第五章14『暁の凱旋と、開かれる次代の扉』
長く、あまりにも永かった夜が明ける。
数千年の間、この星の空を覆っていた無機質なシステムの天蓋は完全に消え去り、地平線の彼方から、燃えるような本物の朝陽が顔を出した。
黄金色の光が、朝露に濡れたマナの平原をキラキラと照らし出し、風に揺れる魔力結晶の草花が、新しい時代の産声を上げるように心地よい音色を奏でている。
神の理という重圧から解放された大地は、泥だらけの異邦人たちが命懸けで繋ぎ直した「新しい命の循環」によって、かつてないほどの濃密で力強い息吹に満ち溢れていた。
その広大な平原を、東の廃都から西の新星都市へと向かって、一つの堂々たる隊列が進んでいく。
先頭を歩くのは、傷だらけの黒いジャケットを羽織った女王と、彼女の背中を守り抜いた特異点の戦友たち。そして、彼らに付き従うのは、裏社会の掟と誇りを胸に刻んだ暗殺者と極道たち、風を駆ける白銀の幻獣の群れだ。
彼らが目指すのは、ただ一つの帰るべき場所。すべての命が等しく灯る、あの騒がしくも温かい城塞都市。
星の運命を創り変えた暁の星徒たちの、輝かしき凱旋の朝が、今ここに幕を開けようとしていた。
「……見えてきたわ。私たちの城が」
朝陽を正面から浴びながら、シオンがふっと目を細めて前方を指差した。
平原の向こう側、朝靄の中から巨大なシルエットとなって浮かび上がってきたのは、強固な魔力鉱石の防壁に囲まれた新星都市・大湧泉である。
城壁の上には、無数の松明や篝火が、夜通し燃やされ続けていた痕跡のように赤々と燻っているのが見える。
「オラァァァッ!! 凱旋だ!! 大湧泉の留守番部隊ども、とっととデカい門を開けやがれェェッ!!」
龍崎が、アルファ個体の幻狼の背から身を乗り出し、朝の空気を震わせるような野太い大咆哮を上げた。
それに呼応するように、数十頭の幻狼たちが一斉に「ワォォォォォンッ!!」と、歓喜の遠吠えを平原中に響き渡らせる。
すると、大湧泉の巨大な城門が、重々しい地響きと共にゆっくりと左右に開かれ始めた。
『おおおおおぉぉぉぉぉっ!!』
開かれた門の奥から溢れ出してきたのは、鼓膜を打ち破るような数千の民衆と戦士たちの歓声だった。
夜通し彼らの帰還を待ちわびていたのであろう。広場を埋め尽くす人々が、朝日を浴びて進み来る特異点たちと戦友たちの姿を認めるや否や、武器を空に突き上げ、感極まって涙を流し、互いに抱き合って勝利を祝福している。
「シオン女王陛下ァ!! 龍崎のアニキィ!!」
「よくぞ、よくぞご無事で……! 昨夜、都市の始源の石碑が黄金の光を放った時、我々は勝利を確信しておりましたぞ!!」
城門の最前列で待ち構えていたジーグ将軍が、純白の甲冑を鳴らして深く跪き、それに続いて昼国の騎士たちも一斉に剣を捧げて敬意を示す。
龍崎組の若頭補佐や舎弟たちも、駆け寄ってきて龍崎の乗る幻狼を取り囲み、「アニキ! 最高ッス!!」と歓喜の涙を流して男泣きに泣いていた。
「……ん……。……ここは……?」
その凄まじい喧騒と熱気の中。
シオンのレザージャケットに包まれ、幻狼の背中で眠っていた親友が、パチリとガラス色の瞳を開けた。
「おはよう。よく眠れた?」
シオンが幻狼の隣を歩きながら、優しく声をかける。
親友がゆっくりと身を起こし、周囲を見回した瞬間。彼女の瞳は、信じられないものを見るように大きく見開かれた。
肉の焼ける香ばしい匂い、むせ返るような人々の熱気、風に乗って運ばれてくる土と緑の香り。数千年間、神域の冷たく無機質な空間で時を止めていた彼女にとって、それはあまりにも鮮烈で、暴力的ですらある「生のエネルギー」の奔流だった。
「この人たちが……全部、この都市で生きているの……?」
親友が、震える声で呟く。
「ええ。あんたが一人で守り抜こうとしていた命の、ほんの一部よ。……ね? 誰も彼も、あんたの保護なんて必要ないくらい、逞しくて図太い顔をしてるでしょ」
シオンが笑って、歓声に沸く広場を指差す。
そこには、人間だけではない。ハクに擦り寄ってくる子狼たちや、都市の結界内で共生を始めた温厚な魔獣たちまでもが、一つの巨大な「家族」として肩を寄せ合って生きている光景があった。
