↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/48

第39話「眠れましたか」

 翌朝、7時5分にスマートフォンが震えた。


『着いた』


 いつもと同じ三文字だった。


 昨日、学校から尾行されて、知らない能力者と倭が戦った。


 力環で事情を説明して、家へ戻った頃にはかなり遅くなっていた。水守家でも改めて話を聞かれ、しばらく移動時の警戒を強めることになった。


 それでも朝は来る。


 制服へ着替え、鞄を持つ。


 鏡を見る。


 顔はいつもと同じだった。


 少し眠いくらい。


 玄関を出ると、門の近くに倭の車が停まっていた。


 昨日と同じ車。


 運転席から赤い髪が見える。


 わたしが近づくと、倭が車から降りた。


「おはようございます」


「おはよ」


 いつもの声だった。


 倭はわたしの顔を一度見る。


 それから鞄。


 歩き方。


 肩。


 何となく順番に見られている気がする。


「何ですか」


「別に」


「またそれ」


「乗って」


 助手席へ乗る。


 シートベルトを締める。


 倭も運転席へ戻る。


 朝の車内はいつも静かだった。


 低い音の曲が小さく流れている。


 カップホルダーには倭の飲み物。


 わたしの側には、昨日までと同じように何も置かれていない。


 いつも通り。


 なのに、今日は少しだけ身体が重かった。


 眠いのとは違う。


 腕や脚が動かないわけでもない。


 ただ、何かを始めるまでにいつもより少し時間がかかる。


 倭がエンジンをかける。


 すぐには車を出さなかった。


「なぎ」


「はい」


 倭は前を向いたまま聞いた。


「……寝れたか」


 少し考える。


「はい」


「そ」


 それだけだった。


 車が動き出す。


 門を抜ける。


 住宅街へ入る。


 わたしは窓の外を見る。


 昨日も通った道。


 でも、昨日は帰りだった。


 夜だった。


 今は朝で、通学する人がいる。


 自転車。


 犬を散歩させている人。


 ゴミを出している人。


 普通の朝だった。


「……途中で何度か起きました」


 自分から言い直した。


 倭がこちらを見る。


 ほんの一瞬。


 すぐ前へ戻る。


「そっか」


 それだけだった。


 何も続かない。


 信号を一つ通る。


 わたしは少し待つ。


 それでも、倭から質問は来なかった。


「何も聞かないんですか」


「何を」


「途中で起きたって」


「聞いてほしいなら聞く」


 倭は運転しながら答える。


「言いたくねえなら、それでいい」


 少し意外だった。


「気にならないんですか」


「気にはなる」


「じゃあ聞けばいいのに」


「気になるのと、聞いていいのは別だろ」


 倭らしい言い方だった。


 わたしは窓の外へ視線を戻す。


「昨日のこと思い出したのかもしれません」


「うん」


「夢を見たわけではないです」


「うん」


「目が覚めて、少ししたらまた寝ました」


「そっか」


「三回くらい」


「けっこう起きてんじゃん」


「たぶん」


「今眠い?」


「少し」


「気持ち悪いとか、頭痛いとかは」


「ないです」


「なら学校は行けそう?」


「はい」


 そこは聞く。


 体調。


 学校へ行けるか。


 必要なことだけ。


「無理そうなら途中で言え」


「学校休ませる?」


「帰るか力環寄るか、そのとき決める」


「勝手に決めないんですね」


 倭が少し眉を寄せる。


「何で勝手に決めんだよ」


「護衛なら、安全のために休めって言うかと思って」


「今すぐ危険なら言う。でも寝不足だけであたしが学校行くなって決める意味ねえだろ」


「そうですか」


「行くかどうかはあんたが決めりゃいい」


 少し間を置いて、倭が続ける。


「ただ、無理してんのに平気って言うのはやめろ」


「難しいですね」


「何が」


「どこから無理かわからないので」


「それはまあ……わかる」


