第六章2『青銅の解体と、天を覆う翼』
灼熱の太陽が容赦なく照りつける紅の大陸アウストラ。
その赤茶けた荒野の中心に、一つの新たな「岩山」がそびえ立っていた。否、それは岩山などではない。昨日、シオンたち特異点と大湧泉の精鋭たちが死闘の末に討ち倒した、陸の覇者たる神話の巨獣【ベヒモス】の骸である。
かつては大地を喰らい、星の生態系すらも脅かしかねない生きた災害であった超巨獣は、今や暁の星徒たちにとって、次なる時代を切り拓くための「巨大な魔力資源の宝庫(鉱床)」へと姿を変えていた。
神のシステムによる過保護な結界が消え去った世界では、与えられるものを待つのではなく、自らの手で狩り、その肉を喰らい、骨を武器に変える逞しさだけが生存の絶対条件となる。
赤砂の大地にこだまするのは、巨獣の咆哮ではなく、その分厚い青銅の骨格を断ち割り、新たな武具を鍛え上げようとする泥だらけの異邦人たちの、力強くも喧々諤々とした開拓の槌音であった。
ガキィィィィンッ!! バチバチバチッ!!
ベヒモスの大木のような肋骨の前で、凄まじい火花と紫電が散っていた。
「オラァァァッ! もっと雷の出力を上げろ! このデカブツの骨、ただの魔鋼の大剣じゃ刃が欠けちまう!!」
「無茶言わないでよ! 私の紫雷は解体用のバーナーじゃないのよ!」
上半身裸になって汗だくで大剣を振るう龍崎と、その剣の刃先に向けて『雷月』から紫金の雷を定点照射し続けるシオンの怒鳴り合いが、灼熱の荒野に響き渡る。
彼らが挑んでいるのは、ベヒモスの体内にあった『青銅の管』のような超高密度の骨格の解体作業だ。
大地の魔力が圧縮されたその骨は、並の武器では傷一つつかない。シオンが巨獣の体内から雷を撃ち込んでショートさせたとはいえ、物理的な硬度は未だに健在だったのだ。
「シオン様、龍崎殿! 僕の聖気を合わせます! 雷の高熱に光の浄化を混ぜて、骨の魔力結合を直接分解するんです!」
カイルが二人の間に割って入り、白銀の聖剣から強烈な光の粒子を照射する。
シオンの雷の熱と、カイルの光による結合分解。
二つの属性が絶妙なバランスで融合した『極彩色の刃』となって龍崎の大剣を包み込むと、ズバァァァッ! と分厚い青銅の骨がついに両断され、巨大な音を立てて赤砂の上に転がった。
「よっしゃァァァッ!! 見ろ、この骨の断面! マナの結晶がビッシリ詰まってやがる!」
龍崎が両腕を天に突き上げて歓喜の雄叫びを上げる。
「この青銅の骨と、外側の高密度装甲を大湧泉の鍛冶場に持ち帰れば、熱も物理も通さねぇ最高の防具が作れるぜ! ギルドの連中全員に配ってもお釣りが来る大シノギだ!!」
龍崎の舎弟たちや、同行していた昼国の鍛冶師たちが「アニキ、最高ッス!!」「早くこの素材を炉に入れたくてウズウズするぞ!」と群がり、歓声を上げながら巨大な素材を荷車(幻狼に引かせるための特大ソリ)へと積み込んでいく。
「……たくっ、どいつもこいつも元気なこと。こっちは魔力タンクじゃないっての」
シオンは額の汗を手の甲で拭い、近くの岩陰にどかっと腰を下ろした。
「お疲れ様、お姉ちゃん。はい、冷たいお水だよ」
純白のドレスの袖を捲り上げたリオナが、水筒を差し出す。その水筒の表面には、ハクの『漆黒の影』が薄く巻き付いており、影の魔力で直射日光を遮断することで、中の水を冷たく保つという見事な魔法の無駄遣い(ライフハック)が施されていた。
「ありがと。……で、その便利な冷蔵庫代わりの影の主はどこ行ったの?」
シオンが冷たい水を一気に煽りながら周囲を見回す。
「あっちで、ゼッカさんたちと一緒に巨獣の皮剥ぎを手伝わされてるよ。……すごく不機嫌そうだけど」
リオナが苦笑しながら指差した先では、ベヒモスの巨大な背中の上で、ハクが漆黒の影を巨大なノコギリのように変形させ、ギコギコと分厚い金属殻を切り出していた。
「クソッ、なんで精霊獣の俺がこんなドカタ作業やらされなきゃなんねぇんだ! 暗殺者のオッサン、てめぇら自分のナイフで削れよ!」
「そう言われましても、ハク殿の闇属性の切断力が最も効率が良いのです。主君のシオン様も働いておられるのですから、ハク殿だけサボるわけにはいかないでしょう?」
ゼッカが、涼しい顔で義眼を光らせながらハクの影の動きに的確な指示を出している。
熱気と活気に満ちた、大地の巨獣の解体作業。
だが、その平穏とも言える喧騒は、上空からの「異変」によって唐突に破られることとなる。
『……環境マナの波長に、急激な変動を検知』
カイルの背中で、採取した青銅の骨の欠片をジッと見つめていたアノンが、不意に空を見上げて緑色の瞳を明滅させた。
『……上空二万メートル。超質量の魔力波長が、急速に降下中』
「降下……? おい、太陽が……」
舎弟の一人が、解体作業の手を止めて空を指差した。
灼熱の大地を焦がしていた強烈な日差しが、まるで日食が起きたかのように、急速に弱まり始めたのだ。
「日食じゃねぇ……。影だ。空に、とんでもなくデカい『影』が落ちてきてやがる……!」
龍崎が大剣を握り直し、空を睨み据える。
シオンやカイル、リオナも岩陰から飛び出し、頭上を見上げた。
そこには、赤茶けた荒野を丸ごと飲み込むほどの、途方もない規模の「黒い影」が広がっていた。雲ではない。それは、遥か高空を滑空する【巨大な鳥の翼】のシルエットだった。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!!