親友は、幻狼の背からゆっくりと降り、大地にその素足を下ろした。
朝露に濡れた土の冷たさと、そこから伝わってくる星の鼓動が、彼女の足の裏から全身へと温かく広がっていく。
「……あ……」
親友の目から、またしてもポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「温かい……。世界が、こんなに……こんなに温かいなんて……私、知らなかった……」
「これからは、いくらでも知ることができるわ。……おかえりなさい。ここが、あんたの新しい家よ」
シオンが親友の肩を抱き寄せると、リオナも駆け寄ってきて親友の手を両手でしっかりと握りしめた。カイルも優しく微笑み、ハクは照れ隠しのようにそっぽを向きながらも、周囲の群衆から親友を庇うように少しだけ影を広げていた。
感動的な凱旋の空気が、都市全体を温かく包み込む。
だが、その平穏な空気の中で、ただ一人。カイルの背中に張り付いていた銀髪の少女だけが、緑色の瞳のリングを無機質に、しかし尋常ではない速度で回転させていた。
『……観測。星の理の再構築に伴う、環境マナの全体最適化をスキャン中……』
アノンが、口に咥えていた飴玉をガリッと噛み砕き、その視線を大湧泉の遥か北――巨大な霊峰のさらに向こう側へと向けた。
『……特異点の皆様。システムの崩壊と新たな理の定着により、この星を覆っていた「未知の領域への封印」が完全に解除されました』
アノンの声は大きくなかったが、その異質な響きに、シオンやカイル、そしてハクたちがピタリと足を止めた。
「封印の解除……? どういうことだ、アノン」
カイルが、表情を引き締めて振り返る。
『これまで、神の理は管理を容易にするため、生命の生存圏を極端に制限していました。しかし、システムが破壊されたことで、星全体の生態系が「本来の姿」を取り戻すための急速な拡張を始めています』
アノンは、自らの視覚データを空中にホログラムとして投影した。
そこに映し出されたのは、大湧泉のある広大な平原の地図……だけではなかった。
平原の遥か北、雲に覆われていた巨大な山脈の向こう側に、広大な『未知の大陸』が広がっている。さらに西の果て、海を越えた先には、マナの嵐が吹き荒れる『竜の群島』。南の果てには、大地そのものが脈打つ『生きた砂漠』。
「……なんだよ、これ。俺たちが知ってた世界より、ずっとデカいじゃねぇか」
ハクが、投影された未知の領域の広大さに息を呑む。
『……警告します。新しいマナのネットワークが星の隅々にまで行き渡ったことで、数千年の間、システムの監視外で眠りについていた【古代の遺物】や、神域の防衛機構すら凌駕する【規格外の巨大生命体】たちが、一斉に覚醒の兆候を示しています』
アノンの投影した地図のあちこちで、これまでの使徒や巨鰐とは比較にならない、禍々しくも強大な魔力反応が、次々と赤い光点となって瞬き始めた。
「……なるほどね」
シオンは、投影された光点を見つめながら、恐怖するどころか、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、腰の魔剣『雷月』の柄をポンと叩いた。
「神様を玉座から引きずり下ろして、これでめでたしめでたし……なんて、この星の自然は甘くないってことね。システムがいなくなった今、この世界は本当の意味で『弱肉強食の真のファンタジー』に回帰したってわけだ」
「シオン様……。これは、我々が築き上げたこの都市に、さらなる脅威が迫るということでしょうか」
カイルが、真剣な眼差しでシオンを見る。
「脅威でもあり、新しい獲物でもあるわ。……親友を助け出すっていう第一世代の最大の目標は達成した。でも、この広大で理不尽な星で生き抜いて、次の世代に豊かな世界を残すためには……まだまだ、私たちの開拓は始まったばっかりってことよ」
朝陽が完全に昇り切り、大湧泉の都市を黄金色に染め上げる。
