第14話「振」
晶が鳴った日から一週間ほどのあいだに、わたしは三度、力環へ呼ばれた。
前回試した防壁の遺能だけではなく、触れたものの温度を下げる遺能や、空気を圧縮して小さな塊を作る遺能でも検証が行われた。
けれど結果は揃わなかった。
防壁にはほとんど何も起こらず、温度を下げる力にも観測機器で拾える程度の弱い変化しか出なかった一方、圧縮された空気へ手を近づけたときには、ごく細かな振動が生じた。
夜也の「晶」では、もっとはっきりしていた。
前回と同じように、わたしが近づくにつれて結晶が細かく震え、やがて澄んだ音を立てた。
距離を取れば止まり、再び近づけばまた鳴る。同じ条件で何度か繰り返しても結果は変わらず、さすがに偶然や機械の誤作動だけでは説明できなくなったらしい。
今日は検査をするためではなく、その結果を聞くために力環へ来ていた。
「なぎ、さっきから同じところ見てない?」
待合室の隣から声がして、手元の雑誌へ目を落とした。確かに開いたページはずっと同じだったが、そもそも内容を読んでいなかったので問題はない。
「読んでないので」
「それ、緊張してる人が言うやつじゃない?」
「してません」
「ほんと?」
夜也が横から顔を覗き込もうとしたので、少し身体を引いた。
「近いです」
「はいはい」
以前なら面白がってそのまま居座っていたかもしれないのに、今は言えばすぐに元の位置へ戻る。そこだけは、この人も少し学習したらしい。
今日は晶守家の仕事の途中なのか、夜也は黒いスーツを着ていた。わたしの説明を聞くだけなら本人が来る必要はないと思うのだけれど、前回の検証に協力した以上、自分にも結果を聞く権利があると言ってついてきた。
「そもそも、どうして夜也さんまでいるんですか」
「ぼくの晶が鳴ったんだから、気になるでしょ」
「研究員さんから聞けばいいのでは」
「なぎと一緒に聞いたほうが早いじゃん」
「それが理由ですか」
「あと、なぎがどんな顔するか見たい」
「帰ってください」
「あはは。やだ」
拒否しても楽しそうに笑うだけなので、もう相手にしないことにした。
少しして、前回まで検査を担当していた研究員が待合室へ顔を出した。
「水守さん、お待たせしました。慈さんもどうぞ」
「ほら、ぼくも呼ばれてる」
「最初から同席予定だったんですか」
「うん」
「聞いてませんけど」
「言ってなかったっけ」
夜也はまったく悪びれない。研究員まで苦笑していたので、わたしは何も言わずに立ち上がった。
通されたのは検査室ではなく、小さな会議室だった。机の上には何枚もの資料が並び、壁のモニターには学校で起きた事故から先日の晶との検証まで、いくつもの波形が表示されている。
研究員のほかに、異能研究部門の責任者だという年配の男性も同席していた。
全員が席につくと、研究員は資料を一枚こちらへ向けた。
「まず結論からお伝えします。水守なぎさんには、遺能が存在します」
予想していなかったわけではない。
ここ一週間、何度も検査を受けている。何もないなら、ここまで調べられていないだろう。それでも、はっきり「ある」と言われると、思っていたより不思議な感じがした。
「本当に、遺能なんですね」
「はい。少なくとも現在までに観測された現象は、水守さん自身に由来する遺能反応だと判断しています」
「でも、今までの検査では何も出ませんでした」
「そこが今回の能力の特殊なところです」
研究員はモニターへ学校での事故記録を映した。暴走した「膜」の遺能へ近づいていくわたしと、それに合わせて乱れ始める波形が並んでいる。
「通常の遺能検査では、本人に単独で能力を発動してもらいます。火を生じさせる能力なら火を出してもらい、防壁なら防壁を形成してもらう。それによって出力や精度、持続時間を測定します。しかし、水守さんには単独で明確な現象を発生させる反応がほとんどありませんでした」
「だから、ずっと遺能なしだと思われていた」
「そう考えています。水守さんの能力は、他者の異能、あるいは異能によって生じた現象が存在して初めて、観測可能な形になる可能性が高いです」
画面の映像が進み、教室の中でわたしが暴走した膜へ近づいていく。まだ触れてもいない段階から、その出力波形には細かな揺らぎが混ざっていた。
「学校での事故では、水守さんが一定距離まで近づいた時点から、それまで存在しなかった周期変動が始まっています。さらに接触した直後、その変化は急激に大きくなった。もともと暴走によって不安定だった現象へ別の揺らぎが加わったことで、膜は構造を維持できなくなり、出力が急速に低下したと考えられます」
「わたしが弱くしたんですか」
「結果だけ見ればそうですが、意図的に出力を下げたというより、“相手の状態を乱した結果として弱くなった”と考えるほうが近いでしょう」
そこで映像が切り替わり、今度は夜也の晶が映った。
透明な結晶の表面が細かく震え、少し遅れて澄んだ音が流れる。録音されたものを改めて聞くと、検査室で直接聞いたときとは少し違って聞こえた。