数秒後。翼が空気を切り裂く風圧が、強烈なダウンバーストとなって赤砂の大地を直撃した。
「うおぉぉぉっ!?」
「伏せろ!! 吹き飛ばされるぞ!!」
ただの突風ではない。風属性の極大魔法すら凌駕する暴風雨のような風圧が、数トンもあるベヒモスの骨の欠片を軽々と吹き飛ばし、龍崎の舎弟たちを砂漠の砂ごと宙へ巻き上げようとする。
「ハク!!」
「分かってやがる!!」
ベヒモスの背中から跳躍したハクが、空中で漆黒の影を巨大なドーム状に展開し、シオンたちや極道たちを強引に地面へ押さえ込み、暴風から守護した。
「……ハァッ、ハァッ……! なんだあのバカでけぇ鳥は!! 太陽が完全に隠れちまってやがるぞ!!」
ハクが、影のドームの隙間から上空を睨みつける。
暴風の向こう側、空を覆い尽くしていた影の正体が、ゆっくりとその威容を現した。
ベヒモスが山のようだとすれば、それは「空そのもの」であった。
雲海を軽々と突き抜けるほどの巨体。その羽の一枚一枚が、嵐を呼ぶ青緑色の魔力結晶で構成されており、鋭い嘴は山脈を砕く矛のよう。
大きく羽ばたくたびに、大気に強烈な魔力の摩擦が生じ、翼の軌跡に沿って青白い雷鳴がバチバチと弾け飛んでいる。
『……生体波長、解析完了』
強風の中で、アノンが淡々と告げる。
『対象は、この紅の大陸アウストラの空を統べるもう一柱の覇獣。……旧約の文献において、陸のベヒモスと対を成す【空の巨鳥ジズ】です』
「空の巨鳥、ジズ……!」
カイルが、白銀の防壁を展開しながら息を呑んだ。
「陸のバケモノの解体が終わる前に、空のバケモノがお出ましってわけね。本当に退屈しない大陸だわ」
シオンは、強風に黒髪を激しく乱されながらも、全く怯むことなく不敵な笑みを浮かべた。
「でも、どうするの!? あんな高い空を飛んでる相手じゃ、剣も魔法も届かないよ!」
リオナが、砂埃から目を守りながら叫ぶ。
そのリオナの言葉を証明するかのように、上空の巨鳥ジズは、地上にいるシオンたちを「敵」としてすら認識していないようだった。
ジズの狙いは、大地に横たわるベヒモスの巨大な亡骸だったのだ。
ギィィィィィィエェェェェェェェェッ!!!!
