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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第五章 始源の石碑と、還りつく数千年の彼方
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第五章8『暁の出立と、星の記憶を辿る森』

大湧泉オイズムを熱狂の渦に包み込んだ勝利の宴は、夜明け近くまで続いた。

朝日が昇る頃には、極道たちも騎士たちも、強大な幻狼の群れでさえも、疲れ果てて広場のあちこちで心地よい眠りについている。

だが、その平穏な朝霞の中、新星都市の東門には、音もなく出立の準備を整えた五つの影があった。

都市の防衛は、もはや彼ら特異点が付きっ切りで世話を焼く段階を過ぎた。紫雷魔鋼の大剣を手にした武闘派ギルドと、絶対の盾を持つ光の騎士団、そして風を駆ける幻狼たちがいる限り、この大湧泉はどんな魔獣の大群が押し寄せようとも決して揺るがない。

だからこそ、彼らは憂いなく旅立つことができるのだ。

目指すは、遥か東の果て。赤黒い雷雲が渦巻き、神の理が直接支配する【硝子の廃都トキオ】。

数千年後の地球という広大な真なる大地を自らの足で踏み締め、神域へと至るための長く険しい遠征が、誰に見送られることもなく、静寂の朝と共に幕を開けようとしていた。

「……いいの、お姉ちゃん? 龍崎さんたちや、ジーグ将軍に何も言わずに出発しちゃって」

薄紫色の朝靄が立ち込める大湧泉の東門の前。

純白のドレスの上に、野営用の厚手のマントを羽織ったリオナが、少しだけ名残惜しそうに眠りこける都市の広場を振り返った。

彼女の背中には、数日間の野営に耐えうる最低限の食料と、新世界で採取した薬草が詰め込まれた革のリュックが背負われている。

「ええ。あいつら、昨日の宴でしこたま酒を飲んでたから、今起こしても使い物にならないわ。それに……大げさな見送りなんて、私たちには似合わないでしょ」

シオンは、愛用のレザージャケットの襟を立て、漆黒の魔剣『雷月』の重みを背中に確かめながら、ふっと柔らかく微笑んだ。

都市ここの留守は、あいつらに完全に任せたわ。私たちが廃都の奥で泣き虫の神様の目を覚まさせて、この星のルールを完全に書き換えるまで、あいつらなら絶対にこの国を守り抜いてくれる」

「……その通りです。彼らの魂の強さは、昨日の防衛戦で十分に証明されました」

カイルもまた、純白の騎士服の上に旅のマントを纏い、力強く頷いた。

彼の背中には、いつものようにダボダボのパーカーを着たアノンが、しっかりと腕を回して張り付いている。

「チッ、どいつもこいつも感傷的になりやがって。俺はあの犬っころども(幻狼)に暑苦しく付きまとわれるのがウンザリしてたところだ。さっさと行くぞ」

ハクが、黒いパーカーのフードを深く被り直し、一番に東門の先へと続く深い森の獣道へと足を踏み入れた。

だが、その口ぶりとは裏腹に、彼の足取りはどこか名残惜しそうにゆっくりとしていた。昨夜、宴の隅で幻狼のアルファ個体の頭を、寝落ちするまで撫で続けていたのをシオンたちはしっかりと見ていたのだ。

「ふふっ、素直じゃないわね。……さあ、行くわよ」

シオンを先頭に、四人の特異点と一人の観測端末は、大湧泉の強固な城壁を背にして、未知なる東の領域へと歩み出した。

都市の結界を一歩外に出ると、そこは始源の石碑から溢れ出したマナが完全に生態系を支配する、濃密で過酷なハイファンタジーの大地だった。

東へと進むにつれ、昨日までの森とは明らかに植生が変化していくのが分かる。

見上げるほど巨大な木々の表面は、樹皮ではなく、淡く発光する『魔力鉱石の結晶』で覆われ始めていた。風が吹くたびに、葉擦れの音ではなく、無数の風鈴を鳴らしたような透明なガラスの音が森中に響き渡る。

