第38話「強かったんですね」
力環の車が到着してからは、急に人が増えた。
現場の確認をする人。
拘束された男を引き渡す人。
周囲に残った遺能反応を記録する人。
わたしと倭は、まず簡単な事情聴取を受けることになった。
尾行に気づいた場所。
何度進路を変えたか。
どこで車を降りたか。
相手が何を言ったか。
どの段階で遺能を使ったか。
わたしは覚えている範囲で順番に答えた。
倭は、その横で必要なところだけ補足する。
「最初に相手が『振』って言ったのは?」
「なぎが共振使ったあと」
「それ以前に能力名をこちらから口にしましたか」
「してねえ」
「水守さんは?」
「してません」
担当者が記録する。
やっぱり、そこは重要らしい。
相手が最初から振の存在を知っていた。
その事実だけで、今回の尾行がただの偶然ではないことはかなり明確になっていた。
「詳細な経路や情報流出の可能性についてはこちらで調べます。念のため、しばらく移動時の警戒レベルは上げたほうがいいでしょう」
担当者が言う。
倭はすぐに頷いた。
「学校と力環の往復、ルート変える」
「お願いします。晶守家側にもこちらから連絡を入れます」
「それはあたしからも言う」
「承知しました」
話が終わったあと、わたしたちはそのまま力環へ移動した。
わたしの指先の痺れと、倭の左腕を診てもらうためだった。
結果として、どちらも大きな問題はなかった。
「水守さんは一時的な過負荷ですね。今日はもう能力を使わないでください」
「はい」
「明日まで痺れが残るようなら、再度来てください」
「わかりました」
倭は隣で聞いている。
「学校は?」
「日常生活に支障がなければ問題ありません。ただし体育は念のため控えてください」
「了解」
「倭さんが返事するんですね」
「聞いとく必要あるだろ」
前にも同じやり取りをした気がする。
今度は倭の番だった。
左腕は軽い打撲。
骨にも関節にも異常はない。
「数日は痛むかもしれませんが、冷やして様子を見れば大丈夫でしょう」
「動かしていい?」
「無理のない範囲なら」
「わかった」
診察が終わる。
廊下へ出てから、わたしは倭の左腕を見る。
「痛いですか」
「まあ少し」
「少し?」
「ほんとに少し」
「さっき骨折れるかもって言ってましたよね」
「あれはまともに食らったら」
「今回はまともじゃなかった?」
「かすっただけ」
倭は腕を軽く回して見せる。
「ほら」
「見せなくてもいいです」
「聞いたのあんただろ」
「痛くないならよかったです」
そう言うと、倭は一瞬だけこちらを見た。
「……ああ」
少しだけ声が静かになる。
力環を出る頃には、外はもう暗くなり始めていた。
結局、いつもの帰宅時間よりかなり遅くなった。
倭の車へ乗る。
助手席。
いつもの場所。
シートベルトを締める。
今日一日で何度も見たはずなのに、ここへ座ると少し安心した。
倭も運転席へ乗り、エンジンをかける。
「今日は真っ直ぐ帰る」
「はい」
「コンビニもなし」
「わかりました」
「嫌?」
「こんな日に寄りたいとは言いません」
「そ」
車が動き出す。
力環の敷地を出る。
しばらくは、お互いに何も話さなかった。
いつもの沈黙。
でも今日は、頭の中に残っているものが多い。
男の透明な膜。
倭の線。
共振したときの感覚。
それから。
近接戦になったあとの倭の動き。
思い出す。
避ける。
流す。
崩す。
投げる。
殴る。
相手のほうが能力で身体を守っていたのに、倭はほとんど動きを止めなかった。
「倭さん」
「何」
「強かったんですね」
車内が静かになった。
倭がこちらを見ない。
「……何、急に」
「今日見て思いました」
「今まで弱いと思ってたの?」
「弱いとは思ってませんでした」
「じゃあ何」
「Bランク上位って聞いてたので、強いんだろうとは思ってました。でも実際に見るの初めてだったから」
倭は前を向いたまま、少し眉を寄せる。
「護衛なんだから当たり前だろ」
「そうなんですか」
「弱かったら守れねえじゃん」
「でも、思ってたより強かったです」
「……そ」
耳が少し赤い。
わかりやすい。
「照れてます?」
「照れてねえ」
「赤いですよ」
「運転中見るな」
「横にいるので見えます」
「前向け」
