第16話「研究協力員」
遺能「振」が正式に登録されてから、わたしの一週間には新しい予定が増えた。
学校が終わったあと、そのまま力環日本支部へ行く日が週に二回。時間は長くても2時間ほどで、体調や学校行事を優先して構わないと言われている。
最初に予定表を見せられたとき、母は週二回でも多いのではないかと心配していた。でも、毎回長い検査を受けるわけではないと説明されると、最終的にはわたしの判断に任せてくれた。
わたし自身は、そこまで嫌ではなかった。
自分の遺能について知りたいというのもある。ただ、毎回「今日はこれをします」「次はこの日に来てください」と予定が決まっていることのほうが、意外と気楽だった。
放課後になってから、その日の過ごし方を考えなくていい。
今日は学校。
そのあと力環。
終わったら家へ帰る。
それだけならわかりやすい。
「水守さん、今日もそっち?」
帰りのホームルームが終わり、鞄へ教科書を入れていると、隣の席の子に聞かれた。
「そっち?」
「力環。最近よく行ってるじゃん」
「今日は行きます」
「なんか研究されてるの?」
「言い方」
「だってそうでしょ?」
完全に間違っているわけでもない。
「検査はされてます」
「やっぱり」
「でも今日は、そんなに検査しないと思います」
「じゃあ何するの?」
「……何するんでしょう」
まだ詳しく聞いていなかった。
今日はいつもの測定とは少し違うとだけ言われている。
友人が笑う。
「本人が知らないんだ」
「行けばわかるので」
「水守さん、そういうとこあるよね」
「どういうところですか」
「先のこと気にしそうなのに、決まってる予定には急に雑」
否定しようとして、少し考える。
確かにそうかもしれない。
何をするのかわからない状態で突然「今日これをしてください」と言われるのは苦手だけれど、「今日は力環へ行く」と枠だけ決まっていれば、その中身については意外と気にならない。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。変な実験されたら逃げてね」
「普通に断ります」
「強い」
教室を出る。
校門前には水守家の車が待っていた。
今のところ、学校から力環までは家の車で送ってもらっている。公共交通機関でも行けない距離ではないけれど、遺能が発現したばかりで検査中ということもあり、しばらくは送迎をつけることになっていた。
車へ乗り、制服のまま力環へ向かう。
この道にも少し慣れてきた。
受付を通ると、以前のように訪問目的を一から説明する必要もなくなった。身分確認を済ませると、研究棟へ入るための一時カードを渡される。
カードの端には小さく、水守なぎと印字されていた。
「これ、毎回作ってるんですか」
受付で聞くと、職員が首を振った。
「水守さんの分は登録されていますので、受付時に有効化しています」
「そうなんですね」
「紛失だけお気をつけください」
「はい」
首から下げる。
ほんの数週間前までは、ここへ来れば誰かに案内され、そのまま検査室へ連れていかれていた。
今日は研究棟の入口まで一人で歩く。
知っている廊下。
知っている角。
知っている部屋。
それだけで、少し違う場所に見えた。
「こんにちは」
いつもの研究室へ入ると、担当の研究員がパソコンから顔を上げた。
「こんにちは。学校お疲れさまです」
「今日は何するんですか」
「その前に、こちらを」
渡されたのは薄い書類だった。
上を見る。
研究協力員登録申請書。
「……研究協力員?」
「仮の呼称に近いですけどね。水守さんの場合、今後も継続して検証へ参加してもらう予定ですので、その都度『検査対象者』として扱うよりこちらのほうが都合がいいんです」
「わたし、働くんですか」
「職員になるわけではありません。高校生ですし」
「ですよね」
「研究へ協力する外部参加者という位置づけです。保護者の同意はすでにいただいていますが、本人の署名も必要です」
書類を見る。
研究目的。
参加範囲。