「これ、録音もらえない?」
隣で夜也が言う。
「今その話ではありません」
「あとで聞く」
研究員は慣れたように無視して説明を続けた。
「慈さんの『晶』では、学校での事故とは逆のことが起きました。もともと非常に安定していた晶の制御周期へ水守さん由来の揺らぎが重なり、その周期が一致した結果、結晶全体が規則的に振動しています。この振動が物理的な共鳴音として現れたのが、先ほどの音です」
「学校では崩れて、晶では整った」
「はい。同じ能力が、対象によってまったく逆の結果を生んでいます」
その違いは、自分でも何となくわかっていた。
学校の膜に触れたときは、いくつもの揺れが噛み合わず、ばらばらになっていた。どこが基準なのかわからないのに、妙に「ずれている」と感じた。一方で夜也の晶は最初から整っていて、近づくほど自分の側まで同じ周期へ引かれるような感覚があった。
「晶のとき、わたしは“合ってる”って感じました」
「その感覚も重要です」
研究員が頷いた。
「観測結果とも一致しています。水守さんは単純に無作為なノイズを与えているわけではなく、対象の周期を何らかの形で感知し、それに対して別の周期を重ねている可能性があります。ただし、それが無意識なのか、将来的に意識的な調整が可能なのかはまだわかりません」
年配の研究員が、別の資料を前へ出した。
「追加検証では、能力の種類によって反応の強さにもかなり差が出ています。ほとんど反応しない対象もあれば、慈さんの晶のように非常に明確な反応を示す対象もある。距離による減衰も大きく、現時点では接触時が最も強い。このあたりは今後さらに検証が必要です」
「じゃあ、誰の遺能でも同じようにできるわけではないんですね」
「少なくとも現状ではそうです。また、対象の出力が大きいほど、水守さん自身へ返る負荷も大きくなる可能性があります。学校でも晶の実験でも、強い反応のあとに腕の痺れが出ていましたね」
自分の左手を見る。今は何ともない。
「相手へ何かした分、自分にも返ってくるんですか」
「その可能性があります。ただし、まだ検証数が少ないので断定はできません。能力を理解するためにも、当面は高出力の対象への接触を避けながら調べることになります」
夜也が横から口を挟んだ。
「だから前より出力上げようとしたら止められたんだ」
「当然です」
「ぼくは制御できるよ」
「慈さんが制御できても、水守さん側の許容量がわかっていません」
「はい」
思ったより素直に引き下がった。自分が危険になる話ならもっと抵抗するのかもしれないが、わたし側の負荷と言われると夜也は案外聞き分けがいい。
「それで」
わたしは資料へ目を戻した。
「この遺能は、結局何をするものなんですか」
研究員は少し考えてから答えた。
「現段階で一番誤解の少ない言い方をするなら、他者の異能へ“揺れ”を重ねる能力です」
「揺れ」
「対象とその揺れが噛み合わなければ、現象を乱す。噛み合えば、逆に安定させたり、共鳴を起こしたりする。今後の研究次第では、増幅や減衰といった作用も確認されるかもしれません。ただ、どの結果になる場合でも、根本で起きているのは周期への干渉です」
学校で感じたものと、晶から返ってきたものが、そこでようやく一つの説明につながった。
能力を消しているわけではない。強くしているわけでもない。相手の力がどう揺れているのかを拾って、そこへ別の揺れを重ねている。その重なり方によって、崩れることもあれば整うこともある。
「特殊な遺能なんですか」
「他者の異能へ干渉する能力そのものは存在します。無効化、増幅、減衰、模倣など、似た方向性の能力も知られています。ただ、水守さんのように本人単独ではほぼ出力を示さず、接触する対象によって作用の方向まで変化する例はかなり珍しいですね」
「珍しいんだ」
夜也のほうが嬉しそうに言った。
「夜也さんの能力じゃないですよ」
「わかってる。でもなぎのだから」
「それで喜ぶ理由になってません」
「なるよ、ぼくには」
研究員が話を戻すように、一枚の用紙を取り出した。
「正式登録に進むためには、能力の識別名称が必要になります。これまでは研究上の仮称を使用していましたが、観測された現象を踏まえて、こちらではこの名称を提案しています」
用紙がわたしの前へ置かれた。
氏名の欄には、水守なぎ。
その下の遺能名には、一文字だけ書かれていた。
――振。
「『しん』と読みます」
その字を見ながら、少し考える。振動の振。揺らすという意味もあるし、響くものが震えるときにも使う。
「そのままですね」
「意図的にそうしています。現時点で“共鳴”と名付けてしまうと、能力の一部だけを示すことになりますし、“干渉”では範囲が広すぎる。今後作用の詳細が変わっても、根本にある揺れという性質は残るだろうという判断です」
「ぼくは『響』もいいと思うけど」
「夜也さんは聞かれてません」
「なぎは?」
改めて文字を見る。
格好いい名前が欲しいとは思わない。むしろ、何をするのかまだよくわからない能力だからこそ、余計な意味のない名前のほうが落ち着く気がした。