彼らの前には、神の縛りが消え、あらゆる可能性と未知なる強敵が眠る「真の広大な世界」が、その広大な口を開けて待っていた。
泥だらけの異邦人から、世界を創り変える解放者へと至った彼らの歩みは止まらない。
アノンの投影した地図上で赤く瞬く無数の光点――それは、これまで彼らが戦ってきた使徒や変異種すらも凌駕する、未知なる脅威の目覚めを意味していた。
一瞬、大湧泉の広場を埋め尽くしていた群衆の間に、冷や水を浴びせられたような静寂が落ちる。
無理もない。彼らはつい先ほど、世界の崩壊という絶望から生還したばかりなのだ。システムの庇護(制限)が消え去ったことで、この星が本来持っていた「途方もなく凶暴で広大な自然」が牙を剥き始めたという事実は、普通であれば恐怖の対象でしかない。
だが、その静寂を真っ二つに叩き割ったのは、他でもない極道たちの豪快な笑い声だった。
「ガァッハッハッハ!! 何を静まり返ってやがる、お前ら!!」
龍崎が、魔鋼の大剣を肩に担いだまま、広場の中央で腹の底から笑い飛ばした。
「システムだか神様だか知らねぇが、俺たちを安全な檻に閉じ込めてた壁が全部ぶっ壊れたってことだろ? ……最高じゃねぇか! シマが無限に広がったんだ! あの赤く光ってるデカブツどもを狩れば、今持ってるこの剣より、もっと強くてヤベェ武器が作れるってことだ!!」
「オラァッ! アニキの言う通りだぜ!!」
舎弟たちが一斉に拳を天に突き上げる。
「見たこともねぇ大陸! 海! 砂漠! ……へへっ、探検の匂いがプンプンしやがる!!」
彼らのその底抜けのバイタリティに、緊張で強張っていた昼国の騎士たちや民衆の顔にも、次第に血の気が戻り、やがて力強い笑みが広がっていった。
そうだ。彼らはもう、何かに怯えて隠れ住むようなか弱い存在ではない。自らの手で魔獣を狩り、魔鋼を鍛え、神の軍勢すらも退けた「強者」なのだ。
「……たくっ。相変わらず、頭の中まで筋肉と闘気でできてる連中だわ」
シオンが呆れたようにため息をつきながらも、その口元には隠しきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。
シオンは、傍らに立つ親友の手をそっと引き、群衆から最もよく見える一段高い瓦礫の上へと登った。
そして、広場に集まった数千の民に向けて、高く、よく通る声で宣言した。
「みんな、よく聞きなさい!!」
シオンの声に、広場の喧騒がピタリと止む。
「アノンが示した通り、この星は私たちの想像以上にデカくて、そして危険よ。これからは、神様が用意したお仕着せの試練なんかじゃない。星そのものが生み出した、規格外のバケモノたちと命の奪い合いをすることになる」
シオンは、真っ直ぐに昇りゆく朝陽を背に受け、漆黒の魔剣『雷月』を空高く掲げた。
「でも、今の私たちなら絶対にやれる!! 理不尽なルールはもう存在しない! 私たちの足で歩き、私たちの手で切り拓いた場所が、新しい世界の地図になるのよ!! ……さあ、泣き虫の神様のお留守番は今日で終わり! これからは、私たちがこの星の全部を遊び尽くしてやるわよ!!」
「「「ウオオオオオオオオォォォォォォッ!!!!」」」
シオンの宣言に、大湧泉の空気を震わせるほどの、真なる熱狂と歓喜の咆哮が爆発した。
それは、未知への恐怖を完全に塗り潰す、泥だらけの開拓者たちの力強い産声だった。
「……シオン。みんな、本当に……強いのね」
隣でその光景を見ていた親友が、感極まったようにシオンを見上げる。
「ええ。あんたが命懸けで残してくれたこの世界は、こいつらが絶対に守り抜いて、もっと面白くしていくわ。……あんたも、これからは玉座じゃなくて、私たちと一緒に泥だらけになって、この世界を歩くのよ」
シオンがウィンクをすると、親友は涙を拭い、ひまわりのように明るく、力強く頷いた。
「さあ! 難しい話は明日にして、まずは宴よ!! 大湧泉の酒倉を全部開けなさい! 勝利と、新しい世界の誕生に乾杯よ!!」
シオンの号令と共に、大湧泉の広場はかつてない規模の『大祝賀会』へと突入した。
広場の中央には、城のような巨大な大篝火が焚かれ、狩猟部隊が持ち帰ってきた巨大な魔獣の肉が次々と丸焼きにされていく。
