触れるな! 剣が、魔鋼ごと溶かされやがる!!)


無音の谷底に、龍崎の焦燥に満ちた思念波が飛び交った。

幻狼の機動力を活かし、真っ先に泥の怪物へと斬りかかった舎弟たちだったが、彼らの握る紫雷魔鋼の大剣が泥に触れた瞬間、ジュワッという音さえ立てずに刀身がボロボロと崩れ落ちてしまったのだ。

怪物は斬撃を意に介さず、アメーバのように不定形な泥の触手を伸ばし、極道たちを幻狼ごと飲み込もうと迫る。


(クソッ、俺の闇で押さえ込む! ――って、おい!? 俺の影まで喰われてやがるぞ!!)

ハクが展開した漆黒の影の杭も、泥の怪物に突き刺さった端からドロドロと溶かされ、逆に怪物の体積を増やす養分となってしまっていた。


『……対象の波長を解析。この泥は、星のマナそのものを捕食し、分解する【反魔力アンチ・マナ】の特性を持っています。この星の理で構成された物理攻撃および単一魔法は、すべて無効化され捕食されます』

カイルの背中で、アノンが緑色の瞳を激しく明滅させながら、絶望的な事実を脳内に直接伝達する。


(反魔力……! だから、ここにはマナの気配すら一切なかったのね!)

シオンが、怪物の触手を間一髪で躱しながら歯を食いしばる。

星の生命力を直接喰らう宇宙の病巣。それが数千年の間、この谷底でひっそりと巣食っていたのだ。


(シオン様! 僕とリオナ様の浄化魔法なら、かろうじて進行を弾けます! ですが、数が多すぎる!)

カイルが白銀の防壁を展開し、リオナが純白の光を放射する。

反魔力の泥も、魂の融合から生まれた「浄化」の概念だけはすぐには捕食できず、光に触れた部分だけがジリジリと後退していく。だが、谷の奥から湧き出してくる泥の怪物の数は数十、数百と増え続けていた。


(このままじゃジリ貧です! ゼッカ殿、新調した武器はどうですか!?)

カイルが防壁を支えながら叫ぶ。


(……ええ。驚くべきことに、神話の巨獣の素材は、この宇宙の泥の腐食に耐えうるようです)

無音の空間を滑るように移動したゼッカが、空の覇獣ジズのくちばしから打ち出した『漆黒の魔導短剣』を閃かせた。

短剣から発生する真空の刃が、泥の怪物の触手を鋭く切り飛ばす。切断面から泥が再生しようとするが、真空の刃がその結合を阻害していた。


(龍崎殿! ベヒモスの青銅骨から打った大剣なら、泥を弾き飛ばせるはずです! 私と龍崎組で泥の外殻を剥がします!)

(ガハハッ! 了解だゼッカの旦那! オラァッ、お前ら! 新しい武器を持ってる奴は前へ出ろ! 泥遊びの時間だぜ!!)


龍崎とゼッカたちの反撃により、怪物の泥が削り取られていく。

すると、真っ黒な泥の中心に、不規則な幾何学模様を描いて明滅する『砕けたガラスのようなコア』が露出した。


『……目標座標、特定完了。あのガラス状の核こそが、外宇宙の汚染物質の本体です。……シオン、ハク。核が露出している時間はわずか三秒。特異点の融合魔力で、核の概念そのものを破壊してください!』

アノンの演算予測が、シオンとハクの脳内に共有される。


(三秒あれば十分よ!! 行くわよ、ハク!!)

(俺に命令すんじゃねぇ!!)


シオンは、ジズの魔力羽を編み込んだ新しいマントを翻し、重力を無視したようなふわりとした跳躍で、露出したガラスの核へと一直線に肉薄した。

ハクの漆黒の影が、シオンの足元に足場を創り出し、さらに彼女の魔剣『雷月』へと螺旋状に絡みついていく。


(星の命を勝手に喰い散らかすんじゃないわよ……! この星はもう、私たちが全部遊ぶって決めたんだから!!)