「振でいいです」
「では、登録名称は遺能『振』として手続きを進めます」
研究員が書類へ記入する。
15年間、何もないとされていた場所に、新しい一文字が入った。
元の水守なぎは、自分に遺能がないことを少し気にしていた。水守の人間なのに、家の役に立つような特別なものを持っていないと、幼い頃から何度か考えていた記憶がある。
もしかすると、本当はなかったわけではないのかもしれない。
他人の力に触れなければほとんど形にならないせいで、誰にも見つけられなかっただけかもしれない。
それとも、15歳になってから初めて生まれたものなのかもしれない。そこは今の検査でもわからないらしい。
「いつからあったのかは、調べられないんですか」
「過去の検査記録だけでは難しいです。以前から存在していて適切な対象と接触しなかった可能性もありますし、近年になって発現した可能性もあります」
「そうですか」
結局、その部分には答えが出なかった。
元のなぎのものだったのか、今のわたしになってから生まれたものなのか。
自分自身についてわからないことが、また一つ増えた。
「それから、まだ試していない対象があります」
年配の研究員の言葉で顔を上げる。
「原動です」
頭に最初に浮かんだのは、九十九だった。
「降命者にも、振が作用するかもしれない?」
「理論上は否定できません。ただし、現段階で実験する予定はありません。遺能者同士の検証と比べ、何が起きた場合にも規模が大きすぎます」
「それはやめたほうがいいと思う」
夜也がすぐに言った。
「珍しく意見が一致しましたね」
「珍しくって何。ぼくだって危ないこと全部やりたいわけじゃないよ」
夜也は少し真面目な顔で続けた。
「白の出力は人間の力位で測るものじゃないし、なぎのほうもどこまで返ってくるかわかってないんでしょ。今ぶつけるのは怖いよ」
九十九本人にも何が起こるかわからない。
その説明には、わたしも異論はなかった。
話が一通り終わると、研究員は資料をまとめながら、今後の検査予定について説明した。正式な遺能登録と同時に、力位についても暫定評価を行うらしい。
「ランクも決まるんですか」
「評価自体はすでに出ています。ただ、水守さんの場合は数字だけお伝えすると誤解を招きやすいので、次回改めて詳しく説明します」
「そんなに変なんですか」
「かなり特殊です。単独で測った出力と、他者へ干渉した場合の結果に大きな差がありますから」
研究員がモニターへ二種類の数値を表示する。片方はかなり低いところに留まっているのに、もう片方は条件によって大きく上下していた。
「制度上は一つの力位へ分類しますが、必ず注記がつきます」
「どんな?」
「条件依存です」
その言葉だけを聞いて、今日は説明が終わった。
会議室を出たあと、夜也が隣から書類を覗き込んできた。
「遺能『振』かあ。いいじゃん」
「そうですか」
「短くて呼びやすいし。なぎっぽい」
「どこがですか」
「一人だと静かなのに、誰かに触ると急に何か起きるところ」
思わず夜也を見る。
「それ、褒めてます?」
「かなり」
「よくわかりません」
夜也は笑いながら先を歩き、少ししてから振り返った。
「でも、これからわかってくんでしょ。振が何できるのか」
「そうみたいです」
「だったらいいじゃん。知らないものが一個減った」
「むしろ増えた気がしますけど」
「名前がついただけでも前進だよ」
簡単に言う。
でも、完全に間違っているとも思わなかった。
15歳になってから、自分についてわからないことばかりだった。鏡に映る顔も、水守という名前も、元のなぎの記憶も、どこまでが自分なのかすぐには決められなかった。
その中へ、今度は遺能まで加わった。
それでも、今回は少し違う。
これは誰かから「あなたはこういう人間だ」と決められたものではない。実際に自分が感じて、夜也の晶を鳴らして、力環が何度も確かめた結果として見つかったものだった。
力環の玄関を出ると、春の終わりに近い暖かな風が吹いていた。迎えの車を待ちながら、もう一度書類を開く。
水守なぎ。
遺能「振」。
一人ではほとんど何も起こせず、他者の力と触れ合って初めて形が見える。それがどう働くのかは相手によって違い、乱すこともあれば整えることもあるらしい。
ずいぶん変な能力だと思う。
けれど、自分自身についても、誰かと関わるたびに初めて分かることが増えていた。
夜也を押し返して、自分は嫌な距離を嫌だと言えるのだと知った。九十九の隣で黙って本を読んで、誰かと何も話さず過ごす時間を心地いいと思えることを知った。そして夜也の晶が鳴ったとき、知らないものが自分の中にあることを、初めて少しだけ面白いと思えた。
遺能「振」が、これから自分にとってどういうものになるのかはまだわからない。
それでも、書類に記された一文字を見ても、以前ほど「知らないものが増えた」とは思わなかった。
まだよく知らないだけで、これはもう、わたしの中にあるものなのだと思った。




