第八章10『深淵の闘技場と、凝縮された殺意』
理不尽な質量を誇る泥岩の巨人を、圧倒的な超高熱の斬撃『極彩・黎の断頭刃』で一瞬にして蒸発させたシオン。
赤黒い黄昏の空と、漆黒の結晶岩に覆われた狂気の大陸を、極道たちはさらに深くへと進んでいく。
中心部に近づくにつれて大気中の瘴気はさらに濃度を増し、並の生命であれば一瞬で精神を破壊されるほどの死地と化していた。しかし、アウストラ大陸の凄惨な「泥の時代」の記憶を宿すシオンの魂は、この絶望的な環境の中でこそ、水を得た魚のように獰猛な輝きを放っていた。
全14部構成で紡がれる第八章も、いよいよ第十部へと突入する。
次なる脅威が潜む大陸の最深部で、一行が目にする真なる狂気の正体とは。極道たちの歩みは止まらない。
ジャリッ……、ジャリッ……。
赤黒く濁った濃霧の中、漆黒の結晶岩を踏み砕く足音だけが不気味に響き渡る。
泥岩の巨人を消し飛ばした巨大なマグマのクレーターを越え、大陸のさらに奥地へと足を踏み入れたシオンたちの周囲からは、先ほどまで無数に湧き出していた泥の獣たちの気配が完全に消え失せていた。
「……チッ。姉御が派手にデカブツを丸焼きにしちまったせいか、ザコどもがすっかりビビって引っ込んじまったな。肩慣らしにもなりゃしねェ」
龍崎が丸太棍棒を肩に担いだまま、退屈そうに首をポキポキと鳴らす。
「贅沢言うなよ、筋肉ダルマ。ザコが減った分だけ歩きやすくなったんだ。……それに、この空気だ。ザコが逃げ出した理由は、姉御の炎だけじゃないかもしれねェぞ」
前衛で周囲を警戒するハクが、目を細めて濁った濃霧の先を睨みつけた。
大陸の中心部に近づくにつれ、大気中の紫色のエーテル濃度は跳ね上がり、呼吸をするだけでも肺が焼け焦げそうなほどの呪力を帯び始めていた。
「ハァッ……ハァッ……。リオナ、魔力回路の同調率を上げるよ。結界の密度をもう一段階高くしないと、瘴気が入ってくる……!」
「う、うんっ! 『聖光・霊樹の盾(多重展開)』っ!」
最後尾を歩くカイルとリオナは、額に脂汗を滲ませながら杖を握りしめていた。二人の光魔法と巨樹のエーテルを合わせた結界のおかげで一行は無事に歩みを進められているが、それでも肌を刺すようなプレッシャーが結界越しにビンビンと伝わってくる。
「無理はしなくていいわよ、二人とも。……まあ、でも良い傾向ね」
先頭を歩くシオンは、息を呑むカイルたちとは対照的に、まるで高級リゾート地でも散歩しているかのように涼しい顔で微笑んでいた。
「良い傾向、ですか……? この地獄みたいな空気が?」
カイルが信じられないというように問い返す。
「ええ。雑兵の獣どもが近寄れないほどの、高密度に圧縮された闘争の気配。……この先にいる奴は、数や質量に頼るだけの泥人形じゃないわ。確実に『個』として完成された、純粋な殺意の塊よ」
シオンの紫の瞳が、歓喜に濡れたように怪しく輝く。
彼女の胸の奥で脈打つ『黎の魂』が、これまで以上に激しく共鳴していた。
アウストラ大陸の泥の時代において、真に恐れられていたのは、巨大なだけの獣ではない。極限の環境で生き残り、自らの狂気を一点に凝縮させた「特異点」のような存在だ。
ズォォォォォォォォォォン…………ッ。
不意に、周囲の濃霧が強力な扇風機で吹き飛ばされたかのように、一気に晴れ渡った。
「……おいおい、こいつぁたまげたな」
龍崎が足を止め、目の前に広がった光景に口笛を吹く。
霧が晴れた彼らの眼前に現れたのは、自然に形成されたとは到底思えない、巨大なすり鉢状の「空間」だった。
周囲を鋭い漆黒の結晶岩が壁のように取り囲み、まるで古代のコロシアム(闘技場)のような円形の平地が広がっている。そしてその中央には、紫色の瘴気が滝のように天に向かって逆流する、巨大なエーテルの泉が存在していた。
「人工物……いや、違う。純粋なエーテルの激流が大地を削り取って、偶然こんな形になったんだ……」
カイルが周囲の地形を分析し、息を呑む。
「……お出ましだぜ、姉御。どうやら、この闘技場の『チャンピオン』は、お客さんを待たせるのが嫌いらしい」
ハクが両手に短剣を構え、重心を低く落とした。
エーテルの泉の中心。紫色の瘴気が渦巻く中から、ゆっくりと「それ」が姿を現した。
先ほどの巨人のような規格外のサイズではない。人間の大人よりも一回り大きい程度の、人型に近いシルエット。
しかし、その肉体はドロドロの泥ではなく、極限まで圧縮された「漆黒の結晶」のみで構成されていた。装甲の隙間からはマグマのような赤い光が脈打ち、両腕は鋭利なブレードのように研ぎ澄まされている。
一切の無駄を削ぎ落とした、殺戮のためだけのフォルム。
それが一歩を踏み出した瞬間――。
シュンッ!!
