第八章13『原初の胎動と、深淵の記憶』
星の質量そのものを吸い上げ、絶望的な天災へと変貌した異形に対し、シオンは仲間たちの魔力を束ねた『極彩・黎の反逆杭』を放ち、見事に打ち砕いた。
個としての闘争本能だけでなく、極道たちの絆を力に変えることで、シオンの内に宿る『黎の魂』は新たなる境地へと足を踏み入れようとしている。
激闘の末、一行の前に開かれたのは、アウストラ大陸の「真の心臓部」へと続く深淵への道。
混沌と狂気に満ちた大地の最奥で、泥だらけの反逆者たちを待ち受ける「泥の時代」の真実とは。極道たちの過酷な航海は、いよいよ核心へと迫っていく。
ポタッ……。ポタッ……。
静寂に包まれた広大な地下空洞に、岩肌から滴り落ちる水滴の音だけが微かに響いていた。
闘技場の最奥に開いた巨大な亀裂から地下へと足を踏み入れたシオンたちは、地上で吹き荒れていた赤黒い黄昏や紫色の瘴気が嘘のように、どこか神秘的ですらある静謐な空間の中を進んでいた。
「……信じられねェな。あの地獄みたいな大地の真下に、こんな静かな場所があったなんてよ」
警戒を緩めずに周囲を見渡すハクの言う通り、地下の空気は透き通っていた。
猛毒の瘴気は一切なく、代わりに淡い青色を放つ無数の発光苔と、岩盤の隙間を縫うように脈打つ「原初の魔力」の鉱脈が、一行の足元をぼんやりと照らし出している。
「だが、空気の重さが尋常じゃねェぞ。息苦しいってわけじゃねェが、こう……腹の底にズシンとくるようなプレッシャーだ」
丸太棍棒を杖代わりに歩く龍崎が、大きく深呼吸をして唸る。
「……ええ。空気が澄んでいる分、この大陸が溜め込んできた星の記憶が、直接脳に語りかけてくるみたい……」
リオナが自身の腕をさすりながら、不安そうにカイルの背中に寄り添う。カイルもまた、杖の先で淡い光を灯しながら、周囲の岩盤に刻まれた幾何学的な模様(おそらくは自然形成されたエーテルの結晶跡)を食い入るように見つめていた。
「シオンさん、お体の具合は……?」
カイルが振り返り、龍崎の太い腕に肩を借りながら歩くシオンを気遣う。
「平気よ。あんたたちの治癒魔法のおかげで、焼き切れた魔力回路はなんとか繋がってるわ。……それに」
シオンは痛む右腕を軽くさすりながら、静かに紫の瞳を細めた。
「ここへ降りてきてから、体の痛みが嘘みたいに引いていくのよ。この空間の魔力……私の中の『黎の魂』が、まるで実家にでも帰ってきたみたいに落ち着き払ってる」
地上での激闘で荒れ狂っていた闘争本能は鳴りを潜め、今のシオンの胸の奥では、深く、静かで、圧倒的な「郷愁」のような鼓動が響いていた。
アウストラ大陸が弱肉強食の極みであった『泥の時代』。そのさらに奥底、星そのものが生み出した「原初」に、彼女の魂は共鳴しているのだ。
どれほど歩いただろうか。
やがて一行の目の前で、細かった地下道が大きく開け、ひとつの巨大な空間へと繋がった。
「こいつは……すげェ……」
龍崎が、思わず感嘆の声を漏らす。
そこは、まるで星の胎内と呼ぶにふさわしい、ドーム状の超巨大な空間だった。
無数の青い発光鉱石が星空のように天井を覆い、空間の中心には、地下湖のように澄み切った巨大な「エーテルの泉」が広がっていた。そしてその泉の中央に、脈打つ心臓のように淡く発光する、巨大な『白磁の結晶』が鎮座している。
「あれが……この狂った大陸の心臓……?」
ハクが息を呑む。
地上の猛毒も、先ほどの泥岩の巨人も、すべてはこの白磁の結晶から漏れ出したエネルギーの「ほんの残りカス」が変異したものに過ぎない。そう直感させるほどの、圧倒的で純粋なエネルギーの塊だった。