 意外とすぐ納得された。


「じゃあ、わかんねえときも言え」


「『無理かわかりません』って?」


「それでいい」


「曖昧でも?」


「別に」


 その答えが少し楽だった。


 無理かどうかを判断してから言わなくてもいい。


 わからないままでもいい。


 倭は、そこから一緒に考えるつもりなのかもしれない。


 車が大きな交差点へ近づく。


 赤信号。


 ゆっくり止まる。


 わたしは膝の上へ両手を置いていた。


 何となく指先へ力が入っている。


 気づいていなかった。


 昨日、振を使ったあとの痺れはもうない。


 痛みもない。


 それなのに、指先だけが少し固い。


 親指を人差し指へ押しつけている。


 倭の視線がそこへ落ちた。


「手」


「はい?」


「まだ痺れてんの」


「いえ」


「痛い?」


「ないです」


「じゃあそれ」


「それ?」


 自分の手を見る。


 確かに、少し力が入っていた。


 意識して開く。


「緊張してるんですかね」


「知らねえ」


「そこはわからないんですね」


「本人じゃねえし」


 倭はそう言って、前を見る。


 信号はまだ赤い。


 少し沈黙が落ちる。


 それから、倭の左手がハンドルから離れた。


 わたしのほうへ伸びる。


 でも、触れない。


 助手席との間に、手のひらを上へ向けて置いただけだった。


「?」


 見る。


 倭は前を向いている。


「何ですか」


「……嫌ならいい」


 それだけ。


 意味はわかった。


 手を握るでもない。


 こちらの指を取るでもない。


 倭が手を差し出している。


 選ぶのはわたし。


 少しだけ、その手を見る。


 大きい。


 指が長い。


 昨日、相手の腕をつかんで、投げて、線を引いていた手。


 同じ手が、今は動かずに待っている。


「握るんですか」


「別に握らなくていい」


「じゃあ?」


「置きたきゃ置けば」


「何を」


「手」


「……そうですか」


「いらねえなら戻す」


 倭が手を引こうとした。


 その前に、自分の指を重ねた。


 手のひら全部ではない。


 指先だけ。


 倭の人差し指と中指の上へ、わたしの指を軽く置く。


 倭の手が止まった。


「これでいいですか」


「……ああ」


 声が少し低くなった。


 わたしもそのままにする。


 握られない。


 指を絡められない。


 倭の手は、本当にただそこにあるだけだった。


 触れたければ触れていい。


 離したければ、いつでも離せる。


 それがわかる。


「倭さんの手、温かいですね」


「運転してたからじゃね」


「関係あります?」


「知らねえ」


 倭の耳が少し赤い。


「照れてます?」


「今それ聞く?」


「赤いので」


「朝からうるせえな」


 でも、手は引かなかった。


 信号が青になる。


「運転」


「わかってる」


 倭は左手を戻そうとする。


 わたしも指を離した。


 すぐだった。


 ほんの少し触れただけ。


 倭は両手をハンドルへ戻し、車を発進させる。


「もう大丈夫ですか」


「何が」


「片手離してたので」


「信号中だけだろ」


「ちゃんとしてますね」


「当たり前」


 またいつもの声。


 膝の上へ手を戻す。


 さっきまでより、少し力が抜けていた。


 自分でもわかる。


「効果ありました」


「何の」


「手」


 倭が一瞬黙る。


「……そ」


「はい」


 それ以上は何も言わなかった。


 倭も聞かない。


 どうして落ち着いたのか。


 何が怖かったのか。


 昨日の何を思い出したのか。


 説明を求めない。


 わたしも、まだ全部説明できる気がしなかった。


 昨日は怖かった。


 たぶん。


 尾行されたこと。


 相手が振を知っていたこと。


 倭の線が切れかけたこと。


 倭が殴られそうになったこと。


 自分が勝手に振を使ったこと。


 どれが一番だったのかはわからない。


 全部かもしれない。