「なッ……!?」
ハクの動体視力すらも置き去りにする速度で、漆黒の結晶体がその場から「消失」した。
「右だ、ハク!!」
龍崎の怒声が響くのと同時に、ハクの右側面に移動していた結晶体が、死神の鎌のような鋭い腕を振り抜いていた。
ギィィィィィィンッ!!!
金属同士が全力で激突したような、鼓膜を裂く甲高い音がすり鉢状の闘技場に響き渡った。
「ぐぅぅぅッ……! なんだ、この重さと硬さは……ッ!?」
間一髪、両手の短剣を交差させて結晶体のブレードによる斬撃をガードしたハクだったが、その顔は苦痛に歪んでいた。
ハクの影を操る超反応がなければ、間違いなく胴体を真っ二つにされていた。しかし、致命傷こそ避けたものの、ブレードから伝わる「殺意の質量」はハクの筋力で殺しきれるものではない。
バキッ! という嫌な音と共に、ハクの愛用する対魔鋼の短剣に無数の亀裂が入り、彼は防いだ姿勢のまま砲弾のように後方へと吹き飛ばされた。
「ハクッ!!」
「よそ見してんじゃねェぞ、黒石野郎ッ!!」
ハクが吹き飛ばされた直後、死角から跳躍した龍崎が、渾身の力を込めた丸太棍棒を結晶体の脳天へと振り下ろした。
先ほどの泥岩の巨人の岩腕すらも粉砕した、純粋な極道の膂力による一撃。
しかし――。
ガシィィィィッ!!
「……あァ?」
龍崎が驚愕に目を見開いた。
漆黒の結晶体は、振り下ろされた丸太棍棒を、振り返りもせずに「左手一本」で軽々と受け止めていたのだ。
巨人の時のような派手な衝撃波は発生しない。龍崎の絶大なパワーが、結晶体の手の中で完全に「殺されて」いる。
パキ……パキパキッ……!
結晶体の左手が握り込まれると、あの対魔鋼よりも頑強なはずの巨樹の木材が、まるで乾燥した小枝のようにメリメリと砕け始めた。
「こいつ……力が強いって次元じゃねェ! 密度が、俺の攻撃の密度を遥かに上回ってやがる……ッ!」
「龍崎さん、離れてっ! 『聖光・霊樹の縛鎖』!!」
龍崎が後方に飛び退くと同時に、カイルとリオナが放った無数の光の鎖が結晶体の四肢に絡みついた。
しかし、結晶体の隙間からマグマのような赤い光がドクンと脈打った次の瞬間、バチンッ! と飴細工のように光の鎖があっさりと弾け飛ぶ。
「……嘘でしょ。僕たちの全力の拘束魔法が、ただ魔力を放出されただけで……」
カイルが絶望的な顔で後ずさる。
物理的な質量や手数ではなく、純粋な「殺意」と「エネルギー」を極限まで圧縮し、ただ一つの個体として研ぎ澄まされた完全なる殺戮兵器。
それこそが、アウストラ大陸の闘争の歴史がこの深淵の闘技場に生み出した、真の特異点であった。
「……退きなさい、あんたたち。そのおもちゃじゃ、あの『本物』には傷一つつけられないわ」
カイルたちを庇うように前に出たのは、シオンだった。
彼女の紫の瞳は、圧倒的な強者を前にして恐怖するどころか、極上の獲物を見つけた猛禽類のように歓喜に打ち震えていた。
「無駄な図体のデカさを捨てて、ひたすらに強度と殺意だけを磨き上げた姿。……ええ、知っているわ。アウストラ大陸の『泥の時代』を最後まで生き残った本物の化け物たちは、皆そういう研ぎ澄まされた姿をしていた」
シオンはマントを脱ぎ捨て、右手に極炎を、左手に紫電を発生させる。
しかし、今回の彼女はそれを巨大な炎の獣や巨大な刃として放出することはしなかった。
シュルルルルルルッ……!
極炎と紫電が彼女の全身に巻き付き、極限まで圧縮されていく。
それは、莫大な熱量と破壊力を彼女自身の身体の表面にピタリと定着させた「極彩色の鎧」。周囲の空間すら陽炎のように歪ませるほどのエネルギーを、シオンは己の肉体という極小の枠組みの中に完全に封じ込めたのである。
「力には力を。密度には密度を。……さあ、最高の殺し合い(ダンス)を始めましょうか」
シオンが獰猛な笑みを浮かべた瞬間。
漆黒の結晶体と、極彩色の鎧を纏ったシオンの姿が、同時に闘技場から「消失」した。
ドガァァァァァァァァァァンッ!!!
次の瞬間、闘技場の中央で、空間そのものがひび割れるようなすさまじい激突音が弾け飛んだ。
ズドガァァァァァァァァンッ!!