中止を希望できること。
個人情報の扱い。
体調不良時には参加しないこと。
学校生活を優先すること。
いくつも項目が並んでいる。
「ちゃんとしてますね」
「ちゃんとしないと怒られます」
「誰に」
「いろんなところに」
少し笑われた。
全部読む。
わからないところを二つほど聞いてから、署名欄へ名前を書く。
水守 なぎ。
最近、この名前を書く機会が増えた気がする。
「これで今日から研究協力員です」
「何か変わるんですか」
「検査のたびに同じ説明をしなくてよくなります」
「便利ですね」
「こちらが一番助かります」
思っていたより事務的な理由だった。
「それと、水守さんが希望するなら、簡単な記録作業も手伝ってもらおうと思っています」
「わたしが?」
「はい」
「自分の検査を?」
「まずはそこからです」
研究員が別の机を指した。
研究室の端に、共用らしいパソコンが何台か並んでいる。
「検証を続けるうえで、水守さん自身が何を感じたかという記録がかなり重要なんです。今までは実験後に口頭で聞き取って、こちらが入力していましたよね」
「はい」
「それを、今後はできる範囲で本人に直接記録してもらいます」
「感想文みたいなものですか」
「もう少し簡潔で大丈夫です。距離何mで違和感が出た、接触後に左腕が痺れた、晶は乱れている感じがしなかった、というような内容ですね」
それならできそうだった。
「ほかには?」
「機器の表示値を所定の欄へ入力してもらったり、自分が参加した検証記録を整理してもらったり。ただし、他の方の個人情報や機密性の高い資料にはまだ触れてもらいません」
「まだ?」
「将来はわかりませんよ」
「高校一年生ですけど」
「だから今は駄目です」
ちゃんと止められた。
案内された席へ座る。
わたし専用ではなく、空いている人が使う共用席らしい。机の上にはモニターとキーボードだけがあり、私物らしいものは何もない。
「まずログインしてください」
渡された紙に、一時的なアカウント情報が書かれている。
入力する。
画面に専用の記録フォームが開いた。
「今日の仕事は、前回の晶との検証記録を見ながら、自分の感覚を追記することです」
「仕事なんですか」
「作業、と言ったほうがいいですか?」
「別にどっちでも」
「報酬も少額ですが出ますよ」
指が止まる。
「出るんですか」
「拘束時間が発生しますから」
「検査されるだけでも?」
「検査参加に対する協力費と、作業分は別です」
「……知らなかった」
「説明資料に書いてあります」
「読んだはずなんですけど」
「金額までは見てませんでした?」
「はい」
研究員が少し笑う。
「水守さん、そういうところは意外と大雑把ですね」
今日二回目だ。
画面を見る。
日時。
対象遺能。
距離。
出力。
観測値。
主観反応。
いくつもの欄が並んでいる。
夜也の「晶」と検証した日の記録を開くと、数値の横にそのときの映像まで紐づいていた。
再生する。
画面の中で、夜也が小さな結晶を出している。
わたしが近づく。
晶が揺れる。
そして、澄んだ音が鳴る。
「これ何回見ても慈さん嬉しそうですね」
後ろから研究員が言った。
「そうですか」
「ここ」
映像の中で、わたしが「綺麗」と言った直後。
夜也が笑っている。
「……普通では」
「水守さん基準ならそうなんでしょうね」
「何ですか、それ」
「いえ」
何か含みがある気がしたけれど、聞かないことにした。
記録欄へ入力する。
『約1mで胸部から指先にかけて軽い違和感。痛みなし。対象の振動が整っているように感じた。』
一度読み返す。
「『整っているように感じた』でいいですか」
「いいですよ。客観データと一致しているかどうかは、こちらで後から照合します」
「感じたことをそのまま?」
「はい。むしろ、こちらの数値に合わせて書かないでください」
「わかりました」
さらに入力する。
『接近するほど反応が強くなった。音が発生する少し前に、次に鳴ることがわかった。』
書いている途中で、少し変な感じがした。