耳を劈くような鼓膜を破る怪鳥音と共に、ジズが遥か高空から一気に急降下を仕掛けてきた。
目的は一つ。同格の覇獣であるベヒモスの肉を喰らい、その膨大な魔力を自らのものにするためだ。
「おいおい……! あんな隕石みたいな速度で突っ込んできたら、ベヒモスの死骸ごと俺たち全員がペシャンコだぞ!!」
龍崎が、影のドームの中で顔を青ざめさせる。
「させるかよ!! やっと手に入れた最高の素材を、後から来たデカい鳥に横取りされてたまるかっての!!」
シオンが、ハクの影のドームを蹴り破り、暴風の吹き荒れる赤砂の大地へと身を躍り出た。
吹き荒れる暴風の中、シオンの紫の瞳は、隕石のように急降下してくる巨鳥ジズの姿を真っ直ぐに捉えていた。
空を統べる覇獣の圧倒的な質量と速度。まともに激突されれば、ベヒモスの亡骸もろとも、この荒野の一帯が跡形もなく消し飛ぶ。
「龍崎!! さっき切り出したベヒモスの『青銅の肋骨』を、空に向けて斜めに突き立てなさい!!」
シオンが、暴風の音に負けじと声を張り上げる。
「アン!? このクソデカい骨をか!? ……なるほど、そういうことか! オラァッ、野郎ども!! 獲物を横取りされる前に、お出迎えの極太の槍を用意してやらぁ!!」
龍崎が即座にシオンの意図を察し、舎弟たちと共に、先ほど苦労して両断したばかりの巨大なベヒモスの肋骨に群がった。
彼らは幻狼たちの風魔法による補助を受けながら、十メートル以上あるその極太の青銅の骨を赤砂の大地に深く突き立て、ジズの降下軌道に向かって斜めに固定する。
「ハク! 根元を影でガッチリ固めなさい! カイルとリオナは、私の魔力が逆流しないように骨全体を光でコーティングして!」
「人使いの荒い主だぜ!!」
「承知しました! リオナ様!」
ハクの漆黒の影が、赤砂の底深くまで伸びて青銅の骨の根元を絶対的な土台として固定する。
同時に、カイルの白銀の聖気とリオナの純白の浄化魔法が、骨の表面に螺旋状の光の紋様を描き、大地の魔力結晶である骨の強度を限界まで引き上げた。
極道たちの腕力と、特異点たちの融合魔力によって、即席にして最強の【対空魔導大槍】が完成したのだ。
「……上等よ。空の王様だろうがなんだろうが、私たちの晩御飯の邪魔はさせないわ!!」
シオンは地を蹴り、斜めに突き立てられた巨大な青銅の骨の表面を、疾風の如き速度で駆け上がった。
骨の先端――最も空に近い頂点に立ったシオンは、降下してくるジズの巨大な嘴に向かって、漆黒の魔剣『雷月』を真っ直ぐに突き出す。
ギィィィィィィエェェェェェェェッ!!!!
ジズが獲物を狙って大きく嘴を開いた、その瞬間。
シオンは、自らの魂の底から絞り出した極大の紫雷を、足元の『青銅の骨』へと一気に流し込んだ。
大地の覇獣ベヒモスの骨は、極めて優秀な魔力伝導体であった。
シオンの紫雷は骨の内部で増幅され、ハク、カイル、リオナの魔力と混ざり合いながら、極彩色の超高圧電流となって、骨の先端から一直線に空へと迸ったのだ。
「墜ちやがれェェェッ!!!!」
ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!
大地から逆流するように空へと放たれた極彩色の雷の槍が、急降下してきたジズの胸元へ、文字通りカウンターとして直撃した。
空の覇獣が纏っていた青緑色の嵐の結界が、特異点たちの融合魔力によってガラスのように粉砕される。
強烈な電撃がジズの巨体を貫き、その神経と魔力器官を一時的に麻痺させた。
「……ギャァァァァァァァァッ!!?」
雷に焼かれたジズが、空中でその巨大な翼を硬直させ、バランスを完全に崩した。
隕石のような降下軌道が逸れ、ベヒモスの亡骸から数百メートル離れた赤砂の荒野へと、凄まじい土煙を上げて激突する。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
紅の大陸を揺るがす大音響と共に、巨大な鳥の巨体が大地を抉り、砂漠に長大な塹壕を刻み込んだ。
巻き上がった赤砂の嵐が晴れると、そこには、墜落の衝撃で青緑色の美しい羽根を散らしながらも、怒りに燃える双眸をギラギラと光らせて立ち上がる【空の巨鳥ジズ】の姿があった。
「……チッ。あのカウンターをまともに喰らって、まだ立ち上がるか。さすがは神話のバケモノね」
シオンが青銅の骨の先端から身軽に飛び降り、雷月を構え直す。
墜落によって飛行能力を一時的に奪われたとはいえ、相手は空を統べる覇獣。
ジズが怒りの咆哮を上げると、上空を覆っていた分厚い雲から、青白い雷の雨と無数の真空の刃が、シオンたちを取り囲むように降り注ぎ始めた。
空から大地へと引きずり下ろされた巨鳥と、泥だらけの異邦人たちによる、灼熱の荒野を舞台にした第二の死闘が、荒れ狂う嵐の中で幕を開けたのである。
容赦のない太陽が照りつけていた紅の大陸の空は、巨鳥ジズの怒りによって分厚い雷雲に覆われ、嵐の様相を呈し始めていた。
ベヒモスの解体作業という束の間の休息は一瞬にして消え去り、再び極限の緊張感が荒野を支配する。
だが、シオンたちや極道たちの顔に絶望はない。むしろ、空高く飛んでいては手出しできなかった標的を、自分たちの力で「同じ大地の土俵」へと引きずり下ろしたことへの、獰猛な達成感すら漂っていた。
かつては神の理に脅かされ、生きるために逃げ回るしかなかった彼らは、今や未知の大陸の生態系の頂点と真っ向からシノギを削り合う、真の強者へと変貌を遂げている。
空の巨鳥ジズとの地上戦。それは、彼らの連携と魂の融合が、この未開の星でどこまで通用するのかを試す、新たなる試金石となるだろう。
吹き荒れる雷雨と赤砂の渦の中で、暁の星徒たちの熱き狩りの咆哮が、雷鳴よりも高く響き渡ろうとしていた。