足元を流れる小川の水は、重力を無視して時折空中にふわりと浮き上がり、そのまま光の帯となって木の梢へと吸い込まれていく。

かつて現代の道路やビル群があったであろう痕跡は、この数千年の間に完全に大地に飲み込まれ、代わりに星の血液であるマナが、物理法則を美しく、そして奇妙に歪めていた。

「……すごい。空気が、ピリピリしてるのに……とっても澄んでる」

リオナが、空中に浮かび上がる水の球体を指先でそっと突くと、それは弾けて虹色の粒子となって消えた。

『……環境データの解析。この領域は、東の廃都(神域)から漏れ出す異常な魔力波長と、大湧泉の始源の石碑から放たれる生命マナが複雑に干渉し合う【魔力断層エーテル・フォールト】です』

カイルの背中で、アノンが周囲の結晶化した木々を緑色の瞳でスキャンしながら告げる。

『……物理法則の書き換えが極めて不安定な状態にあります。魔力耐性のない一般の生命体であれば、この空間に入った瞬間に細胞が結晶化して崩壊します』

「なるほどね。龍崎たちを連れてこなくて正解だったってわけだ」

シオンが、周囲の美しくも致死的な森の景色を警戒しながら進む。

四人は『魂の融合』に至ったことで、自らの魔力波長を環境の異常マナと同調させ、その致死の干渉を無効化することができていた。

しばらく結晶の森を進むと、不意に、森の木々が途切れ、開けた場所に出た。

そこは、かつて巨大な湖だったであろう擂鉢状の窪地だった。だが、そこに水はなく、代わりに一面を埋め尽くしていたのは、純白の『光の華』だった。

「……綺麗。これ、全部お花……?」

リオナが息を呑む。

一本一本が人間の背丈ほどもある、透き通った水晶のような花弁を持つ巨大な花。それが、窪地全体に数万本も群生し、朝陽を受けて眩いほどの白銀の光を放っていた。

「……気をつけろ。ただの花じゃねぇぞ。すげぇ濃度の魔力が圧縮されてやがる」

ハクが、即座に漆黒の影を展開してシオンとリオナの前に立ち塞がった。

ハクの言う通り、その花畑は美しいだけではなかった。

花弁の中心から、フワリ、フワリと、人の形をした半透明の光の精霊たちが無数に浮かび上がり、窪地の上空をゆっくりと旋回し始めたのだ。

彼らには明確な顔はないが、その姿はどこか悲しげで、大気を震わせるような微かな「歌声」を響かせている。

「あの精霊たち……魔獣のような敵意は感じませんが、ひどく哀しい波長を放っています」

カイルが、聖剣の柄に手をかけながらも、その歌声に不思議な既視感を覚えて眉をひそめた。

『……波長の一致を確認。あれは、自然発生した精霊ではありません』

アノンが、丸型のアメ玉を口から出し、珍しくその無機質な声に微かな抑揚を混ぜた。

『……数千年前。神のシステムがこの地球を制圧し、人類を箱庭へと幽閉した際……最後まで抗い、そしてこの大地で命を落とした、旧時代の人々の【残留思念】です』

「残留……思念……」

シオンが、紫の瞳を見開いた。

『はい。始源の石碑の波動によって星の記憶が掘り起こされ、彼らの無念が、マナを依り代にして水晶の華と精霊として具現化したのです。……ここは、かつて星を守ろうとした者たちの、名もなき墓標です』

