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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第五章 始源の石碑と、還りつく数千年の彼方
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第五章12『崩壊の神域と、星を繋ぐ新たな理』

幾何学的な空が砕け散る音は、まるで世界の終わりを告げる絶望の産声のようだった。

永遠の黄昏を映し出していた偽りの天蓋がひび割れ、剥がれ落ちたその向こう側から、星の生命力を無に還す『混沌の泥』が滝のように流れ込んでくる。

それは、管理者を失った神のシステムが、制御不能なエラーを引き起こし、自らを構築していた法則ごとすべてを初期化しようとする【自己崩壊メルトダウン】の始まりであった。

数千年の間、たった一人の少女の犠牲の上に成り立っていた冷酷で脆い平和。その歪な鎖を断ち切った代償は、あまりにも巨大だった。

だが、崩れゆく空間の中心に立つ暁の星徒たちの瞳に、後悔の色は微塵もない。

犠牲を前提としたシステムなど、とうの昔に破綻していたのだ。それを力ずくで終わらせ、彼ら自身の血と汗、そして魂の共鳴によって全く新しい星のルールを打ち立てる。その絶対的な覚悟こそが、彼らをここまで導いた強さの源である。

押し寄せる虚無の濁流を前に、泥だらけの異邦人たちは、救い出した親友の手を固く握りしめ、神域の最深部で最後の反逆の炎を赤々と燃え上がらせていた。

「ハァァァァァァッ!!」


裂けた空から降り注ぐ赤黒い『混沌の泥』に向かって、ハクが両腕を天に突き上げ、漆黒の影を限界まで爆発的に展開した。

巨大な蝙蝠こうもりの翼のように広がった闇の天蓋が、シオンたちの上空をすっぽりと覆い隠し、降り注ぐ虚無の濁流を強引に受け止める。


「……ぐぅぅぅぅっ!! 重てぇ……! ただの質量じゃねぇぞ、俺の影が触れた端から『削り取られて』いきやがる……!」

ハクが、顔面を滝のような汗で濡らしながら、牙を食いしばって叫ぶ。

特定の属性を持たない混沌の泥は、あらゆる魔法と物理法則を「無」へと変換する、純粋な消去プログラムの残骸だった。高位の精霊獣であるハクの闇をもってしても、それを完全に防ぎきることは不可能に近い。


「カイル! ハクの影の裏側から、私たちの光で支えを造るよ!」

「承知しました! リオナ様、息を合わせて!」


ハクの負担を減らすべく、カイルとリオナが即座に動いた。

カイルの白銀の聖気とリオナの純白の浄化の光が螺旋状に絡み合い、ハクの展開した闇の天蓋の内側に、幾重もの『光の支柱』を構築していく。

光と闇。相反する魔力が反発することなく完全に調和し、崩落する空を必死に支え上げる。


「……シオン。お願い、私を置いて逃げて……っ」

シオンの腕の中で、救い出されたばかりの親友が、恐怖と自責の念に震えながら懇願した。

「この崩壊は、私が玉座から離れたせいで起きた。……私がもう一度、あの神樹の根元に戻って魔力を繋げば、崩壊は止められる……! だから……!」


親友が、シオンの腕から抜け出そうと身を捩る。

だが、シオンは彼女の細い腕を、絶対に逃さないとばかりに強く、力強く握りしめた。


「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!!」

シオンの鋭い一喝が、崩壊の轟音を切り裂いて響いた。


「あんたをもう一度あの玉座に縛り付けるくらいなら、このまま世界ごと虚無に飲み込まれた方がマシだわ! 私たちは、あんたにこれ以上自己犠牲を強いるために、こんな迷宮の底までやって来たんじゃない!!」


シオンの紫の瞳が、親友のガラス色の瞳を真っ直ぐに射抜く。

「一人で世界を背負おうとするから、こんな脆いシステムになるのよ。……いい? あんたの役目はもう終わった。ここから先は、私たちが、私たちのやり方でこの星の未来を繋ぐわ」


『……解析、および代替プロセスの演算完了』

カイルの背中で、光の柱の構築をサポートしながら、アノンが緑色の瞳を激しく明滅させた。彼女の口元では、大湧泉の果実で作られた甘い飴玉が、カチャカチャと音を立てて転がっている。


