第九章9『大いなる泉と、黎の魂の共鳴』
陰湿な『幻夢魔道』を打ち破り、次世代の若者たちの完璧なサポートによって白亜の神兵による絶対防衛線を突破した『反逆の泥舟』。
老いと疲労という残酷な現実を抱えながらも、極道たちは己の命を燃やし、未来へと続く道を力ずくでこじ開けました。
新世界の中枢たる『創世の大樹』、その根元に広がる『大いなる泉』へと辿り着いた一行。
次代への絶対的な引継ぎ(バトンタッチ)を胸に秘めたシオンたちが、澄み切った泉の奥底で目にするものとは。泥の時代から続く因縁の核心へと迫る。
白亜の神兵たちとの死闘を抜け、極彩色の爆炎が切り開いた光の海流を真っ直ぐに進む『反逆の泥舟』。
やがて海流は穏やかな凪へと変わり、一行を乗せた船は、天を突く『創世の大樹』の真下――巨大なドーム状の空間へと静かに滑り込んだ。
そこは、外界の喧騒が嘘のように静まり返った聖域だった。
頭上では、クリスタルのような無数の管が複雑に絡み合い、星空のような光の粒子を絶え間なく明滅させている。そして泥舟の周囲には、底知れぬ深さを持った『大いなる泉』が、透き通るような瑠璃色の水を湛えていた。
「……なんて純度の高い魔力なの。息をしているだけで、体の中が浄化されていくみたい」
船首に立つリオナが、翠緑の瞳を輝かせながら感嘆の息を漏らした。彼女の周囲では、喜びに満ちた精霊たちがキラキラと光の粉を撒き散らしながら舞い踊っている。
「ええ。アウストラ大陸の『泥の時代』には、こんなに澄んだ場所はどこにもなかった。……世界が新しく生まれ変わろうとしている、その最初の産声みたいな場所ですね」
カイルもまた、杖を下ろして穏やかな表情で水面を見つめていた。彼の持つ『聖光』の魔力が、泉の清浄な気配と呼応するように暖かく脈打っている。
若き二人が新世界の息吹に感動を覚える一方で、歴戦の極道たちは、どこか懐かしむような、そして覚悟を決めたような顔でその泉を見下ろしていた。
「へっ……どいつもこいつも泥まみれで殺し合ってた時代が、遠い昔のことに思えてきやがる」
龍崎が丸太棍棒をドスンと甲板に置き、包帯だらけの太い腕を組んだ。
「違いねェ。極道(俺たち)みたいな薄汚ェ人斬りには、ちっとばかし居心地が悪ィくらいに綺麗すぎるぜ」
ハクも双剣を鞘に納め、銀色の髪をかき上げながら自嘲気味に笑う。
彼らの肉体は、第九章を通じた連戦で既に限界を超えている。関節は軋み、筋肉は悲鳴を上げているが、その背中には、やり遂げた者だけが持つ特有の静かな覇気が漂っていた。
「……そうね。あたしたち『旧世界の遺物』には、眩しすぎる場所だわ」
シオンはマントの裾を風に揺らしながら、泉の最深部――大樹の根元が水面に突き刺さっている中心点から目を離さずに言った。
彼女の胸の奥底で、『黎の魂』がかつてないほど激しく共鳴していた。
ドクン、ドクンと、まるで自らの意志を持っているかのように。
それは、過酷な第一世代の戦いを最後まで見届けようとする魂の鼓動であり、同時に、来るべき第十一章――『第二世代』の新たな器へと転生するための、産卵期にも似た疼きであった。
(……この魂の熱さ。やはり、泥の時代の元凶たる『虚無の神』の残滓が、この泉の底にまだへばりついているのね)
シオンは紫の瞳を鋭く細めた。
この大いなる泉は、新世界の源泉である。しかし、光が強ければ強いほど、そこに落ちる影もまた濃くなる。完全なる新時代をカイルやリオナたち次世代へ引き継ぐためには、この泉の底に沈む「旧世界の呪い」を完全に断ち切らなければならない。
「シオンさん? どうしたんですか、そんな怖い顔をして」
リオナが不思議そうに振り返り、首を傾げた。
「……なんでもないわ。ただ、極道の仕事が、まだもう一つだけ残ってるって気付いただけよ」
シオンはふっと表情を和らげ、若き風の魔法使いの頭を優しく撫でた。