シオンは、カイルとリオナから送られた光の魔力、ハクの闇、そして自身の限界突破した紫雷を一つに融合させた。

極彩色のオーラが、雷月の刀身で爆発的に膨れ上がる。


(――『絶影紫雷・星還し(ほしがえし)』!!!!)


無音の世界に、光だけの極大の落雷が閃いた。

シオンの振り抜いた極彩色の刃が、泥の中心で明滅していたガラスの核を真っ向から両断する。


ピキッ……。パリーンッ……!!


音が聞こえないはずの谷底で、その「核が砕け散る概念の音」だけが、彼らの魂に直接響き渡った。

核を破壊された泥の怪物は、反魔力の特性を完全に失い、一瞬にして乾いた灰白色の砂へと変質し、サラサラと崩れ落ちていく。


(……や、やった……! 泥が砂になって消えていくよ!)

リオナが、カイルの背後から身を乗り出して歓喜の思念を飛ばす。


(一匹残らず核を叩き割るわよ!! 龍崎、ゼッカ! 泥の引き剥がしを続けて!!)

(オラァァァッ!! 任せとけ姉御ォ!!)


反撃の糸口を掴んだ一行の動きは、もはや止まらなかった。

極道と暗殺者が神話の巨獣の武具で泥を削り、アノンが核の位置を特定し、特異点たちの融合魔法がそれを的確に粉砕していく。

音無き絶望の谷底で、泥だらけの異邦人たちの完璧な連携が、外宇宙の病巣を次々と浄化し、ただの灰白色の砂へと還していったのである。

最後の泥の怪物が灰となって崩れ落ちた後も、谷底を支配する異様な「静寂」が晴れることはなかった。

戦闘の疲労と、音を奪われた空間での強烈なプレッシャーにより、龍崎の舎弟たちや幻狼たちは、その場にへたり込んで荒い息(それすらも音にはならないが)を吐いている。


(……片付いたみたいね。でも、この谷の空気が重いままってことは、まだ『本命』が奥にいるってことだわ)

シオンが、雷月に付着した灰を振り払いながら、谷のさらに奥深くへと厳しい視線を向けた。


今回現れたのは、あくまで病巣の末端、こぼれ落ちた破片に過ぎない。

前世の大魔導士たちが、自らの命を懸けてシステムを構築してまで封じ込めようとした「真なる災厄」の本体が、この静寂の奥底で今も脈打っているのだ。


一行が警戒を解かずに灰白色の道をさらに進むと、やがて谷の最深部、巨大な岩壁に行き当たった。

そこには、大地の岩盤を直接くり抜いて造られた、見上げるほど巨大な【石の扉】がそびえ立っていた。


(……間違いない。この扉に刻まれてる紋章……大湧泉の始源の石碑や、あの砂漠の魔導方舟にあったものと同じだわ)

リオナが、扉の中心に刻まれた複雑な魔法陣のレリーフを見つめ、確信を持った思念を送る。


数千年前、前世の彼らがこの最果ての地に遺した、本当のレガシー(遺産)。

そして、外宇宙の汚染からこの星を救うための「鍵」が、この重厚な石の扉の向こう側で眠っている。


(ゼッカの旦那。罠とか、変な仕掛けはありそうか?)

龍崎が、大剣を肩に担ぎながらゼッカに視線を送る。

(……いえ。この扉には、物理的な鍵も、殺傷用のトラップも存在しません。ただ、途方もない密度の『魂の認証魔法』が掛けられているだけです)

ゼッカが義眼の光を収め、シオンたち四人を静かに振り返った。


(開ける資格があるのは、前世から因縁を引き継いだ、特異点の皆様だけ……ということです)


シオンは無言で頷き、ハク、カイル、リオナと視線を交わし合った。

ここまで来たのだ。過去の自分たちが何を恐れ、何を託そうとしたのか、すべてを見届ける責任が彼らにはある。


四人が並んで巨大な石の扉の前に立ち、そっと両手を触れた。

音の無い静寂の谷底で、数千年の時を超えた『鍵』が、いよいよその重い封印を解かれようとしていた。

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