『……旧システムの崩壊を完全に停止し、かつ生態系を維持するための唯一の手段。それは、神樹の最深部――システムの中枢領域コアに直接【新たな理の術式】を上書きすることです』


「新たな理の、術式……」

シオンが、背後にそびえ立つ、光の鎖を失って沈黙している『中枢の神樹』を見上げた。


『はい。これまでは「一人の管理者の命」を犠牲にして、星のマナを循環させていました。しかし、特異点である貴女たちが獲得した【魂の融合領域】の波長を用いれば、星全体に存在する「すべての生命体」を微弱な魔力の結節点ノードとして繋ぎ合わせる、新しい循環ネットワークを構築可能です』

アノンは、淡々と、しかし確信に満ちた声で続ける。

大湧泉オイズムの始源の石碑をメインルーターとし、極道たち、騎士たち、幻狼たち……この星で生きるすべての者の魂(絆)で、世界を支えるのです。……そうすれば、誰も犠牲になる必要はありません』


「……全員で、世界を支える」

親友が、信じられないというように呟く。


「最高じゃない。それこそ、私たちが欲しかった世界だわ!」

シオンは、不敵な笑みを浮かべ、漆黒の魔剣『雷月』を神樹に向かって構え直した。

「アノン、その新しい術式を構築するための『鍵』は、どうすれば入力できるの!?」


『……神樹の根元、コアが露出している部分に、貴女たち四人の融合魔力を、最大出力で叩き込んでください。……ただし、猶予は残りわずか。空間の崩壊がコアに達すれば、入力は不可能です』


「十分よ!! ハク、カイル、リオナ!! 私がコアに剣を突き立てるまで、なんとかこの空を支えきりなさい!!」


「無茶苦茶言い上がって!! とっとと終わらせろ、俺の影がすり減っちまうだろうが!!」

ハクが悪態をつきながらも、さらに闇の出力を引き上げる。

カイルとリオナも、全身の血管が浮き出るほどの集中力で、崩落する混沌の泥を食い止め続けた。


シオンは親友を安全な結界の内側にそっと下ろし、雷月を両手で握りしめて、沈黙する神樹の根元へと駆け出した。

だが。

システムが完全に死に絶える直前の、最後の、そして最大の「悪意」が、彼女の行く手を阻んだ。


ゴポォォォォォォッ……!!


空から降り注いでいた混沌の泥の一部が、神樹の根元に集束し、凄まじい質量を持った一体の『巨大な泥の怪物』として実体化したのだ。

それは、理の代行者や忘却の紡ぎ手のような明確な概念の化身ですらない。ただ、新しい理が書き込まれることを拒絶する、古いシステムの「死の足掻き」そのもの。

明確な形を持たない巨大な泥の腕が、シオンを叩き潰そうと、圧倒的な速度で振り下ろされる。


「……退きなさい。あんたたちの時代は、もう終わったのよ!!」


シオンは歩みを止めることなく、極限まで圧縮された紫金の雷を魔剣に纏わせ、真っ向から泥の怪物へと跳躍した。

すべてを終わらせ、すべてを創り出すための、最後の雷鳴が、崩壊する神域の底で眩く閃く。


ズガァァァァァァンッ!!!!


シオンの放った紫雷が、泥の怪物の巨大な腕と激突する。

だが、特定の属性を持たない混沌の泥は、強烈な雷撃を受けても爆散することなく、まるで底なし沼のように紫金の光をズルズルと飲み込んでいく。


「……ッ、雷が吸収されてる……!? どんだけ意地汚いシステムよ!」

シオンが空中で顔を歪め、剣を押し返されそうになる。


『シオン!! 泥の内部に魔力を留めないで! 貫通させるんじゃなく、内側から【融合領域】の波長で概念を書き換えるの!!』

安全な結界の内側から、親友が必死の叫び声を上げた。数千年間システムと繋がっていた彼女だからこそ分かる、古い理の弱点。


「書き換える……! 分かったわ!」


シオンは押し返されそうになる魔剣を、あえて泥の腕の奥深くへとさらに突き入れた。

そして、上空で混沌の天蓋を支えているハク、カイル、リオナへと、魂のリンクを通じて強く呼びかける。


(みんな!! 上を支えながらでキツいだろうけど、もう一度だけ、私に力を貸して!!)


