第六章3『嵐を縫う影と、重圧の魔法陣』
赤茶けた荒野に、青白い雷光と絶望の風が吹き荒れる。
特異点たちの機転によって大地へと引きずり下ろされた空の巨鳥【ジズ】であったが、それは決してこの神話の獣の死を意味するものではなかった。
空を飛ぶという物理的な優位性を奪われたことで、ジズの魔力は自らの身を守るための『嵐の結界』へと完全に反転したのだ。
周囲数キロにわたって吹き荒れる真空の刃と青白い雷雨は、極道たちの魔鋼の刃を弾き返し、幻狼たちの機動力を完全に封じ込めてしまう。雷属性を操るシオンの魔剣でさえも、同系統かつ規格外の質量を持つ巨鳥の嵐の前に、その威力を相殺されかけていた。
力と力が正面からぶつかり合い、戦況が膠着状態に陥ろうとしたその時。
怒り狂う巨獣の死角を縫うようにして、泥にまみれた『暗殺者たち』が音もなく動き出す。
神の理が消え去った真なる魔法世界において、強者とは単に魔力出力の高い者のことではない。知略と罠、そして一瞬の隙を突く冷酷な牙を持つ者こそが、絶対的な暴力を覆すのだ。
新星都市の暗部を統べる男の義眼が、荒れ狂う嵐の中で冷ややかに煌めいていた。
「……チッ、弾かれた!? 冗談じゃないわよ!!」
シオンが砂を蹴って大きく後退し、舌打ちと共に漆黒の魔剣『雷月』を構え直した。
彼女の放った極限の紫雷は、ジズの巨体を切り裂く直前で、巨鳥が全身から放つ「青白い雷嵐のオーラ」に衝突し、バチバチと激しい火花を散らして霧散してしまったのだ。
「お姉ちゃん! あの鳥、自分の周りの大気を圧縮して、雷と風の複合バリアを張ってる! 雷属性の攻撃は、同調して威力が削がれちゃうよ!」
後方でカイルと共に防壁を展開しているリオナが、砂埃の中で叫ぶ。
「アニキ! こっちもダメッス! 突っ込もうにも、真空の刃が竜巻みたいに渦巻いてて、幻狼の足じゃ近づけねぇ!!」
龍崎の舎弟たちが、顔を覆いながら悲鳴を上げる。
巨鳥ジズは、地に堕ちてなお空の王であった。その巨大な翼を広げて羽ばたくたびに、赤砂の大地が抉られ、無数の暴風雨が全方位へと撒き散らされる。
「クソッ、上から叩き落としてやったってのに、手も足も出ねぇとはどういうこった!!」
龍崎が大剣を盾にして暴風に耐えるが、ジズの結界を破る糸口は見えない。
ハクも影の槍を無数に放つが、嵐の壁に弾かれて軌道を逸らされてしまう。
力押しでは通じない。神話の巨獣が本能で展開した、自然災害そのもののような絶対防御。
特異点と精鋭たちが足止めを食らい、ジズが再び空へと飛び立つための魔力を充填し始めた、その時だった。
「……力には力を、嵐には嵐を。それでは、真っ当な騎士の戦い方と変わりませんよ、シオン女王陛下」
暴風の吹き荒れる中、一切の足音を立てずにシオンの背後へと進み出たのは、漆黒のトレンチコートを翻す暗殺部隊の長、ゼッカであった。
彼の片目に嵌め込まれた義眼が、ジズの周囲で荒れ狂うマナの気流を正確に捉え、チカチカと冷たい光を放っている。
「ゼッカ。……あんた、何か策があるの?」
シオンが紫の瞳を向ける。
「我々ドブネズミは、正面から嵐を斬り裂くような真似はいたしません。嵐が鬱陶しいのであれば、その風ごと、大地に縫い付けて圧殺すればよいのです」
ゼッカが、サングラスの奥で冷酷な笑みを浮かべた。
「暗殺部隊全頭、配置につきました」
ゼッカの耳元の通信用魔導具から、部下たちの低い声が響く。
「……よし。起動しろ」
ゼッカが指を鳴らした瞬間。
ジズの巨体を取り囲むように、赤砂の荒野の数十箇所から、突如として『深紅の光の柱』が天に向かって噴き上がった。
「なんだ……!? いつの間にあんな仕掛けを!」
ハクが驚愕して目を見張る。
光の柱の正体は、先ほどまでシオンたちが解体していた【ベヒモスの青銅の骨の欠片】だった。
ゼッカ率いる暗殺部隊は、シオンたちがジズと正面からやり合っている最中、嵐の死角を完全に縫い、戦場の周囲にベヒモスの骨を『杭』として打ち込んで回っていたのである。
さらに、その杭と杭の間を、ゼッカの得意とする『魔力伝導ワイヤー』が複雑な幾何学模様を描いて結びつけていた。
「……対象の座標、固定完了。地脈のマナと、大地の覇獣の残滓を利用し、空間の法則を書き換えます」
ゼッカが懐から一枚の呪符を取り出し、それに自身の魔力を注ぎ込んで赤砂へと叩きつけた。
「――『超重力縛・展開』」
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!