「助手席です」
「知ってる」
少しだけ声が荒くなる。
でも怒ってはいない。
「何で褒められると照れるんですか」
「褒められてねえ」
「褒めました」
「ただ強いって言われただけだろ」
「それが褒めてるんです」
倭が何か言い返そうとして、やめた。
「……わかったから」
「はい」
「もういい」
そこで終わらせようとしている。
でも、わたしはまだ少し気になっていた。
「格闘、どこで覚えたんですか」
「色々」
「色々?」
「ちゃんと習ったのもあるし、仕事で覚えたのもある」
「静縁でも?」
その名前を出すと、倭の表情が少しだけ変わった。
「まあ」
「子どもの頃から?」
「護身くらいは」
それ以上は今聞かないほうがいい気がした。
「でも、あんなにできるなら最初から殴れば早かったのでは」
「嫌だっつっただろ」
「殴るの」
「ああ」
「戦うの苦手?」
「苦手っていうか」
倭は少し考える。
「怪我させんの好きじゃねえ」
「自分が怪我するのも?」
「それはどうでもいい」
「よくないです」
「今そういう話じゃねえだろ」
「大事です」
「……はいはい」
雑に流された。
「相手が怪我するのは嫌なのに、自分はいいんですか」
「仕事ならな」
「それ、前も言ってましたね」
「何」
「護衛が避けて依頼主に当ててどうするって」
倭が黙る。
「覚えてんの」
「覚えてます」
「忘れていいのに」
「忘れません」
「そう」
少ししてから、倭が続けた。
「別に、自分が怪我していいって意味じゃねえよ」
「はい」
「避けられるなら避ける」
「今日も?」
「ああ」
「でも左腕当たった」
「避けきれなかっただけ」
「じゃあ悔しい?」
「ちょっと」
そこは正直だった。
「もっと上手くできたと思う?」
「できたと思う」
「十分すごかったですけど」
また倭の耳が赤くなる。
「……だから」
「何ですか」
「そういうの連続で言うな」
「どういうの」
「褒めるやつ」
「苦手なんですか」
「慣れてねえわけじゃない」
「じゃあ何で」
「なぎが言うと変」
「どう変?」
「知らねえ」
倭は少しだけ速度を落とした。
前方の信号が赤だった。
車が止まる。
「他の人に言われるのと違うんですか」
「しつこいな」
「気になるので」
「……仕事の評価なら別に普通」
「今日のも評価ですよ」
「違うだろ」
「何が?」
倭がこちらを見る。
数秒。
何か言おうとして、やめる。
「何でもねえ」
「またそれ」
「いいの」
信号が青になる。
車が動き出す。
結局、何が違うのかは教えてくれなかった。
でも、わたしとしては本当に素直に感心しただけだった。
倭が強い。
それを今日、初めて自分の目で知った。
「線もすごかったですけど」
「まだあんの?」
「近くで戦うほうが得意なんですね」
「まあ」
「線が主力だと思ってました」
「線も主力」
「どっちが強い?」
「状況による」
「一対一なら?」
「距離と相手次第」
「今日の人なら?」
倭が少し考える。
「近いほうが早かった」
「やっぱり」
「ただ、護衛で最初から近接選ぶのはあんまよくねえ」
「どうして」
「あたしが相手に近づく分、なぎから離れるから」
その答えはすぐだった。
「線なら、なぎの近くにいながら止められる」
「だから最初はずっと線だったんですね」
「ああ」
「倒すより、近づかせないほうが大事」
「そう」
前に本人が言っていた。
守れればそれでいい。
今日の戦いは、そのままだった。
「護衛屋なんですね」
わたしが言う。
「何だよ急に」
「戦う人っていうより」
「元から護衛屋だっつってんだろ」
「でも、今日見てわかりました」
「何が」
「倭さん、相手を倒すことより、わたしのところに来させないことばっかり考えてたので」
倭が黙る。
「……そりゃそうだろ」
「護衛だから?」
「ああ」
短い返事。
でも、そのあとで少しだけ付け足した。
「守る相手ほったらかして勝っても意味ねえし」
言われてみれば当たり前なのかもしれない。
それでも、今日の倭を見たあとだと、その言葉の意味が少し違って聞こえた。
「じゃあ、今日はちゃんと仕事できた?」
聞いてみる。
倭の眉が上がる。
「なぎが無傷なら」
「無傷です」
「ならできた」
「倭さんは怪我しましたけど」
「軽い」