『……ッ、当たり前だ! これで最後にしてくれよ、シオン!!』

『私たちの光も、お姉ちゃんの剣に繋げます!!』


上空で崩落を食い止めている三人の魂から、再び強烈な魔力の奔流がシオンの魔剣へと注ぎ込まれた。

ハクの漆黒の影が泥の内部に侵入してシステムの残骸を絡め取り、カイルの白銀とリオナの純白の光が、泥の持つ「無への回帰」という悪意を強引に浄化していく。

四人の魔力が泥の怪物の中心で完全に重なり合った瞬間、魔剣『雷月』から、あの忘却の歯車を打ち砕いた【黒紫こくしの極光】と【白銀と純白の聖陣】が融合した、極彩色の超新星爆発が巻き起こった。


「消え失せろォォォッ!!」


シオンの咆哮と共に、極彩色のオーラが泥の怪物を内側から完全に吹き飛ばした。

無を強いる古いシステムの最後の悪意は、新しい未来を渇望する人間の強烈な意志の前に、一切の抵抗を許されず、眩い光の粒子となって四散する。


怪物を粉砕した勢いそのままに、シオンは鏡の水面を蹴り、無防備になった『中枢の神樹』の根元――脈打つコアの正面へと降り立った。


『……今です、シオン! 貴女たち四人の魂の波長を、そのコアに!!』

アノンの無機質ながらも張り詰めた声が響く。


「これで、全部終わりよ……!!」


シオンは、四人の魔力が極限まで高まった極彩色の魔剣を、真っ直ぐに、そして力強く、神樹のコアへと突き立てた。


ガァァァァァァンッ!!!!


世界が創世された時のような、途方もなく重く、そして澄み切った鐘の音が、崩壊する空間全体に響き渡った。

魔剣を通して、特異点たちの『魂の融合』の波長が、神樹の根から星の生命維持システム全体へと、凄まじい速度で逆流していく。


それは、物理的な破壊ではない。

「一人の生贄に星の運命を背負わせる」という古い因果律のプログラムを、「この星に生きるすべての命の繋がりで、世界を支える」という新しいルールへの【強制上書き】であった。


ドクンッ……! ドクンッ……!


神樹が、これまでのような冷たい機械的な鼓動ではなく、温かく力強い、血の通った生命の脈動を打ち始める。

そして、神樹の枝先から、目も眩むような黄金色の光のネットワークが、空間の壁を越えて、世界中へと一気に広がっていった。


その光の繋がりは、遥か西の果て、新星都市・大湧泉オイズムの中央広場にそびえ立つ『始源の石碑』へと到達する。

石碑が共鳴して強烈な光を放ち、その光は都市を守る龍崎たち極道の剣へ、昼国の騎士たちの盾へ、幻狼たちの銀色の毛並みへ、そして泥を這う暗殺者たちの影へと、次々に結びついていく。