ギィィィィィィンッ!!
バチバチバチィィィィッ!!
闘技場の中心で、常人の動体視力では決して捉えられない超高速の激突が、幾百、幾千と連続して繰り広げられていた。
漆黒の結晶体が振るう死神のブレードと、極彩色の高圧縮装甲を纏ったシオンの拳が交差するたび、空間が悲鳴を上げ、落雷のような轟音と強烈な衝撃波がすり鉢状の地形をさらに削り取っていく。
「す、すげェ……。あの理不尽な硬さの黒石野郎と、真っ向からインファイトで打ち合ってやがる……ッ!」
衝撃波に吹き飛ばされないよう、丸太棍棒を地面に突き刺して耐える龍崎が、滝のような汗を流しながら驚嘆の声を上げた。
「これが、姉御の真骨頂……。広範囲の殲滅力じゃねェ、自分自身の肉体に全エネルギーを封じ込めた『極限の個』としての戦い方かよ」
ハクもまた、防御結界を展開するカイルとリオナを庇いながら、瞬きすら忘れてその死闘を見つめていた。
シオンの放つ一撃は、先ほどの泥岩の巨人を両断したような巨大な斬撃ではない。しかし、極小の面積に圧縮された極炎と紫電のエネルギー密度は、あの時とは比較にならないほどに跳ね上がっていた。
「アハハハハッ!! いいわ、最高よ!!」
シオンの歓喜の笑い声が、激突音の隙間から響き渡る。
結晶体のブレードが彼女の頬を掠め、極彩色の装甲を削り火花を散らすが、シオンは全く怯まない。むしろ踏み込みをさらに深くし、結晶体の懐へと潜り込んでカウンターの右フックを顎に叩き込む。
ゴギィィィィィンッ!!
「ギ……ッ!?」
これまでいかなる攻撃も無傷で弾き返してきた結晶体の装甲に、初めてバキリと深い亀裂が走った。
「その研ぎ澄まされた純粋な殺意。無駄を削ぎ落とした闘争の結晶。……私の中の『黎の魂』が、あんたの狂気を認めているわ!」
シオンは追撃の手を緩めない。
左手で結晶体のブレードを掴み、自身の極彩色の装甲ごと高温で溶かし合わせて強引に拘束する。
驚愕に目を見開く(ように見えた)結晶体の胸部――脈打つ赤いコアが剥き出しになった心臓部へ向け、シオンは全身のエネルギーを右拳の一点に集中させた。
「これが『泥の時代』の流儀よ。……喰いしばりなさいッ!!」
ズドンッ!!!
シオンの右拳が、結晶体の胸部に深々とめり込んだ。
直後、圧縮されていた極炎と紫電が、結晶体の内部で爆発的に解放される。
「『極彩・黎の穿孔』!!」
ガガガガガガガガガガッ!!
結晶体の背中側から、極彩色の光の柱が闘技場の壁を貫通して真っ直ぐに撃ち抜かれた。
絶対の強度を誇っていた漆黒の装甲が粉々に砕け散り、結晶体はコントロールを失った人形のように闘技場の端へと凄まじい勢いで吹き飛ばされ、岩壁に深くめり込んだ。
「……やったか!?」
カイルが結界越しに叫ぶ。
土煙が晴れ、岩壁に縫い付けられた結晶体の姿が露わになる。
胸部にはポッカリと巨大な風穴が開き、その肉体の大部分が崩壊していた。勝負は決したかのように見えた。
しかし――。
「……いいえ、まだよ。むしろ『これから』ね」
シオンは右拳の熱を冷ましながら、警戒を解くことなく獰猛な笑みを深めた。
ピキ……、ピキピキピキッ……!!
崩壊しかけていた結晶体の残骸から、突如として周囲の紫色の瘴気を爆発的に吸い上げる不気味な渦が発生したのだ。
砕け散ったはずの黒い破片が宙に浮き上がり、胸の風穴を中心に、先ほどよりもさらに禍々しく、より「鋭角」に変異した新たな姿へと再構成されていく。
「……マジかよ。あの密度で『第二形態』があるってのか?」
ハクが絶望的な声を漏らす。
「当然でしょ。アウストラ大陸の深淵が、この程度で底をつくはずがないわ」
シオンは極彩色の装甲を再起動し、闘志に燃える紫の瞳で、変異を遂げる未知の狂気を見据えた。
極限まで研ぎ澄まされた殺意同士の激突は、限界のその先、真のクライマックスへと突入していく。
巨大なだけの獣とは異なり、すべてを一点に凝縮させた漆黒の結晶体。それに対抗するため、シオンもまた自身の規格外の魔力を肉体に封じ込めた「極彩色の鎧」を纏い、純粋な密度と速度の殴り合いへと発展しました。互いの殺意が剥き出しになるインファイトは、まさに『泥の時代』の闘争の真骨頂です。
そして、シオンの必殺の一撃で粉砕されたかに見えた結晶体でしたが、その狂気はさらなる変異を遂げようとしています。