その手は、これまでのどんな戦いの時よりも、暖かく、そして微かに震えていた。
「龍崎、ハク。……最後の大仕事よ。気を引き締めなさい」
シオンの静かな号令に、二人の極道は一切の疑問を挟むことなく、再び己の武器へと手を伸ばした。
「応ッ!」
「……合点承知だぜ、大将」
澄み切った大いなる泉。しかし、その水面下に潜む真の深淵に向かって、老いゆく極道たちは次世代への『絶対的な引継ぎ』を果たすため、最後の闘志を静かに燃やし始めていた。
シオンの静かな号令が終わるか終わらないかのうちに、瑠璃色に澄み切っていた『大いなる泉』の水面が、突如として不気味な沸騰を始めた。
「な、何だ!? 水の色が……黒く濁っていく!」
カイルが杖を構え、驚愕の声を上げる。
先ほどまで新世界の清浄な魔力に満ちていた泉の中心。創世の大樹の根が突き刺さるその最深部から、まるで墨汁をぶちまけたようなドロドロとした黒い泥が間欠泉のように噴き出し、美しい泉を急速に汚染していく。
「精霊たちが怯えてる……! 底の方から、信じられないくらい冷たくて、重い悪意が這い上がってくるわ!」
リオナが両腕を抱き抱え、翠緑の瞳を戦慄に見開いた。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
泥舟が激しく揺れ、濁りきった泉の中心から「それ」は姿を現した。
確たる形はない。ただ、果てしなく巨大な「泥の塊」であり、無数の真っ赤な眼球と、苦悶に歪む亡者の顔面が表面を覆い尽くしている。
周囲の空間そのものを腐らせるような圧倒的な呪力が、大いなる泉の浄化の光と激しく衝突し、バチバチと黒い稲妻を散らしていた。
『オォォォォ……。光……忌マワシイ、光……。我ガ泥ノ玉座ヲ、奪ウナ……』
そのおぞましい怨嗟の声を聞いた瞬間、龍崎とハクの顔から一切の笑みが消え失せた。
「……マジかよ。こいつの気配、アウストラ大陸を狂わせてたあのクソッタレな親玉と同じじゃねェか」
龍崎が丸太棍棒を握る手にギリッと力を込め、太い首の筋を張る。
「ああ。まさかこんな新世界のド真ん中にまで、あの『虚無の神』の残りカスがへばりついてやがるとはな」
ハクが双剣を抜き放ち、ギラついた殺意を真っ向からぶつけた。
アウストラ大陸を覆い尽くした「泥の時代」。
理不尽な暴力で世界を支配し、第一世代の極道たちから多くを奪い、そして彼らが血反吐を吐きながら討ち果たしたはずの絶対悪――『虚無の神』。その強大な怨念の残滓が、新世界の源泉たる大いなる泉の底で、新たな理に抗うようにしぶとく生き延びていたのだ。
「シオンさん! あんなのが完全に目覚めたら、せっかくの新しい世界がまた泥に沈んでしまいます!」
カイルが叫び、聖光の結界を展開しようと杖を掲げる。
だが、シオンはその前にスッと立ち塞がり、右腕に極彩色の炎を灯した。
「カイル、リオナ。あんたたちは手を出さないで」
「え……?」
「あれは、極道の時代の『ツケ』よ。泥の時代の亡霊は、泥の時代を生きたあたしたちが、責任を持って地獄の底まで道連れにするわ」
シオンの胸の奥で、『黎の魂』がバチバチと激しい火花を散らすように共鳴する。
虚無の神の残滓もまた、シオンの中に宿るその強烈な魂の光を前に、無数の赤い眼球を一斉に彼女へと向け、憎悪に満ちた絶叫を上げた。
『黎ノ、魂……ッ! 泥ニ沈メ、全テ泥ニ沈メェェェェッ!!』
「沈むのはお前よ、負け犬の神様」
シオンは不敵に笑い、老いと疲労で限界を超えて軋む肉体に、残された全ての命の火(魔力)を注ぎ込んだ。
「いくわよ、龍崎、ハク。次世代(あの子たち)の門出に、こんな汚いドブ泥は似合わないわ。……極道の最後の大掃除、派手にブチかますわよッ!!」
「応ッ!!」
「上等だァッ!!」
虚無の神の怨念が荒れ狂う大いなる泉の中央へ向かって、三人の極道は一切の躊躇なく、その身を躍らせた。
ズドォォォォォォォォンッ!!!!