『……すげぇ。なんだこの温けぇ光は……。シオンの姉御たちの魔力が、俺たちの胸の中に直接流れ込んできやがる……!』

『……ああ。女王陛下は、やり遂げられたのだ。神の玉座を打ち砕き、我々すべてを、この星の真の主として繋ぎ合わせてくださった!』


都市の戦士たちだけではない。森の獣、風に揺れる草木、大地を流れるマナの川。

星に存在するあらゆる命が、無意識のうちに微小な力を提供し合い、巨大な一つの『世界を支える網のネットワーク』として機能し始めたのだ。


『……新たな理の術式、定着率100%。……旧システムのメルトダウン、完全に停止しました』

アノンの緑色の瞳が、ゆっくりと穏やかな光を取り戻し、最終報告を告げる。


その言葉と同時に、ハクたちが必死に支えていた頭上の混沌の天蓋が、嘘のようにサラサラと砂に変わって消滅していく。

剥がれ落ちていた偽りの空が完全に崩れ去り、そこに現れたのは、もはやシステムが創り出した『永遠の黄昏』ではなかった。


満天の星々が瞬く、果てしなく高く、そして澄み切った、真実の夜空だった。


「……ハァッ、ハァッ……。終わった……のか……?」

ハクが、極限の疲労でその場に仰向けに倒れ込みながら、美しい星空を見上げる。

カイルも聖剣を杖にして片膝をつき、リオナは涙ぐみながらカイルの背中に抱きついた。


「ええ……。終わったわ」


シオンは、神樹のコアからゆっくりと魔剣を引き抜いた。

コアは傷つくどころか、彼らの魔力と同調し、柔らかく温かい黄金色の光を放ち続けている。


シオンが振り返ると、親友が、信じられないというように、自分の両手と、頭上に広がる真実の星空を交互に見つめていた。


「……空が……見える。冷たいガラスの空じゃない、本当の星空が……」

親友の目から、再び大粒の涙が溢れ出す。

「星の命は……消えていない。みんなの力で、この世界が……息をしてる……!」


「だから言ったでしょ。あんたが一人で泣きながら支えなくても、この星の連中は、案外図太くて逞しいのよ」

シオンが歩み寄り、泣き崩れる親友に手を差し伸べた。

「さあ、立ちなさい。あんたの長い長いお留守番は、今日で終わり。……これからは、私たちと一緒に、あんたが守り抜いたこの世界の続きを見るのよ」 


親友は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、シオンの差し出した手を、両手でしっかりと握り返した。


「……うん……っ! うん……!!」


数千年の長きにわたる神の理の支配は、ここに完全に終焉を迎えた。

泥だらけの異邦人としてこの過酷な新世界に投げ出された四人の特異点たちは、その魂の絆と圧倒的な意志の力で、ついに運命の呪縛を打ち破り、星の未来を自らの手で掴み取ったのである。

澄み切った夜風が、神域の最深部を優しく吹き抜け、彼らの勝利を祝福するように、神樹の葉を静かに揺らしていた。

星々が瞬く静寂の底で、五人と一人の観測端末は、心地よい疲労感に包まれていた。

ハクは鏡の水面に大の字になっていびきをかき始め、カイルとリオナは互いの無事を確かめ合うように静かに微笑み合っている。アノンはいつものように無表情で、空中に残る新しいマナの波長を興味深そうに目で追っていた。


そしてシオンは、救い出した親友の隣に腰を下ろし、冷え切っていた彼女の身体に自分のレザージャケットを羽織らせていた。


「……本当に、信じられないわ。あなたたちが、この星のシステムそのものを書き換えてしまうなんて。前世の大魔導士だった頃の私たちにも、できなかったことよ」

親友が、ジャケットの温もりを確かめるように身を包みながら、穏やかな声で呟く。


「前世の私たちには、『失うことの痛み』も『理不尽に奪われる怒り』も足りなかっただけよ。……平和な時代に生まれた天才より、一度すべてを奪われて泥水すすった連中の方が、いざという時の執念は強いってこと」

シオンが、愛用の魔剣を膝に置き、夜空を見上げて皮肉気に笑う。


「……ありがとう、シオン。私を、見捨てないでくれて」

「今更よ。それに、あんたを助けるのが一番の目的だったとはいえ……大湧泉で待ってるおっさんたちや、うるさい犬っころたちを路頭に迷わせるわけにもいかなかったからね」


シオンの脳裏に、龍崎たちの豪快な笑い声や、ゼッカたちの静かな忠誠、そして幻狼たちの温かい毛並みが浮かぶ。

神の理は終わり、新しい世界が始まった。

だが、彼らの物語はここで終わるわけではない。


「さて……感動の再会も済んだことだし、そろそろ帰る準備をしないとね。大湧泉の連中、私たちが帰るまで宴会の酒を我慢できるようなタマじゃないわよ」

シオンが立ち上がり、パンパンと服の埃を払う。


迷宮の最深部を打ち砕いた彼らには、まだ「帰還」という最後の旅路が残されている。

新しい理に書き換えられたこの星が、これからどのような姿を見せるのか。そして、神の玉座から解放された親友と共に、彼らが大湧泉でどんな新しい日常を築いていくのか。

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