龍崎組の男たちは、昼国の騎士たちと肩を組み、樽酒をラッパ飲みしながら陽気な歌を歌い始めた。
ハクはといえば、幻狼の群れだけでなく、都市の子どもたちにまで「おおかみのお兄ちゃん!」と纏わりつかれ、「俺は子守りじゃねぇ!!」と怒鳴りながらも、影の触手を使って子どもたちに高い高いをしてやっている。
「ほら、カイルも一緒に食べよう! このお肉、すっごく柔らかくて美味しいよ!」
リオナが、自分よりも大きな骨付き肉を両手で持ちながら、満面の笑みでカイルに差し出す。
「ありがとうございます、リオナ様。……ですが、あまり食べ過ぎると、またドレスが……」
「むっ! 今、女の子に向かって禁句を言おうとしたね!?」
「い、いえ! 決してそのようなことは!!」
カイルが慌てて手を振る傍らで、アノンは静かに広場の隅の木箱に座り、両手で大事そうに抱え込んだ大きな『虹色の果実』を、無表情のまま小さな口でかじっていた。その緑色の瞳の奥で、微かに「幸福」のデータが記録されているのを、誰も知らない。
そしてゼッカ率いる暗殺部隊の面々は、宴の喧騒から少し離れた城壁の上で、静かに杯を交わしていた。
「……我々ドブネズミの活動範囲も、これからは海の向こうや未知の大陸へと広がるということですね」
部下の一人が、遠くの地平線を見つめながら呟く。
「ええ。主君が歩む未知の道に、先んじて影を落とすのが我々の役目。……腕が鳴りますね」
ゼッカの義眼が、新たな狩り場への期待に鋭く光った。
朝陽が完全に昇り、新星都市は黄金色の光と、人々の温かい笑い声、そして焦げた肉と酒の匂いに包まれている。
長く過酷だった夜が終わり、彼ら自身が手に入れた『当たり前で、騒がしい日常』が、そこには確かに存在していた。
大湧泉の空に、透き通るような青空が広がっている。
大地の底から湧き上がるマナは、以前のような冷たく無機質なものではなく、星の呼吸そのもののように温かく、力強く脈打っていた。
特異点たちの『魂の融合』によって引き起こされた奇跡は、数千年間のシステムの支配を終わらせ、星の理を完全に書き換えた。
彼らは、現代の記憶と知識を持ちながら、真なる魔法世界の住人として、この広大な星で生き抜くための確固たる『牙』と『絆』を手に入れたのだ。
一人の少女の犠牲の上に成り立っていた箱庭の平和は終わり、すべての命が互いに支え合い、時に奪い合う、過酷で美しい本来の生態系が還ってきた。
だが、彼らの物語はここで完結するわけではない。
アノンが示した未知の地図。
雲に覆われた北の大陸には、かつて神域の防衛機構すらも手を焼いたとされる『古代の竜王』が眠るという。
海を越えた竜の群島では、星の創世から存在する純粋な魔力の嵐が吹き荒れ、足を踏み入れた者の魂を試す。
生きた砂漠の地下には、前世の大魔導士たちが遺したとされる『真の魔法の遺物』が、新たな主の到来を待ちわびているかもしれない。
「……世界は、まだまだ私たちの知らないことだらけね」
宴の喧騒の中、シオンは広場の中央で燃え盛る篝火を見つめながら、静かに魔剣『雷月』の柄を撫でた。
隣で親友が、リオナから貰った果実を美味しそうに頬張っている。その後ろでは、カイルとハクが何やらくだらないことで口喧嘩を始め、龍崎が大笑いしながら二人の背中をバンバンと叩いていた。
この頼もしくも騒がしい仲間たちと一緒なら、どんな未知の大陸だろうが、どんな規格外のバケモノが相手だろうが、絶対に退屈することはないだろう。
世界を覆っていた殻は破られた。
泥だらけの異邦人としてこの地に降り立った彼らは、今や、新しい星の歴史を最前線で切り拓く【真なる開拓者】である。
吹き抜ける風が、西方から見知らぬ花の香りを運んでくる。それは、まだ見ぬ大冒険への招待状。
暁の星徒たちの、己の魂をさらに深く、そして高く研ぎ澄ませていく果てしなき旅路は、この歓喜の朝から、再び力強く幕を開けるのだ。
さらば、システムに縛られた過去の世界。
ようこそ、無限の可能性が広がる、私たちの新しい星へ。