ワイヤーで結ばれた巨大な【魔法陣】が、ジズの足元に赫々と浮かび上がった。
次の瞬間、空へ向かって吹き荒れていたジズの暴風と雷雨が、見えない巨大な手に上から押さえつけられたかのように、一瞬にしてペシャンコに押し潰されたのだ。
「ギャ……ッ!? ギェェェェェェェッ!?」
ジズが悲鳴を上げ、その巨大な青緑色の身体を赤砂の大地へとめり込ませる。
ゼッカが構築したのは、大地の魔力を極限まで圧縮し、魔法陣の内部に局地的な『超重力』を発生させる暗殺特化の結界魔法であった。
「すごい……! あの嵐の結界が、重力で完全に潰されていく……!」
リオナが、暴風がピタリと止んだ光景に歓声を上げる。
「風は下から上へと吹き抜けるもの。なればこそ、上から下への絶対的な重圧には抗えません。……さらに、魔法陣の起点は、空の巨鳥と相反する『大地の巨獣』の骨。相性は最悪というわけです」
ゼッカが、トレンチコートの襟を正し、事も無げに言ってのける。
「……ハッ、暗殺者ってのは、どこまでも陰湿で最高に頼りになるわね」
シオンが、重力に押し潰されてもがくジズを見据え、口角を獰猛に吊り上げた。
「龍崎殿。あの鳥の翼は、現在数十倍の重力で大地に縫い付けられています。……お望み通り、これで足の爪先から首筋まで、どこからでも斬り放題ですよ」
ゼッカが振り返り、極道たちへ道を譲るように一礼する。
「ガハハハッ!! 最高の舞台用意じゃねぇか、ゼッカの旦那!!」
龍崎が、紫雷魔鋼の大剣を肩に担ぎ直し、幻狼と共に地を蹴った。
「オラァッ!! 今度こそあのデカい鳥の羽を全部毟り取って、大湧泉の布団の中身にしてやらぁ!! 続けェ、野郎ども!!」
重力の魔法陣に囚われ、もがくことしかできない神話の巨鳥。
その絶対的な隙を突き、極道たちの猛烈な突撃と、シオンたち特異点の融合魔力が、ついに空の覇獣の息の根を止めるべく、一斉に解き放たれようとしていた。
「オラァァァッ!! 根元から叩き斬れ!!」
龍崎の豪快な号令と共に、紫雷を纏った数十本の大剣が、重力魔法陣に縫い付けられたジズの巨大な翼へと一斉に振り下ろされた。
嵐の結界という絶対的な防御を失った巨鳥の羽根は、鋼鉄のような硬度を誇っていたものの、闘気を極限まで練り上げた極道たちの猛攻と、ハクの影による追撃の前に、次々と根元から砕き割られていく。
「ギ……、ギィィィィィィィィッ!!」
翼を削られ、大地に押さえつけられた空の覇獣が、屈辱と激痛に血走った双眸を見開いた。
このまま無残に狩られることを良しとしなかった神話の獣は、最後の悪あがきとして、自らの生命力を直接マナへと変換し始めた。
ジズの巨大な嘴の奥で、周囲の空間が歪むほどの途方もない質量を持った『青白い雷嵐の球体』が急速に膨張していく。
「……マズいですね。魔法陣の重力では、あの圧縮された純粋な魔力エネルギーの自爆までは抑え込めません」
ゼッカが義眼の警告表示を見て、冷静に、しかし緊迫した声で告げた。
「あの球体が破裂すれば、半径数キロがクレーターと化します」
「だったら、吐き出される前にその嘴ごとカチ割るだけよ!!」
シオンは、赤砂を強く蹴り出し、重力の魔法陣の境界線へと駆け出した。
「ハク! 魔法陣の重力を無視してあいつの鼻先まで一直線に飛べる『影の道』を創りなさい!!」
「チッ、また無茶苦茶な注文を! ……ゼッカの旦那、魔法陣の波長に俺の闇を少しだけ割り込ませるぞ!!」
ハクが両手を地面に叩きつけると、ゼッカの展開した深紅の陣の中に、一本の「漆黒の帯」が滑走路のように伸びていった。その影の上だけは、重力の法則から完全に切り離されている。
「カイル、リオナ!」
「はいッ! 僕たちの光を、シオン様の剣の『推進力』に!!」
シオンが漆黒の滑走路に飛び乗った瞬間、カイルの白銀とリオナの純白の光が、彼女の背中を爆発的な推力で押し出した。
重力に押し潰された空間の中を、シオンだけが重力無視の砲弾となって、ジズの巨大な嘴へと真っ直ぐに肉薄していく。
「――これが、大地を這いずり回る人間の意地よ!!」
シオンは、極限まで圧縮された紫金の雷を魔剣『雷月』に纏わせ、ジズが放とうとしていた雷嵐の球体の中心――最もエネルギーが不安定な『核』の部分へと、真っ向から剣を突き入れた。
バキィィィィィィィィンッ!!!!