「……ええ。ついに辿り着いたわね」
シオンは龍崎の肩から離れ、自らの足でしっかりと立ち上がり、泉のほとりへと歩み寄る。
だが、彼女が結晶に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
『――そこまでだ、数多の世代を超えて巡る者よ』
泉の水面が波打ち、頭の中に直接響くような、性別も年齢もわからない「透明な声」が空間全体を震わせた。
「誰だッ!?」
龍崎とハクが一瞬で臨戦態勢をとり、カイルとリオナがシオンを護るように前に出る。
泉の中央。巨大な白磁の結晶の前に、淡い光の粒子が収束し、ひとつの人型のシルエットを形成した。
それは肉体を持たない、純粋なエーテルの集合体。しかし、その顔に当たる部分には、どこか哀愁を帯びた瞳のような二つの光が宿っている。
『警戒には及ばない。私はこのアウストラ大陸の記憶、その残滓を編纂する者。……お前たちの言葉で言うならば、この大地の「意志」そのものだ』
光の人影は、敵意を示すでもなく、ただ静かにシオンを見据えた。
『泥の時代を生き抜いた荒ぶる魂よ。地上の番人たちを退け、よくぞこの深淵まで辿り着いた。……お前が望む闘争の答えは、すべてこの結晶の中にある。だが――』
人影の足元から、泉の水がフワリと浮き上がり、シオンたちの周囲を取り囲むように淡い水の壁を作り出した。
『その真実を受け取る覚悟が、今の主にあるか。……魂の奥底に眠る「記憶」を、今ここで証明してみせよ』
静謐な空間の空気が、一瞬にして張り詰める。
殺意はない。だが、それは先ほどのどんな魔物よりも重く、深く、絶対的な「試練」の気配だった。
フワァァァァァァァッ……。
泉の水が形作ったドーム状の壁が完全に閉鎖され、シオンと光の人影(大地の意志)を、仲間たちから隔離した。
「結界を張るよ、シオンさん!」
カイルが即座に杖を構え、リオナと共に光の障壁を展開する。しかし、彼らが放った魔力は、水の壁に触れた瞬間、何事もなかったかのように透過してしまった。
「……ダメだ、物理的な魔力じゃない。これは、空間と魂そのものへの干渉よ!」
リオナが焦燥に満ちた声を上げる。
「チッ、なら物理でぶっ壊すまでだ!」
龍崎が丸太棍棒を大上段に構えて水の壁に殴りかかろうとするが、シオンが背中越しに片手を上げてそれを制止した。
「やめなさい。……言ったでしょ。これは私の中の『黎の魂』に向けられた、私自身の落とし前よ。あんたたちはそこで見てなさい」
シオンは振り返ることなく言い放ち、単身、大地の意志と真っ向から対峙する。
水の壁の内側で、空間が歪む。
シオンの紫の瞳に、このアウストラ大陸が辿ってきた数万年という『泥の時代』の凄惨な記憶が、濁流となって直接流れ込んできた。
空を覆う絶望的な瘴気、互いを喰らい合う無数の異形。弱者は淘汰され、強者のみが次なる闘争へと身を投じる、果てしない血と暴力の連鎖。
その記憶の中心には常に、圧倒的な炎を纏い、孤独に頂点に君臨し続ける『黎の魂』の主たちの姿があった。彼らは皆、何者にも頼らず、ただ己の闘争本能の赴くままに周囲を灰に変え、絶対的な強者として孤独な覇道を歩んでいた。
『見よ。これがお前の魂に刻まれた、真なる闘争の歴史。……他者を喰らい、孤独に己を研ぎ澄まさせることこそが、強者の絶対の理だ』
大地の意志の透明な声が、シオンの脳髄を直接揺らす。