今までは全部、質問されて答えていた。
どう感じましたか。
痛かったですか。
何が違いましたか。
それを研究員が記録していく。
今日は、自分で書いている。
同じ内容なのに、少し違う。
「これ」
「はい?」
「わたしが書いたものも研究データになるんですか」
「もちろんです」
「主観なのに」
「主観だから必要なんです。機械で拾えるものと、水守さんだけが感じられるものは別ですから」
「間違ってたら?」
「あとで訂正すればいいんですよ」
あっさり言われた。
「研究記録は、最初から全部正解を書くものではありません。『その時点ではこう観測した』を残すものです」
「そういうものなんですね」
「そういうものです」
少し気が楽になった。
自分の感じ方を、正解に合わせなくていい。
とりあえず、そのとき自分がどう感じたのかを書けばいい。
一時間ほど作業する。
途中で、研究員が別の資料を持ってきた。
「これもお願いできますか」
「何ですか」
「今日使用するセンサーの確認表です。番号が揃っているか見てもらえれば」
「それだけ?」
「それだけです」
紙と、ケースに入った小さなセンサーを照らし合わせる。
1番から8番。
数える。
番号を見る。
状態の欄へチェックをつける。
単純だった。
でも、嫌ではない。
「研究って、こういうこともするんですね」
「むしろこういうことのほうが多いですよ」
「もっとずっと実験してるのかと思ってました」
「毎日何かが爆発していたら研究所がもちません」
「それはそうですね」
ケースを閉じる。
次は、前回の測定データのファイル名を規則に沿って直す作業を頼まれた。
日付。
被験者番号。
対象能力。
試行回数。
決められた順番で入力する。
一つずつ。
同じ形式で。
間違いがないか確認する。
気づけば、かなり集中していた。
「水守さん」
「はい」
「休憩してください」
「まだ大丈夫です」
「45分経ってます」
時計を見る。
本当だった。
「こういう作業、嫌いじゃないんですね」
「そうみたいです」
自分でも少し意外だった。
検査で何が起こるかわからない時間より、今やっている作業のほうがずっと楽だった。
入力するものが決まっている。
終わりもわかる。
何をすればいいのか、その都度聞かなくてもいい。
研究員が紙コップの飲み物を持ってきてくれる。
「ありがとうございます」
「放課後に来てもらっているので、無理はしないでくださいね。宿題もあるでしょう」
「あります」
「じゃあなおさらです」
温かいお茶を飲む。
窓の向こうは、もう少し暗くなり始めていた。
「毎回こういう感じなんですか」
「検証がある日と、記録中心の日に分けようと思っています。水守さんの学校予定次第ですが」
「今日みたいな日もある?」
「ありますよ。むしろ今後は増えるかもしれません」
「それならいいです」
「検査より?」
「検査は、何されるかわからないので」
「一応全部説明してるつもりですが」
「始める前には。でも結果がわからないでしょう」
「ああ」
研究員が納得したように頷く。
「記録作業なら、何をすれば終わるか最初からわかります」
「なるほど」
それだけ言って、何かをメモされた。
「今のも記録するんですか」
「これは水守さんの作業環境についてです」
「わたし、そこまで研究されるんですか」
「研究ではなく、継続して来てもらうための調整ですよ。苦手なやり方を毎回押しつけたら来たくなくなるでしょう」
「それはそうです」
「ですから、わかりにくい指示があったら言ってください。作業内容も最初にまとめて渡すようにします」
そう言われると、少し安心した。
研究協力員という名前を見たときには、もっと大げさなことをするのかと思っていた。
実際には、センサーを確認して、データを入力して、自分の感覚を文章にする。
地味だった。
でも、その地味さは思ったより心地よかった。
休憩後、今日は小さな確認実験を一つだけ行った。
相手は以前も協力してくれた、防壁を作る職員だった。