アノンの言葉に、四人は静かに武器から手を離した。

敵ではない。彼らは、前世のシオンたちと同じように、この故郷(地球)をシステムの支配から守ろうとして散っていった、数千年前の同胞たちの魂の残滓だったのだ。

「……ずっと、この冷たい土の下で、眠ることもできずに囚われていたのね」

リオナが、悲痛な表情で水晶の華の群生へと一歩踏み出した。

「おい、リオナ! 近づくな、どんな魔力干渉があるか分からねぇぞ!」

ハクが止めようとするが、リオナは静かに首を横に振った。

「大丈夫だよ、ハク。……私には、彼らの声が聞こえるの。戦いが終わったのに、還る場所が分からなくて、ずっと泣いている声が」

リオナは、純白のマントを翻し、数万の水晶の華が咲き誇る墓標の中心へとゆっくりと歩みを進めた。

彼女の足元から、清浄で温かい『純白の浄化魔法』の波紋が、静かな湖面に落ちた雫のように、花畑全体へと優しく広がっていく。


「……ずっと、この冷たい土の下で、眠ることもできずに囚われていたのね」

純白のマントを翻し、リオナは数万の水晶の華が咲き誇る墓標の中心へと、ゆっくりと歩みを進めた。

彼女の足元から、清浄で温かい『純白の浄化魔法』の波紋が、静かな湖面に落ちた雫のように、窪地全体へと優しく広がっていく。

「おい、リオナ! 近づくな、どんな魔力干渉があるか分からねぇぞ!」

ハクが漆黒の影を構えて止めようとするが、シオンがその肩を静かに掴んで制止した。

「……待ちなさい、ハク。あの子はもう、ただ守られるだけの聖女じゃないわ。自分の意志で、あの魂たちを救おうとしているの」

シオンの言葉通り、リオナの表情に一切の恐怖はなかった。

彼女の放つ純白の光は、敵を打ち倒すための暴力的な魔力ではない。凍りついた時を溶かし、行き場を失った魂たちを温かく包み込む、祈りと慈愛の波動だった。

「……怖かったよね。悔しかったよね。自分たちの愛した世界が、冷たいシステムに奪われていくのが」

リオナが両手を胸の前で組み、目を閉じて祈りを捧げる。

その瞬間、彼女の魂に、数千年前にこの地で散っていった旧時代の人々の『星の記憶』が、奔流となって流れ込んできた。

――空を覆い尽くす無機質な幾何学の軍勢。

――崩れ落ちる鋼鉄の摩天楼と、炎に包まれる街並み。

――最後の力を振り絞り、大地の奥深くへとマナの種子(希望)を託して倒れていく、名もなき戦士たちの涙。

それは、神のシステムがこの星を完全に制圧した日の、絶望の記憶。

だが、同時に、彼らがどれほどこの星の未来を愛し、いつかシステムを打ち破る者が現れることを切望していたかという、途方もなく強大で純粋な『祈り』の残滓でもあった。

「……大丈夫。あなたたちの願いは、私たちがちゃんと受け取ったよ」

リオナの白銀の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

「カイル! 私の光に、あなたの聖気を合わせて! 彼らの魂を、星の海(マナの源流)へと送り届けるの!」

「承知しました、リオナ様! ――『白銀・導きの光陣』!!」

リオナの呼びかけに応え、カイルが聖剣を大地に突き立てた。

リオナの放つ純白の浄化の光を、カイルの白銀の聖気が螺旋状に包み込み、天高く昇る巨大な『光の柱』となって窪地全体を照らし出す。

始源の試練で掴んだ、二つの光の完全なる『魂の融合』。

その温かく清浄な光の柱に触れた瞬間。

数万本の水晶の華が、キィン……という高く澄んだ音を立てて、一斉に光の粒子へと分解され始めた。

窪地を旋回していた半透明の精霊たちもまた、苦しみや哀しみの波長を解き放ち、穏やかな顔を取り戻していく。彼らはリオナとカイル、そしてシオンとハクに向かって深く一礼をすると、光の雪となって、遙かなる天の彼方へと昇っていった。

「……泣き虫の神様が奪ったのは、私たちの前世の自由だけじゃなかったのね」

シオンは、天へと昇っていく無数の光の粒子を見上げながら、魔剣『雷月』の柄を強く握りしめた。

「数千年間、この星のすべての命が、システムという名の檻の中で泣いていた。……絶対に許さない。私たちが、この星のルールを全部叩き壊して、あの神様を玉座から引きずり下ろしてやる」