『しかし、先ほどの闘技場での戦い。お前は他者の魔力を受け入れ、孤高の力を他者と混じり合わせた。……それは闘争本能の劣化ではないのか? 泥の時代の頂点たる『黎の魂』の主として、その在り方は弱き者への迎合ではないのか』
大地の意志の問いかけと共に、シオンの周囲に泥の時代の記憶――かつての孤独な強者たちの幻影が無数に現れ、彼女を否定するように重圧をかけてくる。
星の歴史そのものからの弾劾。並の精神であれば、その絶望的な重圧に耐えきれず、自己を崩壊させていただろう。
だが、シオンは圧倒的な記憶の濁流の真っ只中で――フッと、心底面白そうに鼻で笑った。
「劣化? 迎合? ……バカ言わないで。あんた、本当に星の記憶を全部見てきたの?」
シオンの全身から、紫電と極炎が静かに、しかし確かな熱を持って立ち昇る。
それは周囲の幻影たちを威圧するのではなく、真っ向から否定し、自らの色で塗り替えるような圧倒的な『我』の炎だった。
「孤独に飢えて、ただ周りを焼き尽くすだけなら、それは知性のない野良犬と同じよ。……私が背負っているのは、そんな底の浅い暴力じゃないわ」
シオンは、壁の外側で自分を信じて見守る龍崎、ハク、カイル、リオナの姿を背で感じながら、彼らを指し示すように親指を立てた。
「泥水を啜ってでも、理不尽に中指を立てて前に進む。同じ泥を被る覚悟を決めたイカれた連中の命を束ねて、もっとデカい理不尽をぶっ飛ばす。……それが、極道の『反逆』よ」
シオンの言葉に呼応するように、彼女の体から立ち昇る炎が、先ほどの闘技場でカイルやリオナの魔力と共鳴した時のように『極彩色』へと変化していく。
孤高の極炎ではなく、他者を受け入れ、それを己の力として完全に束ね上げる、極道としての底知れぬ器の大きさ。
「過去の記憶がどうであれ、今の『黎の魂』の主はこの私よ。……文句があるなら、かかってきなさい。星の記憶ごと、私の炎で躾け直してやるわ」
シオンが極彩色の炎を纏いながら挑発的に笑いかけると、大地の意志の周囲を取り巻いていた幻影たちが、彼女の放つ圧倒的なカリスマの前にピキピキと音を立ててひび割れ始めた。
ピキピキピキィィィィィィィンッ……!!
シオンの全身から放たれた極彩色の炎が、空間を制圧する絶対的な『我』となって吹き荒れる。
その圧倒的な熱と輝きの前に、大地の意志がけしかけた「泥の時代」の孤独な覇者たちの幻影は、まるで太陽の光を浴びた朝露のように次々と融解し、悲鳴を上げる間もなく光の粒子となって消滅していった。
『……見事だ』
幻影たちが完全に消え去った後。
大地の意志である透明な光の人影は、シオンの放つ極彩色の炎に焼かれるどころか、どこか安堵したような、深く穏やかな声で響いた。
『孤高の炎は、己を燃やし尽くせばいずれ消える。泥の時代の頂点に立った歴代の『黎の魂』の主たちは、皆そうして星の記憶へと還っていった。……だが、お前は違う』
光の人影が、ゆっくりとシオンへ向かって片膝を突く。
それは星の歴史そのものが、一個人の生き様に対して「敬意」を示した瞬間であった。
『他者という薪を受け入れ、共に燃え上がり、さらなる理不尽を焼き尽くす巨大な太陽。……闘争本能の劣化ではない。お前の魂は、数万年の泥の時代が到達できなかった「新たな進化の果て」に辿り着いたのだ』
ザザァァァァッ……。
人影の言葉と共に、シオンと仲間たちを隔てていた水の壁が、重力を失ったように崩れ落ち、地下湖の泉へと還っていく。
「姉御ッ!!」
「シオンさん、無事ですか!?」
水の壁が消滅するや否や、龍崎やカイルたちが血相を変えて駆け寄ってくる。
「……だから、慌てるなって言ったでしょ。ちょっと昔の幽霊たちに、極道の礼儀を教えてやっただけよ」