「それ含めても?」
「護衛対象が無事なら合格」
「自分に厳しいですね」
「普通」
「倭さんの普通、結構厳しいです」
「そう?」
「はい」
また少し静かになる。
外はもう暗い。
見慣れた道へ戻ってきた。
いつものコンビニ。
いつもの交差点。
水守家まで、あと少し。
今日あったことが急に遠くなったように感じる。
「倭さん」
「まだ何かあんの」
「あります」
「今日はよく喋るな」
「聞きたいこと多いので」
「何」
少しだけ考える。
「怖くなかったんですか」
「戦うの?」
「はい」
「別に」
「本当に?」
「慣れてる」
「じゃあ、わたしが振使ったときは?」
そこで返事が止まった。
「……あれは怖かった」
「そうなんですか」
「勝手に使うと思ってなかったし」
「すみません」
「別に今怒ってねえよ」
「でも使うなって言われてました」
「ああ」
「結果的には役に立った?」
「役に立った」
即答だった。
「かなり」
少し嬉しい。
「ならよかったです」
「ただし」
「はい」
「次も勝手にやっていいって意味じゃねえからな」
「わかってます」
「ほんとか?」
「必要なら相談します」
「戦闘中に相談する余裕なかったら?」
「倭さんの指示を聞く」
「そうして」
それで倭は少し安心したようだった。
「今日の共振」
「はい」
「あとで力環でもちゃんと検証すると思う」
「線が広がったやつ」
「そう。あれ、使い方次第でかなり変わる」
「護衛が?」
「ああ」
「倭さん、もっと強くなる?」
「能力の使い方は増えるかもな」
「じゃあやっぱり相性いいですね」
倭がむせそうになった。
でも今日は水を飲んでいなかったので、咳にはならなかった。
「……まだ言う?」
「能力の」
「わかってる」
「前より慣れました?」
「慣れてねえ」
「そうですか」
少し面白い。
倭が横目でこちらを見る。
「何笑ってんの」
「笑ってません」
「口元」
「気のせいです」
「絶対違う」
水守家の門が見えてくる。
車が敷地へ入る。
玄関前で停まった。
シートベルトを外す。
「今日は本当にありがとうございました」
「ん」
「守ってくれて」
「仕事」
「それでも」
倭がこちらを見る。
わたしもそのまま見る。
「倭さんが護衛でよかったです」
今度こそ、完全に黙った。
「倭さん?」
「……そういうの」
「何ですか」
「急に言うなよ」
「思ったので」
「わかったから」
耳だけではなく、少し頬まで赤い。
「また照れてる」
「照れてねえって」
「今日はよく赤くなりますね」
「誰のせいだよ」
「わたし?」
「他にいねえだろ」
倭は片手で顔の下半分を少し隠した。
わたしは扉へ手をかける。
「じゃあ、また明日」
「……ああ」
「7時5分?」
「いつも通り」
「わかりました」
扉を開ける。
降りる前に、もう一度倭を見る。
「倭さん」
「何」
「強かったです」
「もういい!」
声が大きくなった。
「はい」
車を降りる。
扉を閉める。
玄関へ向かう途中で一度振り返ると、倭はまだ車を出していなかった。
運転席で額を押さえている。
戦っているときは、あんなに落ち着いていたのに。
褒められるほうが苦手なのかもしれない。
少なくとも。
強いということは、もうよくわかった。
線を使っても。使わなくても。
倭はわたしを守るために、ずっとこちらと相手の間にいた。
それはきっと、力位の数字だけではわからない強さだった。
部屋へ戻ると、墨がすぐに寄ってきた。
いつもなら足元を一周して終わるのに、今日はしばらく離れない。力環や外の匂いがいつもと違うのかもしれない。
「怪我はしてませんよ」
言ってみる。
墨には関係ない。
それでも、しゃがんだわたしの膝へ前足をかけ、顔を近づけてくる。
その黒い頭を撫でながら、倭の左腕を思い出した。
わたしは無傷だった。
倭は軽い打撲で済んだ。
ちゃんと帰ってきた。
それなのに、身体のどこかにはまだ少しだけ、あの場所の緊張が残っている。
墨の毛は柔らかい。
指先を埋めているうちに、肩へ入っていた力が少し抜けた。
「強かったですよ、倭さん」
誰に言うでもなく呟く。
墨は一度こちらを見上げてから、興味をなくしたように膝の横へ座った。
褒めても赤くならないところは、倭とは違った。