今回は能力を使うことそのものより、わたしがどの距離で何を感じるかを自分で記録することが目的だった。
3m。
何もない。
2m。
まだ何もない。
1m。
ほんの少し違和感があるような気もするが、自信はない。
50cm。
弱い。
夜也の晶とは全然違う。
「接触します」
事前に決められた手順通り、声に出してから手を伸ばす。
透明な防壁へ触れる。
硬い。
しばらく待つ。
やっぱり、ほとんど何も感じない。
「どうですか」
「前と同じです。何もないわけじゃない気がするけど、よくわかりません」
「それで大丈夫です。終了しましょう」
能力が消える。
席へ戻り、今感じたことを自分で入力する。
『接触時、ごく弱い違和感。振動として明確に認識できるほどではない。晶との検証時より大幅に弱い。』
入力して保存する。
「終わりました」
「確認しますね」
研究員が画面を見る。
「問題ありません」
「これだけ?」
「今日はこれだけです」
少し拍子抜けする。
以前なら検査が終われば、そのまま帰るだけだった。
今日は使ったセンサーを番号順に戻して、確認表へ終了時刻を書く。
最後に共用パソコンからログアウトする。
「今日の作業は終了です」
「お疲れさまでした」
「水守さんもお疲れさまでした」
椅子から立つ。
鞄を持とうとして、机の端に置かれた自分の一時カードを見る。
忘れるところだった。
「これ、いつまで一時カードなんですか」
「研究協力員登録がシステムへ反映されたら、継続用のものに変わります」
「継続用」
「受付のたびに発行し直さなくてよくなるだけですよ」
「そうなんですね」
首から外したカードを見る。
ここへ来ることが、もう一回限りではないということだけはわかる。
「次は木曜日です」
「放課後?」
「はい。ただ、学校が長引いたら連絡だけいただければ大丈夫です」
「わかりました」
「次回は晶以外の高出力遺能との比較を少し。それから、今日のデータ整理の続きがあります」
「最初に作業一覧もらえます?」
「もちろん」
すぐに一枚渡された。
次回予定。
1. 体調確認。
2. 低出力検証。
3. 休憩。
4. 記録入力。
5. ファイル整理。
6. 終了。
わかりやすい。
「これ、いいです」
「今後も用意します」
「お願いします」
鞄へ入れる。
研究室を出ようとすると、研究員が後ろから呼び止めた。
「水守さん」
「はい」
「どうでした? 研究協力員初日」
少し考える。
特別な達成感があるわけではない。
能力を大きく使ったわけでもない。
何か発見したわけでもない。
ほとんど座って、数字や文字を入力していただけだ。
「思ったより普通でした」
「それはよかったです」
「いいんですか、普通で」
「研究は、普通の日が続かないと進みませんから」
その言葉は、少し好きかもしれないと思った。
廊下へ出る。
制服姿で研究棟を歩くことにも、最初ほど違和感がない。
少し前まで、わたしはここへ「調べられに来る人」だった。機械の前に座り、指示された通りに動いて、終われば帰る。自分の遺能のことなのに、結果を知っているのはいつも研究員のほうだった。
今日は、自分で記録を読んだ。
自分で感じたことを書いた。
検証に使う道具を確認して、終わったあとのデータまで整理した。
できることはまだ少ない。
誰かの研究を任されているわけでもないし、大事な判断をする立場でもない。15歳の高校生が触れていい範囲だけを切り取ってもらっているのだと思う。
それでも、「検査されるだけ」ではなくなった。
自分の中に突然見つかった遺能について、誰かに説明してもらうだけではなく、自分もその記録を作る側に少しだけ入った。
受付へ向かう途中、ガラス窓へ映った自分を見る。
制服。
学校鞄。
その首には、力環のカード。
少し変な組み合わせだった。
でも、嫌ではない。
カードを受付へ返し、玄関へ向かう。
外はもう夕方だった。
いつものように、水守家から迎えの車が来ているはずだ。
そう思いながら自動扉を抜けた。




