5 ジャムの君
やがてノクスはため息を吐き終わると、大きな体をのそりと動かして、自身の荷物が入った革袋をガサガサと漁ると、中から可愛らしいピンク色のリボンがかけられた赤茶色の瓶を取り出し瓶の蓋をパカリと開けた。
瓶の蓋が開いた瞬間、木苺の甘い香りがふわりと広がり、選手控室の空気も甘く変わり優しい匂いが充満する。
瓶の中身は木苺のジャムだった。
ノクスは瓶の中身を嬉しそうに覗き、それからやはり革袋から取り出したスプーンで一匙掬うと、パクリと口に放り込む。
そして直ぐに精悍な顔つきを綻ばせて口元を緩めた。
「はあ…旨い。やはり疲れた時は甘い物に限るな。」
うっとりと言う言葉がぴったり当てはまる表情で、もう一口と口に運ぶ。
珍しいノクスの表情に、アルシオンが話しかける。
「随分美味しそうだねノクス。それに凄くいい香りだ。まるで摘みたての木苺をそのまま瓶に閉じ込めたようだ。」
「であろう?これはな、"ジャムの君"が毎年辺境へ支援品の一つとして送ってくれる一品なのだ。」
「ジャムの君?」
キョトンとした顔でアルシオンが尋ねると、ノクスは我が事のように自慢気に胸を張った。
「うむ!この学園ではないアカデミーに通う由緒正しき伯爵家のご令嬢なのだが、毎年手ずから摘み取った木苺やらオレンジやらをジャムや砂糖漬けに加工して辺境に送って下さるのだ!
しかも大変に聡明な事に、辺境の為にと保存に適した瓶まで開発してくれて、このジャムなど開封せねば3年は持つという優れものだ。
その上、味は格別に旨い!なかなか甘味が手に入らぬ辺境において、彼女は"ジャムの君"と呼ばれて敬われておるのよ。わしもまた彼女のファンだ。」
「へえ、顔に似合わず甘い物に目がないものね君。」
いつもの厳しい表情を吹き飛ばし"ジャムの君"の作ったジャムに舌鼓を打つノクスをからかうようにアルシオンが目を細めた。
「顔に似合わずとは何だ!偏見だぞアルシオン!騎士は肉も酒も好きだが、甘いものが好きな者も多い!わしは下戸ゆえ、特に嗜好品はコレ一択なのだ。
彼女のジャムが癒してくれるからわしは日々頑張れる!
故に彼女に足を向けて眠れん!だから例えそなたと言えど、"ジャムの君"に関してからかうような発言をするなら許さんぞ!」
「ふふっ、ごめんごめん。……だけど3年も食品を保存させる瓶を開発するなんて本当に才女なんだね。
………ねえ、せっかく王都に来ているんだし、お礼がてらその"ジャムの君"に会いにいくのはどうかな?
僕もこの瓶について詳しく聞いてみたいんだけど、どうかな?」
「ジャムの君にか?」
「うん、もしかしたら食肉の保存にも使えるんじゃないかと思うんだ。
僕の領地から辺境へは遠いし、もし活用出来たら肉も新鮮な状態で届けられるんじゃないかと思うんだけど…。」
「流石に生肉は無理ではないか?」
「う〜ん、そうかな?確かに肉は雑菌が繁殖したら直ぐに駄目になってしまうけど、何かいい加工を知っているかもしれないし。」
「しかし、こんな厳つい男が急に訪ねていったら怖がらせてしまわないか?
支援品を送ってくれるのだから、彼女自身は辺境に対して悪感情はないであろうが、彼女の周りの人間がどう思うか………。
親父殿の話では、彼女の婚約者は、とある公爵家の子息らしいのだが、祖父の代までは辺境に非常に友好的であったが、代替わりしてからは真逆になってしまったと聞いている。
……わしは彼女を困らせるような事はしたくはない。」
よほど"ジャムの君"の事を困らせたくないのだろう。
ノクスの発言は日頃の豪放磊落な性格が嘘のように、慎重で気遣いに満ちていた。
「そうか………ごめん。ジャムの君の事情まで頭が回っていなかった。」
「いや、そなたが辺境の為になるやもと思って提案してくれたのは分かっている。望みを聞いてやれなくて済まないな……ここ王都では辺境は嫌われておる故俺では………………。」
そう言いかけたノクスがカタリナを目に留めた。
アルシオンもまた、そうかカタリナ嬢ならと目を向ける。
「………………ふむ、そうだカタリナならば……」
二人の期待に満ちた目に、何が?と問うほどカタリナは鈍くはない。
カタリナのセルガル伯爵家は辺境にほど近い領地を持つと言っても辺境ではない。
それに令嬢が令嬢を訪ねていくのなら、何も角が立たないのではということなのだろう。
でも………
「お断りします。」
にべもない間髪入れずの否定にノクスの眉が片方ピクリと動く。
「……………まだ何も言っておらぬが……。」
「あの、カタリ…ナ…嬢………」
アルシオンは様子を伺うようにカタリナに声をかけるも、カタリナの凍てついた表情に息を呑んだ。
「申し訳ございませんが用事を思い出しましたので、ここで失礼させて頂きますわ。…アルシオン様はどうかお体お大事になさって下さい。」
そしてカタリナはサッ踵を返して選手控室を後にした。