相反する二つの極大の雷が激突し、世界から色彩が失われたかのような凄まじい閃光が荒野を包み込んだ。
シオンの紫雷に、カイルたちの光、ハクの闇、そして極道たちの闘気とゼッカの重力魔法陣の余波が複雑に絡み合い、ジズの圧縮エネルギーを内側から完全に論理崩壊させる。
「消し飛びなさい!!」
シオンの咆哮と共に、雷月の刃が雷嵐の球体を両断し、そのままジズの巨大な嘴から脳天にかけてを一刀両断に斬り裂いた。
「…………ェ…………」
音にもならない微かな断末魔を残し、空の覇獣の巨体がビクンと大きく跳ねた後、ゆっくりと力なく赤砂の大地へと崩れ落ちた。
全身から放たれていた青白い雷光が、蛍の光のように散り散りになって消えていく。
「……討伐、完了です」
ゼッカが、静かに義眼の光を収め、懐に呪符をしまった。
重力の魔法陣が解除され、本来の静寂と、乾燥した熱風が紅の大陸へと戻ってくる。
シオンは、ジズの亡骸の上で魔剣を振り抜き、鞘に収めると、大きく、そして心地よさそうに一つ深呼吸をした。
「……ハァ。空の王様も、地に落ちれば案外呆気ないもんね」
シオンの言葉に、周囲で固唾を飲んで見守っていた龍崎たちから、地鳴りのような大歓声が沸き上がった。
陸のベヒモスに続き、空のジズまでも討ち果たした。
それは、彼らがこの未知の大陸において、一切の庇護なく、自らの牙と知略だけで頂点に立ったという絶対的な証明であった。
雷雲が嘘のように晴れ渡り、再び強烈な太陽が紅の大陸を黄金色に照らし出している。
だが、その日差しはもはや彼らにとって過酷な障害ではない。大地の熱気すらも、勝利の熱狂に沸く彼らを祝福しているかのように感じられた。
「ガハハハッ!! 姉御、こっちもスゲェお宝だぜ!!」
龍崎が、ジズの背中からむしり取った巨大な『青緑色の魔力羽』をバサバサと振り回しながら駆け寄ってきた。
「この羽、一つ一つが風属性の魔力タンクになってやがる! これを編み込んでマントを作れば、矢も魔法も風で弾き落とす最強の防具になるぞ!!」
「骨の次は羽ですか。……我々ドブネズミには、あの嘴の先端の鋭利な部分をいただきましょう。あれで短剣を打てば、どんな魔獣の装甲も紙のように裂けるはずです」
ゼッカもまた、戦果を前にして普段の冷徹な顔を崩し、僅かに口角を上げている。
「お前ら、ハイエナみたいに群がるんじゃねぇ! 良い素材は俺が一番に選ぶって決めてんだよ!!」
ハクが慌ててジズの亡骸に飛び乗り、極道たちと素材の奪い合い(という名のじゃれ合い)を始めた。
「……ふふっ。本当に、みんな逞しくなったね」
リオナが、その騒がしい光景を見つめながら、隣に立つカイルに微笑みかける。
「ええ。もはや、我々の歩みを止めることのできるものは、この大陸には存在しないのかもしれません」
カイルも、聖剣の柄に手を当てながら、誇らしげに頷いた。
神のシステムが破壊され、剥き出しになった真なる世界。
その最初の試練として立ち塞がった神話の巨獣たちを、彼らは見事な連携と知略で狩り尽くした。
ベヒモスの骨と、ジズの羽。規格外の戦利品を手に入れた特異点たちの開拓の旅は、いよいよこの広大な紅の大陸のさらに奥深くへと、その確かな一歩を踏み出していくのである。