シオンの紫の瞳に、これまでにないほど深く、そして静かに燃え盛る怒りと決意の炎が宿る。

『……生体波長、完全な浄化および消滅を確認。対象領域の魔力断層エーテル・フォールトが安定しました』

カイルの背中で、アノンがいつも口に含んでいる甘い棒飴を転がしながら、緑色の瞳の明滅を止めて報告した。

光の粒子が完全に空へ溶け込むと、先ほどまで窪地を埋め尽くしていた水晶の華は跡形もなく消え去っていた。

そして、その花畑に隠されていた『真の道』が、彼らの眼前に姿を現した。

それは、赤錆と青緑色の発光苔に覆われた、巨大で真っ直ぐな【旧時代の高架道】の残骸だった。

大地から抉り出されるように天へと伸びるその道は、鬱蒼としたマナの森を切り裂き、遥か東の空――赤黒い暗雲が渦巻く『硝子の廃都トキオ』へと、一直線に続いている。

『……警告します。ここから先の空間は、大湧泉の始源のマナではなく、神の理が直接管理する【神域の干渉波】が支配しています』

アノンが、高架道の先を指差して無機質に告げる。

『物理法則は完全に捻じ曲げられ、空間の距離や時間の概念すらも曖昧な絶対領域。……これより先は、システムが特異点を消去するために用意した、途方もない規模の迷宮ダンジョンです』

「……上等よ。どれだけ道が歪んでいようと、私たちの魂の融合ちからで、真っ直ぐに叩き斬って進むだけ」

シオンは、ためらうことなく、錆びついた高架道の残骸へとその足を踏み入れた。

「リオナ、無理してねぇか? あんだけの規模の浄化魔法を使ったんだ、少しは休めよ」

ハクが、影を揺らめかせながら不器用にリオナを気遣う。

「ふふっ、平気だよハク。むしろ、あの大勢の人たちの『祈り』をもらって、体中に力が溢れてるくらい」

リオナは、涙の跡を袖で拭い、力強く微笑んでシオンの隣に並んだ。

カイルも聖剣を構え直し、アノンを背負ったまま静かに二人の後へ続く。

数千年の時を超え、星の記憶に導かれた四人の特異点。

大湧泉での日常と防衛戦を経て、己の魂を極限まで研ぎ澄ませた彼らはついに、神の理そのものが待ち受ける絶対の迷宮へと、その足を踏み入れた。

赤黒い雷雲が、彼らの侵入を拒絶するように低く唸り声を上げている。だが、暁の星徒たちの歩みは、もはやどんな絶望の概念をもってしても止めることはできない。

彼らの背後で、結晶化した森の木々が風に揺れ、チリンチリンと美しいガラスの音色を奏でていた。

星の記憶に囚われていた魂たちは浄化され、大湧泉と廃都を隔てていた危険な魔力断層は、静かな眠りについた。

だが、彼らが足を踏み入れた錆びついた高架道の先は、これまでの過酷な生態系すら生ぬるく思えるほどの、異様で無機質な気配に満ちていた。

空気は重く、肺に吸い込むマナには、針のように冷たい「拒絶」の意志が混じっている。

かつての巨大都市は、数千年の間に神のシステムの自己防衛本能と融合し、巨大なクリスタルと鋼鉄が幾何学的に交差する、美しくも狂気に満ちた『生きた迷宮』へと変貌を遂げているのだ。

そこには、野生の魔獣は存在しない。

待ち受けるのは、神が特異点を処理するためだけに定義した、理不尽な【概念の化身】たちと、空間そのものを凶器に変える悪辣なギミックの数々。

「……風の匂いが変わったわ。ここから先は、一瞬の油断が命取りよ」

シオンの呟きが、廃都の入り口に冷たく響く。

神を殺し、星の理を奪い返すための、真なる死闘の幕開け。特異点たちの魂の融合が、神域の絶対法則にどこまで通用するのか。

果てしなく続く硝子と鋼鉄の迷宮の奥深くで、哀しき管理者の玉座が、彼らの到来を静かに待ち受けていた。

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