龍崎の振り下ろした丸太棍棒が、間欠泉のように噴き上がる黒い泥の壁を真正面から粉砕した。
「オラァッ!! 泥の時代はもう終わってんだよ! いつまでも未練たらしく新世界に居座ってんじゃねェッ!!」
『ギガァァァァァッ!!』
虚無の神の残滓が苦悶の咆哮を上げ、表面を覆う無数の赤い眼球から、触れるものすべてを腐食させる「呪いの泥矢」を一斉に放つ。
「遅ェな。そんな大振りの殺意じゃ、俺の背中すら捉えられねェぜ」
泥矢の雨が降り注ぐ中、ハクが双剣を旋風のように振るい、死角から迫る攻撃をすべて叩き落とす。さらにその勢いのまま泥の塊の懐へと潜り込み、巨大な赤い眼球を次々と正確に切り裂いていった。
「龍崎さん! ハクさん! やっぱり私たちも――」
泥舟の甲板からカイルが身を乗り出し、杖を構えようとする。
しかし、その声は圧倒的な熱量を持った「炎の壁」によって遮られた。
「来ちゃダメだと言ったはずよ、カイル!」
極彩色の炎を全身から立ち昇らせたシオンが、泥の波を蹴り立てながら虚無の神の正面へと躍り出る。
「これは、極道のケジメ。……あんたたち次世代が背負うべき因縁じゃないのよ!」
シオンの胸の奥で、『黎の魂』が限界を超えて激しく脈打つ。
肉体はすでに限界だった。骨は悲鳴を上げ、魔力回路は焼き切れそうに熱い。しかし、魂だけはかつてないほどに澄み切り、絶対的な光を放っていた。
この魂を、次なる器へと無傷で繋ぐ。
そのためには、泥の時代の残りカスをここで完全に消滅させなければならない。
『シオン……ッ! 忌マワシイ、極彩色ノ炎……ッ!!』
虚無の神の残滓が、すべての泥を一本の巨大な腕へと集束させ、シオンを握り潰そうと天から振り下ろした。
「大将ッ!!」
「姉御ッ!!」
龍崎とハクが叫ぶが、二人は無数の泥の触手に阻まれ、カバーに入れない。
だが、シオンは微動だにしなかった。
紫の瞳で迫り来る巨大な泥の腕を真っ直ぐに見据え、右腕に、その命の炎のすべてを凝縮させていく。
「……あたしたちは、泥の時代から這い上がってきた最低の極道よ。老いぼれて、ボロボロになって、もう先は長くないかもしれない」
泥の腕が、シオンの頭上数十センチまで迫る。
「でもね……あたしたちの魂は、決して泥なんかに沈まない。この炎は、次の時代(あの子たち)の未来を照らすための『光』なのよッ!!」
「『極彩・黎の連華――【絶炎】』ッ!!!!」
シオンの右拳が、振り下ろされた泥の腕と真正面から激突した。
その瞬間。
大いなる泉の中央で、太陽そのものが顕現したかのような、目も眩むような極彩色の超新星爆発が巻き起こった。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
空間のすべてを真っ白に染め上げる圧倒的な熱量が、虚無の神の怨念を、泥の触手を、そして赤い眼球たちを、断末魔の悲鳴すら許さずに原子のレベルから消し飛ばしていく。
衝撃波が泥舟を激しく揺らし、カイルとリオナは思わず腕で顔を覆った。
「シオンさん……ッ!!」
光の奔流が空間を舐め尽くし、やがて静寂が訪れる。
蒸発した水蒸気が霧散した後に残されていたのは、元の美しさを取り戻した瑠璃色の大いなる泉と――
全身から極彩色の残り火を立ち昇らせながら、右手一つで泉の水面に立ち尽くす、シオンの姿だった。
「……ハァッ……、ハァッ……」
彼女の息は途切れ途切れで、その身体は今にも崩れ落ちそうに揺らいでいた。
しかし、その顔に浮かんでいたのは、最大の因縁を完全に断ち切った、極道としての誇り高く不敵な笑みであった。
大いなる泉の底に潜んでいた、泥の時代の元凶たる『虚無の神』の残滓。
次世代の若者たちにこの因縁を背負わせまいと、カイルたちの手助けを拒み、「ケジメ」をつけるために命を燃やすシオンたちの姿を描きました。
老いゆく肉体の中で、次なる時代へ受け継がれる『黎の魂』が最も強く輝く瞬間。限界を超えて放たれたシオンの最大奥義が、過去の亡霊を完全に打ち砕きました。
虚無の神の残滓を浄化し、真の生還を果たした極道たちと若き魔法使いたち。すべてを出し尽くした彼らは、どのように歩みを進めるのか。
次世代へのバトンタッチを目前に控えた、熱く泥臭い物語の転換点。どうぞご期待ください!