シオンは、纏っていた極彩色の炎をスッと収め、仲間たちへ向かっていつもの不敵な笑みを向ける。
その背中を覆っていた痛々しい傷跡も、内燃式のオーバードライブによる反動も、この泉の純粋なエーテルと大地の意志の承認を受けたことで、嘘のように綺麗に修復されていた。
『新たな『黎の魂』の主とその眷属たちよ。……この狂った大陸の真実、その心臓を、お前たちに託そう』
光の人影が静かに手をかざすと、泉の中央に鎮座していた巨大な『白磁の結晶』が眩い光を放ち、シオンの目の前へとゆっくりと浮遊してきた。
直径一メートルほどの、純粋なエネルギーの結晶体。これこそが、アウストラ大陸が泥の時代から溜め込んできた記憶と魔力――星の心臓そのものだった。
「こいつを私が受け取れば、この大陸の狂気は終わるってわけ?」
シオンが結晶を見据えたまま問う。
『否。逆だ』
大地の意志の声が、初めて重く、警告の響きを帯びた。
『この心臓の所有権がお前に移るということは、今までこの結晶が封じ込めていた「泥の時代の真の起源」、すなわち、この星の闘争を一番初めに狂わせた『原初の絶望』が解き放たれることを意味する。……それを討ち果たして初めて、この大陸は真の夜明けを迎えるだろう』
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ!!!
大地の意志が言葉を終えると同時に、地下空洞全体が、いや、アウストラ大陸そのものが、根底からひっくり返るような規格外の地鳴りを上げ始めた。
「な、なんだッ!? 今までの地震とは桁がちげェぞ!」
龍崎が丸太棍棒を地面に突き立てて必死に耐える。
「空間そのものが歪んでる……! 何かが、この地下空間のさらに下から這い上がってこようとしてるんだ!」
カイルが絶望的な魔力反応を感知し、顔を青ざめさせた。
『ゆくぞ、反逆の徒よ。星の歴史すらも喰らい尽くす、究極の絶望が目覚める。……お前たちの絆と炎で、この大陸の狂気に、真の引導を渡してくれ』
光の人影はそう言い残すと、微笑むように瞬き、白磁の結晶の中へと溶け込むように消え去った。
ドクンッ!!!
結晶がシオンの手に収まった瞬間、地下湖の底が完全に崩落した。
奈落のような深淵から噴き出してきたのは、紫色の瘴気でも、赤黒いマグマでもない。
すべての光を吸い込むような、絶対的な「漆黒の虚無」であった。
「……ハハッ。最高じゃない。星の歴史のオオトリに相応しい、とびっきりの絶望のお出ましね」
シオンは一切怯むことなく、仲間たちと共に絶対的な漆黒を見下ろし、極彩色の炎を再び右手に強く握りしめた。極道たちと「原初の絶望」との、大陸の命運を懸けた最終決戦の幕が、今ここに切って落とされた。
アウストラ大陸の歴史そのものである「大地の意志」からの試練。
過去の覇者たちの孤独な闘争本能を突きつけられたシオンでしたが、彼女はそれを「底の浅い暴力」と一蹴しました。仲間という他者を受け入れ、共に燃え上がる極彩色こそが、極道としての自分の『我』であると証明し、見事に星の意志を認めさせましたね。シオンの器の大きさと、仲間たちとの絆の強さが最高潮に達するエピソードとなりました。
しかし、試練を越えて星の心臓(白磁の結晶)を手にしたことで、大陸を狂わせた「真の起源」が封印から解き放たれてしまいました。
深淵の底から這い上がってきた絶対的な「漆黒の虚無」に対し、満身創痍の泥だらけの極道たちはどう立ち向かうのか。シオンの『極彩色の炎』は、原初の絶望を焼き尽くすことができるのか。