 でも、今は朝だった。


 隣には倭がいる。


 いつもの車。


 いつもの道。


 昨日の男はいない。


「倭さん」


「何」


「昨日の人、どうなるんですか」


「力環が調べてる」


「もう一人は?」


「車は追ってる。まだ詳しく聞いてねえ」


「そうですか」


「気になる?」


「少し」


「今日、学校終わる頃までに情報来てたら教える」


「いいんですか」


「あんたのことなんだから、必要な範囲は知っていいだろ」


 倭はそこで少し間を置く。


「ただ、知らなくていいことまで全部聞きたいとは思わねえなら、そこも言え」


「情報も?」


「怖くなるだけの情報もある」


「倭さんが決めるんじゃなくて?」


「一回聞く」


「知りたいか」


「ああ」


 やっぱり同じだった。


 話すか。


 聞くか。


 触れるか。


 倭は、こちらへ何かをする前に小さな隙間を作る。


 嫌なら止まれる場所。


 昨日、敵との間へ引いていた線とは少し違う。


 あれは越えさせないための境界だった。


 今のこれは、わたしが自分で越えるか決めるための境界なのだと思う。


「知りたいです」


 答える。


「わかった」


「でも、学校で聞きたくないです」


「じゃあ帰り」


「はい」


 それで決まった。


 車は学校へ近づいていく。


 見慣れた制服姿が増える。


 いつもの朝へ戻っていく。


「なぎ」


「はい」


「今日、帰り早めに出られる?」


「たぶん」


「たぶんじゃわかんねえ」


「ホームルーム次第です」


「終わったら連絡」


「いつもしてます」


「そうだった」


 倭が少しだけ笑う。


「寝不足だからって特別扱いしないんですね」


「してほしい?」


「わかりません」


「じゃあわかったら言え」


「便利ですね、それ」


「何が」


「わからないままでもいいって」


 倭が少しだけ考える。


「別によくね」


「よくない人もいます」


「でもあたしはいい」


 簡単に言われた。


 学校の近くへ着く。


 いつもの場所へ車を停める。


 シートベルトを外す。


「今日、体育ある?」


「ないです」


「力環は?」


「ないです」


「じゃあ学校終わったらそのまま帰る」


「はい」


 鞄を持つ。


 扉へ手をかける。


「なぎ」


「何ですか」


「眠かったら保健室行けよ」


「わかりました」


「あと」


 倭が少し迷う。


「途中で昨日のこと思い出して、しんどくなったら」


 そこで言葉を切る。


 わたしを見る。


「連絡して」


「迎えに来る?」


「必要なら」


「授業中でも?」


「必要ならな」


 押しつけではない。


 でも、選べるようにはしてくれる。


「わかりました」


「ん」


 車を降りる。


 扉を閉める前に、少しだけ倭の左手を見る。


 さっき触れた手。


「倭さん」


「何」


「さっき、ありがとうございました」


 倭は一瞬何のことかわからなかったようだった。


 すぐに気づいて、少し視線を逸らす。


「……別に」


「嫌じゃなかったです」


「それ今言う?」


「前にも言ったので」


「覚えてるよ!」


 声が少し大きくなった。


 朝からまた耳が赤い。


「じゃあ行ってきます」


「……行ってらっしゃい」


 扉を閉める。


 校門へ向かう。


 昨日より少し身体は重い。


 寝不足でもある。


 たぶん、まだ少し緊張も残っている。


 でも、それを全部今すぐ説明しなくてもいい。


 怖かったと決めつけられることもない。


 平気だと言い切る必要もない。


 言いたくなったら言う。


 聞いてほしくなったら、そう言う。


 触れたくなったら、自分から触れる。


 それでいいのだと思う。


 校門をくぐる前に、一度だけ振り返る。


 倭の車は、まだそこにいた。


 いつものように。


 わたしが中へ入るまで、動かずに待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。